たくろふのつぶやき

春は揚げ物。

2015年09月

ウェールズ vs イングランド ラグビーW杯2015

ウェールズ逆転勝利


ラグビーW杯 プールA
ウェールズ 28ー25 イングランド


今大会の予選ラウンドで最も注目のカード、開催国イングランドと準ホームのウェールズの対決。
シックスネイションズでも毎回激闘を繰り広げる両国が、「死のブループ」勝ち残りを賭けて激突した。

報道では「イングランドまさかの敗戦」「開催国が敗れる波乱」という論調が多いが、ここまでの両国の力関係と今回の試合展開を見ると、波乱でも番狂わせでもなんでもない。互角の両チームが力勝負で挑み合い、僅差で勝敗がついた、という試合でしかない。報道が揃いも揃ってイングランド寄りなのは、開催国ということもあり、イングランドが決勝トーナメントに進めないと観客動員数に影響する、などの「大人の事情」だろう。この結果を「波乱」と言うには、ウェールズは強すぎる。

そういう「イングランド推し」は、スタジアムの中にも影響していたように見える。観客が大いにイングランド贔屓で、ウェールズに対してブーイングを浴びせていたのは、イングランドサポーターの民度の無さとして無視しよう。ラグビー観戦というのは、基本的に良いプレーに対しては敵味方の別なく賞賛を送るのが「礼儀」であって、国同士のライバル意識をスタジアム内部に持ち込むのは、サッカーを見る時くらいにしてほしい。

また、審判のレフェリングもイングランドに寄っているように見受けられた。前半だけで、ノックオンに関わる明らかな誤審が2つあった。ウェールズが落としていないのにノックオンをとり、イングランドが明らかに落としたのにノックオンをとらない。ビデオで確認すら取らない。それほど露骨な笛ではなかったのであまり問題になっていないが、何らかの圧力が働いているように見えた。

イングランドは、勝てた試合だったと思う。特にスクラムの差は歴然としており、完全にイングランドが制圧していた。ウェールズはスクラムのたびに押し込まれるため、サイドアタックとBKの展開を見極める余裕がなく、一次攻撃では簡単に捕まっていた。
スクラム以外の密集戦でも、概してFWはイングランドのほうが優勢だった。モールは確実に確保し、ラックは球出しが早い。前半終了時点では16-9とイングランドのリードで折り返したが、その差はFW戦で押し込まれたウェールズが反則を繰り返し、そのたびにPGで失点を重ねたからだ。FWの差が、そのまま点差に表れていた。

この試合が好ゲームになった要素はふたつある。両チームの、ディフェンスとキックだ。
イングランドもウェールズも、ディフェンスが強かった。特にセットプレーからのラインディフェンスは、両チームともイメージ通りのディフェンスができていただろう。簡単なタックルミスがほとんどなく、個々がトイメンを止める、という最低限の基礎をしっかり踏まえていた。これは南アに勝利した日本代表や、NZを追いつめたアルゼンチンと同じ要因だ。しっかりしたディフェンスが勝負を締め、緊張感のある展開になった。

イングランドもウェールズも、ディフェンスは出足の鋭い詰めの守り方だった。詰めのディフェンスは前がかりになる分、バックスリーの守備に負担がかかる。それはさすがにお互いに手の内を知っている両チームだけあって、バックスリーの戻りを突くような展開が多くなった。後半になってハイパントがやたらに増えたのは、背後を狙う展開に持ち込む必然の結果だろう。
両チームとも、SOのキックが素晴らしかった。イングランドSOのオーウェン・ファレル、ウェールズSOのガレス・デイビスは、正確なキックで攻撃陣を指揮した。また両者はPGの精度も高く、お互いに一歩も譲らずPGを完璧に決めた。両SOのキックの精度によって、試合に「自陣で反則すると即3点を失う」という緊張感をもたらした。

しかし後半になって、展開の仕方の幅において、ウェールズのほうに分があった。
イングランドのディフェンスは詰めだが、最後まで詰め切るのではなく、ゲインラインまで一気に出たあとは待ち構える感じのディフェンスだった。人を潰すというよりは、スペースを潰すようなディフェンスの仕方だ。ウェールズのBK陣は外展開が多いため、詰めのディフェンスで外を余らせてしまうリスクを避けたのだろう。

ウェールズは、そのイングランドの守備の仕方に付け入る方法に攻撃の仕方を変えた。後半に入ってからのウェールズのBKは、ラインを深めにとり、ブラインドウイングやFBを積極的に攻撃参加させた。外展開を意識させ相手ディフェンスを引きつけ、キックで裏を狙う。アタックのラインが深いと、それだけキックに余裕が出る。ウェールズは深いラインとキックを有効に織り交ぜることで、うまく攻撃のリズムをつくった。

試合終盤、ウェールズはトライとコンバージョンを取り、とうとう同点に追いつく。このトライは、外展開からのキックパスによって、空いた背後のスペースに走り込んで取ったものだ。キックを使い、後半かけてじっくりイングランドのバックスリーを操り、最後の勝負でトライを取りきった。あのトライは単発の好プレーというよりも、それまでに周到に伏線を張り巡らせたウェールズの作戦によって、必然的に取ったトライだろう。

