たくろふのつぶやき

お出かけの時には保冷剤を持つのだ

2015年05月

知らない人が見れば

花見



上の写真の状況を説明しなさい。
(日本検定 2級)



“This is Japan”と題された写真。

日本で(を?)売っている新聞

AIIB どう生かすかが肝要だ
(2015年5月11日 朝日新聞社説)

中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)は、アジア各国や英独仏など57カ国が創設メンバーとなり、6月に設立協定が結ばれる見通しだ。

米国とともに参加に慎重だった日本は取り残された格好となり、国会では「このままではバスに乗り遅れる」と早期参加を求める声が少なくない。だが日本が参加するとなれば、当初だけでも、経済規模に見合う1千億円を超える資金の拠出が少なくとも必要となる。 それだけ国民負担をして、借り手となる国々の民生に資する健全な開発につなげられるだろうか。いま考えるべきことは、その実現のための道筋だ

世界各地域の国際開発銀行はいずれも総裁を大口の借り手国以外から出している。借り手に都合よく巨額資金を貸し出す「機関銀行化」してしまう恐れがあるからだ。

世界銀行やアジア開発銀行(ADB)から巨額の借り入れがある中国が、AIIBで最大出資国となって、総裁も出すとなれば、機関銀行化しない手立てが不可欠になる。少なくともAIIBには、中国の影響力拡大を目的とする融資にばかり流れないよう、透明な運営ルールが求められる。参加国の合意をとりつける常設理事会のような仕組みも必要になるだろう。

AIIBが健全な運用をするために、日米が主導するADBも協力を惜しむべきではない。過剰な融資の末にAIIBの借り手が返済不能に陥れば、必然的にADBの融資の回収も難しくなるからだ。案件によっては協調融資してもよいし、環境や人権に配慮した融資のルールを確立することも必要になるだろう。協力の先には、両者が合併することも検討対象になるかもしれない。

もちろん、条件が整えば、日本のAIIB加盟も選択肢になる。要は、健全な国際金融の実現である。AIIB参加国が増えた背景には、ADBでは域内のインフラ資金需要に追いつかず、審査も厳しすぎるという借り手国の不満があった。それを受けてADBも、今月初旬に開いた総会で年間融資枠の拡大に動いた。

世界の経済大国となった中国が存在感に見合うだけの発言権を国際金融の舞台で求めるのは当然のことだ。日米は国際通貨基金(IMF)や世界銀行、そしてADBでも、中国に発言権と役割をもっと与えるべきだ

そこで前提となるのは、たとえ支援のためであっても金融の規律に従って、持続可能な投資にすることである。




正気か?



なりふり構わずになってきたな。

僧侶と蛇

昔あるところに旅をしている僧侶がいた。

ある日僧侶が道を歩いていると、雀が蛇に捕らえられている。
雀が涙を流しながら僧侶に命乞いをするので、僧侶は雀を不憫に思い、蛇に語りかけた。
「その雀はまだ若い。私の腕の肉と交換に助けてやってくれないか」
すると蛇は不思議な天秤を持ち出すとこう言った。
「これは命の重さを量る不思議な天秤だ。この雀と釣り合うだけの肉を差し出せば雀を助けてやろう」
僧侶は少し訝しげに思ったが、涙する雀を見てその交渉を呑むことにした。

僧侶はまず腕の肉を少し削ぎ落とし、天秤の反対側に載せた。
肉は雀と同じくらいの大きさだが、天秤はピクリとも動かない。
更に肉を削ぎ落とし載せたが、やはり天秤はびくともしない。
次々と肉を削ぎ落とし、とうとう片腕を失ってしまった僧侶だが、
やはり天秤は一向に動く気配を見せなかった。
業を煮やした僧侶が自ら天秤に乗ると、ようやく天秤は釣り合ったという。

たまげた僧侶を尻目に、蛇は不適な笑みを浮かべて曰く、

「どうだ坊主。この雀の命は、腕の肉切れ一片で足りるとでも思ったか。
己の命も犠牲に出来ぬ分際で命を助けるようなぞ高尚なことをほざきおって、
おこがましくも哀れで愚かな人間らしいことよ」

呆然とする僧侶を横目に、蛇は雀と僧侶の腕を丸呑みし、どこかへ去っていった。




生命というのは見積もれる分量に還元できる数値ではない

サヨナラインフィールドフライ

infield fly



5月4日の巨人ー広島戦(マツダスタジアム)で、珍しい「サヨナラインフィールドフライ」が起きた。


2対2で迎えた9回裏、広島の攻撃。
広島はここまで好投を続けていながら、今期いまだに勝ち星がついていない大瀬良投手に勝ちをつけるべく、サヨナラ勝ちを狙っていた。
先頭打者のロサリオが首尾よくヒットを放ち、代走として野間。
続く代打・天谷が敬遠で歩かされ、8番會澤が執念でヒットを放つ。これでノーアウト満塁という、絶好のサヨナラのチャンスを迎えた。
打順では9番の大瀬良だったが、代打に小窪が送られる。つまり、この時点で広島は延長戦のことは考えておらず、サヨナラ狙いに賭ける策に出た。

