たくろふのつぶやき

お出かけの時には保冷剤を持つのだ

2015年08月

又吉直樹『火花』

今年の年末のクイズ番組には「今年の芥川賞受賞者は、又吉直樹ともうひとり誰でしょうー?」が定番になりそうな気がする。


火花


この夏休みは、どこの書店でも、ようやく重版を刷った『火花』(又吉直樹)が山のように積んでありますな。
値段は1200円。高いと見るか安いと見るかは人それぞれだろうが、大方の人は「ブックオフに出回るのを待って半額くらいで買おう」という程度の距離感ではないか。

ちなみに、芥川賞受賞を報じた「文藝春秋」2015年9月号には、芥川賞受賞作の『火花』(又吉直樹)と、『スクラップ・アンド・ビルド』(羽田圭介)両方の全文が載っている。それで値段は970円。
「内容だけ読めばいい」という向きには、単行本を買うよりも文藝春秋を買うほうが断然お得だろう。『火花』同様、この月の文藝春秋も、話題性による驚異的な売り上げを記録して重版されている。


文藝春秋

両方載ってる。 


如何様に話題になっている『火花』を、実際に読んでみた。
作品の出来としては、まぁ、「普通」。作品そのものには優れたところも足りないところもある。
作品の「中」と「外」に分けて、私見を述べてみよう。

まず作品の「中」から評すると、「書きたい世界は自分の中で膨らんでいるのだろうが、まだ書く技術がそれに伴っていないのだろうな」という印象を受ける。
前者を「内容」、後者を「文章力」とすると、内容としては平均点、文章力としては平均以下だと思う。

内容については、一般的にはあまり知られていない若手芸人の売れない時期の葛藤と苦悩を、よく描いてある。
主人公の徳永は、売れない若手芸人。花火大会のイベント出演の際、先輩芸人の神谷と知り合い、その自分なりの哲学を固めたような姿勢に心酔して、勝手に弟子入りする。神谷だって売れない芸人には違いないのだから、訳分かったような能書きをいくら垂れようが、実践と結果が伴っていない。神谷は「知ったようなことを言う、訳知り顔の先輩」に過ぎない。おそらくお笑いの世界には、こういう「売れない牢名主」のような年嵩の芸人が、よくいるのだろう。この作品で、作者の又吉直樹が「芸人」として本当に描きたかったのは、主人公の徳永ではなく、神谷のほうだろう。

内容としては、私小説だろう。特定の出来事や事件を焦点にしているのではなく、ひとの眼を通してその世界観と成長を描いている。だから解くべき問題があるわけではなく、大団円の解決があるわけではない。
私小説は、事件を追うものではなく、漫然とした日常を描き出すものだから、ラストシーンの設定が難しい。特に盛り上がりもない出来事に、どうやって場面の設定を行うのか。作品論の定番としては、私小説は出来事や事件などの外的要因をラストにもってくることが難しいので、主人公の心情の劇的な変化をもってラストシーンにすることが多い。

この『火花』という作品は、それに成功しているとは言いがたい。訳知りの先輩に私淑する若手芸人が、最後のシーンで感じる心情変化としては、「それまで輝いていたように見えた先輩が急速に堕していくように見え、その先輩に見切りをつける」くらいのことしかあるまい。その結末は、この作品を半分も読まないうちに簡単に見えてくる。そして、実際にその通りの内容になっている。

ところが、そのラストの場面は突然として現れたように感じる。あらかじめ張った伏線もその回収もない。神谷は、後輩の徳永と飲みに行くときには必ず奢るが、そういう見栄がたたって借金が膨らみ、逃走する。自己破産して再び徳永の前に姿を表した神谷は、なんと豊胸手術をして女性のような体になっている。理由は「ウケると思ったから。これでテレビに出れると思って」。徳永は呆れて、「三十代の巨乳のおっさん誰が笑うねん」と突き放す。

自分が偉そうに話していた芸事談義によって自縄自縛になり、するべき努力の方向性がどんどんずれていき、見当違いの方向に進んでいく危険性は、売れない芸人にはよくあることなのだろう。また実際に芸人の世界では、先輩を芸事で追い抜き、それまで尊敬していた先輩を急に醒めた眼でしか見られなくなることも、あると思う。そういう世界にしか身を置いたことのない者だけが感じるマイナス感情を、描き切って余りある。

しかし僕の見るところ、そこらへんの焦燥感と喪失感を「浮き出るように」描いているようには感じられなかった。なんというか、最後の、神谷の暴走と徳永の興醒めが、唐突に感じる。これは内容というよりも、書き方の問題だろう。うまく場面を配して導入に気を配れば、同じシーンがもっと効果的に使えたと思う。