残り10分で試合をひっくり返されたイングランドは、土壇場で判断ミスを犯す。3点差を追うイングランドは、最後にペナルティーを得る。ここでイングランドはPGを狙わずラインアウトを選択し、トライで逆転勝ちを狙うほうを採った。ちょうど南アに逆転勝ちした日本代表と同じ状況だ。
ここでイングランドは、ラインアウトをノックオンするという痛恨のミスを犯す。時間切れになり、スクラムからボールを蹴り出され、ノーサイド。
これをイングランドの「判断ミス」と呼ぶのは酷だろう。現に日本代表はこれと同じ状況でトライを取ることに成功し、勝ったのだ。では賭けに成功した日本代表と、失敗したイングランドは、何が違かったのか。

一言で言うと、「焦り」だろう。日本代表は試合の主導権を南アにずっと握られ、最後の最後にチャンスを得た。そういう状況でも外展開ができるように周到にフィットネスを上げる訓練をし、あの一撃必殺のために4年の歳月をかけて備えていた。
一方のイングランドは、ずっとリードしていた試合を最後にひっくり返され、焦った状態で最後のラインアウトに臨んだ。フィットネスもウェールズに勝っていながら、なぜかリードされる、という展開だった。心情的には日本代表ではなく、相手の南アに近い心理状態だっただろう。

土壇場で勝負を分けるのは、迷いのない信念と、「その状況を事前に想定していたか」という準備の差だ。イングランドは後半途中までは自分たちのプラン通りに試合を進めていただろう。しかし、ウェールズの作戦によってゲームプランを徐々に崩され、最後は術中に嵌る形でミスをさせられた。
こうしたウェールズの試合運びは、例えば初戦でNZに善戦しながら最後に負けたアルゼンチンにはなかったポイントだろう。スクラムやFW戦を完全に取られながらも、BKまで含めたトータルな試合運びで、最後には勝つ、という戦い方だ。

イングランドもウェールズも、後に大一番となるオーストラリア戦を残している。状況はかなりウェールズに有利だが、怪我人が続出しているという弱点がある。このままウェールズが順当に勝ち進むのか、イングランドが踏みとどまるのか、まったく予想できない。両チームが必死になれば、オーストラリアが両国に連敗して予選落ち、という可能性も大いにあり得る。「死のグループ」にふさわしいもつれ方になってきた。



トライは両方とも外展開から。ワイドな球廻しは見てて楽しい。

NZ vs アルゼンチン ラグビーW杯2015

NZ-アルゼンチン



ラグビーW杯 プールC
ニュージーランド 26ー16 アルゼンチン


優勝候補No.1、連覇を狙うニュージーランドが登場。
前回大会から4年間で大躍進を遂げたアルゼンチンと、注目の一番となった。

アルゼンチンは前回の2011年大会終了後、NZ、オーストラリア、南アの対抗戦「トライネイションズ」に加盟し、毎年トップ3の国々と真剣勝負をする機会に恵まれた。
参加初年度は惨憺たる結果だったが、徐々に強化プランが功を奏し、去年とうとうオーストラリアと南アフリカから勝利をあげた。しかし、まだNZからはいまだに勝利がない。

試合は全般的に、「アルゼンチン、強くなったな」という印象。見事な試合だった。FWのフィットネスでNZにまったく引けを取らず、スクラムではむしろ押し勝った。NZのフロントローは幾度となくスクラムから剥がされ、非常に組みにくそうだった。ラインアウトも安定しており、確実にマイボールを確保する。密集ではNZのFW陣よりも早く立ち上がり、人数的には優勢に密集を支配していた。

FWの健闘が光るアルゼンチンだったが、BK陣も見事だった。特にハイパントはことごとくNZに競り勝った。今回のNZのスコッドには、前回大会のコーリー・ジェーンのようなハイボールキャッチャーがいない。アルゼンチンはSOニコラス・サンチェスがNZバックスリーの裏を狙う正確なキックでリズムを作った。出足の早いアルゼンチンBK陣のキック処理は、かなりNZを押し込めるのに効果的だったと思う。

一方のNZは、NZらしからぬ試合展開だった。BKラインは基本的にセンターを縦に突かせて、外に回さない。圧倒的なバックスリーの走力にものを言わせ、外展開でグラウンドを大きく使う、いつものNZの試合のしかたではない。
結果から見ると、これは最初からNZのゲームプランだったように見える。試合前半でアルゼンチンに縦攻撃を意識させ、相手FWのディフェンス力を消耗させる。BKの外展開を敢えて温存し、試合後半の最後の15分に溜めをつくる。

アルゼンチンは前回大会からの4年間で急激にFWが進化した。ここ4年間の試合でも、押し合いの勝負では南ア・オーストラリアと互角の勝負ができるまでになり、過去にはNZ相手にも前半終了時点でリードを奪う試合もあった。しかし、いつも後半のこり20分からNZの猛烈な逆襲を浴び、終わってみれば大差の敗戦、ということを繰り返していた。
アルゼンチンは、NZに対して、いままでとは試合の仕方を変えてくるよりも、いままでやってきたことを鍛え抜いて伸ばす方向で準備をしてきた。試合前半に限って言えば、それは成功したと言ってよいだろう。前半終了の時点では、13-12で、わずか1点の差ながらもリードして折り返している。

おそらく、そこまで含めて、NZのゲームプランだったのではないか。アルゼンチンはかなり自分たちのラグビーができていたが、それはNZによって戦術的に「させられていた」試合展開だったと思う。今回のNZは、いつもよりもFW陣の途中交代を早めに行っている。最初から消耗戦になることを想定した上で、体力を残した選手を惜しげも無く投入している。

