たくろふのつぶやき

春は揚げ物。

2017年10月

飯の種


kiken



村本大輔「興味もたせろ」物議呼ぶ投票行かずに持論

ウーマンラッシュアワーの村本大輔(36)が、今回の衆議院選挙の投票に行かなかったことを明かし、物議をかもしている。

村本は過去にも「投票に行ったことがない」と発言していたが、今回も23日にツイッターで「声を大にして言う。僕は今年は選挙に行かなかった」と告白。「全国民で選挙に行かなかったやつの方が多い。多数決の多数が国民の総意なら、選挙に興味なかった俺たちが国民の総意」と持論を展開し、「台風の中、選挙にいかせるぐらい政治に興味をもたせろ」と訴えた。

村本は「たった3週間でいい政党悪い政党判断できない」と投票に行かなかった有権者の思いを代弁。自身が投票しなかった理由については「日本は病気だとして政治家は医者。薬が公約だとして、その薬のいいことだけ教えてくれて肝心の副作用を伝えない医者をおれは信じない。そんな怪しい医者に大切な日本を任せきれない。だから行かない」と説明した。

また「政治意識の低い有権者が悪い」という声に対し、「けど政治は民主主義、税金払ってるんだから田舎の自分の仕事でいっぱいいっぱいで興味ない人を切り捨てるな。お笑いライブで客が少なかったら芸人のせい。政治でタチの悪いのはチケット代はライブにこなくても取ってるということ」と異議を唱えた。





gitai





思ってることを言うのではなく、言った通りに思うようになる。

詐欺師の話し方

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話の意図をごまかそうとする奴しかこんな話し方はしない。

第48回衆議院選挙

「政権継続という審判 多様な民意に目を向けよ」
(2017年10月23日 朝日新聞社説)
「衆院選自民大勝 信任踏まえて政策課題進めよ」
(2017年10月23日 読売新聞社説)
「日本の岐路 「安倍1強」継続 おごらず、国民のために」
(2017年10月23日 毎日新聞社説)
「安倍政権を全面承認したのではない 」
(2017年10月23日 日本経済新聞社説)
「自公大勝 国難克服への強い支持だ 首相は北対応に全力挙げよ」
(2017年10月23日 産経新聞社説)
「安倍政権が継続 首相は謙虚に、丁寧に」
(2017年10月23日 東京新聞社説)


第48回衆院選を受けての各社の社説。
非常にしらけた衆議院選挙だった。対決の構造すら明白ではなく、「政策」よりも「政局」に明け暮れた野党の迷走が目立つ。政局の保持に奔走した挙句、自身の主張が正反対になる本末転倒な候補者も多かった。こんな候補者ばかりが野党では政権奪取どころか現状維持も危うい。はっきりいって今回の選挙は、野党の自滅だろう。

今回の選挙がもうひとつ異様だったことは、マスコミ各社の報道のしかただ。特に朝日新聞、毎日新聞などの左派系の新聞社は、はじめから「ストップ安倍政権ありき」の偏向報道に終止した。迷走し趣旨が一貫しない野党をやたらと褒めちぎり、「世論は安倍政権不信で一色」という報道を繰り返した。

実際に蓋を開けてみたら、自民・公明の圧勝。公明党と合わせて311議席を獲得し、憲法改正の国会発議に必要な3分の2(310議席)を上回った。これにより、与党は単独で憲法改正が可能となった。
普通に考えれば、「世論が安倍政権不信で一色」という事前の報道は、嘘だったことになる。そういう与党批判の報道は、事実を反映した報道ではなく、新聞社がでっちあげた「あるべき姿」に読者を煽動しようとした姑息な試みと断じてよかろう。

与党の大勝という結果を受けてなお、朝日と毎日は自分たちの報道が間違っていたことを認めていない。「選挙の結果は大勝だが、それは有権者に支持されたという意味ではない」という謎理論を展開している。

選挙結果と、選挙戦さなかの世論調査に表れた民意には大きなズレがある。本紙の直近の世論調査によると、「安倍さんに今後も首相を続けてほしい」は34%、「そうは思わない」は51%。

国会で自民党だけが強い勢力を持つ状況が「よくない」が73%、「よい」は15%。

「今後も自民党中心の政権が続くのがよい」は37%、「自民党以外の政党による政権に代わるのがよい」は36%。
(朝日社説)