ラストシーンで、神谷と徳永は、最初にふたりが出会った熱海の花火大会に出かける。このシーンは、はっきりいって蛇足だろう。最後に神谷が支離滅裂のまま終わったのでは作品に統一感がないため、最初と最後のシーンを合わせることで、作品全体のバランスを調整したのだと思う。しかし、そういう形式上のこと以外、最後の花火大会のシーンに重みと必要性を感じられない。

同様の所見は、芥川賞選出委員の高樹のぶ子も触れている。

破天荒で世界をひっくり返す言葉で支えられた神谷の魅力が、後半、言葉とは無縁の豊胸手術に堕し、それと共に本作の魅力も萎んだせいだ。火花は途中で消えた。作者は終わり方が分からなかったのではないか。
(「文藝春秋」2015年9月号 受賞委員所見)

おおむね、僕もこの見方に賛成だ。芸人としてもすでに第一線で活躍している作者が、描きやすい世界として芸人の世界のことを書いたのはいいが、それ故に私小説という最後のまとめ方が難しいジャンルに手を出してしまい、その処理に失敗した、と見える。

作品の「中」の要素のもうひとつ、「文章力」に関しても、未熟さが伺える箇所が多かった。
一般的に、ひとつの文が長過ぎてはいけない。内容のまとまりがつかずに、読者の脳内処理が追いつかない。文章論で「冗長さ」と呼ばれる欠点だ。ましてや、長過ぎる文に逆説の接続詞が複数含まれ、論理的に破綻している文章など論外だ。
この作品の冒頭の場面で、さっそく「長過ぎる文」が出てくる。

祭りのお囃子が常軌を逸するほど激しくて、僕たちの声を正確に切り取れるのは、おそらくマイクを中心に半径一メートルくらいだろうから、僕たちは最低でも三秒に一度の間隔で面白いことを言い続けなければ、ただ何かを話しているだけの二人になってしまうのだけど、三秒に一度の間隔で無理に面白いことを言おうとすると、面白くない人と思われる危険が高すぎるので、あえて無謀な勝負はせず、あからさまに不本意であるという表情を浮かべながら与えられた持ち時間をやり過ごそうとしていた。

これで一文である。長過ぎる。
これ以降の本文ではここまで長い文は出てこないし、さすがにここまで長いと、これは意図的につなげた文なのだろう。だが、その必然性が見えない。文章の中には、語り手のだれきった気分を表すために、意図的に長くつなげた文を書くことがある。しかしこの場面では区切りよくテンポよく、花火大会の喧噪に紛れて喋り続ける場面だ。冗長さを出して良い場面ではあるまい。

句点の使い方も雑だ。句点とは、勘や感覚で「なんとなく」入れてよいものではない。読者が文を読む際に内容をすっきりと頭に入れやすいように、補助的に打つものだ。もともと古典の日本語には句読点など無かった。僕は本編を読んで、句点のつなぎ方が気になって、読む眼が止まったことが何度かあった。文章を読む流れが、句点のせいで止まる。おそらく、書いたあとに「読者目線」での推敲を入れていないのではないか。

悪いところばかりではない。さすが本職の芸人だけあって、舞台から客席を見る目線での心情描写には特筆すべきものがある。
白眉は、主人公が最後の舞台にあがる場面だろう。学生時代からずっと組んでいた相方が、結婚して子供が生まれ、芸人を引退することになる。主人公は「その相方としかお笑いはできない」と感じており、コンビの解散とともに自分も引退を決意する。その最後の舞台となる事務所のお笑いライブでは、解散公演という噂を聞きつけて、いつもより多くのファンが駆けつける。

僕を嫌いな人達、笑わせてあげられなくて、ごめんなさい。

この小さな劇場では毎日のように、お笑いライブが開催されてきた。劇場の歴史分の笑い声が、この薄汚れた壁には吸収されていて、お客さんが笑うと、壁も一緒になって笑うのだ。

漫才だけで食べて行ける環境を作れなかったことを、誰かのせいにするつもりはない。ましてや、時代のせいにするつもりなど更々ない。世間からすれば、僕たちは二流芸人にすらなれなかったかもしれない。だが、もしも「俺の方が面白い」とのたまう人がいるのなら、一度で良いから舞台に上がってみてほしいと思った。「やってみろ」なんて偉そうな気持ちなどみじんも無い。世界の景色が一変することを体感してほしいのだ。自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。


現役のお笑い芸人だけあって、こういう舞台から迸るような言葉には、切れがある。引用や焼き直しではない、血の通った言葉として、読者に届く熱さがある。そういう文章を読むと、作者の「描きたい」という情熱と、才能の一片を感じる。
また技術的にも、このシーンには工夫がある。感情が高ぶって漫才が支離滅裂になりながら、舞台で喋る台詞と登場人物の心中描写が交互に入れ替わり、場面の高揚感をうまく表現している。

