権力の病弊 「共謀罪」市民が監視を
(2017年06月16日 朝日新聞社説)
テロ準備罪成立 凶行を未然に防ぐ努力続けよ
(2017年06月16日 読売新聞社説)
「共謀罪」法の成立 一層募った乱用への懸念
(2017年06月16日 毎日新聞社説)
あまりに強引で説明不足ではないか
(2017年06月16日 日本経済新聞社説)
テロ等準備罪成立 国民を守るための運用を 海外との連携強化に生かせ
(2017年06月16日 産経新聞社説)
「共謀罪」法が成立 「私」への侵入を恐れる
(2017年06月16日 東京新聞社説)
改正組織犯罪処罰法が、参院本会議で自民、公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決、成立した。そのことに関する各社の社説。
産経、読売の保守紙が賛成、朝日、毎日、東京の左派系が反対、という非常にわかりやすい対比となった。
当該法の成立をめぐっては、以前から政党間で揉めており、それに影響されて法案そのものが紆余曲折するという異様な事態だった。
国会では、過去3度にわたって「共謀罪」の制定が廃案になっている。野党は「思想に対する取り締まりだ」「私人への監視を強める悪法だ」と攻撃し、なんとかしてテロを法律で封じ込める案を廃止させたい勢いだった。それに懲りたのか、金田勝年法相は「共謀罪」という名称を必死に否定する答弁を繰り返した。この自民党の姿勢については、産経新聞が「明らかに答弁能力を欠いた」と批判している。
また巷の言説では、今回の法改正を、治安維持法の例になぞらえて「悪法の成立」と吹聴する輩が跋扈している。
まぁ、賛成派も反対派も、それなりの根拠と言い分があるのだろうが、議論の方法論として見る限り、賛成派の圧勝だろう。というよりも、反対派の論拠がお粗末極まりない。
まず反対派は、法改正案の妥当性そのものを議論するよりも、読者の印象を操作する姑息な手段に終止している。それは各紙の書き出しを見れば分かる。
注意しなくても分かるが、左派系各紙が「共謀罪法」と書く時には、必ず「共謀罪」という部分をカッコに入れて書いている。理由は、実際に成立した法案はそんな名前ではないからだ。今回成立したのは「改正組織犯罪処罰法」であって、そこで定義されている罪状は「テロ等準備罪」だ。共謀罪などという名前はどこにも出てこない。
これは読者の恐怖心を煽る印象操作に他ならない。反対派各紙が「共謀罪」という名称を使いたがるのは、そこから治安維持法のような悪法を想起させ、「政府や警察が市民を監視・圧迫する悪法」という印象を植え付けたいからだ。
成立した法案の名称も正確に書かない新聞の記事に、信頼性があるわけがない。「共謀罪」という名称を使う胡散臭さは、読売新聞が指摘している。
実際のところ、民進・共産をはじめ野党が法改正に反対なのは、何のことはない、テロ対策の法案を作られると困るからだ。なにせ民進党は党首からして日本国籍をいまだに証明していない。事実上、中国、朝鮮半島の意向をそのまま反映している党と見てよい。隙を見ては尖閣諸島に不審船を出没させ、折に触れては竹島にちょっかいを出す国にとっては、組織犯罪防止法を制定されてはとても困るだろう。
しかし、そのことをストレートには口に出して言えない。そこで野党は「一般市民に害が及ぶ悪法」というイメージを広める戦略をとった。そこで例に挙げたのが治安維持法だ。
策としては下の下だが、これで騙される国民もいるだろう。実際のところ、学校で日本史と公民を勉強したことのある日本国民であれば、治安維持法と今回の法改正案の違いは簡単に分かる。
治安維持法の場合、制定目的が「国民の統制」だった。背景としては当時、世界を席巻していた共産主義の蔓延がある。それを「防ぐ」ために国民の思想統制をするのが目的だった。力の作用としては「国の内側」に向かっていた法律といってよい。
一方、今回の改正組織犯罪処罰法は、テロの趨勢が世界的規模に拡大した現状を受けている。事実上、現代のテロを一国規模で防ぐのは無理なのだ。世界のテロ組織が日本でテロ活動を行なう拠点づくりをすることを防ぐのが、今回の目的だ。いわば「国の外側」を牽制するのが目的といってよい。