 衆院選中に実施した毎日新聞の世論調査では、選挙後も安倍首相が首相を続けることに「よいとは思わない」との回答は47%で、「よいと思う」の37%を上回った。
(毎日社説)


単純に考えれば、手前の新聞社で行った世論調査なるものと、実際の選挙の結果が違うのであれば、世論調査の方法に間違いがあったと考えるのが普通だろう。「世論調査」と簡単に言うが、その母集団はどういう選別によるものだったのか。「ストップ安倍政権」の民意を捏造すべく、そういう意見をもつ母集団に対して調査をしたのであれば、それは世論調査でもなんでもない。単なる情報操作だ。

選挙でこれだけ圧勝していながら「民意を反映しているわけではない」というのであれば、いったい何をもって「民意を問う」と言えるのだろうか。
選挙というのは、国民の民意を問うために行うものだ。その結果から目を背け、「国民の真意は別にある」というのであれば、それは民主主義の大前提そのものを全否定する姿勢だろう。朝日と毎日の記事からは、そもそも最初から事実を報道するつもりなどさらさらなく、「なんとしても安倍政権を葬らなければならない」というイデオロギオーが先に立ち、そのためなら情報操作だろうと民意捏造だろうと何をしようと構わない、という歪んだ正義感が透けて見える。

今回の選挙で、野党は明確な政策をもたないまま選挙戦に突入した。あれだけ離散集合を繰り返し、身の振り方に汲々としていた野党候補者には、練られた政策を準備する暇はなかっただろう。希望の党、立憲民主党、共産党、そろいもそろって選挙演説では「打倒・安倍政権」だけをひたすら叫び続けるだけに終止し、自分たちが政権をとった際に実施する政策については何も言わなかった。対立候補の悪口を言い続けるだけの選挙戦で勝てるわけがない。

どうしてそんな事態になってしまったのか。今回の社説の中でそれを最も端的に指摘しているのは、日本経済新聞だろう。日経は、今回の選挙の諸悪の根源を「前原誠司と小池百合子だ」と名指しで批判している。

いちばんの責任は民進党の前原誠司代表にある。いくら党の支持率が低迷していたとはいえ、衆院解散の当日という土壇場になって、野党第1党ができたてほやほやの新党「希望の党」に合流を決めたのは、あまりにも奇策だった。有権者に「選挙目当て」とすぐに見透かされ、7月の都議選に続くブームを当て込んで希望の党になだれ込んだ候補者はいずれも苦戦を余儀なくされた。
(日経社説)

希望の党を立ち上げた小池百合子代表の振る舞いもよくわからなかった。「排除」という物言いが盛んにやり玉にあげられたが、政策を同じくする同志を集めようとするのは当然であり、そのことは批判しない。
しかし、分身的存在だった若狭勝氏らが進めていた新党づくりを「私がリセットします」と大見えを切ったのに、自らは出馬しなかった。これでは政権選択にならない。都知事選と都議選の連勝によって、自身の影響力を過大評価していたのではないか
(同)


すべての原因は、小池百合子が自分の人気の効果を見誤ったことだろう。小池百合子は、都知事選、都議会議員選での連勝に気をよくして、有権者からの人気に酔っていた。おそらくその先に描いていた野望は「日本初の女性総理大臣」だっただろう。都知事を踏み台にして、国政選挙の政党を旗揚げしてその代表となる、という奇異な行動は、そう考えないと説明がつかない。

今回、小池百合子本人は出馬していないが、一方で希望の党は首班指名を行っていない。つまり今回の選挙で、仮に希望の党が第一党となり与党となったとしても、誰が総理大臣になるのか決まっていない状態だった。
自然な流れとしては、党代表の小池百合子が首相となる。しかし、それを選挙戦の段階で明らかにしてしまうと、あまりにもあざとい。都知事が単なる踏み台であったことが露骨すぎる。希望の党が首班指名をしなかったのは、単なる選挙戦術に過ぎず、そしてその本意は有権者にバレバレだった。

結局、希望の党の選挙戦術は「小池百合子人気」だけだったと言ってよい。どれだけ自分の人気に自信があったのか知らないが、その人気にあやかって尻馬に乗るのがいた。それが旧民進党代表の前原誠司だ。
前原は、旧民進党が単独で自民党と互角に渡り合えないことを自覚していたのだろう。だからどうする、という戦略として、小池百合子にすり寄った。都知事選、都議会議員選を爆勝した小池人気を利用すれば、安倍政権を蹴落とせる、という計算だったのだろう。