試合後半、のこり15分を切ってから、いきなりNZは別チームに変わったかのように展開の仕方を変えてくる。それまで温存していたバックスリーをどんどん走らせ、外勝負でトライを連取した。それまでの削り合いですでに消耗していたアルゼンチンFW陣は、足が止まってしまい、NZの展開ラグビーについていけなくなった。後半終了間際には足をつった選手が多くグラウンドに倒れていたが、そのほとんどはアルゼンチンの選手だった。

試合全体を見てみると、あれだけアルゼンチンが押しまくっているように見えながら、NZは敵陣でのボール保持率が69%。一方のアルゼンチンは敵陣保持率が58%に留まっている。また最後の10分間、NZが試合のリズムを変えてからは、80%の割合でアルゼンチン陣で試合が進んでいる。攻撃で進んだ距離は、NZの543Mに対し、アルゼンチンは366M。ゲインラインを突破した回数も、NZの161回に比べて、アルゼンチンは116回。思ったほどアルゼンチンは優位に試合を進めてはいない。これはアルゼンチンが「ディフェンスとスクラムでは善戦したものの、トータルとしてはNZの戦術に嵌ってしまった」ということだと思う。フィットネスでは互角に戦えるまでになったが、「試合巧者」であるためには、まだまだアルゼンチンには勉強が必要だろう。

逆に言えば、今大会のアルゼンチンは、NZにそこまで「個別対策」をさせるほどのチームに成長した、ということだと思う。NZは明らかにアルゼンチンの傾向を研究し、「後半残り15分に弱い」という特徴につけ込む作戦をとってきた。初戦ということもあり、慎重にゲームに入った感じは否めない。
いままでのNZとアルゼンチンの実力差であれば、NZは作戦なしで自分たちのラグビーをしてきただろう。今回のように、アルゼンチンの意図通りに前半はFW戦の押し合いになったとしても、それでもFWで押し切る実力差があった。ところが今回は、アルゼンチンのプラン通りにFW戦を受けて立ち、アルゼンチンの予想外の奮闘により、押される展開になった。そこはNZの誤算だっただろう。

NZは試合前半では外展開を控えたため、経験値の少ない新戦力をバックスリーに抜擢している。そこでうまくはまればラッキーボーイが登場するチャンスでもあったが、僕の見るところ、今回のNZのバックスリーはいまいちだった。
特に、右WTBのミルナースカッダーは、及第点にはほど遠い。W杯前の代表経験はほとんどなく、わずか2キャップでW杯のスタメンに選ばれた若手だ。伸びのあるランニングには確かに伸びしろを感じるが、キック処理とハンドリングがまだまだ雑だ。ターンオーバーからのキック処理に難点があり、戻りが遅い。

特に悪かったのが、ライン際のキック処理だ。WTBのキック処理は、最初にラインの外に構えて、ライン内に飛び込みながらボールをキャッチするのが基本だ。ラグビーでは空中はライン外には含まれないので、ボールが空中でラインから出ていても、キャッチした後の着地がライン内であればインプレーになる。しかしミルナースカッダーは逆に、ラインの中から外に出ながらキックボールを捕球し、相手ボールラインアウトにしてしまっていた。後方へのキック処理が甘いところを突かれて、幾度となくアルゼンチンSOニコラス・サンチェスにハイパントを狙われている。
その他にも、トライ寸前でラストパスをノックオンするという「WTBが絶対にやってはいけないミス」を犯している。ミルナースカッダーにもっとプレイの確実性があれば、前半でもNZのFW陣はもっと楽な試合展開ができたのではないか。バックスリーの経験値の少なさが、今後NZのアキレス腱になる危険性がある。

劣勢だったNZのリズムを変えたのは、やはりハーフバックスだった。SHアーロン・スミス、SOダン・カーターの「世界最高のハーフバックス」は、いくらアルゼンチンに追いつめられた展開になっても慌てなかった。
前半終了直前に、FLリッチー・マコウ、CTBコンラッド・スミスのふたりをシンビンで欠き、NZはFWとBKのリーダー両方を欠く状態で戦う状況に追い込まれる。厳しい局面だったが、効果的に球を散らし、人数不足が不利にならないように配球を工夫していた。SHアーロン・スミスはリーダー不在のFWをうまく統率し、難しい時間帯を乗り切った。

試合後半に、NZハーフバックスの二人はゲーム展開をがらっと変え、FW同士のガチンコ勝負から、アルゼンチンの疲労のたまるFWと勢いに先走るBKのギャップをつく戦術に切り替えた。後半17分には、疲れの見えたアルゼンチンFWの一瞬の隙をついて、SHアーロン・スミスがトライを奪っている。アルゼンチンが本気でNZに勝つためには、ハーフバックスのふたりを絶対にフリーにしてはいけない。しかし結局は、そのふたりに試合展開をひっくり返された。

試合後半でNZが展開の仕方を変える際には、途中出場のソニービル・ウィリアムスが効いていた。通常のセオリーとは違う軌道のランニング、タックルされて死に体になっても片腕一本さえ活きていれば展開につなげられるオフロードパス、密集するFW陣を縦に切り裂く体幹の強さなど、豊富なアイデアと意外性があり、NZが息を吹き返すためのリズムを作った。堅実なプレーで正攻法に優れるノヌーに替えて、変則攻撃を得意とするソニービルを投入したということは、NZは最初から、展開の仕方を変える合図としてのソニービル投入を既定路線として準備していたのだと思う。
ソニービル・ウィリアムスは前回大会ではWTBとして途中出場したが、持ち味を活かしきれたとは言いがたい。やはりソニービルは、インサイドセンターとしてオフロードパスを駆使してこそ活きる。今回の試合は「ソニービルはこう使うんだ」という見本のような試合だったと思う。