改正組織犯罪処罰法の目的は、日本国内のテロ活動を直接的に抑制する治安活動を保証することではない。本当の目的は、187カ国が加盟している国際組織犯罪防止条約の締結を可能にすることだ。現在、国内にテロ防止法をもたない日本は、この条約締結の要件を満たしていない。国連加盟国の中で未締結なのは、日本、ソマリア、南スーダンなど11か国に過ぎない。つまり今の日本では、国際規模のテロが計画されても、それを海外と連携して防ぐ手段を持たない。ましてや、日本はラグビーW杯や東京オリンピックを控えて、対外テロに備えなくてはならない時期だ。法案の成立が必要なのは、当然と言えば当然といえる。
つまり改正組織犯罪処罰法が狙っている犯罪者層は、「日本国民」よりもむしろ「日本に潜入してテロを行なう外国人」のほうだ。その法案廃止を訴える民進党は、移民の促進を公約に掲げ、日本国内の自衛力を弱体化させる方針をとっている。あまつさえ、法案を「治安維持法」に例えて悪法扱いだ。外国からのテロ抑制を、日本国民への弾圧に話をすり替える印象操作を行なっている。
そういう背景から各紙の書き方を見てみると、反対派は例外なく「事実に基づく議論」をかなぐり捨てて、印象とイメージから法改正案を「悪法」と断じる書き方をしている。
まったく問題にならないのは東京新聞だ。これはポエムであって、社説ではない。事実を詳細に検証すると自説のボロが出てしまうので、それを怖れて最初から最後まで印象操作に終止している。
たとえ話を使うのは、事実そのものよりも、印象を植え付けることによって、「なんとなく分かった気にさせる」のが目的だ。だから宗教家はよくたとえ話を使う。新約聖書のキリストだって問答にはたとえ話ばかりで答えている。少なくとも、たとえ話というのは、事実に基づき意見を述べる社説で使っていい書き方ではない。最初から議論を放棄している態度だ。
「改正法の内容なんて、読者はどうせろくに知らないだろう」という、読者を最初からバカにした態度。実際のところ今回の法改正は、あくまでも犯罪の成立要件や刑罰を定めた実体法に過ぎない。捜査手続きは従来の刑事訴訟法に基づいて行われ、政府や警察が新たな捜査手段や鎮圧手段を手にするわけではない。
読売新聞はこうした脅迫記事に対して「こうした説明により、摘発対象が明確になったのではないか。『一般人も処罰される』という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない」と断じている。法律の実際をもとに判断する限り、読売新聞の圧勝だろう。勝負になっていない。
朝日新聞は、この法案を押し通した自民・公明の強権姿勢を批判している。法律の必要性は認めざるを得ないが、その決定のしかたが問題だったのではないか、という書き方だ。着地点を自民党批判にもってくるあたり、いつもの朝日新聞の書き方だが、東京新聞よりは一億倍くらいはまともな書き方だろう。
しかし、その内容にはやはり「はじめから自民・公明批判ありき」の姿勢がにじみ出る。しかも、攻撃するべき所が違う。
今回の法改正過程では、野党の側が、朝日のいう「見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢」をとっていたとは言い難い。野党は法の妥当性を審議する、というよりも、はじめから「廃止あるのみ」という姿勢で臨んだ。立場上、成立しては困る法案だったからだろう。審議拒否をくり返し、話が通じないと分かると女性議員で「女の壁」をつくり、与党議員が審議場に入場するのを強行阻止しようとする醜態を晒した。これが「見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢」なのか。議論を通じて法の妥当性を審議する姿勢を軽んじていたのは、公平に見る限り、野党のほうだっただろう。
