たくろふのつぶやき

春は揚げ物。

2014年12月

八百長プレーの謎

サッカー日本代表のアギーレ監督が、スペインリーグ監督時代に八百長に加担していたのではないかと疑惑が吹き荒れているそうだ。

八百長といえば、スポーツにおける御法度中の御法度。
スポーツマンシップに反するだけではなく、不法賭博などの犯罪の温床にもなる。
断じて許される行為ではあるまい。

スポーツの八百長を考えるときに、いつも腑に落ちないことがある。
たとえば、八百長を次のように定義してみる。


「試合に負けることが確実であるプレーをし続けること」


実際にそれで試合がどうなるか、という結果の問題ではなく、チームの負けにつながると分かっている行為をして、勝利のための行動を起こさないこと。八百長の定義として、決して的外れな定義ではあるまい。
八百長というのは、味方を妨害するような積極的行為だけでなく、味方のチャンスを潰しピンチを招くような消極的行為も含まれる。サッカーのゴールキーパーが身動きもせず、敵のシュートを防ごうともしないのは、これにあたる。

すると、どうにも納得しがたいケースがある。
プロ野球パリーグの2011年クライマックスシリーズ・ファイナルステージ最終戦の、埼玉西武ライオンズ対福岡ソフトバンクホークスの試合だ。

この年のクライマックスシリーズ・ファイナルステージは、2戦が終わった時点で、ソフトバンクが2連勝。アドバンテージ1勝分と合わせて、日本シリーズ進出に王手をかけていた。一方の埼玉西武は、第3戦で引き分け以下になると自動的に敗退が決定する、という状況だった。

パリーグのセカンドステージは、レギュラーシーズンで上位のチームがホームゲームとなり、後攻になる。つまりソフトバンクが後攻だった。
また、規定によって延長は12回まで。時間制限はなく、12回が終了した時点で引き分けの場合、そのまま引き分けの結果になる。

2011年11月5日に行われた第3戦では、両チーム無得点のまま9回が終了し、延長戦に入る。
10回の表に埼玉西武が1点をもぎ取るが、その裏にすぐソフトバンクが1点を取り返し、延長は11回に突入する。無得点が続き、最終回の12回の表も、埼玉西武は無得点に終わった。
つまり、この時点で埼玉西武の敗退が決定したことになる。総合成績ではソフトバンクの3勝1分け(うち1勝はアドバンテージ)で、ソフトバンクの日本シリーズ進出が決定した。

ここで解せないのは、日本シリーズ進出が決定したにも関わらず、12回裏のソフトバンクの攻撃で試合が続行したことだ。埼玉西武にとっては、すでに敗退が決まった中での守備になる。この12回の裏が本当に必要だったのか、当時から議論があった。
ソフトバンクの選手の中にもこの「12回裏」が行われることを知らない選手がいた。中でも、クライマックスシリーズになると必ず調子を落とし、「本番に弱いソフトバンク」の戦犯的扱いを受けていた松中信彦は、12回表が終了した時点で胴上げを確信してマウンドに駆け寄る始末だった。

その「12回裏」で、埼玉西武の選手は意気消沈しながら守備についた。戦意喪失は明らかで、結果として長谷川勇也にサヨナラタイムリーを打たれ、ソフトバンクの勝利で試合は終了した。
しかしはたして、この時の埼玉西武の戦い方は、「八百長」の定義からすると妥当だったのか。

先ほど、八百長を「試合に負けることが確実であるプレーをし続けること」と定義した。このとき埼玉西武が行っていたプレーは、まさしくこれに相当する。そのままでは負けることが分かっていて、なおかつそのプレーをし続けたからだ。
実は埼玉西武には、12回の裏にもまだ試合に勝つ方法が残っていた。それは


