たくろふのつぶやき

この夏、またしてもお化けを捕まえ損なった。

2014年11月

小六女子の絵

月に遊ぶ



私の情熱、骸骨に込め 大阪の小6、独立展で最年少入選
(2014年11月14日 朝日新聞)

 戦前からある絵画の公募展「第82回独立展」(独立美術協会主催)に、大阪府の小学6年生が最年少で入選した。富田林市立久野喜台小学校の大西茅布(ちふ)さん(11)。作品「月に遊ぶ」は、池のほとりの骸骨を描いた油彩画だ。大阪市立美術館で16日まで、京都でも来月にかけて展示される。

小さい時から絵が好き。人気のカードゲーム機「ムシキング」のカブトムシなどをノートに描いていた。
5歳のとき両親が離婚。現在は父博文(ひろぶみ)さんと富田林市で暮らす。絵を本格的に始めたきっかけは父とのやりとりだった。

小学1、2年の運動会。徒競走で最下位だったのを見かねた父の申し出で、1年間、公園で一緒に練習を重ねた。だが、3年でも最下位だった。

 「このままじゃ人生、ずっとビリだぞ。それでいいのか。得意なものはないのか」。
そう発破をかけられ、「私は絵が得意」と答えた。「だったら毎日描きなさい」と言われた。

 その日から、家にあった美術書の絵を模写し始めた。通い始めた当時の絵画教室の先生から、人の絵を上手に描くには骨について理解した方がいいと言われ、まず図面を参考にした。昨年父が買ってきた等身大の骸骨の模型が、今回の作品を描くもとになった。

 作品は縦1・3メートル、横97センチ。まず骸骨を描き、背景を描いた。赤い空に白い月が浮かび、骸骨の周囲には花が咲く。フランスの画家ギュスターヴ・モローと、現代美術家松井冬子さんが大好きで、影響を受けた。

 「理由はうまく説明できないけれど怖いものが好きなので、空を赤くした。解釈は見た人に任せたい」。人の顔を描くときも、本心を隠しているように感じる笑顔より、暗い顔の方が好きだという。

 骸骨の模型が家に来たときは不気味だったが、慣れるとだんだんペットみたいにかわいくなった。
「特に顔の部分が好き。見ていると、生きていたときの表情が見えるようで面白い」

 現在絵画を指導する画家の伊藤尚尋(なおひろ)さん(35)は「花やお姫様などを描く女の子が多いが、大西さんは骸骨。技術的なことより、鬼気迫るような緊張感をキャンバスに描き出す世界観が優れている」と評価する。

 独立展は、1930年に設立された美術家団体「独立美術協会」が実施。これまでに須田国太郎や小林和作など著名な画家を輩出している。ベテランも新人も同じ土俵で審査され、第82回では1989点の応募中、700点ほどが入選した。第81回までの最年少入選は高校2年生だった。

 茅布さんは毎日3時間以上絵筆を握る。「絵を描くと、算数や漢字などに比べて、納得のいく成果を出せるので、自分をほめることができる。将来は画家として生活したい」

 博文さんは「徒競走はビリでも構わなかった」と振り返る。「人生には困難な局面があるので、頑張ったら成果が出るという経験をして、自分に自信を持って欲しかった」。本人が決めた道を応援するつもりだ。

 作品は16日まで大阪市立美術館(大阪市天王寺区)、27日~12月7日に京都市美術館(京都市左京区)で開かれる巡回展で展示される。
(鈴木洋和)


参考



周囲に理解ある大人がいて良かった

批判の焦点の定め方

「政治と増税 解散に大義はあるか」
(2014年11月12日 朝日新聞社説)
「衆院解散検討 課題を掲げて信任を求めよ」
(2014年11月12日 読売新聞社説)
「早期解散論 その発想はあざとい」
(2014年11月12日 毎日新聞社説)
「消費再増税をここで延期していいのか」
(2014年11月12日 日本経済新聞社説)


永田町が騒がしいようだ。年末のこの時期、衆議院を解散して総選挙をやり直す動きがあるらしい。
年末の慌ただしい時期に、煩い選挙戦が展開されるのかと思うと、うんざりする。

傾向として、テレビのニュースバラエティーでは解散総選挙を煽るような報道の仕方をし、新聞報道は解散に対して否定的だ。上掲の各紙社説も、解散について批判的な論調で書いている。

そんなテレビや新聞などのマスコミの報道を見ると、どうも腑に落ちない。端的に言うと、情報の出所がはっきりしない報道が多いのだ。年末解散総選挙はその筋では確かな噂なのだろうが、なんかその噂を事実と思い込んで、突っ走っている論調が多い。