小窪はふらふらと内野フライを打ち上げる。ピッチャーとキャッチャーの間、ややサード寄りの位置だった。
ところがこれに、サヨナラを警戒して前進守備をしていた巨人ファーストのフランシスコが突進する。巨人サードの村田と、フランシスコがお見合いし、なんとボールを落としてしまう。

ところが、小窪の内野フライには、2塁塁審と3塁塁審によって「インフィールドフライ」が宣告されていた。つまりフライを取る取らないに関わらず、飛球している時点で小窪はアウトとなった。
落球してあわてた巨人1塁手フランシスコは、ボールを持ったまま本塁を踏む。その後に広島3塁走者の野間がホームを踏み、広島がサヨナラ勝ちとなった。

フランシスコの意図は、本塁を踏んで3塁ランナーの野間をフォースアウトとし、とりあえずサヨナラ負けを阻止することだった。
しかし、インフィールドフライが宣告されている時点で、打者の小窪はアウトとなり、3人のランナーに進塁義務はなくなる。つまりフランシスコは、本塁を踏むだけではフォースアウトはとれず、野間をタッチアウトにする必要があった。

混乱が生じた原因は、球審の福家英登がインフィールドフライの宣告をしていなかったことにある。あまつさえ、フランシスコが本塁を踏んだ際に、アウトのジェスチャーを行った。フォースアウトが成立したかのようなジャッジだ。
結論から言うと、インフィールドフライはだれか一人でも審判が宣告すれば成立するので、ルール上は球審の福家が宣告していなくても、2塁塁審と3塁塁審さえ宣告していれば成立する。しかし巨人の村田もフランシスコも、当該のフライがインフィールドフライであるという認識はなかった。3塁走者の野間さえ、3塁塁審・丹波のインフィールドフライ宣告が聞こえていなかった。
福家球審は一旦本塁アウトのジェスチャーを行ったが、それに広島3塁コーチの石井琢朗が猛抗議を行った。3塁塁審もインフィールドフライの成立を福家球審に説明したようで、判定が翻り、3塁ランナー野間の本塁帰還が認められた。

この福家球審の不安定なジャッジについて、3塁塁審の丹波は「彼(福家球審)のアウトのジャッジはボールが落ちた後のプレーについてです。(インフィールドフライを宣告しなかったのは)当該プレーが目の前で起きていたこともあり、混乱もあったと思う」と説明している。
福家球審本人は、「僕がもっと分かりやすく伝えてあげるべきでした」と弁明している。「選手にうまく伝わっていなかったが、あれは誰が見ても明らかなインフィールドフライです」と記者団に言い訳をした。福家球審は、打球がファウルかフェアかを判断する必要に駆られ、混乱して余裕がなくなり、インフィールドフライを宣告することができなかった、と弁明している。

インフィールドフライはフェアグラウンドでのみ適用されるルールで、ファウルゾーンには適用されない。ファウルゾーンではそもそもランナーに進塁義務は生じないので、「進塁義務の解除」であるインフィールドフライのルールは必要ない。 
しかし、インフィールドフライには「インフィールドフライ・イフ・フェア」(もしもフェアならインフィールドフライ)というという条件付き宣告がある。また、ファールになった時点でインフィールドフライは自動的に取り消される。いずれにせよ、このプレイにおいて「フェアかファウルかの見極め」が、それほど重要であったとは思えない。

要するに今回の混乱は、福家球審の不透明なジャッジに帰する部分が大きいだろう。「ファウルかフェアか」という瑣末な判断よりも、「インフィールドフライか否か」の判断のほうが重要であるが、その優先順位を取り違えたことが原因だと思う。
実際、巨人の原監督の抗議も、そこを焦点としていた。原監督の抗議内容は、「ベンチから見ていても明らかにインフィールドフライだと思ったが、なぜそれを宣告しなかったのか」というものだった。抗議の仕方としては最も理にかなっている。フランシスコのプレーは、もしあれがインフィールドフライでなければ、最も自然な処理の仕方だ。それに答える立場の福家球審は「慌ててたのでミスしました」としか言えないだろう。