「ソフトバンクの選手がことごとく死亡あるいは試合続行不能状態に陥り、グラウンドにいる選手が8人になってしまうこと」


つまり、この試合で埼玉西武が勝つ方法は、ソフトバンクの選手をひとりずつ殺すか、危険なプレーで負傷させ試合続行不可能にすることしか残されていなかった。
ピッチャーはことごとく故意死球で打者を負傷退場させる。頭部に投げると自分が危険球退場になるので、膝や腰などが狙い目だろう。また、野手は攻撃側の走者にスパイクの裏で蹴りつける危険行為を行い、選手生命を断つほどのダメージを与える。

一般的にはそのようなプレーは、「スポーツマンシップに反する行為」として糾弾されるべきものだろう。しかし、このクライマックスシリーズのルールの中では、そうすることが勝利のための唯一の方法なのだ。
むしろ、スポーツマンシップにのっとってフェアプレーを行うことは、故意に敗退につながる行為をしていることになる。そして、それは上述の定義における限り、「八百長行為」なのだ。

もし埼玉西武がそういう危険なプレーをすることになったら、埼玉西武がおかしいのではない。クライマックスシリーズのルールがおかしいのだ。敗退が決定していながらプレーを続行させる、ということが、そうした歪んだ状況をつくりだすことになる。

セリーグのほうでは、そのような事態を避けるため、「どちらかのチームが次ステージへの進出が決定した時点で、試合を打ち切って試合終了」というルールが2013年に新設された。翌年、2014年のファーストステージ、阪神vs広島戦で、さっそくそのルールが適用される事態が起こる。
ファーストステージの第一戦は、シーズン2位の阪神が1-0の辛勝。第二戦は両チームとも決め手を欠くまま、延長12回表まで無得点が続いた。結局、広島は延長12回表も無得点に終わり、その瞬間に広島のファイナルステージ進出はなくなった。その時点でコールドゲームとなり、試合終了。阪神のファイナルステージ進出が決定した。

しかしパリーグでは、今もって「勝負がついたとしても12回裏を行う」というルールが生きている。
つまり、敗退が決定した段階での12回裏では、危険行為が容認されていることにはならないか。いやむしろ、そういう危険行為を行わずにフェアに戦おうとする選手は、「八百長行為」の汚名を着せられ、刑事罰を受けることにはならないか。勝つための方法をとらず、負けると分かっている行為をすることになるからだ。

スポーツのルールというのは、基本的に「善意の解釈」を期待して作られているところがある。スピリッツとしてスポーツマンシップを説くのであれば、それもよかろう。しかし、厳密に適用されるべきルールにこういう穴が開いていては、 却って反社会的行為を強制する結果になりはしないか。

法というものは、そういう観点から整備されなければいけないものなのだろう。いま八百長問題がやたらと取り沙汰されているが、八百長を糾弾するのであれば、定義上、きっちりと八百長とそうでない行為の線引きがルールとして確立していないと、安心してスポーツを行うことはできまい。



頭悪いんじゃないかという気がする。

第47回衆院選

『自公大勝で政権継続―分断を埋める「この道」に』
(2014年12月15日 朝日新聞社説)
『衆院選自公圧勝 重い信任を政策遂行に生かせ』
(2014年12月15日 読売新聞社説)
『衆院選 「冷めた信任」を自覚せよ』
(2014年12月15日 毎日新聞社説)
『自公圧勝 安倍路線継続への支持だ 規制緩和と再稼働で成長促せ』
(2014年12月15日 産経新聞社説)
『「多弱」による勝利に慢心は許されぬ』
(2014年12月15日 日本経済新聞社説)


抜き打ちの衆議院解散からわずか数日での総選挙。
自民・公明の圧勝に終わるという、非常につまらない選挙戦となった。

一言で言うと、安倍首相の「作戦勝ち」だろう。年末の忙しい時期にわざわざ解散し、史上最低の投票率になることを見越した上で、無党派層の票が保守に流れ込むことを明らかに計算していた。投票率が低い選挙というのは、要するに拮抗する戦力がない一強独走の状態であることを意味する。安倍首相が解散をすることは十分予測できたはずなのに、それを上回る準備ができなかった野党側の失態だろう。今回の選挙は、「自民党が勝った」というよりも、「野党が雁首揃えてみんな勝手に負けた」と言ったほうが実情に近かろう。