しかし、お笑いの場面で炸裂する切れのある文章力が、はたしてお笑い以外の場面でも発揮できるだろうか。自分の知らない世界を描くときに、このような文章が書けるだろうか。
またプロの作家は、特定の場面や特定の情景描写が得意なだけでは務まらない。作品全体の整合性、全体のバランス、内容の起伏、読後感など、様々な文章能力が総合的に身に付いていなければならない。その点で、優れたところと足りないところが顕著になっている作品だと感じた。野球に例えれば、「ストレートの速球は豪快に打てるが、変化球は打てず守備も下手な選手」という印象だ。

作品の「外」から論じてみると、まず芥川賞受賞作ということから考える必要があろう。
芥川賞は、いまでこそ年の話題の一角を担う大賞となっているが、もともとは新人賞だ。だから上に述べた種々の欠点は、芥川賞受賞に対する要素としては、瑣末なものでしかない。「こういう欠点があるから、芥川賞には不適である」という批判は、妥当ではないだろう。

新人であれば、技術が未熟なのも書き方が粗いのも、仕方がない。芥川賞は「完成度の高い作品」に与えられるものではなく、「この作者の作品をもっと読んでみたい」という、沸々と涌き上がる創作エネルギーを感じられる作品に与えられるべきものだと思う。芥川自身が、晩年に至るまで、自身の作品スタイルを確立し得ないまま夭折した。芥川の作品のうち、単品での完成度が高いのは、むしろ初期の作品だ。

しかし個人的に、作者の又吉直樹が、この次の作品を書き上げるのは、難しいのではないかという気がする。少なくとも、芥川賞受賞に見合うだけの期待に応えるのは、かなり難しかろう。
芥川の作品の特徴は、その衒学趣味にある。「どこからこんな話題を探してきたのだろう」という、扱うテーマの幅の広さにある。芥川自身が勉強好きで、他人の知らない知識を得ることを好んだ。

そうした作品の書き方に必要なのは、徹底した取材だ。自分の知らない世界の話だろうが、門外漢であろうが、興味をもった分野を徹底的に調べ上げ、その世界を描き切る奥行きの深い執筆姿勢が必要だ。藤子・F・不二雄の漫画観に似たものがある。

そういう小説の書き方は、作者の個人体験をもとにした私小説とは、対極にあるものだ。近年の芥川賞受賞作には私小説が増えてきたが、もともとの芥川賞受賞作には「どうやってこのテーマに辿り着いたのだろう」という、世界観そのものが日常から隔絶したものが多い。自分の知らない世界を覗くような作品が多い。私小説によって、日常の一枚裏に潜む世界を描くのは、むしろ直木賞受賞作のものだろう。一般的には、芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学、とされているが、その違いをはっきり定義して論じられる者は誰もいない。僕は、両者の違いは、作品そのもののジャンル分けというよりも、作家の「ものを書く姿勢」と、「作品から感じられる次回作への期待」にあると思う。

作者の又吉直樹が本業をお笑い芸人として活躍する限り、そのように、取材によって知らない世界を切り開いていくような作品の書き方は、生活時間の配分的に難しいのではないかという気がする。未知の領域を調べて勉強し、その世界観に浸って、作品に昇華させていくような生活は、現実問題として厳しいだろう。能力の問題ではなく、プロの作家として生きていくということは、他のものを捨てるだけの覚悟が要る、ということだと思う。

今回の作品『火花』は、基本的には私小説だろう。主人公の徳永は、人見知り、女性が苦手、勢いのある後輩芸人に腰が引け気味、など、作者の又吉直樹をいくぶんか投影しているのだろう。また作品の舞台もお笑い芸人を扱っており、書く際には取材も勉強もあまり要らない、書きやすい世界だったのだと思う。
しかし、こういう書き方では次の作品は書けない。芥川賞が期待しているのは、お笑いの世界の第二弾を書くことではあるまい。同様の書評は、芥川賞選考委員の島田雅彦も触れている。

また、基礎的な文章力の欠如に関しては、ここから先は独学で補うのは難しい段階だろう。書いた文章を赤でびっしり添削してもらい、句点の打ち方ひとつ、ひらがなと漢字の使い分けひとつに至るまで、考えに考え抜いて文章体裁を整える訓練をしなくては、文章力の上達は見込めない。よほど辣腕の編集者にでも恵まれれば文章力を鍛えてもらえるだろうが、そこまでの環境は望めまい。

作品の欠点となる文章力の不足は、おそらく作者の読書経験によるものだろう。作者の又吉直樹は、個人的に太宰治の作品を好むそうだ。語彙の選択や文章の綴り方から、太宰やそれに類する作者の影響はちらほら垣間見える。
しかし、内容から切り離した純然たる文章作法や日本語能力を学ぶには、実は太宰は不適格な作家だ。太宰は、意図的かつ継続的な訓練によって文章力を高めた作家ではない。東京帝国大学に入学する程度の知能はあったが、左翼運動に夢中になって講義にはほとんど出席していない。事実上、大学では何も学んでいないだろう。内容や語彙はともかく、「文章力」や「文の書き方の基礎」として、太宰は真似をしてはいけない作家だと思う。 中学や高校の国語の教科書に、あまり太宰の作品が多岐にわたって取り上げられないのは、そのためだ。『走れメロス』以外、太宰の作品を読んだことがない、という社会人は、わりと多いのではないだろうか。