「多数決」という政党政治の原則を真っ向から否定している。旧民主党が政権をとった時には、「国民の信を得られた」という名目のもと、衆参ともに多数決で強引に法案を可決していたことには知らん顔をして、自民党が多数議席に基づいて採決するのを批判するのは、筋が通らない。「数の力で決めた」となにやら批判的に書いているが、では国会という場所で他に何を基本原理に採決を決めればいいというつもりなのだろうか。
毎日新聞は、露骨には書いていないが、治安維持法のような強権操作が一般市民を圧迫するのではないか、という点から法案を批判している。
まぁ、今回の法案で一抹の不安があるとすれば、ここだろう。僕の見る限り、日本の警察は、新たに考案された犯罪に対して、それに対処する法案が施行されても、それをすぐには適切に運用できない。時代が代わり、犯罪のあり方が変わり、法律が変わっても、捜査のしかたは相変わらず従来の「あいつが怪しい。しょっぴいて絞れば、何か吐くだろ」という杜撰な捜査をしているように見える。 治安維持法の時代もそうだったが、悪法が悪法となるのは、法律そのものが原因というよりも、それを実際に施行する側の問題であることが多い。
今回の法案に関して言えば、「周辺者」というのは、日本においてはテロ組織がそのまま主体となる場合よりも、組織に属していた元構成員が在野に散らばり、草の根的に活動支援をしているという背景がある。折しも、1971年に起きた「渋谷暴動事件」で指名手配されていた大坂正明容疑者(67)が逮捕された。40年以上も逃亡生活ができたのは、なぜだったのか。
半年前の2016年11月、警視庁は大坂容疑者を匿うグループのリーダーとして、永井隆容疑者(67)を逮捕している。もともと大坂容疑者は生存の確認もとれていない状態だったが、立川市の中核派アジトを家宅捜査した際、大坂容疑者をかくまう支援チームに関するメモが見つかった。その結果、中核派を離脱していても、その影響下にある「一般人」が全国に点在しており、支援のネットワークを敷いていることが明らかになった。
テロのような重大犯罪の場合、少数の限られた組織構成員が秩序だって活動している例は、むしろ少ない。ひとつのテロ活動の裏には、それに関わる多くの偽装構成員がいる。「周辺者」というのは、そこのところを包括的に捜査対象に含められるようにした措置だ。
犯罪を犯す人間は「それまでは普通の一般市民」であることが多い。暴力団の資金源となっている振り込め詐欺でも、実行犯は組織構成員ではなく、そこらの一般人を使っていることが多い。
そういう背景を考えれば、読売新聞の主張の通り、「『一般人も処罰される』という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない」のほうが正鵠を射ているだろう。読売はさらに突っ込んで「制約が多すぎて、テロ等準備罪を効果的に運用できるのか、という懸念さえ生じる」と書いているが、こっちのほうが実際の懸念としては当たっている気がする。
僕が読んだ限り、左派各紙が今回の法改正を批判する際の、ピントがぼけている社説が多い。今回の法改正でもっとも批判するべき点は、与党が参院法務委員会での採決を省略し、審議経過などに関する委員長の「中間報告」で済ませたことだろう。法成立のために必要な手続きをすっとばすという、とんでもない暴挙だ。
法律自体は必要なものだろうし、その内容もそれほど危険なものとは感じない。しかし、それを決める過程で与党は付け入る隙を与えた。一言でいえば、国会運営が下手だ。
今回、与党がこのように参院法務委員会での採決をすっとばしたのは、法成立を急いでいたからだ。ひとつには会期が6月18日で満了するため、会期内に成立させなければならない、という事情があっただろう。
この件に関しては、野党が行なっていた見苦しい妨害行為も、要は「時間稼ぎ」であり、タイムアップでの試合終了、引き分け狙いの観が強かった。与党が強引な手段を取らざるを得なかったのは、野党が恥も外聞もかなぐり捨てて、法案廃止ありきの強硬姿勢をとり続け、議論らしい議論が成立し得なかったからだ。もともと野党は議論をしようとすらしていない。与党のやった採決省略は決して許されることではないが、かといって今回の野党はそれを批判できる立場にはないと思う。端的に言うと、「どっちもどっち」だ。