特に、第一野党の民主党は、定数の半分も候補者を擁立できない体たらくだった。立候補者がいないのでは、選挙に勝つ負ける以前の問題だ。民主党は11月ごろから解散総選挙を牽制する言動を繰り返していたが、その意図が「いま選挙になったら勝てない」という思惑からの泣き言であったことが、今回の選挙結果ではっきりした。これが第一野党というのだから、国民はすでに選択肢を削られたに等しい。こんな野党に投票するくらいなら、棄権するほうがまだましだろう。

民主党は、選挙戦術もお粗末だった。各地の遊説・演説の類いは、下っ端から党幹部に至るまで、ひたすら「自民党の悪口」に終止していた。だからといって、その代案を示すわけではない。「アベノミクスはダメなんです」「いまのままではダメなんです」ばかりを連呼し、「ではどうすればいいのか」に関しては一切口をつぐんだまま。これで投票してもらおうというのは虫が良過ぎるだろう。

一方の自民党は、選挙戦術が周到だった。それに関しては日経の社説が詳しく分析している。自民が今回の選挙で圧勝した理由は3つある、という見方だ。

1. 急な解散総選挙だったため、他の党は十分な準備ができなかった
2. 各野党は、政権を担うだけの資質に達していなかった
3. 争点を「アベノミクスの是非」に一本化した。

2.については先述の通り、民主党が十分な候補者を擁立できなかったことからも十分に伺い知れる。要するに人材不足なのだ。小沢一郎が民主党代表代行をやっていた頃から、ちょっと見た目が派手な女性候補者や、名前だけ売れている元スポーツ選手など、政治的資質にまったく関係のない人材ばかりをかき集める選挙戦術のつけが溜った状態だろう。

1.に関しては、選挙期間中の演説でも民主党候補による「抜き打ち解散とは卑怯なり」的な論調がやかましかった。しかし、これについて自民党を非難するのであれば、今回の選挙結果で共産党と公明党が議席を大幅に伸ばした事実が説明できない。急な解散であっても、候補者の擁立に苦しい時期の選挙であっても、周到に準備をしている政党は議席を伸ばしているのだ。その点でも、「民主党が勝手に負けた」の感が否めない。

3.に関しては、小泉前首相の郵政解散以来、自民党の定番となった選挙戦術だろう。一回の選挙につき、ひとつの分かりやすいテーマ。やたらめったら争点の軸を増やさない。そういう徹底した絞り込みにより、今回の選挙を「景気回復」に据えたのが勝因のひとつだろう。

しかし冷静に見ると、今回の自民党の消費税値上げ据え置きの公約は、信義に反している。もともと民主党政権時代に、2015年に消費税を10%に値上げをすることは、民主・自民・公明の3党合意で決まっていたことだった。それを今になって「消費税値上げは無し」と言い出したのでは、約束が違う。民主党が当初、「約束通りに値上げしろ」と要求したのは当然だろう。結局、解散からの総選挙という流れになってしまったため、民主党もしぶしぶ「消費税値上げは据え置き」という論調に同意せざるを得なくなった。消費税の値上げを公示しては、勝てる選挙にも勝てなくなるからだ。しかし今回の選挙で「災害復興支援」と「消費税値上げ阻止」を同時に主張した政党は、財源についての見識が非常に疑わしい。そういう二枚舌を厳しい目で判断するのが、有権者側に必要な資質だろう。  


今回の自民党は、明らかに従来までと選挙戦術を変えてきた。民主党候補がいる小選挙区に対して、つぶさに「刺客」を立候補させるのではなく、大物狙いの一本刺しで来た。民主党の幹部クラスの小選挙区にピンポイントで標的を定め、民主党執行部の落選を狙う作戦だ。埼玉5区(枝野幸男)、東京1区(海江田万里)、奈良1区(馬淵澄夫)、北海道1区(横路孝弘)、滋賀1区(川端達夫)、東京18区(菅直人)、京都2区(前原誠司)、三重3区(岡田克也)などの民主党の拠点地区で活発な選挙運動を続けた。挙句に民主党代表の海江田万里を東京1区で落選させ、比例代表での復活も潰すという徹底ぶりだ。