一番それがひどいのは、また例によって朝日新聞だ。
朝日は、「単なる伝聞を事実と思い込み、裏付けがないまま記事を乱発する」という悪い癖が相変わらず直っていない。

「安倍首相が衆院解散を検討している」。こんなささやきが、あれよあれよという間に解散風という突風になって吹き荒れている
(朝日社説)

語られているシナリオのひとつは、こうだ。17日に発表される7~9月の国内総生産(GDP)の速報値を受け、首相は来年10月に予定されている消費税率の10%への引き上げの先送りを決断、その是非を問うために衆院の解散を表明する。外遊中の安倍首相は、「解散のタイミングは何ら決めていない。臆測に基づく報道だ」と強調する。それでも、いったん吹き始めた風はどうにも止まりそうにないこんな政治のありように、強い違和感を覚える
(同)

加えて、与党幹部から聞こえてくるのはこんな声だ。 「原発再稼働や集団的自衛権の関連法整備が控える来年に衆院選を戦うのは厳しい」 「野党の選挙準備がととのっていない今が有利だ」 まさに党利党略。国民に負担増を求めることになっても、社会保障を将来にわたって持続可能にする――。こうした政策目標よりも、政権の座を持続可能にすることの方が大切だと言わんばかりではないか。
(同)

安倍首相の本心はまだ不明である。だが、民主主義はゲームではない。こんな解散に大義があるとは思えない。
(同)


朝日新聞の批判の根拠は、すべて「噂」「観測」「推定」に過ぎない。単なる噂に過ぎないものを、「解散風という突風になって吹き荒れている」などという語飾を弄して、強いインパクトを与えようとしている。明らかに印象操作だ。
「安倍首相の本心はまだ不明」の段階で、「こんな政治のありように、強い違和感を覚える」もないだろう。事実が不明なまま、なぜその批判だけを先に行うことができるのだろうか。材料がないまま、勝手に議論を暴走させている。朝日は「民主主義はゲームではない」などと息まいているが、「新聞報道もゲームではない」ことを肝に銘じるべきではないか。

政権の批判をすることは構わないし、それが公権力の監督機能としてのマスコミの仕事だとは思う。しかし、批判するなら、確かな事実や根拠をもとに批判をするべきだ。自分勝手な観測をした挙げ句、その観測内容に対して批判をする、というのでは批判にならない。自分の描いた幻に批判をしているだけだ。

おそらく実際には、解散総選挙の動きがあることは確かだろう。その背景には朝日が指摘するように消費税引き上げを絡めた自民党の選挙戦略があるだろう。それは朝日以外も含めた各新聞社が、張り付き取材や独自の情報網を使って得た情報だと思う。

しかし、その情報は、そのままの形では社説の根拠としては使えない。主張の根拠としては、脆弱すぎる。盗聴して入手した情報が裁判では使えないように、どんなに確かな情報だろうと「噂」のレベルでは根拠として使えない。
批判するときは、正しい「方法」で批判をしなければならない。「内容」が妥当であれば、どういう批判の仕方をしてもよい、というわけではないのだ。

新聞報道たるもの、足で稼いだ「事実」を、「論理」で積み重ねたものを根拠にしなければならない。どんなに確かな筋からの情報だろうと、噂はどこまでも単なる噂に過ぎない。新聞社説で意見を論じる根拠として使える類いの情報源ではない。
つまり朝日新聞の社説は、「内容」が悪いのではなく、「書き方」が悪いのだ。どんなに内容が正鵠を射たものであったとしても、書き方が文章のルールに従っていないのであれば反則負けだ。

「具体的に観察可能な事実を根拠にしなければならない」「根拠のない論説を行ってはいけない」など、いまどき高校生だって知ってる文章作法の基本だ。その基本を疎かにし、単なる「噂」を事実扱いして、その批判に突っ走る。暴走と言ってよかろう。朝日新聞は、過去にこのような報道姿勢が原因で何度も謝罪する羽目に陥った。なかには、「噂」そのものを朝日新聞が捏造した事例すらある。こういう体質がまだ社内にのうのうと残っている、ということは、朝日新聞の自浄作用とやらも第三者委員会とやらも、全く機能していないのだろう。今回の社説を読むだけで、その程度が知れる。


今回取り上げた4紙は、いずれも解散総選挙の噂について社説を論じている。保守系の読売新聞は解散についてそれほど批判的ではないが、他の3紙はかなり舌鋒鋭く批判を展開している。

