G7 伊勢志摩サミットと前後して、アメリカのオバマ大統領が広島を訪問することが話題になっている。
もし現職の大統領が原爆被害地を訪れれば、史上初のこととなる。
広島では原爆被害者の関係者が、謝罪の言葉を求める動きがある。原爆被害を受けた国民感情として、謝罪の言葉を要求する気持ちは分からないではない。折しも沖縄で元アメリカ海兵隊員の男による20歳の女性の死体遺棄事件が発生し、オバマ大統領は立場を危うくしている。難しいタイミングで厄介な事件が起きた、という実感だろう。多くの日本人が、アメリカとオバマ大統領について、難しい距離感を感じているようだ。
しかし、今回のサミットでその謝罪要求をすることが、本当によいことなのかどうか、多くの日本人は判断ができていないような気がする。
ちょっと考えれば、アメリカ大統領という公職にある者が、公式に謝罪をすることなどほとんど不可能だ、ということくらい、すぐ分かるはずだ。オバマは個人的には、人道的観点に基づいて謝罪をしたい気持ちがあるのかもしれないが、それを公人として謝罪するわけにはいくまい。公に謝罪をしてしまえば、それは個人としての見解に留めることはできない。賠償請求、国家間のパワーバランス、今後の交渉事など、さまざまな面に影響を及ぼす。
マキャベリは「個人としての人格と、国家としての人格は、別問題だ」ということを歴史上初めてはっきり言った人物だが、このマキャベリの言わんとしていることを理解していない人が多すぎる。
それとは別に僕は、今の日本人が、原爆に対してその背景と要因をきちんと理解しているとは思えない。それはひとつには「被害者感情ありきの原爆史教育」に原因があるだろうし、ひとつには日本の歴史教育のレベルがそこまで高くないことが原因でもあるだろう。
原爆教育というのは、悲惨な写真や映像を見せて「二度とこんなことを繰り返さない」と情緒に訴えることだけではあるまい。アメリカがなぜ原爆を使用せざるを得なかったのか。原爆使用に至るにはどのような背景があったのか。それをしっかりと把握することが、今後の予防につながる。原因をしっかり理解していない者が、再発を防げるわけがない。
たとえば、広島の原爆が8月6日だったことを知っている日本人は多いが、なぜ8月6日であるのか、理由を知っている人は少ない。
もし当時、世界情勢を正しく認識している者が日本政府の中枢にいたならば、原爆は予知できたはずだ。
広島原爆が8月6日である理由は、簡単だ。
この理由を理解するには、まず第二次世界大戦時にいったい何が起きていたのかを理解する必要がある。
まず、そもそも日本はどこの国に負けたのか。
ほとんどの日本人が、先の大戦は「アメリカに負けた」と思っている。中国やソ連に負けた、と思っている日本人はほとんどいないだろう。
しかし、連合国はアメリカだけでなく、中国、ソ連、イギリス、フランスなど、様々な国を含んでいる。その中で、日本人がアメリカだけを「敗戦の相手」だと思っているのは、なぜなのか。
原爆こそ、その理由だろう。広島と長崎に原爆を落とされ、日本は無条件降伏した。つまり裏を返せば、アメリカが原爆を落としたのは、「日本人に『アメリカに負けた』と思わせるため」だった。世界史の教科書的に言えば、「戦後の日本の占領政策で、他国よりも優位な立場に就くため」だ。
第二次世界大戦の連合国は決して一枚岩ではなく、お互いに戦後の支配圏拡大を目論むための駆け引きの場だった。普通に考えれば、1917年のロシア革命以来、共産主義国と資本主義国が手を結ぶことなど、あり得ない。それがあり得たのは、第一次世界大戦後のベルサイユ体制が破綻し、ドイツやイタリアなどで全体主義国が台頭し、共産主義国よりも脅威となったからだ。伝統的にヨーロッパの大戦には不干渉主義を貫いてきたアメリカが第二次世界大戦に参戦したのも、戦後の影響力を考えてのことに過ぎない。決してアメリカは人道主義的な理由から参戦したのではない。
アメリカは日本を攻撃するにあたって、兵士の負担と犠牲をなるべく少なくしたい、と考えていた。アメリカはいつでも、戦争で多大な死傷者を出した大統領は、歴史の後々まで長きにわたって非難される。当時の大統領ルーズヴェルトは異例の4選を果たした長期政権であり、勇退後に自分の名を汚すような犠牲は避けたかっただろう。