結局アルゼンチンは、NZの試合運びの巧みさにしてやられた展開だった。FW戦を制し、相手を2人退場に追い込み、機動力で勝っていながらも、それでも試合には負けた。NZにしてみれば、思ったよりも手こずったのは確かだろうが、戸惑いながらも慌てることはなく、80分かけて冷静に試合を自分たちのペースに引き込んだ。

アルゼンチンの試合運びは、決して間違ってはいなかったと思う。破壊的な攻撃力を誇るNZに勝つためには、今回の試合のように忍耐強くディフェンスを徹底し、FWが密集戦の主導権を握り、ロースコアの勝負に持ち込むのが王道だ。2007年大会には、同じ戦術でフランスがNZに番狂わせの勝利を挙げている。フランスとアルゼンチンの差は、その戦術を80分継続するだけのスタミナと、「あと1手」の決め手になるBK陣の攻撃オプションの幅だろう。

今回の大会の傾向として、トップの国々と、中堅国の実力差が縮まっている。ラグビーは15人と人数が多いため、実力差が結果に反映されやすく、番狂わせが起きにくい。突出したひとりのタレントに、勝負の比重がかかりにくい。個々のフィットネス以外に、チーム戦術としての熟練度が勝敗を分けることがある。
今回のアルゼンチンのように、強豪国を追いつめる試合は今後も増えるだろう。そういう国が強豪国に勝ちきるためには、フィットネス以外にも、「試合をどのように進めるか」というゲームプランとその理解度が、差を分けるだろう。



僕もWTBだったので見る目が厳しいんです。

日本 vs 南アフリカ ラグビーW杯2015

日本代表南アに勝つ


ラグビーW杯 プールB
日本 34ー32 南アフリカ


ラグビー史上最大の番狂わせが起きた。プールBの緒戦、優勝候補の南アフリカと、アメリカと共に「2弱」と見られていた日本との対決で、日本が後半終了後ロスタイムに逆転トライを決め、勝利した。

日本は過去7回のワールドカップで、通算成績が1勝2分け21敗。唯一の1勝は、1991年の第2回大会でジンバブエから挙げたものだ。第3回大会では、大幅にメンバーを落としたNZ相手に145-17という悪夢のような大差をつけられ、「アジア枠は本当に必要なのか」という議論にまで発展した。この時のスコアは今もってワールドカップ史上、最多得点差の記録になっている。
そんな日本代表が、優勝候補の一角である南アフリカに、粘って粘って最後に大逆転。大金星を挙げた。


このような結果となった要因を分析すると、日本の勝因は「ディフェンス」、南アフリカの敗因は「ゲームプラン」だろう。


なにせ日本はタックルが強かった。いままでのワールドカップの試合で、相手チームに面白いように破られていたディフェンスラインが、まったく下がらない。ひとりに対して、必ずひとりが止める。

ラグビーのラインディフェンスには、「詰め」と「ドリフト」の2種類がある。詰めのディフェンスでは、ダッシュで相手との距離を一気に詰め、内側から順番に一人一殺で止める。ドリフトのディフェンスでは、あまり距離を詰めず待ち構えて、相手がパスしたらそれに合わせてマークを外にずらしていく。詰めのディフェンスは相手にプレッシャーをかけられるが、体力の消耗が激しく、ひとりがタックルをかわされたらピンチになる。一方ドリフトのディフェンスは、抜かれる危険は少ないものの、相手をある程度フリーにしてしまい確実に陣地を稼がれてしまうリスクがある。

今回の日本のディフェンスは、最後まで強気の「詰め」を押し通した。それはつまり、個々のタックル技術にある程度の自信をもっていた、ということだ。事実、日本のタックルは南アの攻撃をことごとく食い止め、6次や7次の攻撃に至っても崩れることがなかった。
ラグビーではボールを前に投げられないため、詰めのタックルが成功すれば、「ディフェンスなのに陣地を稼ぐ」ということが可能になる。今回の南アは、日本の出足の鋭いタックルにポイントを下げられ、攻撃側でありながらじりじりと後退する、ということを繰り返した。
日本のタックルは、とにかく低い。体の芯を当てて強引に止めるような消耗のはげしいタックルではなく、低く足首を刈るようなタックルで南アの攻撃陣を止めまくった。身長で勝る大柄な南アの選手は、日本の低いタックルにかなり苦しんだはずだ。

日本のあげた34点のうち、15点はペナルティーゴールだった。ということは、南アはそれだけ自陣で反則を繰り返していたことになる。日本に攻め込まれたときの密集戦とタックルは、明らかに日本のフィットネスのほうが勝っていた。「こんなはずではない」と焦った南アは我慢比べに負け、反則を繰り返した。後半終了間際にはPRウーストハイゼンがシンビンで退場になっている。スクラムの前列を欠いた南アは、ラストプレイのスクラムの際、選手を入れ替えなければならなくなった。そうした焦りが焦りを呼び、最後の逆転劇へとつながった。