唯一、日経だけがこの観点から社説を書いている。しかし、社説としての出来は悪い。
日経の記事は、改正組織犯罪処罰法そのものを題材にしているのではない。学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部の新設問題と、改正組織犯罪処罰法のふたつの問題をめぐり、自民党の強引な手法を一般的に批判したものだ。「ふたつの別物に見える問題が、実は同じ根に基づく同じ問題だ」という問題提起そのものは良い。しかし、別々の事例をまとめあげる文章力に欠け、要するに何を批判しているのか分かりにくい社説になっている。これは問題意識の持ち方というよりも、文章力の問題だろう。書き方が下手だ。もったいないという印象の社説になってしまっている。
与党が法成立を急いだもうひとつの理由は、今年の7月2日に迫った東京都議会議員選挙だろう。与党としては、今回の法改正成立をひとつの手柄として、有権者に東京オリンピックへの準備段階の進捗をアピールしたい狙いがあっただろう。時期的にパリやロンドンでテロが相次いだため、オリンピックを見据えた東京の安全はひとつの争点になる。そこで「法改正に反対した」という立場の野党を追い込み、東京の議会運営を自陣側に有利に運営したい、という思惑があったのだろう。
そういう観点で見る限り、与党がマイナス評価を覚悟の上で、参院法務委員会での採決を飛ばして強引に法案を通したのは、戦術的に相殺が可能と見越してのことだったと思う。自民党は、今回の強行採決過程を咎められ、自民への投票者層が離脱しても、その受け皿として「都民ファーストの会」というポートフォリオを用意している。間に公明党が挟まってはいるが、自民ー公明のラインの先に都民ファーストがある、ということは、事実上、自民党の息がかかっている議員がもぐり込む可能性が高い。
今回の社説で法改正を批判するとしたら、そこではないか。与党は必要な国会手続きを省略して法案を成立させるというルール違反を行なった。本来ならば、それは民意として選挙で反映させるべき事案だ。しかし、与党は「回収可能なマイナス点」という戦術的な見込みのもと、その方針を強引に押し切った。しかし、もし与党の目論み通りに都議会議員選が収束したとしても、それとこれとは別問題だ。選挙に勝てば、やったことが許されたということにはならない。そこを指摘して批判しなくては、今回の法改正は「すべて与党のやったことは正しい」ということになってしまうだろう。
今回の改正組織犯罪処罰法と、東京都議会議員選は、東京オリンピックというひとつの軸にまつわる、同じ争点を共有する問題だ。新聞の社説は、起きたことだけではなく、これから起こるであろうことも視野に入れなければならない。今回の社説はどこも視野が狭く、最初から結論ありきで後から内容を埋めた観が強い。どの社も雁首揃えて、あまり読み応えのある社説ではない。
(2017年06月16日 朝日新聞社説)
テロ準備罪成立 凶行を未然に防ぐ努力続けよ
(2017年06月16日 読売新聞社説)
「共謀罪」法の成立 一層募った乱用への懸念
(2017年06月16日 毎日新聞社説)
あまりに強引で説明不足ではないか
(2017年06月16日 日本経済新聞社説)
テロ等準備罪成立 国民を守るための運用を 海外との連携強化に生かせ
(2017年06月16日 産経新聞社説)
「共謀罪」法が成立 「私」への侵入を恐れる
(2017年06月16日 東京新聞社説)
改正組織犯罪処罰法が、参院本会議で自民、公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決、成立した。そのことに関する各社の社説。
産経、読売の保守紙が賛成、朝日、毎日、東京の左派系が反対、という非常にわかりやすい対比となった。
当該法の成立をめぐっては、以前から政党間で揉めており、それに影響されて法案そのものが紆余曲折するという異様な事態だった。
