サッカー日本代表のアギーレ監督が、スペインリーグ監督時代に八百長に加担していたのではないかと疑惑が吹き荒れているそうだ。
八百長といえば、スポーツにおける御法度中の御法度。
スポーツマンシップに反するだけではなく、不法賭博などの犯罪の温床にもなる。
断じて許される行為ではあるまい。
スポーツの八百長を考えるときに、いつも腑に落ちないことがある。
たとえば、八百長を次のように定義してみる。
「試合に負けることが確実であるプレーをし続けること」
実際にそれで試合がどうなるか、という結果の問題ではなく、チームの負けにつながると分かっている行為をして、勝利のための行動を起こさないこと。八百長の定義として、決して的外れな定義ではあるまい。
八百長というのは、味方を妨害するような積極的行為だけでなく、味方のチャンスを潰しピンチを招くような消極的行為も含まれる。サッカーのゴールキーパーが身動きもせず、敵のシュートを防ごうともしないのは、これにあたる。
すると、どうにも納得しがたいケースがある。
プロ野球パリーグの2011年クライマックスシリーズ・ファイナルステージ最終戦の、埼玉西武ライオンズ対福岡ソフトバンクホークスの試合だ。
この年のクライマックスシリーズ・ファイナルステージは、2戦が終わった時点で、ソフトバンクが2連勝。アドバンテージ1勝分と合わせて、日本シリーズ進出に王手をかけていた。一方の埼玉西武は、第3戦で引き分け以下になると自動的に敗退が決定する、という状況だった。
パリーグのセカンドステージは、レギュラーシーズンで上位のチームがホームゲームとなり、後攻になる。つまりソフトバンクが後攻だった。
また、規定によって延長は12回まで。時間制限はなく、12回が終了した時点で引き分けの場合、そのまま引き分けの結果になる。
2011年11月5日に行われた第3戦では、両チーム無得点のまま9回が終了し、延長戦に入る。
10回の表に埼玉西武が1点をもぎ取るが、その裏にすぐソフトバンクが1点を取り返し、延長は11回に突入する。無得点が続き、最終回の12回の表も、埼玉西武は無得点に終わった。
つまり、この時点で埼玉西武の敗退が決定したことになる。総合成績ではソフトバンクの3勝1分け(うち1勝はアドバンテージ)で、ソフトバンクの日本シリーズ進出が決定した。
ここで解せないのは、日本シリーズ進出が決定したにも関わらず、12回裏のソフトバンクの攻撃で試合が続行したことだ。埼玉西武にとっては、すでに敗退が決まった中での守備になる。この12回の裏が本当に必要だったのか、当時から議論があった。
ソフトバンクの選手の中にもこの「12回裏」が行われることを知らない選手がいた。中でも、クライマックスシリーズになると必ず調子を落とし、「本番に弱いソフトバンク」の戦犯的扱いを受けていた松中信彦は、12回表が終了した時点で胴上げを確信してマウンドに駆け寄る始末だった。
その「12回裏」で、埼玉西武の選手は意気消沈しながら守備についた。戦意喪失は明らかで、結果として長谷川勇也にサヨナラタイムリーを打たれ、ソフトバンクの勝利で試合は終了した。
しかしはたして、この時の埼玉西武の戦い方は、「八百長」の定義からすると妥当だったのか。
先ほど、八百長を「試合に負けることが確実であるプレーをし続けること」と定義した。このとき埼玉西武が行っていたプレーは、まさしくこれに相当する。そのままでは負けることが分かっていて、なおかつそのプレーをし続けたからだ。
実は埼玉西武には、12回の裏にもまだ試合に勝つ方法が残っていた。それは
「ソフトバンクの選手がことごとく死亡あるいは試合続行不能状態に陥り、グラウンドにいる選手が8人になってしまうこと」
つまり、この試合で埼玉西武が勝つ方法は、ソフトバンクの選手をひとりずつ殺すか、危険なプレーで負傷させ試合続行不可能にすることしか残されていなかった。
ピッチャーはことごとく故意死球で打者を負傷退場させる。頭部に投げると自分が危険球退場になるので、膝や腰などが狙い目だろう。また、野手は攻撃側の走者にスパイクの裏で蹴りつける危険行為を行い、選手生命を断つほどのダメージを与える。
一般的にはそのようなプレーは、「スポーツマンシップに反する行為」として糾弾されるべきものだろう。しかし、このクライマックスシリーズのルールの中では、そうすることが勝利のための唯一の方法なのだ。