他にも日本は、細かいところだが個々の技術が上がっている。タックルの他にはハンドリングだろう。今回の試合では、日本のハンドリングエラーがほとんど見られなかった。味方ノックオンからの相手ボールスクラムが、ほとんどない。
後半29分のFB五郎丸のトライは、ラインアウトからのサインプレーだったが、ああいうBKからの展開から鮮やかにトライを取る、というのは従来の日本代表にはなかった攻め方だ。疲労度が増す後半では、ハンドリングの精度も落ちるため、なかなか長いパスで外に展開する攻撃はやりにくい。そんな状況でも、日本代表は迷わず外を使う攻撃を展開し、1次攻撃の1発で決めた。

他にもスクラム、ラインアウト、キックの精度ともに、日本代表は見事だった。特にスクラムでは世界最強レベルの南アの前列3人に対し、全く引けを取らずマイボールを確実にキープした。「世界で最も厳しい練習を積んだチーム」というエディ・ジョーンズ ヘッドコーチの言葉が、本当であったことを世界に示した。

一方の南アフリカは、明らかに日本をなめていた。それが如実に表れていたのが、大事な初戦のSOに、第三SOのパトリック・ランビーを使ってきたことだろう。ランビーはキックの精度こそ高いが、陣地によって戦術を使い分ける展開力に欠ける。判断力も鈍く、展開に迷った挙句、日本のバックロー陣に幾度となくタックルで止められた。南アは後半18分にSOをハンドレ・ポラードに交代したが、残り20分という時間は、ゲームプランを立て直すには遅すぎただろう。

80分という時間は消耗戦なので、展開の具合と陣地によって、キックとパス回しを切り替えなくてはならない。ランビーは、どんな時間帯でも、どんな陣地でも、同じようなプレーを選択していたように見える。南アにとっては、若手であるランビーに経験値を積ませ、決勝トーナメント以降での大事な試合に備える手を打ったのだろうが、それが裏目に出た形だ。ゲームプランの組み立て方で言えば、日本のハーフバックスの田中史朗と小野晃征のほうが圧倒的に勝っていた。

日本代表は、過去の試合結果に苛まされることなく、強豪・南アにビビることなく、強気で試合を進めた。試合を決める最後のプレイでは、日本はゴール付近でペナルティーを得ている。そこでペナルティーゴールを決めていれば、確実に32-32の同点にできたはずだ。しかし日本代表はスクラムを選択し、トライをとって逆転することにこだわった。引き分けでは満足しない、相手が南アであろうと本気で勝ちにいく、そんな迷いのない選択だった。そして、その選択を裏打ちするだけのスクラムを組んでみせた。心・技・体が充実した、いい状態にチームが仕上がっている。

日本の次の対戦相手は、スコットランド。近年調子を落としているとはいえ、決して与し易い相手ではない。前回大会こそ逃したものの、毎回決勝トーナメント進出を決めている勝負強いチームだ。今回のスコットランドは伝統的なFW戦よりも、足の速いBKを走らせる展開ラグビーのチームに生まれ変わっている。日本代表は、南ア戦よりもバックスリーの役割が大きくなるだろう。南ア戦で24得点を挙げ絶好調のFB五郎丸、アタックとディフェンスの中核になる松島幸太朗など、日本のバックスリーも負けてはいない。スコットランドは決勝トーナメント進出のための大一番をサモア戦と想定していると思うが、日本が南アにまさかの勝利を挙げたことで、チームマネジメントを変更してくるだろう。本気のスコットランドに勝てれば、日本代表の力は本物であることが証明できる。



最後の逆転トライは鳥肌が立ちましたね。

大人の遠足

世の中はシルバーウィークですね。
涼しくなってきたこの時期に5連休なんて、今年はいい季節に連休です。

さて連休初日、いままでの大雨が嘘のようにいいお天気になりまして。
でも僕の場合、嫁さんが休日返上で仕事なので、ここはひとつ独りで遠足と洒落込むことにしました。


東急電鉄


東急電鉄は、おトクな切符として、東急電鉄すべての路線が乗り放題の「東急ワンデーオープンチケット」というものを販売しています。
値段は660円。これで一日中、東急線全線が乗り放題です。
さっそく、最寄りの駅でチケットを買い、東急線に乗りまくる旅に出ることにしました。



駅

一日でこれ全部に行ってきました。



まぁ、嫁さんがいない時しかこんな旅はできませんからね。
なんですな、女というものは電車を移動の手段としか考えていないところがあるようですな。電車に乗るという行為そのもの、駅という出会いと別れの場、車両系統の栄枯盛衰に思いを馳せる侘び寂びの心が足りないのでしょうな。
そんなわけで、嫁さんが仕事の時こそこういう旅に出るのです。男のロマンは独りで追うものであります。

僕も通勤で東急線を使っているので、いくつかの駅はすでにお馴染みです。
しかしこういう休日は、普段、ふつうに通過している駅にちょっと立ち寄ってみることで、非日常感を楽しむのであります。
旅というのは、別にどこか遠くに行かなくたって、できるものなんです。いつも寄らない駅でぶらっと降りてみれば、そこには自分の知らない世界が、脈々と日常を紡いでいるもんです。旅の神髄は己の心の中にあり。それこそが旅の極意と言えましょう。
僕も、いつもは降りないような駅で降り、街をぶらぶら歩いてみました。