そのうち、朝日新聞と毎日新聞は、同じ間違いを犯している。批判の焦点を絞り間違えた結果、その根拠が脆弱であるという弱点を露呈した点だ。
朝日と毎日の社説が批判としている対象は、「政権」だ。要するに「今の安倍政権はけしからん」と主張するのが、社説の目的だ。消費税が二段階で増税することは、民主党政権下の2012年にすでに決定していた。しかも民主・公明・自民の与野党にわたる合意だったため、この内容の決定には自民党も絡んでいる。
大震災・自然災害・高齢化に伴う社会保障の必要等で増税が必要なことくらい、国民も分かっている。しかし実際問題として、増税をした瞬間には反射的に拒否反応が生じてしまう。支持率が下がる。

この時期に、消費税の増税を一旦停止することを政権が提案する。これはつまり三党合意を凍結することを意味するため、民主党をはじめ与党は反発することになる。そうなったら「国民に信を問う」という名目で解散、総選挙。これが政権の描いたシナリオだ、と各紙社説は見ている。
もしこの通りの流れになったとしたら、おそらく民主党は再び惨敗するだろう。自民党と戦えるほどの選挙体制が整っていないこともあるが、何よりも「増税停止」と「増税継続」では、前者に分があるのは明らかだ。ここ数回の国政選挙に限らず、有権者は決して国全体の趨勢など考えない。自分の生活に直結する「わかりやすいエサをくれそうな政党」に票を投じるだろう。そうなったら、増税停止を提案する自民党が有利になる。

朝日と毎日の社説が主張しているのは、要するに「そういう手段が小賢しい」ということだ。これは明らかに、現時点では批判として成り立っていない。なにせ、まだ自民党は具体的な形として解散総選挙の動きを見せていないのだ。やってもいないことを批判する、という先走ったフライング記事になっている。
子供を怒るときに、すでに犯した悪いことに対して怒るのは妥当だろう。しかし、まだやってもいないのに「これからやろうとしてたでしょ」と推測だけを根拠に怒るのは、妥当な怒り方ではあるまい。

朝日と毎日の社説の書き方が悪いのは、もし自民党が解散を行わず、総選挙も行わず、三党合意の予定通りに消費税を増税したとしたら、全く価値のない社説になってしまうからだ。両社説の内容は「現政権はけしからん」という内容だが、それがもし「けしかる」ことになったとしたら、社説での批判が空振りに終わることになる。内容によっては誤報の可能性も生じる。


では、今回の政権の思惑をどのように批判すればいいのか。
その答え合わせとなるのが、日本経済新聞の社説だ。きれいに一本取ってる。 

日経の社説が論じているのは、「消費税増税の凍結はけしからん」ということだ。「政権がけしからん」ではない。政権そのものを批判しているのではなく、その政策内容を想定して批判の対象にしている。

日経社説の内容は、かなり客観的に世の中を見る能力がある読者でないと、噛み砕いて咀嚼できないだろう。ここまで増税を擁護するマスコミも珍しい。一般市民は増税には反射的に反発するが、日本経済という大きな枠組みの中では、現時点での増税は必要不可欠、それどころか「増税しないと大変なことになる」という内容だ。
日経はしれっと社説を書いているが、よく読んでみるとかなり思い切った内容を剛胆に書いている。日経の購買層を考えると、ここまで正論を包み隠さず書ける、というのは、日経はかなり読者の教育レベルを信頼して書いている、ということだろう。

朝日や毎日の社説は、要するに政権の悪口に過ぎない。しかし日経の社説は「もし消費税増税が凍結されたとしたら」という仮定のもとで、その危険性を提唱している。内容がより具体的で、社説を世に問う意義をきちんと備えている。

今年4月に5%から8%へと引き上げたばかりの消費税率を1年半後に10%へと再増税すれば、景気の腰折れによってデフレ脱却が遠のくとの懸念が背景にあるとみられる。
しかし、わたしたちは、再増税を延期すれば、いずれ金融市場で日本の国債に対する信認が失われ、長期金利が意図しない形で急上昇するリスクがあると指摘してきた。
(日経社説)

日本の国と地方をあわせた借金は国内総生産(GDP)の2倍を超え、先進国で最悪の財政状態にある。確率は低いかもしれないが、いったん長期金利が急上昇すると国・地方の利払い費が大きく膨らみ、財政破綻のおそれが強まる。そうなれば、年金や医療費を大幅に削減するといった激痛を伴う策をいっぺんにとらざるを得なくなるだろう。日本経済に破滅的な影響を及ぼし、デフレ脱却どころではなくなる。再増税をここで延期するリスクはあまりに大きい。
(同)