そこでルーズヴェルト大統領は、日本を攻撃するときにソ連の力を利用することを考えた。日本はアメリカが単独で攻撃するのではなく、南の硫黄島・沖縄からアメリカ軍が、北の樺太からソ連軍が、挟み撃ちにする。そのプランに基づいて、ルーズヴェルトはソ連に対日参戦を要求する。
ソ連のスターリンは、それを承諾するかわりに、見返りとして千島・樺太の領土を要求した。ルーズヴェルトは、その程度ならお安い御用、とばかりにその要求を呑む。
ソ連の対日参戦は、ヨーロッパでの戦争の終結、つまりドイツの降伏から数えて3ヶ月後、と決まった。この密約を「ヤルタ密約」という。この密約は、本当に「密約」で、ルーズヴェルト、スターリン、チャーチルの3人しかほぼ知らなかったと言われている。
ところが戦争途中でルーズヴェルトが没し、後任の大統領にトルーマンが就いてから、状況が変わってくる。トルーマンはヤルタ密約のことを知らされておらず、大統領就任後に密約の内容を知らされて仰天した。トルーマンはすでに日本など敵ではなく、ソ連を始めとする共産主義国こそが戦後の相手になる、と睨んでいた。日本は極東の安全保障のためには最も重要な拠点となる。そこに、わずかなりともソ連の影響力を引き込むとは言語道断。
ルーズヴェルトにとっては、ソ連への千島・樺太の譲渡など「お安いもの」であったが、それはトルーマンにとってはちっともお安いものではなかった。
焦るトルーマンのもとに、朗報が入る。アメリカ国内で秘密に進んでいた「マンハッタン計画」から、原爆実験成功の知らせが入った。原爆が使用可能になれば、ソ連軍の力を借りなくとも、アメリカ単独で日本を無条件降伏に追い込める。
トルーマンはさっそく手を打った。対日降伏文書の「ポツダム宣言」から、ソ連を除外する工作をした。ポツダム宣言は、ソ連との事前連絡なしで文書が作成されている。宣言の署名欄には、アメリカ、イギリス、中国(中華民国)のサインだけがあり、ソ連のサインはない。
ソ連のスターリンは、それを知って激怒した。アメリカは明らかに、戦後の日本における影響力からソ連を排除しようとしている。
スターリンはもともと、人道的な理由や国の防衛のために第二次世界大戦に参戦したのではない。旧ロシア帝国の領土復活がスターリンの目的だった。ソ連は、日露戦争、第一次世界大戦で失った旧ロシア帝国の領土を奪うために、第二次世界大戦を利用したに過ぎない。そもそもそれが目的だったのだから、日本から千島・樺太を奪えなくなるポツダム宣言は、断固容認せざる内容だった。
ヤルタ密約によると、ソ連の対日参戦はドイツ降伏の3ヶ月後。スターリンはすでにその日程で対日参戦の準備を進めていた。そしてドイツが5月7日に降伏。そこからちょうど3ヶ月後の8月7日には、ソ連が日本に参戦してしまう。アメリカとしては、なんとしてもその前日までに阻止する必要があった。
つまりアメリカが8月6日に原爆を落としたのは、ソ連軍の介入を妨げ、アメリカが単独で日本を降伏させるための、ギリギリのタイムリミットだったのだ。そして、その日程の決定に深く関わっていたのは、日本ではなくソ連だった。広島の原爆投下は、当事国の日本などまったく蚊帳の外で、戦後の米ソの冷戦構造の前段階こそが本当の背景だった。
結局、ソ連の対日参戦は8月9日と決まる。それを知ったアメリカは、その日に長崎にもう一発原爆を落とした。あくまでもソ連の参戦を封じて、日本を速やかに降伏させるための駄目押しだった。長崎の原爆投下でも、アメリカの目線の先にあったのは、ソ連であって日本ではない。
結局、日本はアメリカの圧力に屈する形で、無条件降伏をした。多くの日本人は、戦後の占領時の印象を、マッカーサーに代表される進駐軍を思い浮かべるだろうが、それは「アメリカ単独での日本占領」というトルーマンの目論みが成功したからだ。
もし原爆が投下されず、ソ連が対日参戦し、日本がアメリカとソ連の勢力争いの場になったとしたら、どうなっていただろうか。