僕が今回のサヨナラインフィールドフライでおかしいなと思ったのは、このプレーが公式記録としては「巨人3塁手の村田のエラー」と記録されたことだ。
村田は確かに3塁寄りのフライを落球したが、この落球自体はエラーではない。すでにインフィールドフライが宣告されているので、村田がボールを捕球しようがしまいが、打者の小窪はアウトになっているからだ。
すると村田のエラーの理由は、「3塁ランナーの野間を生還させたから」という理由のはずだ。しかし実際には、3塁ランナー野間の生還理由をつくったのは、本塁を踏んだ時点でフォースアウトが成立したと勘違いした1塁手フランシスコだったのだ。Web上の報道でも、今回のサヨナラの原因を「フランシスコの判断ミス」と報じている記事が多い。

これをインフィールドフライでひとつカウントされたアウトを除外して考えてみると、状況としては「インプレーの状態で、3塁ランナーの野間が、本塁に突っ込んできた」というだけのことになる。その場合、エラーの対象候補として考えられるのは、「捕球か、3塁走者へのタッチかの、どちらかに失敗した捕手(あるいはベースカバーの野手)」か、「本塁に転送したボールが暴投となった野手」のどちらかしかないだろう。いずれにしても、3塁手の村田に罪はない。
例えて言えば、1塁から2塁に盗塁した選手がエラー絡みで盗塁に成功したとして、1塁手がそのエラーに問われる可能性は無いだろう。進塁先ではなく、進塁元の野手である村田に、なぜエラーがつくのだろうか。

実は広島は、24年前の1991年6月5日にも、サヨナラインフィールドフライを経験している。
横浜スタジアムで行われた横浜大洋ホエールズ対広島東洋カープ戦の、9回裏の同じような状況で、守備側だった広島の達川光男捕手が、同じような内野フライを落球した。そのときすでに球審の谷博は「インフィールドフライ・イフ・フェア」を宣告しており、大洋の打者・清水義之はアウトになっていた。達川捕手は落球したあとすぐに本塁を踏み、ボールを1塁に転送した。しかしインフィールドフライの成立のため本塁のフォースアウトは認められず、3塁ランナーの大洋・山崎賢一の生還が認められ、広島はサヨナラ負けをした。

このときの公式記録では、達川捕手にエラーが記録されている。落球したのも達川だし、判断ミスをしたのも達川だから、この記録の理由は分かる。しかし今回の件では、落球したのは村田とフランシスコの「共同作業」だし、判断ミスをして野間の生還を許したのはフランシスコのほうなのだ。なぜこれで、村田のエラーになるのだろうか。

今回の珍プレーには、審判団、特に福家球審の混乱が大きな背景にあることは間違いない。いくら建前上は「審判はルールを熟知しているべし」などと言っても、サヨナラインフィールドフライなどという事態は、審判でも選手でも、現役中に1度あるかないかの超珍プレーだろう。福家球審が「慌ててしまった」というのも、気持ちとしては分からないではない。

しかし、僕の見るところ、その混乱は公式記録をつける際にまで尾をひいていたのではないか、という気がする。エラーというものは、「普通であればアウトにできるところを、できなかった」というプレーに対してつけられる。あのフライが落球した際にフランシスコが球を拾った時点で、村田にエラーがつく理由はなにもなくなってしまうのではあるまいか。 なんとなく、「3塁ランナーが生還し、フライもちょい3塁寄りだったのだから、3塁手の村田にエラーをつけておけ」のような、安直な判断に見える。

今回のサヨナラインフィールドフライでは、ベンチの監督やコーチ陣はみんなルールを理解していたが、選手の側の理解が足りなかった。巨人側の村田、フランシスコ、實松捕手、広島側の野間、誰一人として何が起こっているのかを理解していなかったように見える。
前回24年前の時には、広島側の選手やコーチはおろか、山本浩二監督までも「インフィールドフライ」というルールそのものを知らなかった。なぜ大洋の3塁走者の生還が認められるのか、延々と抗議をする有様だった。この件は以後ずっとインフィールドフライの説明の際に教材として使われているので、さすがに今回の広島ベンチはルールの理解が徹底していたと思う。それは巨人側も同じことだろう。原監督の抗議が、生還そのものに対する抗議ではなく、球審のジャッジについての抗議だったことからも、「何が起きたのか」はすんなり理解されていたのが分かる。


「珍プレー」というと、なにやら面白おかしいプレーのことを連想しがちだが、本当の珍プレーとは、文字通り「起こる可能性が少ない、珍しいプレー」のことだ。観客は誰もが野球のルールに精通しているわけではないから、時には不可解なプレーが起こることもある。そういう時にこそ、ルールを熟知した審判の毅然としたジャッジが求められるのではあるまいか。
ちなみに24年前のサヨナラインフィールドフライの時には、球審の谷博は一連のプレーをミスなく完璧に裁き、1991年度ファインジャッジ賞を受賞し、連盟から表彰されている。



球審には何らかの処分が下るんじゃないかな。
ペンギン命
ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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