2015年12月
なぜ古典文法の過去には、「き」「けり」のふたつの助動詞があるのか。
教科書的には、「き」は直接体験過去、「けり」は伝聞過去、ということになっているらしい。
「昔、男ありき」と言ったら、「昔、男がいた(そして私はそいつのことを知っている)」という意味で、「昔、男ありけり」と言ったら、「昔、男がいたそうだ(直接は知らんが)」という伝聞の意味になる。
『竹取物語』の出だしは「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり」。これは「そういう爺さんがいたそうだ」という伝聞の意味になる。また『伊勢物語』ではほとんどの話が「むかし男ありけり」で始まっているが、これは直接体験ではなく伝聞の集成という体裁をとっているためだ。
「き」と「けり」の違いは、それだけではない。おおむね「けり」のほうが、余計な意味がついている。
古典の教科書には、「けり」は非体験過去だけでなく、やれ「伝来」だの「詠嘆」だの、プラスアルファの意味がついている。どうして「けり」だけ、こんな余計な意味がついているのか。
大意としては「神の時代から言い伝えられてきていることには、『父母を見ると尊く思われ、妻子を見ると切なく愛しく思われる。これが世の道理である』と、このように言い伝えられてきているのに・・・」くらいの意味だ。
ここで「けり」が、両方とも「・・・されてきている」と訳されている。これは単なる過去形ではなく、ヨーロッパ諸語で言うところの完了形に近い。これを古典文法や国文法では「伝来」と呼んでいる。
この「けり」は、俗に「詠嘆」と呼ばれている用法だ。「物思いをしてじっと引きこもっていて、今日見たら、春日山は紅葉で色づいていることだなぁ」などと訳す。
高校で古典文法を習うときには、過去の「けり」なのだから、「色づいていたそうだ」と訳したくなる。どういう時に過去で訳し、どういう時に詠嘆で訳すのか、一貫した説明を受けた覚えがない。
受験テクニック的には、「和歌の終わりに出てきたら詠嘆で訳せ」のように教えるらしい。しかし、それはたまたま和歌が内容的に詠嘆が多いというだけの十分性であり、必要性ではないだろう。もし和歌ではない普通の文で詠嘆の「けり」を使いたい場合、内容に齟齬は生じないのだろうか。
古語辞典を調べてみると、助動詞の「けり」と並んで、自動詞としての「けり(来り)」というのが載っている。これはカ変動詞「く(来)」の連用形「き」と、ラ変動詞「あり」の複合動詞「きあり」が縮まったものらしい。意味としては「来ている・やって来た」ほどの意味を表す。
この、「やって来た」という意味が、完了形の「いままでずっと・・・という状態だった」という意味に重なる。こういう、意味的にも音声的にも重なっている語彙がある場合、その大元は同一のものではないかと疑うのは自然だろう。
動詞「来り」の用例を調べると、万葉集の例文しか載っていない。「玉梓の 使ひのければ嬉しみと」(万葉集 3957)というのは、「都から使者がやって来たので、うれしくて」というほどの意味だ。ここでは「やって来る」というのは、空間概念の移動を表している。
空間概念と時間概念の語彙が「絡まる」のは、世界中の言語でよく見られる現象だ。「長い・短い」というのは時間にも距離にも使われる形容詞だし、「流れる」という移動動詞は時間の推移についても使われる。一種の比喩なのだろうが、時間と空間の語彙は、相互に干渉し合う関係にある。
すると、空間移動を表す「来り」が、時間概念としての完了形に転化したとしても不思議はない。勘では、その「転移」が起きたのは、奈良時代後期から平安時代にかけてのことだろう。平安以降に書かれた文章では、もともとの意味で「来り」が使われている文献が残っていない。
動詞のような内容語と、助動詞のような機能語では、内容語のほうが派生が早いだろう。すると、助動詞の「けり」は、もともと動詞の「来り」から分化して発生したと考えるほうが自然だ。
そして、その完了形としての意味だけが遊離して助動詞として語彙化されたとしたら、「けり」は過去という時制を表すのではなく、アスペクトを表す語彙だと思う。
よく混同されがちだが、「テンス(時制)」と「アスペクト(相)」は異なる。テンス(時制)というのは、語彙の形態変化として表出される時間概念のことだ。英語では、過去は形態的に-edで活用するので時制だが、未来は助動詞willを使い、動詞そのものが変化するわけではないので時制ではない。