むしろ、スポーツマンシップにのっとってフェアプレーを行うことは、故意に敗退につながる行為をしていることになる。そして、それは上述の定義における限り、「八百長行為」なのだ。
もし埼玉西武がそういう危険なプレーをすることになったら、埼玉西武がおかしいのではない。クライマックスシリーズのルールがおかしいのだ。敗退が決定していながらプレーを続行させる、ということが、そうした歪んだ状況をつくりだすことになる。
セリーグのほうでは、そのような事態を避けるため、「どちらかのチームが次ステージへの進出が決定した時点で、試合を打ち切って試合終了」というルールが2013年に新設された。翌年、2014年のファーストステージ、阪神vs広島戦で、さっそくそのルールが適用される事態が起こる。
ファーストステージの第一戦は、シーズン2位の阪神が1-0の辛勝。第二戦は両チームとも決め手を欠くまま、延長12回表まで無得点が続いた。結局、広島は延長12回表も無得点に終わり、その瞬間に広島のファイナルステージ進出はなくなった。その時点でコールドゲームとなり、試合終了。阪神のファイナルステージ進出が決定した。
しかしパリーグでは、今もって「勝負がついたとしても12回裏を行う」というルールが生きている。
つまり、敗退が決定した段階での12回裏では、危険行為が容認されていることにはならないか。いやむしろ、そういう危険行為を行わずにフェアに戦おうとする選手は、「八百長行為」の汚名を着せられ、刑事罰を受けることにはならないか。勝つための方法をとらず、負けると分かっている行為をすることになるからだ。
スポーツのルールというのは、基本的に「善意の解釈」を期待して作られているところがある。スピリッツとしてスポーツマンシップを説くのであれば、それもよかろう。しかし、厳密に適用されるべきルールにこういう穴が開いていては、 却って反社会的行為を強制する結果になりはしないか。
法というものは、そういう観点から整備されなければいけないものなのだろう。いま八百長問題がやたらと取り沙汰されているが、八百長を糾弾するのであれば、定義上、きっちりと八百長とそうでない行為の線引きがルールとして確立していないと、安心してスポーツを行うことはできまい。
八百長といえば、スポーツにおける御法度中の御法度。
スポーツマンシップに反するだけではなく、不法賭博などの犯罪の温床にもなる。
断じて許される行為ではあるまい。
スポーツの八百長を考えるときに、いつも腑に落ちないことがある。
たとえば、八百長を次のように定義してみる。
「試合に負けることが確実であるプレーをし続けること」
実際にそれで試合がどうなるか、という結果の問題ではなく、チームの負けにつながると分かっている行為をして、勝利のための行動を起こさないこと。八百長の定義として、決して的外れな定義ではあるまい。
八百長というのは、味方を妨害するような積極的行為だけでなく、味方のチャンスを潰しピンチを招くような消極的行為も含まれる。サッカーのゴールキーパーが身動きもせず、敵のシュートを防ごうともしないのは、これにあたる。
すると、どうにも納得しがたいケースがある。
プロ野球パリーグの2011年クライマックスシリーズ・ファイナルステージ最終戦の、埼玉西武ライオンズ対福岡ソフトバンクホークスの試合だ。
この年のクライマックスシリーズ・ファイナルステージは、2戦が終わった時点で、ソフトバンクが2連勝。アドバンテージ1勝分と合わせて、日本シリーズ進出に王手をかけていた。一方の埼玉西武は、第3戦で引き分け以下になると自動的に敗退が決定する、という状況だった。
パリーグのセカンドステージは、レギュラーシーズンで上位のチームがホームゲームとなり、後攻になる。つまりソフトバンクが後攻だった。
また、規定によって延長は12回まで。時間制限はなく、12回が終了した時点で引き分けの場合、そのまま引き分けの結果になる。
2011年11月5日に行われた第3戦では、両チーム無得点のまま9回が終了し、延長戦に入る。
10回の表に埼玉西武が1点をもぎ取るが、その裏にすぐソフトバンクが1点を取り返し、延長は11回に突入する。無得点が続き、最終回の12回の表も、埼玉西武は無得点に終わった。
つまり、この時点で埼玉西武の敗退が決定したことになる。総合成績ではソフトバンクの3勝1分け(うち1勝はアドバンテージ)で、ソフトバンクの日本シリーズ進出が決定した。