ところが、小池百合子の将来的な目論みは「自身が総理大臣になること」なもんだから、与党となった時の組閣に不要な人間は入れたくない。そこで「白紙のままの党要項に同意のサインをさせる」という無茶な踏み絵を行った。あまつさえ、「党の方針に沿わない候補者は『排除』する」という強い言葉で、土下座している旧民進党議員の頭を踏みつけた。それに反発するどころか、前原誠司以下、もともと民進党と異なる政策を強要されても、進んで小池百合子の靴を舐める議員が続出した。

この強権的な態度が、旧民進党のうち気骨のある議員の反感を買った。小池百合子に「排除」された旧民進党の残党は、「そんな政党の駒になるつもりはない」と反旗を翻し、新党として枝野幸男が代表となり立憲民主党を立ち上げた。
はじめと終わりだけを見ていると、枝野幸男のやっていることは「民進党から立憲民進党に、看板を付け替えただけ」に過ぎない。しかし、その看板を付け替えざるを得ない原因を作ったのは、前原誠司なのだ。枝野幸男のやったことは「党代表が狂ったことをしでかしたから、代表を見限って、自分たちで動いた」というだけにすぎず、筋は通っている。政策の内容に関しても、立憲民主党は民進党時代から掲げていることと一貫している。

枝野自身に非はないが、こうした野党の迷走は、結果として「野党同士のつぶし合い」という状況を生み出した。今回の選挙結果では、立憲民進党は54議席を獲得した。これは公示前の前職候補の3倍近い議席で、一気に第一野党の座に躍り出た。
しかし、この大量議席の獲得は、与党の議席を奪ったものではない。希望の党は、小池百合子の自信過剰が災いして48議席。これは公示前の57議席からかなり減っている。また共産党も、公示前の21議席から12議席に半減した。

つまり立憲民進党の得票は、「他の野党から奪ったもの」なのだ。いちばん割を食らったのは共産党だろう。共産党は別に政局の紆余曲折にも左右されていなかったし、政策の主張も終始一貫して支離滅裂だった。しかし、立憲民進党という「判官贔屓」に票が流れ、議席を減らす羽目になった。
安倍政権に批判的な有権者にとっては、別に共産党であろうと立憲民主党であろうと、どちらでもよかったのだろう。その中で、たまたま混乱の中でも筋を通して男を上げた枝野新党に票が集まったに過ぎない。

つまり今回の選挙で、立憲民進党の大量議席獲得をもって「安倍政権にノーが突きつけられた」というのは、ちょっと違う。正しくは「安倍政権にノーと言うための勢力として、他の野党にノーが突きつけられた」と言ったほうが正しい。

自民党は公示前勢力の290にやや足りない282議席だったが、今回は衆議院の定数そのものが減少しているので、ほぼ横ばいと言ってよい。公明党と合わせて311議席を穫り、3分の2をとれたのは大勝と言えるだろう。
つまり、国民は自民党に「ノー」を突きつけなかった。正確には「前はイエスだったけど今回からノー」という有権者は少なかった。自民党の支持者は「大して変わっていない」という結果だ。
新聞社が、立憲民進党の躍進を根拠に「自民党は全面承認されたわけではない」と言っているのであれば、結果は合っているかもしれないが、根拠が間違っている。

実際のところ、今回の自民党が勝ったのは、野党の自滅のおかげであって、もっと野党がしっかりしていれば自民党は惨敗していた可能性もあっただろう。選挙後の取材で小泉進次郎もそう言っている。
その薄氷の加減は、「国民が安倍政権に嫌気がさしている」という意味だけではなく、有権者は何を根拠に投票するのか、という有権者意識の反映だろう。

今回の選挙選で、マスコミ各社はやたらと「小池百合子を支持する有権者の声」なるものを取り上げた。中には「小池百合子に総理大臣をやってもらったらいいと思う」などと言うおばちゃんもいた。
しかし実際のところ、今回の選挙を通して、小池百合子に評価できることなど何もない。ではどうして視聴者はそういう小池支持に至るのか。