沼部駅(東急多摩川線)
多摩川駅から多摩川線でひとつ下りた駅です。多摩川線は3両ほどの小さな車両が走るため、駅もこじんまりと小さめです。
沼部駅はそれほど乗降客の多い駅ではありませんが、2000年にいきなり有名になりました。福山雅治の名曲『桜坂』のモデルになった坂があります。


さくらざか

花はそっと咲くーのにー ふーいぇい



蒲田駅(東急多摩川線、東急池上線)
僕の電車好きの傾向のひとつとして、「ターミナル萌え」があります。とにかくターミナル構造の駅が大好きであります。電車がそこで行き止まり、という終点感がなんともいえません。ですので僕に言わせれば、東急東横線が東京メトロ副都心線と相互乗り入れなどという愚挙を犯した時点で、渋谷駅なんぞに用は無いのであります。
東急線は単独路線が多いので、 ターミナル駅がたくさんあります。それこそが東急線を乗り継ぐ旅の醍醐味と言えましょう。
蒲田駅は、多摩川線と池上線の終着駅という、堂々とした複線ターミナル駅です。関西の雄、阪急梅田駅(京都本線、宝塚本線、神戸本線)に匹敵する関東のターミナル駅は、もはや蒲田駅をおいて他にはありますまい。


かまたえき2

この構造だけでごはん3杯くらいおかわりできます。


 
洗足池駅(東急池上線)
池上線、好きなんですよね。池上線沿線は、レトロでノスタルジックな街並みが多いです。もともと池上線は東急線ではなく、池上電気鉄道の路線でした。それをのちに東急電鉄が買収したものです。そのためか、池上線は路線の作り方が他の東急各路線と異なる作りになっています。
知らない方に教えておきますと、池上線に乗るときは、西島三重子の名曲『池上線』を魂で熱唱するのが作法です。

いけがみせん

中原街道と平行して走っています。 


 
洗足池

洗足池。都内とは思えないほどのんびりした所です。


 
かめさん

のんびりとひなたぼっこしていらっしゃる



五反田駅(東急池上線)
池上線のもう片一方のターミナルです。ターミナルとはいっても、1面2線式の小さなプラットフォームです。こじんまりしていますが、池上線の始点として利用頻度の高い駅です。
東急線五反田駅の特徴は、ホームが地上4階にあるということでしょう。外国人の方々は、ビルの中からいきなり電車が出てくる景色にびっくりするようです。地下鉄銀座線の渋谷駅と並んで、海外のTOKYOガイドブックにはよく掲載されている、日本人のほうが却って知らない穴場観光地です。僕が駅の周りをうろうろ歩き回ってた時も、外国人の方が珍しそうに写真を撮っていました。

ごたんだ1

ビバ・ターミナル。


ごたんだ2
 
地上だけ見てると駅の入り口が分からないようです。



大井町駅(東急大井町線)
大井町線は、東急電鉄には珍しい、南北方向に走る「タテ路線」。品川、大田、目黒、世田谷という人気住宅地を走る路線だけあって、駅もオシャレな感じのが多いです。
大井町駅はその始点となる駅で、1面2線ながらも幅の広いプラットフォームで、五反田駅とは雰囲気がかなり違います。

大井町駅

いいターミナルっぷりだ。
 


宮崎台駅(東急田園都市線)
殺人的な混雑率を誇る田園都市線の真ん中あたりにある駅。鉄道ファンにはお馴染みの駅です。駅に隣接して、「電車とバスの博物館」が併設されています。東急電鉄の電車とバスに関する展示がいっぱいあり、シルバーウィークということもあり家族連れでに賑わっていました。

はくぶつかん1

入場には切符を買って、自動改札を通ります。凝ってる。



はくぶつかん2

バスの行き先表示を操作できるシュミレーター



はくぶつかん3

電車の操縦をさせてくれるシュミレーター。むしろ子供はいない。


 
こどもの国駅(東急こどもの国線)
誰もが一度は「なんじゃこりゃ」と呟くであろう「例の駅」です。関東広域圏で「塔のへつり」「天空橋」と並んで、「三大なんじゃこりゃ駅」に指定されています。指定したのは僕ですが。
東急田園都市線の長津田駅から伸びる、いわゆる盲腸線の終着駅です。当然、ターミナル駅です。駅は1面1線という極めてシンプルな構造をしています。
駅周辺には、そのまんま「こどもの国」というレジャーランドがありますが、それ以外にも普通に住宅地が並び、通勤・通学で日常的に使っている人が意外に多い駅です。なので大人が使ってもよい駅です。


こどものくに

ついにこの駅に降り立つ僥倖に恵まれるとは。



こどものくに2

電車もなんとなくかわいいデザイン。
 


中央林間駅(東急田園都市線)
田園都市線の最終着駅。みなとみらい線の元町・中華街駅と並んで、東急電鉄が誇る「ラスボス」感たっぷりの駅です。場所は神奈川県大和市にありますが、田園都市線は東京メトロ半蔵門線、東武伊勢崎線と直通運転をしていますので、この反対側の果ては埼玉県の久喜になります。半端なJR線よりも運行距離が長いです。
田園都市線はこれ以上の直通運転を行っておらず行き止まりなので、中央林間はターミナル駅になっています。しかし改札口が高架式になっているため、ターミナルの行き止まり方向にズラーっと横に並んだ改札口がありません。その点、ターミナル専門家としては、いまいち情緒に欠けるきらいのある駅と評さざるを得ません。