一般的に、動詞の活用として「未来形」をもつ言語は非常に少ない。ラテン語は未来形をもつ数少ない言語なので、ラテン語から派生したロマンス系諸語はもともと未来形をもっていた。しかし現在ではそのほとんどが失われている。ゲルマン系言語はそもそも未来系がなく、ドイツ語も未来を表すときには助動詞werdenを使う。英語もゲルマン系言語なので、助動詞を使うという点では同じだ。
一方、アスペクトというのは、動詞の意味に含まれる時間幅のことだ。動詞によって、瞬間動作を表したり、継続動作や状態を表したり、その意味の「時間幅」は異なる。その差異は、助動詞などの付加的な語彙によって変更されることがある。
わかりやすいアスペクトは、進行形と完了形だろう。「走る」という継続動作は、助動詞をつけると「走っている」という進行形になったり、「走っていた」という完了形になったりする。
そう考えると、「来り」から派生した「けり」は、時制ではなくアスペクトであると考えた方がいいと思う。ある動作が、ずっと継続されて現在まで「伝わって来た」というニュアンスだろう。
「鶏が鳴く」というのは、「東」にかかる枕詞。「それくらいわけのわからない国」というくらいの意味だ。昔の京都の感覚だと、東というのはそういう未開の土地なのだろう。「東国で昔あったことだと、現在まで途絶えずに言い伝えている」という意味になる。ここで、「言い伝えられている」というのが、伝わっている感を表すアスペクトになっている。
僕の勘だが、この「時間的に伝わってきている」というのが、空間概念にも影響しているのではあるまいか。つまり「伝聞」の意味は、ここかに由来しているのだと思う。「空間的に伝わってきている」→「人から伝えられている」→「〜だったそうだ」という伝聞過去の意味になったのではないか。
アスペクトを考えるときに大事なのは、境界線だ。動詞で表される行動やイベントが、どこから始まり、どこで終わるのか、という時間の境界線が重要になる。動詞によっては、その境界線をもたない動詞もある。
もし助動詞の「けり」が、複合動詞の「きあり」から派生したのだとしたら、アスペクトの重点は、「終点の境界線」にあるはずだ。なにせ「来た結果、ここに在る」という意味なのだから、結果状態に力点が置かれるだろう。
すると、「その結果、いまこういうことになっている」という状況認識の意味が加わるのではないか。状況の認識という意味が加わることによって、「そのことに今気づいた」という発見の意味になる。
俗に助動詞「けり」の詠嘆用法と呼ばれているものの正体は、この「発見」の意味にあるのではないか。「詠嘆」というのは結果論であって、より重要な意味は、その前段階の「そうだったのか、今気づいた」という「発見」のほうにあると思う。
先ほど引用した万葉集の「物思ふと 隠らひ居りて 今日見れば 春日の山は 色づきにけり」という歌は、「春日山は紅葉で色づいていたことだなぁ」ではなく、意味の重点は「紅葉で色づいているのか。いま気がついた」といったところではあるまいか。
そう考えると、助動詞の「けり」の意味は、「詠嘆」ではなく、「発見」とでもしたほうが、より正確な訳につながると思う。
この「過去から引っ張って来た状態から変化して、新しいことを発見する」という観点は、現代語にもその残滓がある。
よく物をなくして探し物をして、見つかったときに「あ、あった」などと言う。なぜここで過去形を使うのか。今その瞬間に「ある」のだから、文法的には「あ、ある」と言うのが適切なはずだ。
「あ、あった」と過去形を使う理由は、助動詞の「けり」が発見=詠嘆の意味をもつのと同じ理由だと思う。「いままで見つからなかった」という状態が、見つけたことによって変化し、「ある」という状態に変化する。そのときの「状態完了」が「発見」に転じた用法だろう。日本語には完了形がないが、この「あ、あった」というときの助動詞「た」は、過去というよりも完了形に近い意味をもつ用法だろう。「あった」を時制の「過去形」と考えれば謎になるが、もしこれがアスペクトの完了形と考えれば、「けり」が発見=詠嘆の意味をもつのと同じ理由と考えることができる。
もし、助動詞の「けり」が、動詞の「き+あり」から派生したのだとしたら、もうひとつ疑問がある。結果状態動詞の「あり」は、「来」以外の動詞と複合することはなかったのだろうか。
古文の教科書の助動詞活用表を見ると、ひとつ異様な接続をする助動詞がある。完了の「り」だ。
完了の助動詞は「つ」「ぬ」「たり」「り」の四つがある。「つ」「ぬ」「たり」の三つは、大雑把にすべての活用語の連用形につく。しかし「り」だけは特殊で、「サ変の未然形、四段の已然形」にくっつく、という特殊な接続をする。巷の高校生は、サー未、四ー已という語呂合わせで「さみしい『り』かちゃん」などと覚えるそうだ。