まとめると、作品全体から受ける感想としては、「内容はそこそこ面白い。優れたところと足りないところが極端。次回作はどうかね」という感じ。
電子書籍が一般的になり、街の本屋は紙の本が売れなくて大変なのだそうだ。そんなご時世、本屋が競って平積みにして大々的に売り出すなど、出版業界に対する貢献度は計り知れない。この受賞をきっかけとして、執筆を志す「売れない若手作家」に勇気を与えた面もあるだろう。そのような話題性を提供した、出版業界に対する貢献は大したものだ。それだけでも、今作の存在意義は十分にあるだろう。さらに技術を磨いて、幅を広げて、今作品に対する所見をひっくり返すような次回作を期待したい。



夏休みだから、読書感想文を書くことが多くなりますな

松山と『坊つちやん』

松山城



愛媛・松山を旅した。


四国に行ったのは初めてだ。四国のことを悪く言う人を聞いたことがないが、確かに良い街だ。街の中心に松山城がでんと据わっており、城をぐるっと廻って市電が走っており、城下町の佇まいに侘びを感じる。
だいたい僕は、城のある街が好きだ。城には、ひとつ街の背骨となるような存在感がある。城下町には、歴史に裏打ちされた街の気風を感じる。



道後温泉0


市電で行ける、道後温泉にも寄ってみた。3000年の歴史を誇る日本最古の温泉だけあって、その風格は大したものだ。映画『千と千尋の神隠し』のモデルとなった場所としても知られている。
夏目漱石の小説『坊つちやん』では、主人公が毎日、学校あがりに市電に乗って温泉に出かける描写がある。現在では全国から観光客が集まる名湯だが、当時はこうして地元の人が日常的に湯を使う場所だったのだろう。帰りがけに主人公がいつも頬張る好物の団子は、現在『坊っちゃん団子』として土産物の定番になっている。


松山といえば、正岡子規と夏目漱石の二大巨頭が、文化的な頭目として崇められている。


正岡子規(本名・正岡処之助)は松山市出身。俳人としての印象が強いが、俳句以外にも短歌、新体詩、小説、評論、随筆など様々なジャンルで作品を残しており、明治期の文学界に大きな影響を残した。晩年に結核を発症した際には、故郷・松山に滞在して静養している。「子規」というのは、喉が赤い鳥ホトトギスの別称で、結核によって喀血する自分の様をペンネームにしたものだ。のちに子規が発行する文芸誌にも、この鳥の名前がつけられている。
また、熱狂的な野球好きとしても知られており、「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」などの野球用語は子規による翻訳である。あまり知られていないが、文学を通じて野球の普及に貢献したことが評価され、野球殿堂入りも果たしている。松山市内には高校野球の強豪校が多いが、子規の故郷であることと無縁ではなかろう。

夏目漱石(本名・夏目金之助)は、東京帝国大学(現・東京大学)時代の正岡子規の同窓生で、ふたりは親友だった。「漱石」というペンネームは、実はもともと正岡子規が使っていたものだったが、これを譲りうけたものだ。のちに夏目漱石が俳句を作るようになったとき、正岡子規が評をつけている。大学時代の同窓生同士がつくった同人誌的な雑誌が、当時の文学界を席巻するほどのものだった。子規が発行した「ホトトギス」には、漱石が小説『吾輩は猫である』『坊っちゃん』を発表している。
漱石は1895年(明治28年)に、愛媛県尋常中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)に英語教師として赴任している。わずか1年だけの教鞭ではあったが、このときの体験をもとに『坊つちやん』を書いている。

僕が松山を旅したときは、まだ甲子園での高校野球が熱戦を繰り広げられている時期で、松山市内にもその熱気が漂っていた。そういえば、今年2015年春の選抜大会では、松山東vs二松學舍大学付属という、漱石に縁のある高校同士が対決し、「漱石対決」として話題になった。子規と漱石のゆかりの土地を歩く時期として、高校野球の時期はけだし適時と言えるだろう。


松山を歩く際に、土地の風情に慣れ親しもうと思い、久しぶりに『坊つちやん』を読み返してみた。


漱石の作品の中で、最も愛されている作品だ。現在では「名作」の名の下に、高名な文学作品として崇め奉られている作品だが、読んでみると口語調でとても読みやすい。発表当時は、「最近の若い者は、漢籍や古典を読まず、このような小説などに現を抜かして」などと批判の対象とされていた。現在でいうラノベのようなものだろう。おしなべて、古典というものは、ありがたいから保存しなければならないものではなく、愛されて読まれるから後世まで残るものなのだ。『坊つちやん』は何度も映像化されているが、そのほぼすべてが駄作に失している。その原因を、作家の井上ひさしは、この作品の魅力が内容ではなく独特の筆致や文章の面白さにあるからだ、と評している。