要するに、有権者は真面目に政策を検討しているわけではないのだ。なんとなく「この人よさそう」という「印象」だけで投票する。だから、その「印象」が崩れてしまったら、あっという間に得票数が減る。今回の小池百合子の失態は、そういう無責任な有権者意識を如実に反映しているだろう。
そもそも小池百合子の選挙戦術が、そういう無責任な有権者意識に乗っかり、印象と好感度だけで新党に票を呼び込もうとしたイメージ戦術だった。都議会程度の選挙であればそれでなんとかなったのかもしれないが、国政選挙となると政策と基盤がしっかりしてなければ太刀打ちできない。

前回の都議会議員選で「都民ファーストの会」が圧勝した理由も、別に有権者がその政策に賛同したからではあるまい。「小池百合子だから」というのが大半の理由だろう。なんとなくよさそう。いま旬でテレビにたくさん出てるから。そんな無責任な理由で投票したのであれば、その結果として惨憺たる政治が履行されても、文句は言えない。

今回の選挙で、小池百合子の求心力は低下を免れないだろう。2020年7月の都知事選まで人気を貯金し、東京オリンピック直前に国政に鞍替えして、オリンピック実施時には総理大臣になる、という青写真だっただろうが、その出だしですでに大きくつまづいた。都政を自身の人気向上に利用し、「都民ファースト」どころか都政をないがしろにして国政選挙に色気を出す都知事の行く末は、いったいどうなるのだろうか。

今回の選挙を、こうした「野党の自滅」として敗因を求める社説を載せたところで、何にもならない。今回の新聞各社で、最も自民党に厳しい論調を並べているのは、意外なことに保守系の産経新聞だ。産経新聞の社説は、野党の迷走についてはあまり紙面を割かず、与党がこれから取り組むべき「政策」をひとつひとつ採点している。

政権基盤を固め直した安倍首相は、自ら掲げた路線の具体化を急がなければならない。その最たるものが、北朝鮮問題である。選挙期間中に懸念された挑発はなかった。だが、北朝鮮は最近の声明で、米原子力空母への「奇襲攻撃」まで叫んでいる。核・ミサイル戦力を放棄する気はさらさらない。首相や与党は、対北圧力の強化という外交努力を選挙戦で訴えた。それにとどまらず、万が一、有事になったとしても、国民を守り抜く備えを、急ぎ固めておかなければならない。
(産経社説)

戦後の平和と安全を保ってきたのは、自衛隊と日米同盟の存在である。憲法9条は自衛隊の手足をしばり、国民を守る手立てを妨げることに作用してきた。安全保障の根本には、国民自身の防衛への決意がなければならない。その有力な方法は国民投票によって憲法を改め、自衛隊の存在を明記することだ。抑止力の向上に資するものであり、自民党はさらに国民に強く説くべきだ。
(同)

もう一つの国難である少子高齢化についても、対策は待ったなしの状況に追い込まれている。求められるのは、人口が減少する一方、社会の年齢構成が極端に高齢者へと偏ることへの対応だ。選挙戦で、自民、公明両党は教育や保育の無償化などを強調するばかりで、社会の仕組みをどう作り替えていくのか、全体像を描き切れなかった。全世代型の社会保障制度を構築するというのも、単なる子供向け予算の加算では許されない。既存制度の無駄を徹底して排すことが求められる。社会保障・税一体改革の再構築を含むグランドデザインを急ぎ描いてほしい。
(同)


どれも、自民党政権にとっては頭の痛い「宿題」だろう。野党にとっては、何十回と審議を重ねてもひとつの証拠も出せない森友・加計問題なんかより、こういう「正道」の政策議論によって与党を潰すほうが近道だと思う。野党が揃いも揃ってそういう政策議論に踏み込まないのは、なんのことはない、自分たちに真っ当な政策の代案がないからだ。

そして何よりも、有権者のほうが、そういう政策議論に無関心だからだろう。そういう無責任な有権者意識が、浮動票の行方が簡単に変わる原因に他ならない。「判断」ではなく「印象」で投票する人が多いうちは、第二、第三の小池百合子が出没し続けるだろう。



まぁ与党になっても馬脚を現すだけだったろうし
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『舞踏会』にまつわる謎