国会では、過去3度にわたって「共謀罪」の制定が廃案になっている。野党は「思想に対する取り締まりだ」「私人への監視を強める悪法だ」と攻撃し、なんとかしてテロを法律で封じ込める案を廃止させたい勢いだった。それに懲りたのか、金田勝年法相は「共謀罪」という名称を必死に否定する答弁を繰り返した。この自民党の姿勢については、産経新聞が「明らかに答弁能力を欠いた」と批判している。
また巷の言説では、今回の法改正を、治安維持法の例になぞらえて「悪法の成立」と吹聴する輩が跋扈している。
まぁ、賛成派も反対派も、それなりの根拠と言い分があるのだろうが、議論の方法論として見る限り、賛成派の圧勝だろう。というよりも、反対派の論拠がお粗末極まりない。
まず反対派は、法改正案の妥当性そのものを議論するよりも、読者の印象を操作する姑息な手段に終止している。それは各紙の書き出しを見れば分かる。
「「共謀罪」法が成立した。」
(朝日新聞)
「「共謀罪」法の成立 一層募った乱用への懸念」
(毎日新聞 見出し)
「「共謀罪」が与党の数の力で成立した。」
(東京新聞)
注意しなくても分かるが、左派系各紙が「共謀罪法」と書く時には、必ず「共謀罪」という部分をカッコに入れて書いている。理由は、実際に成立した法案はそんな名前ではないからだ。今回成立したのは「改正組織犯罪処罰法」であって、そこで定義されている罪状は「テロ等準備罪」だ。共謀罪などという名前はどこにも出てこない。
これは読者の恐怖心を煽る印象操作に他ならない。反対派各紙が「共謀罪」という名称を使いたがるのは、そこから治安維持法のような悪法を想起させ、「政府や警察が市民を監視・圧迫する悪法」という印象を植え付けたいからだ。
成立した法案の名称も正確に書かない新聞の記事に、信頼性があるわけがない。「共謀罪」という名称を使う胡散臭さは、読売新聞が指摘している。
実際のところ、民進・共産をはじめ野党が法改正に反対なのは、何のことはない、テロ対策の法案を作られると困るからだ。なにせ民進党は党首からして日本国籍をいまだに証明していない。事実上、中国、朝鮮半島の意向をそのまま反映している党と見てよい。隙を見ては尖閣諸島に不審船を出没させ、折に触れては竹島にちょっかいを出す国にとっては、組織犯罪防止法を制定されてはとても困るだろう。
しかし、そのことをストレートには口に出して言えない。そこで野党は「一般市民に害が及ぶ悪法」というイメージを広める戦略をとった。そこで例に挙げたのが治安維持法だ。
策としては下の下だが、これで騙される国民もいるだろう。実際のところ、学校で日本史と公民を勉強したことのある日本国民であれば、治安維持法と今回の法改正案の違いは簡単に分かる。
治安維持法の場合、制定目的が「国民の統制」だった。背景としては当時、世界を席巻していた共産主義の蔓延がある。それを「防ぐ」ために国民の思想統制をするのが目的だった。力の作用としては「国の内側」に向かっていた法律といってよい。
一方、今回の改正組織犯罪処罰法は、テロの趨勢が世界的規模に拡大した現状を受けている。事実上、現代のテロを一国規模で防ぐのは無理なのだ。世界のテロ組織が日本でテロ活動を行なう拠点づくりをすることを防ぐのが、今回の目的だ。いわば「国の外側」を牽制するのが目的といってよい。
改正組織犯罪処罰法の目的は、日本国内のテロ活動を直接的に抑制する治安活動を保証することではない。本当の目的は、187カ国が加盟している国際組織犯罪防止条約の締結を可能にすることだ。現在、国内にテロ防止法をもたない日本は、この条約締結の要件を満たしていない。国連加盟国の中で未締結なのは、日本、ソマリア、南スーダンなど11か国に過ぎない。つまり今の日本では、国際規模のテロが計画されても、それを海外と連携して防ぐ手段を持たない。ましてや、日本はラグビーW杯や東京オリンピックを控えて、対外テロに備えなくてはならない時期だ。法案の成立が必要なのは、当然と言えば当然といえる。
つまり改正組織犯罪処罰法が狙っている犯罪者層は、「日本国民」よりもむしろ「日本に潜入してテロを行なう外国人」のほうだ。その法案廃止を訴える民進党は、移民の促進を公約に掲げ、日本国内の自衛力を弱体化させる方針をとっている。あまつさえ、法案を「治安維持法」に例えて悪法扱いだ。外国からのテロ抑制を、日本国民への弾圧に話をすり替える印象操作を行なっている。