ここで解せないのは、日本シリーズ進出が決定したにも関わらず、12回裏のソフトバンクの攻撃で試合が続行したことだ。埼玉西武にとっては、すでに敗退が決まった中での守備になる。この12回の裏が本当に必要だったのか、当時から議論があった。
ソフトバンクの選手の中にもこの「12回裏」が行われることを知らない選手がいた。中でも、クライマックスシリーズになると必ず調子を落とし、「本番に弱いソフトバンク」の戦犯的扱いを受けていた松中信彦は、12回表が終了した時点で胴上げを確信してマウンドに駆け寄る始末だった。
その「12回裏」で、埼玉西武の選手は意気消沈しながら守備についた。戦意喪失は明らかで、結果として長谷川勇也にサヨナラタイムリーを打たれ、ソフトバンクの勝利で試合は終了した。
しかしはたして、この時の埼玉西武の戦い方は、「八百長」の定義からすると妥当だったのか。
先ほど、八百長を「試合に負けることが確実であるプレーをし続けること」と定義した。このとき埼玉西武が行っていたプレーは、まさしくこれに相当する。そのままでは負けることが分かっていて、なおかつそのプレーをし続けたからだ。
実は埼玉西武には、12回の裏にもまだ試合に勝つ方法が残っていた。それは
「ソフトバンクの選手がことごとく死亡あるいは試合続行不能状態に陥り、グラウンドにいる選手が8人になってしまうこと」
つまり、この試合で埼玉西武が勝つ方法は、ソフトバンクの選手をひとりずつ殺すか、危険なプレーで負傷させ試合続行不可能にすることしか残されていなかった。
ピッチャーはことごとく故意死球で打者を負傷退場させる。頭部に投げると自分が危険球退場になるので、膝や腰などが狙い目だろう。また、野手は攻撃側の走者にスパイクの裏で蹴りつける危険行為を行い、選手生命を断つほどのダメージを与える。
一般的にはそのようなプレーは、「スポーツマンシップに反する行為」として糾弾されるべきものだろう。しかし、このクライマックスシリーズのルールの中では、そうすることが勝利のための唯一の方法なのだ。
むしろ、スポーツマンシップにのっとってフェアプレーを行うことは、故意に敗退につながる行為をしていることになる。そして、それは上述の定義における限り、「八百長行為」なのだ。
もし埼玉西武がそういう危険なプレーをすることになったら、埼玉西武がおかしいのではない。クライマックスシリーズのルールがおかしいのだ。敗退が決定していながらプレーを続行させる、ということが、そうした歪んだ状況をつくりだすことになる。
セリーグのほうでは、そのような事態を避けるため、「どちらかのチームが次ステージへの進出が決定した時点で、試合を打ち切って試合終了」というルールが2013年に新設された。翌年、2014年のファーストステージ、阪神vs広島戦で、さっそくそのルールが適用される事態が起こる。
ファーストステージの第一戦は、シーズン2位の阪神が1-0の辛勝。第二戦は両チームとも決め手を欠くまま、延長12回表まで無得点が続いた。結局、広島は延長12回表も無得点に終わり、その瞬間に広島のファイナルステージ進出はなくなった。その時点でコールドゲームとなり、試合終了。阪神のファイナルステージ進出が決定した。
しかしパリーグでは、今もって「勝負がついたとしても12回裏を行う」というルールが生きている。
つまり、敗退が決定した段階での12回裏では、危険行為が容認されていることにはならないか。いやむしろ、そういう危険行為を行わずにフェアに戦おうとする選手は、「八百長行為」の汚名を着せられ、刑事罰を受けることにはならないか。勝つための方法をとらず、負けると分かっている行為をすることになるからだ。
スポーツのルールというのは、基本的に「善意の解釈」を期待して作られているところがある。スピリッツとしてスポーツマンシップを説くのであれば、それもよかろう。しかし、厳密に適用されるべきルールにこういう穴が開いていては、 却って反社会的行為を強制する結果になりはしないか。
法というものは、そういう観点から整備されなければいけないものなのだろう。いま八百長問題がやたらと取り沙汰されているが、八百長を糾弾するのであれば、定義上、きっちりと八百長とそうでない行為の線引きがルールとして確立していないと、安心してスポーツを行うことはできまい。
頭悪いんじゃないかという気がする。