間違えやすいが、正しい表記では「つ」の字が促音ではなく、「や」の音も拗音ではない。
現在、出版されているものは漱石の直筆版ではなく、子規の弟子である高浜虚子が大幅に校正を入れたものだ。虚子はこれを漱石の承諾なく出版してしまったため、文学界ではその功罪が取沙汰されることがある。

松山市は古くから、文学作品を主軸に据えた町づくりに取り組んでいる。なにせ漱石と子規のお膝元だから、材料には事欠かさない。街中には、漱石や子規にちなんだ資料館や博物館が軒を連ねている。特に、『坊つちやん』の舞台とされている街であることから、その名を関する公共機関が多い。「坊っちゃんスタジアム」や、市電の「坊ちゃん電車」、登場人物の名を冠した「マドンナエクスプレス」など、坊っちゃんだらけだ。


松山城2

登場人物が勢揃いの顔ハメ。


今回、久しぶりに『坊つちやん』を読んでみて、その印象の違いに我ながら驚いた。
前に読んだのは確か高校時代だったから、20年くらい前のことになる。その時は、単に面白い小説として斜め読みしていた感じだったが、今回読んでみて、『坊つちやん』を、松山市の風情を伝える文学として喧伝するのはいかがなものか、という印象が強かった。

なにせ、松山のことを良くは書いていない。「地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせろくな所ではあるまい」「そんな偉い人が月給四十円でこんな田舎へくるもんか」「その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた」など、書きたい放題だ。松山市の人々は、怒らないのだろうか。

主人公の日常生活でも、東京出身の「俺」を興味津々に話題にする田舎風情、という馬鹿にした見方で、松山の人々を描いている。街で天ぷらそばを食べたら、翌日には教場の黒板に「天麩羅先生」と落書きがしてある。学校の帰りに団子を買って食べたら、翌日には「団子二皿七銭」と書いてある。温泉に誰もいないと湯船を泳いでみたりするが、翌日には「湯の中で泳ぐべからず」と貼紙がしてある。おしなべて、他人を詮索し、よそ者を受け入れない「田舎者」に否定的な書き方をしている。
また、東京で「俺」の世話をしてくれていた下女の清からの手紙にも、「気候だって東京より不順にきまっているから」と、現代的な見方とは正反対の書き方がある。

実際のところ、漱石はそれほど松山のことを悪く思ってはおらず、実際に松山赴任の一年間はかなり厚遇されていた。また明治の時代性もあり、東京絶対主義の中で、松山のような土地を「田舎」と見下げる見方は、当時ではかなり一般的だった。漱石が特に松山に悪い感情をもっていたわけではない。
そうした時代の背景は割引いて読むべきだろうが、それを差し引いても、松山の人が誇りに思うような作品ではあるまい。

斜めからの目線で見れば、松山市は、この作品で街がどう馬鹿にされようと蔑まれて書かれようと、「大漱石の作品だから」という理由だけで、その舞台となったことをありがたがっているように見える。
実際のところは、松山市としては、東京の「権威」におもねず、誰に対しても我と我らの気質を貫く剛胆さを評価しているらしい。確かにそういう剛胆さは、明治のような時代には当然の要請だったかもしれない。現在ほど交通と情報流通が浸透しておらず、土地ごとに切り離された世界だった時代には、東京とは違い、松山には松山の世界があっただろう。

しかし現代的な観点からしてみれば、そういう気質は単なる排他主義だろう。少なくとも作品の中では、主人公の「俺」は、東京を振りかざし権威的に振る舞うような気配は一切ない。
また、作品論からすれば、松山の気質をそのように評価するということは、松山市を主人公の対極の位置に置いてしまうことになる。「『坊つちやん』の街」ではなく、「『坊つちやん』にあくまでも反抗した街」という位置づけになる。作品では、結果として松山の街は、坊ちゃんを受け入れず、放逐する形になっている。

また史実として、松山赴任時代、帝国大学卒業の「学士様」は学校に漱石ひとりしかおらず、逆差別のような肩身の狭い思いをしていたようだ。教場で主人公の「俺」が、生徒に対して感じた疎外感は、そうした漱石の個人的な経験が背景にある。

しかしこれは、松山の学生の気質というよりも、漱石の側に原因があるような気がする。
生まれながら名家に育ち、東京以外の土地を知らずに育った漱石は、見知らぬ環境に馴染むのが苦手だった。ロンドンに国費留学した時も、ストレスから心神耗弱状態に陥り、日本に強制送還されている。見知らぬ土地の風土を楽しみ、違う住環境に馴染んでいく柔軟性はなかっただろう。「江戸っ子」といえば聞こえは良いが、言い換えれば「東京以外では生きられない輩」に過ぎない。