おそらく、日本はいまの朝鮮半島のようになっていただろう。
日本に対する影響力を封じられ、極東地域への拡大策の変換を迫られたスターリンは、その力を朝鮮半島に向けた。朝鮮戦争の勃発だ。朝鮮戦争は単に同じ民族間の内戦ではなく、アメリカとソ連に代表される二大陣営の「代理戦争」だった。
日本において原爆を語る時には、いつも被害者として、受けた被害の甚大さを訴える論調が支配的になる。しかし世界の歴史の中で、被害を受ける者の苦痛の訴えが、戦争の惨禍を食い止めた例など無い。広島や長崎を中心とした現在の原爆教育のやり方で、今後の世界から核の脅威を廃絶できると、本当に思っているのだろうか。
被害の悲惨さを語り継ぐことは大切だ。しかし、それは必要条件であって、十分条件ではない。それさえやっていれば大丈夫、というものではないのだ。
原爆や核兵器は、人道的に、断固使ってはならない。しかし、戦争というのはもともと、人道的な観点を越えたところで発生するものなのだ。人間が人道的な道徳律を常に守れるようなものであれば、そもそも戦争など発生し得ない。人道主義や道徳観に基づいた核兵器の非難は、それを越えた状況ではまったく通用しない。単なるお題目と化す。
だからこそ、核兵器を語る時には、人道主義以外の方法によって使用を封じる方策が必要となる。歴史教育というのは、そのような必要性のために行うものだろう。
原爆被害者の関係者が謝罪を求め、仮にもしオバマ大統領が謝罪したとしたら、被害者および関係者の「感情」は満たされるだろう。しかし、厳しいことを言うようだが、感情が満たされる代償として失われるものを、本当に冷静に理解しているのだろうか。もし原爆被害者が、己の「感情」のためだけに謝罪を要求し、それによって引き起こされる更なる惨禍など知ったこっちゃない、という態度であるのであれば、それは真摯に恒久の平和を希求する態度とは言えない。歴史教育がしっかり行われていれば、「感情」と「理性による判断」の間にきっちり線を引くことの重要性が、理解されているはずだ。
もし現職の大統領が原爆被害地を訪れれば、史上初のこととなる。
広島では原爆被害者の関係者が、謝罪の言葉を求める動きがある。原爆被害を受けた国民感情として、謝罪の言葉を要求する気持ちは分からないではない。折しも沖縄で元アメリカ海兵隊員の男による20歳の女性の死体遺棄事件が発生し、オバマ大統領は立場を危うくしている。難しいタイミングで厄介な事件が起きた、という実感だろう。多くの日本人が、アメリカとオバマ大統領について、難しい距離感を感じているようだ。
しかし、今回のサミットでその謝罪要求をすることが、本当によいことなのかどうか、多くの日本人は判断ができていないような気がする。
ちょっと考えれば、アメリカ大統領という公職にある者が、公式に謝罪をすることなどほとんど不可能だ、ということくらい、すぐ分かるはずだ。オバマは個人的には、人道的観点に基づいて謝罪をしたい気持ちがあるのかもしれないが、それを公人として謝罪するわけにはいくまい。公に謝罪をしてしまえば、それは個人としての見解に留めることはできない。賠償請求、国家間のパワーバランス、今後の交渉事など、さまざまな面に影響を及ぼす。
マキャベリは「個人としての人格と、国家としての人格は、別問題だ」ということを歴史上初めてはっきり言った人物だが、このマキャベリの言わんとしていることを理解していない人が多すぎる。
それとは別に僕は、今の日本人が、原爆に対してその背景と要因をきちんと理解しているとは思えない。それはひとつには「被害者感情ありきの原爆史教育」に原因があるだろうし、ひとつには日本の歴史教育のレベルがそこまで高くないことが原因でもあるだろう。
原爆教育というのは、悲惨な写真や映像を見せて「二度とこんなことを繰り返さない」と情緒に訴えることだけではあるまい。アメリカがなぜ原爆を使用せざるを得なかったのか。原爆使用に至るにはどのような背景があったのか。それをしっかりと把握することが、今後の予防につながる。原因をしっかり理解していない者が、再発を防げるわけがない。