ちゅうおうりんかん

ただの行き止まり。


ちゅうおうりんかん2

ホームが地下にあって開放感がないのもマイナス要因かな。



三軒茶屋駅(東急世田谷線)
世田谷線は不思議な路線で、ほとんどの駅が2面2線のローカル色豊かな駅を配しています。高級住宅地を走る路線でありながら、車両は2両だけ。無造作に街中を突っ切って走る、市電のような雰囲気を醸し出しています。車両の幅も狭く、そのため座席が1人ずつ進行方向を向いている、バスのような座席になっています。改札も特殊で、自動改札がなく、駅から出る時は切符を箱に入れて出る、という有様です。僕が使っていたフリーパスは、駅員に見せただけで入れました。
 三軒茶屋駅は田園都市線の駅でもありますが、同じ東急電鉄でありながら、田園都市線と世田谷線は乗り換えができません。双方の駅は位置がかなり離れており、一旦改札を出ないと乗り換えできない作りになっています。
世田谷線の三軒茶屋駅は、僕が個人的に関東近県の駅でNo.1に推したい雰囲気を持つ駅です。ホームが短く、レトロな造りが雰囲気満載です。当然、ターミナル駅です。三軒茶屋という人口密集地でありながら、ホームはなんと2面1線という単線構造。線路は1本しかなく、乗るホームと下りるホームが違います。

 
さんげんじゃや

何とも言えず雰囲気のある駅。



下高井戸駅(東急世田谷線)
世田谷線の終着駅です。ターミナル構造をしており、三軒茶屋と同じく2面1線の単線構造をしています。下高井戸は、東急世田谷線と京王線のホームが隣接しています。わずか2両の世田谷線に比べ、京王線は多両路線ですので、どちらかというとデカい面した京王線と、ひっそり佇んでいる世田谷線、という並びになっています。
しかし、ターミナルであることと、2面1線という首都圏らしからぬ慎ましやかな構造からして、趣という面では世田谷線の方に圧倒的な軍配が上がると言えましょう。 京王線の下高井戸駅なんてものは、ただの駅です。

 
しもたかいど

珍しい2面1線構造


しもたかいど2

この最果て感に勝てるか。


 

ウキウキして嫁に報告したら案の定なんの反応もありませぬ。

大雨大災害からの教訓

備えの意識高めたい豪雨災害
(2015年9月9日 日本経済新聞社説)
豪雨災害 命を守る機敏な対応を
(2015年9月12日 朝日新聞社説)
堤防決壊 避難のあり方再検討を
(2015年9月12日 毎日新聞社説)
東日本豪雨 政府を挙げて救援と復旧急げ
(2015年9月13日 読売新聞社説)
災害と個人情報 保護法の弊害が混乱招く
(2015年9月17日 産経新聞社説)


記録的な大雨に見舞われ、東日本を中心に大雨洪水の被害が相次いだ。茨城県常総市の鬼怒川や宮城県の渋井川で堤防が決壊し、住宅や農作地に甚大な被害が生じた。室戸台風、枕崎台風、伊勢湾台風のような過去の台風被害とは異なり、暴風雨を伴うものではなく、純粋に降り続く雨が原因だった。今回の豪雨被害を「台風被害」と認識している人は、あまりいないのではないか。

今回の豪雨災害について論じている各紙の社説を採点してみよう。
まず、普通の自然災害とは異なり、今回の集中豪雨に関しては、各紙が社説で論じる日付が異なるのが特徴だ。最も掲載が早いのは、9月9日に社説を載せた日本経済新聞。茨城県に大雨特別警報が出たのは10日午前7時だから、日経は気象庁による警報よりも早くにこの大災害を「予知」していたことになる。次いで、12日には朝日と毎日、13日には読売、遅れて17日には産経新聞が社説を載せている。

新聞は、起こったことを迅速に報じることも使命だろうが、事前の問題意識によって「これから起こること」について警鐘を鳴らすことも役割のひとつだろう。優秀な記者は、目のつけどころが先を向いている。今回の災害も、9月9日の時点で東北地方に早くも水害の兆しは見えていた。しかし、これを「いつもと同じ、ちょっと大雨が降っただけ」と見るか、「これはもしかしたら数十年に1度の大災害ではないか」と見るか、その違いを嗅ぎ分ける嗅覚は新聞社に不可欠なものだろう。

災害から逃れる第一歩は、災害をきちんと災害として認識することだ。大災害から生還した人の話を聞くと、災害に巻き込まれて死ぬ人というのは、まさか自分が「数十年に1度の大災害に巻き込まれている」とは思わず、「今、いつもの日常とは違う特殊状況に巻き込まれている」という危機感が希薄なのだそうだ。人は、自分をとりまく環境を「いつもと同じもの」と思いたがる。だから、普段の生活とは違う行動をとることに抵抗感がある。その結果、避難が遅れて死ぬ。

今回の初動報道を比べると、日経だけが「これはいつもの長雨とは違うぞ」という危機意識をいち早く持っている。その点、報道の早さからして日経が一歩抜きん出ているだろう。


他の社説はどうだろうか。
日経より一歩遅れて大雨災害を論じた社説は、後発な分、日経が果たした「先を読む論説」とは違う付加価値を社説にのせなければならない。今回の大災害を一般化せず、あくまで「今回の大雨災害そのものから得られる教訓は何か」に焦点を充てなければならない。一番価値のない社説は、どの災害でも成り立つような当たり障りのない玉虫色の主張を行儀よく並べる記事だろう。つまり