人が行き交う現代ならばいざしらず、明治の当時、東京から教師が赴任してくれば、土地の人たちから奇異の眼で見られることなど、あたりまえだ。そういう人たちの目線から自分を捉える客観性があれば、そういう人をも取り込むような柔らかい振る舞いができるはずだ。漱石も主人公の「俺」も、自分目線でしか世の中を捉えられないような、偏狭な自分中心主義が根底にあったのではないか。

もし、主人公の坊ちゃんが松山に馴染み、松山とともに生活するようなキャラクターだったら、松山市の街おこしとして適任だろう。しかし、自分のことを「江戸っ子」と見なして譲らず、全然その土地に馴染もうとしない坊ちゃんが、松山市の宣伝になるとは思えない。
そうした、作品における松山の位置づけと、現在の松山市の『坊つちやん』を基にした街づくりの間に、何とも言いようもない溝を感じた。

その原因のひとつに、数々の映像作品の影響があると思う。映像化された『坊つちやん』の作品は、そのほとんどが原作に忠実ではなく、坊ちゃんの人間性と松山市との関係を歪曲している。
特に目立つのが、登場人物中唯一の妙齢女性である「マドンナ」の立ち位置だろう。原作では、坊ちゃんはマドンナと一言も言葉を交わしていない。また、同僚教師のうらなりの婚約者でありながら、まんまと赤シャツに籠絡される様を評して、下宿屋の婆さんが「そのマドンナさんがふたしかなマドンナさんでしてな」「赤シャツさんも赤シャツさんじゃが、お嬢さんもお嬢さんじゃてと否定的に言及している。

しかし映像作品や松山市の街づくりを見ていると、マドンナを、主人公の坊ちゃんの連れ添いのように描いている。ストーリー上、なんらかの恋愛模様を描かなければ絵にならない、という事情は分かるが、原作を無視するにも程がある。
おそらく、松山市がモチーフとして採用している『坊つちやん』は、原作のそれだけを指すのではなく、こうして派生的に作られた映像作品その他をすべて包括する『坊つちやん』なのだろう。


道後温泉

こういう立ち位置ではない。 


もうひとつ、僕が今回『坊つちやん』を読んで感じた違和感の原因として、僕自身が教職に就き、教職を志す学生を多く指導する立場になったことが原因にあると思う。

教師としてその能力を評価する限り、主人公の「俺」は、最低だ。もし僕の学生にこんなのがいたら、即座に落第点をつける。
教師に必要な能力は、科目の専門性だけではない。人と関わる職業として、人を受け入れ、人と付き合う求心力が必要になる。また、事務処理能力や、相反する利害を調整して場を丸く収めるような調整力も必要になる。

主人公の坊ちゃんは、まず器が小さい。環境や人を、まずは否定的な見方から入る。「つまらん奴」「つまらん所」という言葉を、頻繁に使う。宿直当番の時には、することがなくて暇だ、宿直室が寝苦しくて嫌だ、不平不満ばかりだ。
学生が数人集まると、中に一人は、なにをやるにつけても「えー、私それ嫌だー」「私これ嫌いー」のように不満ばかり言うのがいるが、坊ちゃんもそういうわがままな小娘と似たようなものだろう。

また、自分が正しいと思うことは、どんな時でも正義だと思い込むような短絡さがある。まわりの人を「敵」と「味方」のふたつにしか区別できないような、幼稚な二極分化に走りすぎる傾向にある。嫌いな人間とでも付き合い、苦手な人間関係でも慣れるような成熟が伴わなければ、教師は務まらない。

小説の中で主人公の「俺」は、実質一ヶ月しか教職に就いていない。生徒になじめず、他の教員ともそりが合わず、嫌味な教頭(赤シャツ)とその腰巾着(野だいこ)を、芸者遊びをしたことに対する「天誅」と称して叩きのめし、逐電同様に退職している。
何のことはない、環境に馴染めず、職を全うできず、尻尾を撒いて逃げ出しただけだ。刑事事件にならなかっただけ有難いと思わなければならない。

教頭の赤シャツは、同僚教師の古賀(うらなり)の婚約者(マドンナ)を籠絡して横取りし、うらなりを宮崎の延岡に左遷する。それに異を唱え、日頃から正論を吐く数学教師の堀田(山嵐)をクビにする。まぁ、よくあるタイプの上司だろう。
主人公の「俺」は、職員会議で赤シャツの横暴を明かそうとしても、言い負かされてしまう。典型的な江戸っ子気質で、1対1の口喧嘩ならいくらでも吐けるが、公の場では喉にひっかかって言葉が出てこない。だから赤シャツに対する「天誅」として、腕力に物を言わせた暴力沙汰しか方法がない。