たとえば、広島の原爆が8月6日だったことを知っている日本人は多いが、なぜ8月6日であるのか、理由を知っている人は少ない。
もし当時、世界情勢を正しく認識している者が日本政府の中枢にいたならば、原爆は予知できたはずだ。
広島原爆が8月6日である理由は、簡単だ。
ナチスドイツの無条件降伏が、5月7日だったから。
この理由を理解するには、まず第二次世界大戦時にいったい何が起きていたのかを理解する必要がある。
まず、そもそも日本はどこの国に負けたのか。
ほとんどの日本人が、先の大戦は「アメリカに負けた」と思っている。中国やソ連に負けた、と思っている日本人はほとんどいないだろう。
しかし、連合国はアメリカだけでなく、中国、ソ連、イギリス、フランスなど、様々な国を含んでいる。その中で、日本人がアメリカだけを「敗戦の相手」だと思っているのは、なぜなのか。
原爆こそ、その理由だろう。広島と長崎に原爆を落とされ、日本は無条件降伏した。つまり裏を返せば、アメリカが原爆を落としたのは、「日本人に『アメリカに負けた』と思わせるため」だった。世界史の教科書的に言えば、「戦後の日本の占領政策で、他国よりも優位な立場に就くため」だ。
第二次世界大戦の連合国は決して一枚岩ではなく、お互いに戦後の支配圏拡大を目論むための駆け引きの場だった。普通に考えれば、1917年のロシア革命以来、共産主義国と資本主義国が手を結ぶことなど、あり得ない。それがあり得たのは、第一次世界大戦後のベルサイユ体制が破綻し、ドイツやイタリアなどで全体主義国が台頭し、共産主義国よりも脅威となったからだ。伝統的にヨーロッパの大戦には不干渉主義を貫いてきたアメリカが第二次世界大戦に参戦したのも、戦後の影響力を考えてのことに過ぎない。決してアメリカは人道主義的な理由から参戦したのではない。
アメリカは日本を攻撃するにあたって、兵士の負担と犠牲をなるべく少なくしたい、と考えていた。アメリカはいつでも、戦争で多大な死傷者を出した大統領は、歴史の後々まで長きにわたって非難される。当時の大統領ルーズヴェルトは異例の4選を果たした長期政権であり、勇退後に自分の名を汚すような犠牲は避けたかっただろう。
そこでルーズヴェルト大統領は、日本を攻撃するときにソ連の力を利用することを考えた。日本はアメリカが単独で攻撃するのではなく、南の硫黄島・沖縄からアメリカ軍が、北の樺太からソ連軍が、挟み撃ちにする。そのプランに基づいて、ルーズヴェルトはソ連に対日参戦を要求する。
ソ連のスターリンは、それを承諾するかわりに、見返りとして千島・樺太の領土を要求した。ルーズヴェルトは、その程度ならお安い御用、とばかりにその要求を呑む。
ソ連の対日参戦は、ヨーロッパでの戦争の終結、つまりドイツの降伏から数えて3ヶ月後、と決まった。この密約を「ヤルタ密約」という。この密約は、本当に「密約」で、ルーズヴェルト、スターリン、チャーチルの3人しかほぼ知らなかったと言われている。
ところが戦争途中でルーズヴェルトが没し、後任の大統領にトルーマンが就いてから、状況が変わってくる。トルーマンはヤルタ密約のことを知らされておらず、大統領就任後に密約の内容を知らされて仰天した。トルーマンはすでに日本など敵ではなく、ソ連を始めとする共産主義国こそが戦後の相手になる、と睨んでいた。日本は極東の安全保障のためには最も重要な拠点となる。そこに、わずかなりともソ連の影響力を引き込むとは言語道断。
ルーズヴェルトにとっては、ソ連への千島・樺太の譲渡など「お安いもの」であったが、それはトルーマンにとってはちっともお安いものではなかった。
焦るトルーマンのもとに、朗報が入る。アメリカ国内で秘密に進んでいた「マンハッタン計画」から、原爆実験成功の知らせが入った。原爆が使用可能になれば、ソ連軍の力を借りなくとも、アメリカ単独で日本を無条件降伏に追い込める。
トルーマンはさっそく手を打った。対日降伏文書の「ポツダム宣言」から、ソ連を除外する工作をした。ポツダム宣言は、ソ連との事前連絡なしで文書が作成されている。宣言の署名欄には、アメリカ、イギリス、中国(中華民国)のサインだけがあり、ソ連のサインはない。