なぜ「り」だけがこんな面倒な接続をするのか。
この「り」は、「けり」と同じで、複合動詞の一部「あり」が縮まったものではないか。例えば四段活用接続の「咲けり」は、もともと「咲く+あり」で、これが縮まったのではないか。サ変接続の「せり」は、もともと「し+あり」だったのではないか。そして、もともとは動詞「あり」の一部であったものが、単独で遊離して「り」だけが助動詞として独立したと考えれば、説明がつく。
つまり、完了の助動詞は、「つ」「ぬ」「たり」の3つと、「り」は、出自が違う。「つ」「ぬ」「たり」は純粋な助動詞だったものだが、「り」だけは、もともと状態動詞「あり」の一部だったのではないか。
助動詞「けり」が「来+あり」由来だと考えれば、そのような変化が、動詞「来」だけに生じたと考えるのは、むしろ不自然だ。そういう複合は、他の動詞にも生じたと考えたほうがよい。そう考えると、「あり」が複合動詞としてくっついてから、助動詞として遊離した例として「り」を捉えると、サ変未然形・四段已然形という例外的な接続をすることの説明がつく。
これは単に僕が勝手に思っているだけのことだし、推測の域は出ない。この仮説を実証しようとしたら、実際に文献を調べてその妥当性を検証する作業が必要だ。しかし、仮説は別に真理の探求のためだけにあるのではない。こう考えれば、機械作業として覚えていた暗記の必要がなくなるのだ。古典文法なんて暗記教科の最たるものだと考えている高校生が多いだろうが、暗記というのは、もともと「思考」と「理解」を放棄した者の、罰だと思う。そんな頭の使い方はそりゃ面白くないだろうし、苦痛ですらあるだろう。しかし、自分の頭を使って「こういうことかな」と思いついたことは、いつでも頭の中で再生産できるので、覚えておく必要がない。
勉強というのは、こうやってやるべきものではあるまいか。
教科書的には、「き」は直接体験過去、「けり」は伝聞過去、ということになっているらしい。
「昔、男ありき」と言ったら、「昔、男がいた(そして私はそいつのことを知っている)」という意味で、「昔、男ありけり」と言ったら、「昔、男がいたそうだ(直接は知らんが)」という伝聞の意味になる。
『竹取物語』の出だしは「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり」。これは「そういう爺さんがいたそうだ」という伝聞の意味になる。また『伊勢物語』ではほとんどの話が「むかし男ありけり」で始まっているが、これは直接体験ではなく伝聞の集成という体裁をとっているためだ。
「き」と「けり」の違いは、それだけではない。おおむね「けり」のほうが、余計な意味がついている。
古典の教科書には、「けり」は非体験過去だけでなく、やれ「伝来」だの「詠嘆」だの、プラスアルファの意味がついている。どうして「けり」だけ、こんな余計な意味がついているのか。
神代より 言い継ぎけらく 父母を 見れば貴く 妻子見れば かなしくめぐし うつせみの 世の理と かくさまに 言いけるものを ・・・
(万葉集 巻18 4106)
大意としては「神の時代から言い伝えられてきていることには、『父母を見ると尊く思われ、妻子を見ると切なく愛しく思われる。これが世の道理である』と、このように言い伝えられてきているのに・・・」くらいの意味だ。
ここで「けり」が、両方とも「・・・されてきている」と訳されている。これは単なる過去形ではなく、ヨーロッパ諸語で言うところの完了形に近い。これを古典文法や国文法では「伝来」と呼んでいる。
物思ふと 隠らひ居りて 今日見れば 春日の山は 色づきにけり
(万葉集 巻9 2199)
この「けり」は、俗に「詠嘆」と呼ばれている用法だ。「物思いをしてじっと引きこもっていて、今日見たら、春日山は紅葉で色づいていることだなぁ」などと訳す。
高校で古典文法を習うときには、過去の「けり」なのだから、「色づいていたそうだ」と訳したくなる。どういう時に過去で訳し、どういう時に詠嘆で訳すのか、一貫した説明を受けた覚えがない。
受験テクニック的には、「和歌の終わりに出てきたら詠嘆で訳せ」のように教えるらしい。しかし、それはたまたま和歌が内容的に詠嘆が多いというだけの十分性であり、必要性ではないだろう。もし和歌ではない普通の文で詠嘆の「けり」を使いたい場合、内容に齟齬は生じないのだろうか。