要するに、実力不足だ。この程度の知力しかない者に教わる学生こそ可哀想だ。こんな教師に何を習ったところで、単に知識を写しただけに過ぎず、多感な時期に琴線に触れる人生経験は得られないだろう。

肝心の授業でも、経験と能力の不足を露呈している。誰でも最初の教壇に立つときは緊張するものだが、数学教師の「俺」は、居並ぶ学生になめられまいとして、おそろしい早口で授業の内容を喋りまくる。ぽかんと聞いていた学生は困惑してしまう。「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆるやっておくれんかな、もし」と言われてしまう。

学生になめられまいと必死になってしまうのは、自信がないからだ。自信の裏打ちとなるだけの、失敗と経験を積み重ねていないからだ。それは教壇に上がりたての新米教師であれば、誰でも通る道だろう。
しかし、作品の中の坊ちゃんには、そうした授業の失敗を反省し、次に活かすように工夫するような姿勢が一切みられない。俺の授業が失敗するのは、学生が馬鹿だからだ。授業の空気が悪くなるのは、学生が不真面目だからだ。全部、「俺は正しい。原因はお前らだ」が基本原理になっている。

僕の経験上、こうした信念の人間は、何年経ってもたいした教師にはなれない。上から目線で、学生を馬鹿呼ばわりして見下げる視点では、学生は決してついてこない。
授業で、坊ちゃんは学生のひとりから授業後に数学の問題について質問を受ける。それが到底その場では解けそうにない幾何の問題だったから、「なんだか分からない。この次教えてやる」と教場を引っ込む。学生はわあ盛り上がり、できんできんと囃し立てる。

坊ちゃんの対処は間違っていない。教師だって分からない問題はあるのだから、分からなければ分からないと言っていい。しかし、坊ちゃんの問題は、その直後に学生が囃し立てたところにある。
自分が学生時代の頃を思い出せば容易に分かるが、学生は決して教師を「全知全能」だとは思っていない。教師にだって分からないことがあることくらい、学生は百も承知なのだ。しかし同時に、職務上、教師は「分からない」ということが許されない立場でもある。

だから教師は、常日頃から、学生との間に、分からないことは「分からない」と、お互いに言い合えるような信頼関係を築きあげておかなければならない。学生だって教師だって、「分からない」と言うのは、勇気のいることなのだ。その勇気のハードルを下げる雰囲気をつくるのが、教室において教師がするべき本当の務めだ。教師と学生が無形の信頼で結ばれている限り、お互いに「分からない」と言い合えることは、前進こそすれ決して停滞ではない。教室というのは、そうやって作り上げていくものだ。

学生は、決して坊ちゃんが「分からん」と言ったから囃し立てたのではない。学生がすでに坊ちゃんに対して信頼を失っていたことが、「分からん」を引き金として露呈しただけの話なのだ。
坊ちゃんは、学生が囃し立てたことに憤慨し、「べらぼうめ、先生だって、できないのはあたりまえだ。できないのをできないと言うことに不思議があるものか」と嘯く。一面では真理だが、その真理は、事前にその布石をしっかり打ってこそ、本当の真実になり得る。その土台づくりを怠っておいて上辺だけの正論を吐いても、生徒は決してついて来ないだろう。

職員室に戻った坊ちゃんは、同僚の山嵐に授業はどうだいと聞かれ、「この学校の生徒はわからずやだな」と言い放つ。学生に人望の厚い山嵐は、妙な顔をする。教師としての力量で、坊ちゃんと山嵐の間に、大きな差があることを示している。

松山滞在中に一度だけ、坊ちゃんが学生から喝采を浴びたことがある。
軍隊の戦勝式の夜の祭りで、坊ちゃんの勤める中学校の生徒と、反目し合っている師範学校の生徒が、殴り合いの喧嘩騒ぎを起こす。坊ちゃんは山嵐と喧嘩を止めに入るが、騒ぎの中で殴られて頭に血が上り、「おれを誰だと思うんだ。なりは小さくっても喧嘩の本場で修行を積んだ兄さんだ」とばかり、率先して師範学校の生徒に殴りかかる。警察が介入して騒ぎを止めたときには、坊ちゃんも山嵐も着物が破れて血だらけだった。翌日、青あざだらけで教場に出ると、生徒が拍手をもって迎えた。先生万歳と叫ぶ者までいる。
まぁ、学生というのはそんなものだろう。学生は、共通の敵のために体を張って戦ってくれる大人を、味方として認める。この時、坊ちゃんがはじめて学生から「うちの先生」として認められたのは確かだろう。