そういう背景から各紙の書き方を見てみると、反対派は例外なく「事実に基づく議論」をかなぐり捨てて、印象とイメージから法改正案を「悪法」と断じる書き方をしている。
まったく問題にならないのは東京新聞だ。これはポエムであって、社説ではない。事実を詳細に検証すると自説のボロが出てしまうので、それを怖れて最初から最後まで印象操作に終止している。
「例えばこんなケースがある。暴力団の組長が「目配せ」をした。組員はそれが「拳銃を持て」というサインだとわかった。同じ目の動きでも「まばたき」はたんなる生理現象にすぎないが、「目配せ」は「拳銃を持て」という意思の伝達行為である。目の動きが「行為」にあたるわけだ。実際にあった事件で最高裁でも有罪になっている。」
(東京社説)
たとえ話を使うのは、事実そのものよりも、印象を植え付けることによって、「なんとなく分かった気にさせる」のが目的だ。だから宗教家はよくたとえ話を使う。新約聖書のキリストだって問答にはたとえ話ばかりで答えている。少なくとも、たとえ話というのは、事実に基づき意見を述べる社説で使っていい書き方ではない。最初から議論を放棄している態度だ。
身に覚えのないことで警察に呼ばれたり、家宅捜索を受けたり、事情聴取を受けたり…。そのような不審な出来事が起きはしないだろうか。冤罪が起きはしないだろうか。そんな社会になってしまわないか。それを危ぶむ。何しろ犯罪の実行行為がないのだから…。
(東京社説)
「改正法の内容なんて、読者はどうせろくに知らないだろう」という、読者を最初からバカにした態度。実際のところ今回の法改正は、あくまでも犯罪の成立要件や刑罰を定めた実体法に過ぎない。捜査手続きは従来の刑事訴訟法に基づいて行われ、政府や警察が新たな捜査手段や鎮圧手段を手にするわけではない。
読売新聞はこうした脅迫記事に対して「こうした説明により、摘発対象が明確になったのではないか。『一般人も処罰される』という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない」と断じている。法律の実際をもとに判断する限り、読売新聞の圧勝だろう。勝負になっていない。
朝日新聞は、この法案を押し通した自民・公明の強権姿勢を批判している。法律の必要性は認めざるを得ないが、その決定のしかたが問題だったのではないか、という書き方だ。着地点を自民党批判にもってくるあたり、いつもの朝日新聞の書き方だが、東京新聞よりは一億倍くらいはまともな書き方だろう。
しかし、その内容にはやはり「はじめから自民・公明批判ありき」の姿勢がにじみ出る。しかも、攻撃するべき所が違う。
その際大切なのは、見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢だ。どの法律もそうだが、とりわけ刑事立法の場合、独善と強権からは多くの理解を得られるものは生まれない。その観点からふり返った時、共謀罪法案で見せた政府の姿勢はあまりにも問題が多かった。277もの犯罪について、実行されなくても計画段階から処罰できるようにするという、刑事法の原則の転換につながる法案であるにもかかわらずだ。
(朝日社説)
今回の法改正過程では、野党の側が、朝日のいう「見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢」をとっていたとは言い難い。野党は法の妥当性を審議する、というよりも、はじめから「廃止あるのみ」という姿勢で臨んだ。立場上、成立しては困る法案だったからだろう。審議拒否をくり返し、話が通じないと分かると女性議員で「女の壁」をつくり、与党議員が審議場に入場するのを強行阻止しようとする醜態を晒した。これが「見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢」なのか。議論を通じて法の妥当性を審議する姿勢を軽んじていたのは、公平に見る限り、野党のほうだっただろう。