芥川龍之介に『舞踏会』という小説がある。


舞台は明治19年、名家の令嬢・明子は17歳。父親と一緒に初めて鹿鳴館の舞踏会に出かける。フランス語と踊りの教育を受けていた明子は十分に美しく、初の舞踏会に不安と期待をもって臨む。首尾よく、フランス人の海軍将校からダンスに誘われ、一緒に『青き美しきドナウ』のワルツを踊る。

踊り疲れたふたりは一緒にアイスクリームを食べ、バルコニーに出て夜の町並みを眺める。夜空には花火が上がり、樹々を照らしている。じっと夜景を眺めている海軍将校に、明子は「お国のこと思っていらっしゃるのでしょう」と訊く。すると将校は「いいえ」と否定し、「何を考えているのか当ててごらんなさい」と訊き返す。
「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火の事を。」

それから数年のち、大正7年。老婦人となった明子は鎌倉の別荘へ向かう途上、汽車の中である青年小説家と乗り合わせる。明子は、青年が抱えていた菊の花束を見て、鹿鳴館の舞踏会のことを思い出し、青年にその話をする。すると青年は何気なく「奥様はその海軍将校の名をご存知ではありませんか」と訊く。

するとH老婦人は思ひがけない返事をした。
「存じて居りますとも。Julien Viaudと仰有る方でございました。」
「ではLotiだったのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロティだったのでございますね。」
青年は愉快な興奮を感じた。が、H老婦人は不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかう呟くばかりであった。
「いえ、ロティと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴィオと仰有る方でございますよ。」


まぁ、今の若い人が読んでも、たいして面白い小説ではあるまい。
落ちに使われているピエール・ロティというのは、フランスの小説家。『アフリカ騎兵』などの作品が知られている。本職は海軍士官で、仕事で回った各地を題材にした小説や紀行文を書いている。フランス人らしく、行く先々で女に手を出していたことでも有名だ。

史実として、日本にも来たことがある。その時の見聞を『江戸の舞踏会』というエッセイや、『お菊さん』という小説に記している。当時の外国人に日本がどう映ったのかを知る貴重な資料であり、逆に当時の外国人にとっても日本を知るための情報源でもあった。当時、日本画に憧れをもっていた画家のゴッホは、日本についての情報をロティの『お菊さん』から得ていたとされている。

当時は有名人だったのかもしれないが、いまロティの名前を知っている人はそう多くはあるまい。フランス文学といえば、バルザック、スタンダール、デュマ、ユーゴー、ゾラ、モーパッサン、プルーストあたりが教科書の太字だろう。それらにしても、平均的な日本人であれば「名前は聞いたことはあるが、読んだことはないなぁ」くらいの距離感ではあるまいか。ましてや、ロティの名前を聞いたことがあるひと、ましてや実際の著作を読んだことがある人となると、日本に2〜3桁程度の人数くらいしかいるまい。

芥川は、作品の最後に「物語から数年経った後の主人公の後日譚」を入れる癖がある。いちばん分かりやすいのは『トロッコ』だろう。主人公自身が物語を、振り返ったり客観視したりして、物語そのものに別の意味をもたせる、という最後のひとひねりだ。これは初期から中期だけでなく、後期に至るまで芥川作品の大きな特徴になっている。

『舞踏会』という作品の後日譚を見ると、よくある「実はその人は、あの有名な○○○さんだったんですよ」という「有名人物登場オチ」に見える。ディクスン・カーの『パリから来た紳士』で使われた例のオチだ。
ただし、『舞踏会』のオチは、通常のそれとは少し異なる。主人公の明子は、「自分が一緒に踊った海軍将校は、実はピエール・ロティだった」という「衝撃の事実」を、否定している。少なくとも、それにびっくりして落ちがつく、というありきたりの物語にはなっていない。

実は、芥川はこの後日譚の部分を、初版以降で書き換えている。
初版では、最後の部分はこうなっている。

「存じておりますとも。Julien Viaudと仰有る方でございました。あなたもご承知でいらっしゃいませう。これはあの『御菊夫人』を御書きになった、ピエル・ロティと仰有る方の御本名でございますから。」


まるで結末が反対だ。明子は堂々とピエール・ロティの名を出し、「自分はその方と踊ったことがあるのだ」と誇らしげに話していることになっている。
これだと、本当によくある「実は○○○さんでしたー」という落ちになってしまうし、現在ではピエール・ロティはそもそも「知らんなぁ」という程度の知名度しかない。二重の意味でつまらない。なぜ、芥川は最後の結末を書き換えたのか。