ソ連のスターリンは、それを知って激怒した。アメリカは明らかに、戦後の日本における影響力からソ連を排除しようとしている。
スターリンはもともと、人道的な理由や国の防衛のために第二次世界大戦に参戦したのではない。旧ロシア帝国の領土復活がスターリンの目的だった。ソ連は、日露戦争、第一次世界大戦で失った旧ロシア帝国の領土を奪うために、第二次世界大戦を利用したに過ぎない。そもそもそれが目的だったのだから、日本から千島・樺太を奪えなくなるポツダム宣言は、断固容認せざる内容だった。
ヤルタ密約によると、ソ連の対日参戦はドイツ降伏の3ヶ月後。スターリンはすでにその日程で対日参戦の準備を進めていた。そしてドイツが5月7日に降伏。そこからちょうど3ヶ月後の8月7日には、ソ連が日本に参戦してしまう。アメリカとしては、なんとしてもその前日までに阻止する必要があった。
つまりアメリカが8月6日に原爆を落としたのは、ソ連軍の介入を妨げ、アメリカが単独で日本を降伏させるための、ギリギリのタイムリミットだったのだ。そして、その日程の決定に深く関わっていたのは、日本ではなくソ連だった。広島の原爆投下は、当事国の日本などまったく蚊帳の外で、戦後の米ソの冷戦構造の前段階こそが本当の背景だった。
結局、ソ連の対日参戦は8月9日と決まる。それを知ったアメリカは、その日に長崎にもう一発原爆を落とした。あくまでもソ連の参戦を封じて、日本を速やかに降伏させるための駄目押しだった。長崎の原爆投下でも、アメリカの目線の先にあったのは、ソ連であって日本ではない。
結局、日本はアメリカの圧力に屈する形で、無条件降伏をした。多くの日本人は、戦後の占領時の印象を、マッカーサーに代表される進駐軍を思い浮かべるだろうが、それは「アメリカ単独での日本占領」というトルーマンの目論みが成功したからだ。
もし原爆が投下されず、ソ連が対日参戦し、日本がアメリカとソ連の勢力争いの場になったとしたら、どうなっていただろうか。
おそらく、日本はいまの朝鮮半島のようになっていただろう。
日本に対する影響力を封じられ、極東地域への拡大策の変換を迫られたスターリンは、その力を朝鮮半島に向けた。朝鮮戦争の勃発だ。朝鮮戦争は単に同じ民族間の内戦ではなく、アメリカとソ連に代表される二大陣営の「代理戦争」だった。
日本において原爆を語る時には、いつも被害者として、受けた被害の甚大さを訴える論調が支配的になる。しかし世界の歴史の中で、被害を受ける者の苦痛の訴えが、戦争の惨禍を食い止めた例など無い。広島や長崎を中心とした現在の原爆教育のやり方で、今後の世界から核の脅威を廃絶できると、本当に思っているのだろうか。
被害の悲惨さを語り継ぐことは大切だ。しかし、それは必要条件であって、十分条件ではない。それさえやっていれば大丈夫、というものではないのだ。
原爆や核兵器は、人道的に、断固使ってはならない。しかし、戦争というのはもともと、人道的な観点を越えたところで発生するものなのだ。人間が人道的な道徳律を常に守れるようなものであれば、そもそも戦争など発生し得ない。人道主義や道徳観に基づいた核兵器の非難は、それを越えた状況ではまったく通用しない。単なるお題目と化す。
だからこそ、核兵器を語る時には、人道主義以外の方法によって使用を封じる方策が必要となる。歴史教育というのは、そのような必要性のために行うものだろう。
原爆被害者の関係者が謝罪を求め、仮にもしオバマ大統領が謝罪したとしたら、被害者および関係者の「感情」は満たされるだろう。しかし、厳しいことを言うようだが、感情が満たされる代償として失われるものを、本当に冷静に理解しているのだろうか。もし原爆被害者が、己の「感情」のためだけに謝罪を要求し、それによって引き起こされる更なる惨禍など知ったこっちゃない、という態度であるのであれば、それは真摯に恒久の平和を希求する態度とは言えない。歴史教育がしっかり行われていれば、「感情」と「理性による判断」の間にきっちり線を引くことの重要性が、理解されているはずだ。
誰もが納得できる落としどころなど無い。