しかし、この喧嘩騒ぎは実は赤シャツの企みだった。喧嘩を止めてください、と坊ちゃんと山嵐を呼びにきたのは、教え子でもある赤シャツの弟だった。喧嘩っ早い坊ちゃんを殴り合いの仲裁に巻き込めば、一緒になって喧嘩をするだろう、という企みだった。坊ちゃんはこれにまんまと嵌り、翌日の新聞に「中学の教師堀田某と、近ごろ東京から赴任した生意気なる某とが、順良なる生徒を使嗾してこの騒動を喚起せるるのみならず、両人は現場にあって生徒を指揮したるうえ、みだりに師範生に向かって暴行をほしいままにしたり」と書かれてしまう。もちろん記事は、赤シャツが新聞社にリークしたものだ。

「愚か者」と切って捨ててよかろう。策を講じる赤シャツも人としてせこいが、それに嵌る坊ちゃんはもっと馬鹿だ。生徒の側に立とうが、「正義」とやらのためだろうが、教師が喧嘩に巻き込まれて当事者となるとは何事か。結果として生徒の信頼を得ようとも、その程度のことでしか信頼を得られない教師が何程のものか。公人と私人の立場の区別もつかない、単なる阿呆だ。作品としては、この喧嘩騒ぎは、坊ちゃんのキャラクターが引き立つ、魅力のあるシーンだ。しかし教師論として論じる限り、言語道断と言ってよい。

主人公の坊ちゃんは東京物理学校(現・東京理科大学)の出身だが、教員養成課程にも熱心なこの大学が、坊ちゃんを同校の象徴としては一切使用していない。そのことからも、教師としての坊ちゃんの評価が窺い知れる。


『坊つちやん』が書かれた明治の時代には、東京至上主義のもと、地方は地方で独自の世界を形作っていた。現在、交通と情報網が発達して地域差がなくなったように見え、実際のところは土地に根ざした地元密着の姿勢が主流になる先祖帰りを起こしている。文化でもビジネスでもそうだ。そういう点では、こうした地元を題材とした作品は後世に残していくべきものだろう。
ただし、今回僕が感じた違和感のように、作品が書かれた当時の世相を正しく知らないと、作品を誤読してしまう危険性がある。文学を志す人達には、そうした旧態の価値観を正しく保存し、どの時代になっても作品を正しく読めるような仕事をしてほしい。



旅をする時にはその土地の物語を読むと旅情が湧きますね

Siro-A

Siro-A
(America's Got Talent 2015)


``I didn't like it, because I absolutely loved it. ''
(僕は好きじゃないね。愛してるからさ、断然。)


日本のパフォーマンスグループ「Siro-A」が、アメリカの人気オーディション番組・「アメリカズ・ゴット・タレント」の二回戦で審査員の度肝を抜いた演技。
審査員のピアーズ・モルガンは、審査員が1度だけ使える「ゴールデン・ブザー (Golden Buzzer)」と呼ばれる、ライブラウンド (セミファイナル) へストレートに行くことのできる権利を、彼らに押す。








どうやって作ったんだろう

2015年甲子園 校歌番付

東 前頭
秋田商業高等学校(秋田)
秀麗の山 鳥海は
久遠の雪の 影浄し
浩滔の水 雄物川
永久に流れて 色深し
この精霊の 気を享けて
清浄たりや 矢留城



東 前頭筆頭
今治西高等学校(愛媛)
朝夕仰ぎて胸ぬちに
深くきざめる石鎚の
無言の教訓か剛健を
杖とし撓まず登れよと



東 小結
静岡高校(静岡)
岳南健児一千の
理想は高し富士の山
八面玲瓏白雪の
清きは我等の心なり



東 大関
鹿児島実業高等学校(鹿児島)
藜明告ぐる朝ぼらけ
高千穂峰に雲湧きて
見よや霊気の凝る処
山水明媚の我が郷土



東 横綱
比叡山高等学校(滋賀)
不滅の法燈嚇灼と
四海の闇を照らしつつ
輝く比叡の大峰は
是ぞ我らの理想なる





西 小結
九州国際大学付属高等学校(福岡)
霜雪しのぐ橘の
花芳しき学園に
真理の道を究めゆく
若き我らの眉濃し
九州国際大学付属高校



西 大関
明豊高等学校(大分)
はるか果てしなく長いこの道
君はひとりで歩きつづける
暑い夏の日も 冬の朝も
明日の光が見えない夜も
希望だけを支えに 未来を創る旅
夢をあきらめないで
勇気 自分を信じ
愛をその手で育てながら



西 横綱
高崎健康福祉大学高崎高等学校(群馬)
Be together!
Be together!
Let's be together!

茜色の雲に向かって
空を行く 白い鳥の群れ
あの一羽 つぎの一羽も
翼に風をまとって羽ばたく
Be together! きらめく翼 支える風よ
Be together! 鳥を 彼方に 連れていってよ
Wow wow...
あの風のように 
君のココロに寄りそって飛べたら
ああ我らの健大高崎 高崎高校




高校球児の皆さん頑張ってください。
ペンギン命
ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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