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閑話休題。
本屋さんを覗いてみたら、北村薫の『太宰治の辞書』が創元推理から文庫化されていた。

もともとは「円紫さんシリーズ」と呼ばれている一連の作品で、大学の文学部に通う女子大生「私」が 主人公で、日常のふとした謎がテーマの作品だ。その謎を、知り合いの落語家・春桜亭円紫に話すと、円紫は話を聞いただけで真相を言い当てる。一種の安楽椅子探偵譚だ。血なまぐさい犯罪ではなく、日常で感じる違和感、不思議な出来事などの「小さい事件」を扱っている。巻が進むごとに、文学で卒論を書く「私」が、自分なりに知的領域を広げることに意義を見いだしていく成長小説にもなっている。

今回の『太宰治の辞書』は、前作から実に20年弱ぶりに出版された、シリーズの新作だ。たしか出版されたのは2年ほど前だったと思う。僕は北村薫の作品は折に触れ読むことにしているが、新書が出た瞬間に買って読むほどの熱心な読者ではない。まぁ、文庫で出たなら読んでみようか、程度の読者だ。

僕が北村薫を読むのは、その作風と文体が好きなこともあるが、なによりも北村薫は僕が高校時代の古文の先生だったからだ。デビュー当時、正体不明の覆面作家として突如文壇に登場し、文体の繊細さから男なのか女なのかも謎だった作家だ。その正体が埼玉の片田舎で国語を教えている高校教師とは誰も思わなかっただろう。僕が高校生の当時から、実は○○先生は北村薫らしい、という噂があり、北村薫作品の書評が文芸誌に載るたびに、「あのおじさん先生が凄い褒められようだな」と思っていたものだ。


今回、『太宰治の辞書』を読む気になったのは、この作品の中で「なぜ芥川は『舞踏会』の後日譚を書き換えたのか」という謎が扱われているからだ。


この謎は、『太宰治の辞書』に収録されている短編のひとつ『花火』で展開されている。
主人公の「私」は、大学卒業後、編集者として出版社に勤めている。結婚して、息子は中学2年生で野球部に属している。東京近郊にマイホームを構え、主婦と編集者として毎日を送っている。

「私」は、江藤敦や三島由紀夫など、過去に『舞踏会』を評論した人たちの文献から、芥川が何を考えていたのかに迫る。
たとえば江藤敦は、当該の箇所についてこう評している。

「ロティの身体にふれながらその名を知らぬ明治の文明開化期の豊かさと、いっさいを名として理解しようとする大正の教養主義の空虚さとの距離を、数行のうちに皮肉にえぐった鮮やかな技法であるが、読んでいてその鮮やかさに簡単するわりには、心に残らない」


北村薫は、主人公の「私」に、「それを芥川の意図として解釈するのは受け入れられない」と言わせている。
「明治の文明開化期の豊かさ」というのは、実はホンモノに接していながら、それがホンモノと分からないような恵まれた環境で過ごしている、ということだ。「よくキャッチボールしてくれた隣の家のおっさんが実はプロ野球の選手だった」とか、「高校時代の古文教師のおっさんが実は凄い作家だった」のようなものだろう。
一方、「いっさいを名として理解しようとする大正の教養主義」というのは、知識だけ覚えていて生活実感が伴わない頭でっかちのことを指す。相対性理論がどういうものかを評価できないくせに「アインシュタインはスゴい人」と思い込んでいるような姿勢を指す。

江藤敦は、芥川の意図を「その両者が紡ぎだす滑稽さを皮肉な目で眺める」としているわけだが、半分くらいは当たっていると思う。今となってはピエール・ロティの名がそこまでの知識主義的な権威だとは思わないが、大正当時の時勢の、知識のための知識を標榜し、他人よりも知識があることを競うような無駄な知識主義の風潮下では、そういう傾向を茶化したくもなるだろう。北村薫は、そういう風潮を背景とするため、内田百閒と芥川龍之介の雑談が「才気爆発の競争のようであり、ひとつも当たり前のことは言うまいとする競争」だったというエピソードを効果的に挟んでいる。

しかし、そういう見方が芥川の本意だったかと言われると、そうではなかったのではないかと僕も思う。この点では北村薫の意見に賛成だ。どちらかと言えば、明子にとっては一緒に踊った海軍将校が、実は作家だろうと農夫だろうと、関係なかったのではないか。