これは一種の印象操作だろう。民主党幹部が選挙に苦戦し、小選挙区で落選しておきながら比例代表でおめおめと復活当選する、という事態が相次げば、当然ながら党内での求心力が低下する。影響力に作用する。そうした「選挙後の党内調整」にまで仕掛けを埋め込んでおくのが、今回の自民党の選挙戦略だったのではないか。自民党が「安牌」と見ている保守派の野田佳彦元総理(千葉4区)には誰も刺客が送られていないことからも、その戦術が見て取れる。

今回の選挙で自民・公明が圧勝したのは、ひとつには戦術勝ち、ひとつには相手が勝手に転んだだけ、という理由がある。投票する国民にとっては「他に選択肢がない」という状況での圧勝であり、数ある候補の中から選ばれたものではない、ということを自民党は肝に銘じておくべきだろう。このことは、異口同音にすべての新聞社説が主張している。

首相の電撃的な衆院解散に対して、選挙準備が遅れた民主党は、過去最少の候補者擁立となり、無党派層などの受け皿になれなかった。「常在戦場」の構えを怠った海江田執行部の責任は大きい。維新の党などとの候補者調整の効果も限定的にとどまった。一方、首相は、自民党が突出する「1強多弱」体制を維持しても手放しで喜べる状況ではない。野党の失策に加え、戦後最低に落ち込んだ投票率が、固い組織票を持つ与党に有利に働いたからだ。与党に対する国民の支持は、積極的ではなく、「野党よりまし」という消極的な面が強いことを、きちんと自覚する必要がある。
(読売社説)


たとえば、自民の圧勝に終わった小選挙区でも、唯一、沖縄だけは自民の大敗に終わっている。4つの選挙区すべてで自民候補が惨敗する有様だ。沖縄の選挙では「集団自衛権の行使」「尖閣諸島の領土問題」などが精鋭化しており、アベノミクスという錦の御旗にあまり威力がなかったのだろう。


小選挙区で自民党は295の選挙区で223議席を獲得している。勝率としては7割5分5厘。かなりの打率だろう。しかし、これが比例代表制になると180議席中68議席。3割7分7厘と、かなり打率が落ちる。民主党は小選挙区制で38議席しか得られなかったが、比例代表制でも35の議席を獲得し、合計としては前回の選挙よりも議席を伸ばしている。また小選挙区では1人の当選者しか出せなかった共産党が、比例代表では20議席を獲得している。

つまり、いまの自民党は「ひとは選ばれる」が、「党が選ばれている」わけではないのだ。各新聞社説はこぞって「自民はいい気になるなよ。今回の選挙は敵が弱かっただけだ。国民は自民党を全面的に信頼したわけじゃない」的な意見を載せているが、これはある面では正しいと思う。事実、安倍首相は選挙前にはひたすら消費税問題やアベノミクスによる景気対策ばかりを連呼していたにも関わらず、当選した途端に「憲法改正について国民から信を得た」などと言い出した。選挙速報が飛び交う速報の段階でそんなことを言い出すものだから、各報道局のコメンテーターに総攻撃で突っ込まれ、逆切れして炎上する失態を見せた。

こうした安倍首相の言動から見ると、これからの自民党が、各新聞社が警戒している「数を頼りにした強引な採決」を採らないとは言い切れない。2016年の参議院選挙までの1年半で、どれだけ与党としての矜持を保てるか、が問題だろう。

アベノミクスにしても消費税問題にしても、これらの問題が精鋭化する背景には、慢性化した景気の停滞感がある。いまのところはまだ「アベノミクス」という呪文で乗り切っていられる感があるが、その呪文もそろそろ賞味期限切れだろう。本当にアベノミクスなるものが底辺まで行き渡らないと、ただの空洞化したかけ声に堕ちる。