古語辞典を調べてみると、助動詞の「けり」と並んで、自動詞としての「けり(来り)」というのが載っている。これはカ変動詞「く(来)」の連用形「き」と、ラ変動詞「あり」の複合動詞「きあり」が縮まったものらしい。意味としては「来ている・やって来た」ほどの意味を表す。
この、「やって来た」という意味が、完了形の「いままでずっと・・・という状態だった」という意味に重なる。こういう、意味的にも音声的にも重なっている語彙がある場合、その大元は同一のものではないかと疑うのは自然だろう。
動詞「来り」の用例を調べると、万葉集の例文しか載っていない。「玉梓の 使ひのければ嬉しみと」(万葉集 3957)というのは、「都から使者がやって来たので、うれしくて」というほどの意味だ。ここでは「やって来る」というのは、空間概念の移動を表している。
空間概念と時間概念の語彙が「絡まる」のは、世界中の言語でよく見られる現象だ。「長い・短い」というのは時間にも距離にも使われる形容詞だし、「流れる」という移動動詞は時間の推移についても使われる。一種の比喩なのだろうが、時間と空間の語彙は、相互に干渉し合う関係にある。
すると、空間移動を表す「来り」が、時間概念としての完了形に転化したとしても不思議はない。勘では、その「転移」が起きたのは、奈良時代後期から平安時代にかけてのことだろう。平安以降に書かれた文章では、もともとの意味で「来り」が使われている文献が残っていない。
動詞のような内容語と、助動詞のような機能語では、内容語のほうが派生が早いだろう。すると、助動詞の「けり」は、もともと動詞の「来り」から分化して発生したと考えるほうが自然だ。
そして、その完了形としての意味だけが遊離して助動詞として語彙化されたとしたら、「けり」は過去という時制を表すのではなく、アスペクトを表す語彙だと思う。
よく混同されがちだが、「テンス(時制)」と「アスペクト(相)」は異なる。テンス(時制)というのは、語彙の形態変化として表出される時間概念のことだ。英語では、過去は形態的に-edで活用するので時制だが、未来は助動詞willを使い、動詞そのものが変化するわけではないので時制ではない。
一般的に、動詞の活用として「未来形」をもつ言語は非常に少ない。ラテン語は未来形をもつ数少ない言語なので、ラテン語から派生したロマンス系諸語はもともと未来形をもっていた。しかし現在ではそのほとんどが失われている。ゲルマン系言語はそもそも未来系がなく、ドイツ語も未来を表すときには助動詞werdenを使う。英語もゲルマン系言語なので、助動詞を使うという点では同じだ。
一方、アスペクトというのは、動詞の意味に含まれる時間幅のことだ。動詞によって、瞬間動作を表したり、継続動作や状態を表したり、その意味の「時間幅」は異なる。その差異は、助動詞などの付加的な語彙によって変更されることがある。
わかりやすいアスペクトは、進行形と完了形だろう。「走る」という継続動作は、助動詞をつけると「走っている」という進行形になったり、「走っていた」という完了形になったりする。
そう考えると、「来り」から派生した「けり」は、時制ではなくアスペクトであると考えた方がいいと思う。ある動作が、ずっと継続されて現在まで「伝わって来た」というニュアンスだろう。
鶏が鳴く 東の国に 古に ありけることと 今までに 絶えず言ひける
(万葉集 巻9 1807)
「鶏が鳴く」というのは、「東」にかかる枕詞。「それくらいわけのわからない国」というくらいの意味だ。昔の京都の感覚だと、東というのはそういう未開の土地なのだろう。「東国で昔あったことだと、現在まで途絶えずに言い伝えている」という意味になる。ここで、「言い伝えられている」というのが、伝わっている感を表すアスペクトになっている。
僕の勘だが、この「時間的に伝わってきている」というのが、空間概念にも影響しているのではあるまいか。つまり「伝聞」の意味は、ここかに由来しているのだと思う。「空間的に伝わってきている」→「人から伝えられている」→「〜だったそうだ」という伝聞過去の意味になったのではないか。
アスペクトを考えるときに大事なのは、境界線だ。動詞で表される行動やイベントが、どこから始まり、どこで終わるのか、という時間の境界線が重要になる。動詞によっては、その境界線をもたない動詞もある。
もし助動詞の「けり」が、複合動詞の「きあり」から派生したのだとしたら、アスペクトの重点は、「終点の境界線」にあるはずだ。なにせ「来た結果、ここに在る」という意味なのだから、結果状態に力点が置かれるだろう。