政治家同士の議論を活発にしようという国会の合意を踏みにじり、官僚を政府参考人として委員会に出席させることを数の力で決めた。
(朝日社説)
「多数決」という政党政治の原則を真っ向から否定している。旧民主党が政権をとった時には、「国民の信を得られた」という名目のもと、衆参ともに多数決で強引に法案を可決していたことには知らん顔をして、自民党が多数議席に基づいて採決するのを批判するのは、筋が通らない。「数の力で決めた」となにやら批判的に書いているが、では国会という場所で他に何を基本原理に採決を決めればいいというつもりなのだろうか。
毎日新聞は、露骨には書いていないが、治安維持法のような強権操作が一般市民を圧迫するのではないか、という点から法案を批判している。
「参院段階では、政府から「周辺者」も適用対象との説明が新たにあった。これでは、一般人とは、警察の捜査対象から外れた人に過ぎなくなる。重大な疑問として残った。法は来月にも施行される見通しだ。法務省刑事局長は国会答弁で「犯罪の嫌疑が生じていないのに尾行や張り込みをすることは許されない」と述べた。国民の信頼を損ねない法の運用を重ねて警察に求める。 仮に強制捜査が行われる場合、令状の審査に当たる裁判所の責任が重いことは言うまでもない。捜査機関が捜査を名目に行き過ぎた監視に走る可能性があることは、これまでの例をみても明らかだ」
(毎日社説)
まぁ、今回の法案で一抹の不安があるとすれば、ここだろう。僕の見る限り、日本の警察は、新たに考案された犯罪に対して、それに対処する法案が施行されても、それをすぐには適切に運用できない。時代が代わり、犯罪のあり方が変わり、法律が変わっても、捜査のしかたは相変わらず従来の「あいつが怪しい。しょっぴいて絞れば、何か吐くだろ」という杜撰な捜査をしているように見える。 治安維持法の時代もそうだったが、悪法が悪法となるのは、法律そのものが原因というよりも、それを実際に施行する側の問題であることが多い。
今回の法案に関して言えば、「周辺者」というのは、日本においてはテロ組織がそのまま主体となる場合よりも、組織に属していた元構成員が在野に散らばり、草の根的に活動支援をしているという背景がある。折しも、1971年に起きた「渋谷暴動事件」で指名手配されていた大坂正明容疑者(67)が逮捕された。40年以上も逃亡生活ができたのは、なぜだったのか。
半年前の2016年11月、警視庁は大坂容疑者を匿うグループのリーダーとして、永井隆容疑者(67)を逮捕している。もともと大坂容疑者は生存の確認もとれていない状態だったが、立川市の中核派アジトを家宅捜査した際、大坂容疑者をかくまう支援チームに関するメモが見つかった。その結果、中核派を離脱していても、その影響下にある「一般人」が全国に点在しており、支援のネットワークを敷いていることが明らかになった。
テロのような重大犯罪の場合、少数の限られた組織構成員が秩序だって活動している例は、むしろ少ない。ひとつのテロ活動の裏には、それに関わる多くの偽装構成員がいる。「周辺者」というのは、そこのところを包括的に捜査対象に含められるようにした措置だ。
犯罪を犯す人間は「それまでは普通の一般市民」であることが多い。暴力団の資金源となっている振り込め詐欺でも、実行犯は組織構成員ではなく、そこらの一般人を使っていることが多い。
そういう背景を考えれば、読売新聞の主張の通り、「『一般人も処罰される』という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない」のほうが正鵠を射ているだろう。読売はさらに突っ込んで「制約が多すぎて、テロ等準備罪を効果的に運用できるのか、という懸念さえ生じる」と書いているが、こっちのほうが実際の懸念としては当たっている気がする。
僕が読んだ限り、左派各紙が今回の法改正を批判する際の、ピントがぼけている社説が多い。今回の法改正でもっとも批判するべき点は、与党が参院法務委員会での採決を省略し、審議経過などに関する委員長の「中間報告」で済ませたことだろう。法成立のために必要な手続きをすっとばすという、とんでもない暴挙だ。