この作品での「花火」の位置づけについて僕は修辞的な評論はできないが、舞踏会の一夜の出来事を刹那的な出来事として内面世界に封殺し、時間軸を延ばした「事実の検証」に意味をなくさせる具象であることくらいは見当がつく。花火は、その時その瞬間に見ているから花火なのであって、後から「10年前にあそこで花火が上がった」というのは、花火の本質に感動している姿勢ではない。明子にとっても、その人は「舞踏会の晩に一緒に踊った人」であることがすべてなのであって、後から「実はあの人はこういう作家でして」という情報を付け加えられても、何も意味がないことだったのではないか。

『舞踏会』における「花火」の位置づけをそう捉えると、初版の後日譚はいかにも矛盾している。芥川はそれに気づいて、「刹那的な、生の本質」を描くべく、後日譚を書き換えたのではないか。海軍将校の「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火の事を」という言葉から逆算すると、そういう辻褄の合わせ方だったのかな、という気がする。


今回の北村薫の『太宰治の辞書』を読んで、作風の上達を感じた。師匠に向かって「上手くなりましたね」とは不遜の謗りを免れないが、事実そう感じたのだから仕方がない。

僕は、作家のアマチュアとプロを分ける決定的な要因は、「題材を得る方法論」だと思う。
アマチュアであれば、その時書いている一本に集中して傑作を書こうと努力すればいい。しかし、プロの作家というのは、書き続けなければいけないのだ。ネタが尽きても、書くことがなくても、食べるためには書くしかない。そういう「ネタの拠りどころ」をどれだけ強固につくりあげているかが、プロとしての作家の完成度を決めると思う。

自分のよく知っている世界であればだれでも書ける。お笑い芸人だってちょっと訓練すれば芥川賞くらい取れる。しかし、プロの作家として、10冊目、20冊目、はては100冊目まで、それと同じような書き方をしていれば、いつか泉は枯れる。その時、どうやったら新たに題材を仕入れられるのか。

ざっくり言ってしまえば、「教養」だと思う。教養というのは一般的に「頭に貯めた知識の量」と思われているが、僕は逆だと思う。教養というのは、「まだ頭に入っていない知識に対する敬意」のことだと思う。簡単に言えば、知的好奇心のことだ。
人は、自分の知らないことに対しては拒否感を抱く。慣れてる世界のほうが住みやすいのと同様に、よく知っている知識領域のほうが頭に負担がかからない。だから、自分の知らない世界に対しては、なかなか踏み込んでいく気力が湧かない。

それを後押しして、知らない世界にどんどん進み込み、自分の知らなかった新たな領域を知っていく姿勢が「教養」だと思う。教養とは、決して固定化された静的な「知識」ではなく、常に知識を更新し続けていく動的な「姿勢」のことだ。教養の深い人というのは、自分の知らない分野の話でも興味深く熱心に聞く。

北村薫の作品からは、そういった「教養」に裏打ちされた堅固な知的領域の拡大を感じる。なんというか、読んでいて「これを書いてるとき楽しかっただろうな」という印象を受けるのだ。僕が高校時代、今や北村薫となった先生の古文の授業を受けているときに、とても楽しそうに授業をしていたのを思い出す。自分なりに謎を見つけて、それを解くために知的生活を送るというのは、とても素晴らしい生活ではあるまいか。

この『太宰治の辞書』の主人公「私」は、まさにそういう生活を送っている。出版社に勤める一介の主婦が、毎日の生活のなかで知的な刺激を自らに与え続け、知的領域を拡げ続ける。北村薫という作家本人のノウハウと、作品世界の主人公の生き方が、軌を一にしているようで面白い。


論文とは違って、真実の探求一辺倒ではないところが読みやすい。作品内で主人公の「私」は、真実の探求の合間に、週末に息子の部活を見に行ったり、図書館で調べ物をしてからスーパーに買い物に行ったり、日常のすぐ隣で知的生活を送っている様子がリアルに描かれている。世の中の「教養」ある人たちも、真実に肉薄する知的興奮のすぐ隣で、平凡で普通の家庭生活を送っているものだろう。そういう世界観は、実際にそういう生活を送っている人にしか描けない。



読書の秋ですねぇ。
ペンギン命

takutsubu

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