すると、「その結果、いまこういうことになっている」という状況認識の意味が加わるのではないか。状況の認識という意味が加わることによって、「そのことに今気づいた」という発見の意味になる。
俗に助動詞「けり」の詠嘆用法と呼ばれているものの正体は、この「発見」の意味にあるのではないか。「詠嘆」というのは結果論であって、より重要な意味は、その前段階の「そうだったのか、今気づいた」という「発見」のほうにあると思う。
先ほど引用した万葉集の「物思ふと 隠らひ居りて 今日見れば 春日の山は 色づきにけり」という歌は、「春日山は紅葉で色づいていたことだなぁ」ではなく、意味の重点は「紅葉で色づいているのか。いま気がついた」といったところではあるまいか。
そう考えると、助動詞の「けり」の意味は、「詠嘆」ではなく、「発見」とでもしたほうが、より正確な訳につながると思う。
この「過去から引っ張って来た状態から変化して、新しいことを発見する」という観点は、現代語にもその残滓がある。
よく物をなくして探し物をして、見つかったときに「あ、あった」などと言う。なぜここで過去形を使うのか。今その瞬間に「ある」のだから、文法的には「あ、ある」と言うのが適切なはずだ。
「あ、あった」と過去形を使う理由は、助動詞の「けり」が発見=詠嘆の意味をもつのと同じ理由だと思う。「いままで見つからなかった」という状態が、見つけたことによって変化し、「ある」という状態に変化する。そのときの「状態完了」が「発見」に転じた用法だろう。日本語には完了形がないが、この「あ、あった」というときの助動詞「た」は、過去というよりも完了形に近い意味をもつ用法だろう。「あった」を時制の「過去形」と考えれば謎になるが、もしこれがアスペクトの完了形と考えれば、「けり」が発見=詠嘆の意味をもつのと同じ理由と考えることができる。
もし、助動詞の「けり」が、動詞の「き+あり」から派生したのだとしたら、もうひとつ疑問がある。結果状態動詞の「あり」は、「来」以外の動詞と複合することはなかったのだろうか。
古文の教科書の助動詞活用表を見ると、ひとつ異様な接続をする助動詞がある。完了の「り」だ。
完了の助動詞は「つ」「ぬ」「たり」「り」の四つがある。「つ」「ぬ」「たり」の三つは、大雑把にすべての活用語の連用形につく。しかし「り」だけは特殊で、「サ変の未然形、四段の已然形」にくっつく、という特殊な接続をする。巷の高校生は、サー未、四ー已という語呂合わせで「さみしい『り』かちゃん」などと覚えるそうだ。
なぜ「り」だけがこんな面倒な接続をするのか。
この「り」は、「けり」と同じで、複合動詞の一部「あり」が縮まったものではないか。例えば四段活用接続の「咲けり」は、もともと「咲く+あり」で、これが縮まったのではないか。サ変接続の「せり」は、もともと「し+あり」だったのではないか。そして、もともとは動詞「あり」の一部であったものが、単独で遊離して「り」だけが助動詞として独立したと考えれば、説明がつく。
つまり、完了の助動詞は、「つ」「ぬ」「たり」の3つと、「り」は、出自が違う。「つ」「ぬ」「たり」は純粋な助動詞だったものだが、「り」だけは、もともと状態動詞「あり」の一部だったのではないか。
助動詞「けり」が「来+あり」由来だと考えれば、そのような変化が、動詞「来」だけに生じたと考えるのは、むしろ不自然だ。そういう複合は、他の動詞にも生じたと考えたほうがよい。そう考えると、「あり」が複合動詞としてくっついてから、助動詞として遊離した例として「り」を捉えると、サ変未然形・四段已然形という例外的な接続をすることの説明がつく。
これは単に僕が勝手に思っているだけのことだし、推測の域は出ない。この仮説を実証しようとしたら、実際に文献を調べてその妥当性を検証する作業が必要だ。しかし、仮説は別に真理の探求のためだけにあるのではない。こう考えれば、機械作業として覚えていた暗記の必要がなくなるのだ。古典文法なんて暗記教科の最たるものだと考えている高校生が多いだろうが、暗記というのは、もともと「思考」と「理解」を放棄した者の、罰だと思う。そんな頭の使い方はそりゃ面白くないだろうし、苦痛ですらあるだろう。しかし、自分の頭を使って「こういうことかな」と思いついたことは、いつでも頭の中で再生産できるので、覚えておく必要がない。
勉強というのは、こうやってやるべきものではあるまいか。
「きあり」だけに毒が抜けた気分だ。
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