アベノミクス

たしかに実感としてはこんな気がする。 



今回の選挙は、選挙戦術という面で見れば、確かに自民党の圧勝だっただろう。しかし、選挙というのは政治の手段であって、目的ではない。選挙にいくら強くったって、実際の政治手腕が伴わなければ国民の信を得られないことは、小沢一郎をはじめとする前民主党執行部が露呈した事実だ。当時と同じような厳しい目が、今の自民党には注がれている。



これまで溜めてた外交カードを一気に切りそうな気がする
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昔と今の漫才の違い

「昔よりも今の若手漫才の方が絶対面白い」
(ビートたけし)

お世辞や謙遜でもなんでもなくて、正直オイラが漫才をバリバリやってた時代より、今の若手の実力あるヤツラの漫才のほうが、絶対面白いと思うよ。そういうヤツラに上から目線で物申すのは、カンベンだぜってね。それに同じ漫才でも、オイラがやってた頃のものと今のものじゃ、ゼンゼン「質」が違うんだよな。

まず「尺」が違うからね。オイラの時代の漫才は、テレビでは7分程度、寄席やストリップ小屋の舞台じゃ15分はやってたんだよ。だけど今のお笑い番組を見てると、ネタは大体4〜5分にまとまってるよな。だから、やり方もまったく違ってくるんだよ。  

オイラの頃は、テレビにしても舞台にしても、漫才を始めながら客の顔を見て場の空気を読んで、前振りやスジ振りをしっかりやって、余計な脱線を挟んで温めていって、ってことをステージの上でやってたわけ。だから客のほうも聞いてるうちにジワジワ面白くなってくるし、芸人のほうもドンドン乗ってくるっていう「流れ」が大事だったんだよ。  

だけど、今の芸人にはそんな時間が与えられてないわけでさ。余計なものを全部削ぎ落として、次から次にドンドン「オチ」を繰り出していかないとダメなんだよ。  

昔の漫才と今の漫才の違いってのは、まさしく「レコード」と「iPod」の違いだよな。オイラの頃はレコード針をレコードの上に落としたりするプロセスから、「プチプチッ」ていうノイズまで「味」だって言って楽しんでたわけだけど、今の漫才はアルバムの中でも余計な曲は外して、好きなものだけ抽出して、ピンポイントで取り出してるっていうことだよ。  

まァ、芸のレベルは上がったけど、アナログ的な味はなくなっちゃったよね。そっちのほうが面白くてウケるからそういう流れになってるわけで、今さらジジイがとやかく言うことじゃないけどさ。




大量生産の時代だからかな

「給食は残すな、絶対にだ」

馬鹿クラス


「クラス全員で給食1年間完食 国分寺中」

国分寺中2年5組が20日、クラス33人全員で「年間給食完食」を達成した。全員で助け合いながら残飯をなくし、食の大切さを学んだ。古口紀夫市教育長は「素晴らしい、聞いた事がない。クラスのまとまりがある証でしょう」と話している。  

担任の小村敬俊教諭(32)は前任の小山・城南中時代に、食の大切さを訴え、給食を熱心に指導している先輩に感動したという。その時に「体調が悪く食欲がない子の分は、他の生徒が補って残飯を出さない『クラス完食』」を目標としたという。  

2年生のクラスだったが、190日の給食のうち、完食は159日止まり。「風邪で欠席者が多く出る冬場が難しい」という。しかし、国分寺中に転任となった2011年に担任の「2年2組」で達成、昨年度も「3年3組」で達成した。  

小村教諭は「食べなさい。お前のせいで記録が駄目になる、では続かない。苦手な食べ物でも半分は食べよう。残りは食べてもらおうという指導です。クラスの一体感が出てクラス経営がうまくいく」と説明する。

「インフルエンザで8人が欠席した時はピンチだった」というが、「みんなで協力し合って乗り切りました」と振り返る。



個人的に学校で習った3大嘘は


「問題集を解くときには答えを見てはいけない」

「誰とでも仲良くしなければならない」

「食事は残さず食べなければならない」



だと思います。



まさに食育の悪用

もふもふ

とどねこ




なんとなく
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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