(1) 政府は被災者の保護を迅速に行うべきだ。
(2) 一般市民は被災した時の心構えをもつべきだ。
(3) こうした災害が続発しないように対策を。

こんな内容を並べても、なんの役にも立たない。これらの内容で社説を構成している記事は、軒並み、無価値と断じて良かろう。当たり前すぎて、中学生にでも書ける。
後発の新聞社説が載せるべきなのは、今回の豪雨災害を、他の多くの災害と区別して覚えておかねばならない要因は何か、を指摘することだろう。

その点で、9月17日の産経新聞が興味深い社説を載せている。
9月17日というと、9日の日経社説よりも1週間以上遅れた記事になる。ところが、産経社説は日経社説とは内容の種類が異なる。記事が遅れていることがマイナスになっていない。

産経社説は、今回の大雨災害の全体を論じるのではなく、茨城県常総市の例を取り上げ、ピンポイントに焦点を絞っている。常総市では大雨災害で15人が行方不明者とされたが、その人数と状況に関する市の発表が迷走を極めた。発表によって「連絡がとれない人」「行方不明者」などと呼び方がころころ変わり、しかも個人名を発表しない、という意味のない発表だった。災害発表の役に立っていない。  

常総市が行方不明者の個人名を公表しなかったのは、市側が個人情報保護法に過剰にビビったせいだ。産経新聞の記事にもある通り、個人情報保護法23条では「生命、身体または財産の保護のために必要な場合」として例外規定を設け、急病や火災、天災など緊急に情報提供が必要な場合は、例外的に本人同意を得ずに個人データを提供できる、と定めている。常総市の担当職員は、この緊急特例を適用していない。災害担当者としては不適格な、無能な担当者だったことが想像できる。

常総市は、決して市民の安全を第一に行動したのではあるまい。人命に関わる大災害よりも、個人情報保護法のほうを優先した、ということは、市民の命よりも、「下手にクレームをつけられたくない」というお役所気質の方を優先した、ということだ。そういう常総市のいいかげんな姿勢が、現場で救助活動を行う作業員の混乱を招いたことは想像に難くない。

また、常総市の行方不明15人の中には、実在しない人物が混ざっていた。災害の混乱に乗じた虚偽情報だ。故意ではなかったのか愉快犯なのかは分かっていない。また15人のうちのひとりは、すでに避難所に避難した後で、自分が行方不明者として捜索されていることを知らなかった。

こういう混乱は、常総市がしっかり情報を公開していれば、起こらなかったはずだ。ことが急を要する場合、個人情報の保護よりも命の保護のほうが先のはずだ。なのに常総市の高杉徹市長は15日の会見で、「個人の人格を尊重する」と胸を張り、氏名公表見送りの理由を述べた。言葉を返すと、「人の命など、どうでもいい」という宣言に他ならない。緊急時における、「個人情報にまつわる人格保護」と「人の命」の、優先順位を取り違えた暴言といってよい。

常総市の高杉徹市長が、このような本末転倒な態度をとった理由は、その前にひとつミスを犯してしまい、冷静な判断力を失ったからだと思う。15日の会見に先立つ2日前、高杉徹市長は、甚大な被害が出た同市三坂町・上三坂地区の住民に堤防の決壊前に避難指示を出さなかったことについてミスだったと認め、「そこが決壊するとは思っていなかった。大変申し訳なかった」と謝罪している。上三坂地区を含む鬼怒川東部地区に避難指示を出したのは、すでに堤防が決壊した後だった。これでは、避難指示の用を成していない。
それに対して非難の声がすでに上がっていたのだろう。それに萎縮してしまい、「行方不明者の個人名を出す」という行為にためらいがあったのではないか。明らかに判断ミスだが、判断ミスには必ずその背景と理由がある。こうした事例をきちんと報じて後世に残し、二度と生じないよう備える必要があるだろう。

自然災害は、どのみち完全には防げない。災害による犠牲者の数を前にすると一般市民は冷静さを失うが、災害の犠牲者の中には「どうしようもない天災の惨禍」と「人の過失による二次災害」がある。その両者をきちんと区分けて、後者の撲滅を計るのが災害に対する心構えだろう。今回の常総市の一件は、明らかに人災だ。それをきちんと指摘し、今回の大雨災害から得られる教訓として掲載した、産経新聞の社説は天晴だろう。


現在、憲法改正やら安保法案改訂やら、国会周辺ではデモもどきを行っている人が騒がしい。しかし真の法治国家のあり方というのは、「法律そのものがどのようなものであるか」よりも、「国民の側がその法をきちんと運用できるかどうか」のほうに社会のあり方が懸かっているものだ。僕は少なくとも、いま国会周辺でデモを行っている人たちに、改訂法を適切に運用する能力があるようには見えない。法を改訂することが最終目的と化し、そのためには手段を選ばない。その先にある「法の運用」については、たいしたことを言っていない。
今回の常総市の例も、市民の権利を守るための個人情報保護法によって、逆に市民の命の安全が脅かされている。こういうのを本末転倒というのだろう。行政を司る側が「法の運用」を誤ると、大災害が大惨劇になる、という警告を含んでいる。新聞社説というものは、そういう危険性こそを指摘するべきだろう。



危機状況に弱い人というのは、普段の人格とは関係なく存在する。
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ペンギン命

takutsubu

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