法律自体は必要なものだろうし、その内容もそれほど危険なものとは感じない。しかし、それを決める過程で与党は付け入る隙を与えた。一言でいえば、国会運営が下手だ。
今回、与党がこのように参院法務委員会での採決をすっとばしたのは、法成立を急いでいたからだ。ひとつには会期が6月18日で満了するため、会期内に成立させなければならない、という事情があっただろう。
この件に関しては、野党が行なっていた見苦しい妨害行為も、要は「時間稼ぎ」であり、タイムアップでの試合終了、引き分け狙いの観が強かった。与党が強引な手段を取らざるを得なかったのは、野党が恥も外聞もかなぐり捨てて、法案廃止ありきの強硬姿勢をとり続け、議論らしい議論が成立し得なかったからだ。もともと野党は議論をしようとすらしていない。与党のやった採決省略は決して許されることではないが、かといって今回の野党はそれを批判できる立場にはないと思う。端的に言うと、「どっちもどっち」だ。
唯一、日経だけがこの観点から社説を書いている。しかし、社説としての出来は悪い。
日経の記事は、改正組織犯罪処罰法そのものを題材にしているのではない。学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部の新設問題と、改正組織犯罪処罰法のふたつの問題をめぐり、自民党の強引な手法を一般的に批判したものだ。「ふたつの別物に見える問題が、実は同じ根に基づく同じ問題だ」という問題提起そのものは良い。しかし、別々の事例をまとめあげる文章力に欠け、要するに何を批判しているのか分かりにくい社説になっている。これは問題意識の持ち方というよりも、文章力の問題だろう。書き方が下手だ。もったいないという印象の社説になってしまっている。
与党が法成立を急いだもうひとつの理由は、今年の7月2日に迫った東京都議会議員選挙だろう。与党としては、今回の法改正成立をひとつの手柄として、有権者に東京オリンピックへの準備段階の進捗をアピールしたい狙いがあっただろう。時期的にパリやロンドンでテロが相次いだため、オリンピックを見据えた東京の安全はひとつの争点になる。そこで「法改正に反対した」という立場の野党を追い込み、東京の議会運営を自陣側に有利に運営したい、という思惑があったのだろう。
そういう観点で見る限り、与党がマイナス評価を覚悟の上で、参院法務委員会での採決を飛ばして強引に法案を通したのは、戦術的に相殺が可能と見越してのことだったと思う。自民党は、今回の強行採決過程を咎められ、自民への投票者層が離脱しても、その受け皿として「都民ファーストの会」というポートフォリオを用意している。間に公明党が挟まってはいるが、自民ー公明のラインの先に都民ファーストがある、ということは、事実上、自民党の息がかかっている議員がもぐり込む可能性が高い。
今回の社説で法改正を批判するとしたら、そこではないか。与党は必要な国会手続きを省略して法案を成立させるというルール違反を行なった。本来ならば、それは民意として選挙で反映させるべき事案だ。しかし、与党は「回収可能なマイナス点」という戦術的な見込みのもと、その方針を強引に押し切った。しかし、もし与党の目論み通りに都議会議員選が収束したとしても、それとこれとは別問題だ。選挙に勝てば、やったことが許されたということにはならない。そこを指摘して批判しなくては、今回の法改正は「すべて与党のやったことは正しい」ということになってしまうだろう。
今回の改正組織犯罪処罰法と、東京都議会議員選は、東京オリンピックというひとつの軸にまつわる、同じ争点を共有する問題だ。新聞の社説は、起きたことだけではなく、これから起こるであろうことも視野に入れなければならない。今回の社説はどこも視野が狭く、最初から結論ありきで後から内容を埋めた観が強い。どの社も雁首揃えて、あまり読み応えのある社説ではない。
法律を怖れる人と頼りに感じる人がいますな。
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