消費税率を2段階で引き上げることは、社会保障と税の一体改革として自民、公明、民主3党が合意して決めた。高齢化で膨らみ続ける社会保障費の財源を確保するのが目的だったはずだ。再増税延期ならば、子育て支援などの財源も十分に用意できなくなる。仮に再増税の時期を2017年4月まで1年半延ばすとしても、実現の保証はない。
(同)


日経は主張の焦点を「政権批判」ではなく「増税凍結の危険性」に定めているため、論説の根拠に具体性が生じ、地に足がついた議論が可能になっている。「〜と言われている」「〜という噂だ」などという、ふわふわしたいいかげんな根拠ではなく、事実と調査による、第三者にも確認可能な根拠によって論を組み立てている。

また、日経の記事は、仮に現政権が消費税増税を公約どおりに実行しても、相変わらず効力を持つ。増税の凍結は今後も政権が人気とり政策として採用する可能性があり、その可能性を牽制することができる。単なる現時点での批判に留まらず、継続的に危険性を回避する方法を提唱している。


おそらく朝日や毎日は、「いいかげんな根拠を使っている」から「いいかげんな主張になった」のではあるまい。実際の順番は逆だろう。最初から、「自民党現政権の批判ありき」という結論がまずあって、それに沿うように根拠を後からねじ込んだのだと思う。都合のいい事実やデータが見つからなかったら、無理矢理にでもでっち上げる。それが、「噂」などという、読者にとって確認のしようのないものを根拠にしている理由だろう。結論から逆走した書き方をすると、こういう捩じれた文章を書くことになる。

今回の政権批判には、「消費税増税の凍結」と「解散総選挙」というふたつの焦点がある。前者が原因、後者が結果という因果関係はあるが、原則的にはこれらの批判は別問題として扱うべきだろう。
朝日と毎日は後者の「解散総選挙」のほうを主に批判し、日経は前者の「消費税増税の凍結」を批判している。どちらがより日本にとって深刻な事態を引き起こすか、という観点から両者を採点すると、日経の圧勝だろう。別に解散総選挙を行おうが行うまいが、日本は沈没しない。しかし消費税増税の凍結は、少なくとも日経の主張によると、日本経済の浮沈に直結する深刻な問題なのだ。朝日・毎日と日経では、どちらがより日本のことを考えているのか明らかだろう。


文章の書き方は、まず内容よりも形式や方法論を徹底して学ぶことが必要になる。内容の妥当性ばかりを気にして文章を書くと、人はどうしても主観に嵌った感想文を書くようになる。形式や方法論というのは別に意味のない形骸ではなく、妥当な内容を外側から規定するシステムに他ならない。野球のスイングやピッチングでも、自己流のでたらめなフォームではいずれ壁にあたるが、基本に忠実な「型」を身につけると、スランプに嵌ったときに脱出の方法が編み出せる。
今回の社説では、妥当な文章の「型」を無視して書いた2紙が、論説とはとても言えないシュプレヒコールに終止した。そもそも妥当な論説や主張が目的ではないのだろうから、それはそれで構わないのかもしれないが。



そもそも批判になってない。
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なぜ「金太郎」の話を知らないのか

金太郎



昔話「金太郎」を正確に知っている人が少ない。


「桃太郎」「浦島太郎」などのメジャー級の昔話に比べると、「金太郎」はいまいち影が薄い。
まさかりをかついで赤い前掛けをしたおかっぱの男の子を思い浮かべることはできるが、いざ「金太郎」の話をしてください、と言われたら詰まってしまう人が多いのではなかろうか。

フジテレビ系列で放映されていた「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」では、番組内コーナーの「トリビアの種No.063」で、日本人が昔話「金太郎」を話せる確率を検証したことがある。
番組では、金太郎の話のポイントとして以下の4点を定め、それを含む話ができるかどうかを4700人に調査した。

1. 足柄山に住んでいる
2. クマに相撲で勝つ
3. 武士の家来になる
4. 武士になり鬼退治


調査の結果、正確に4つのポイントを含めて話ができたのは4700人中67人で、確率は1.4%。つまり100人に1人しか「金太郎」の話を知らないことになる。
ちなみに、同じ被験者にアンケートした「桃太郎」は91%, 「浦島太郎」は73%の人が正確に話すことができた。それと比べても、金太郎の話がいかに日本人に定着していないかが分かる。

つまり金太郎というのは、「キャラクターとしては日本人であれば誰もが知っているが、昔話のストーリーはほとんど誰も知らない」という、奇異な例と言える。
僕はかねてから、なぜ金太郎がこれほど日本人に知られていないのか不思議だった。誰もが知ってて、誰もが知らない、というのは一体どういうことなのだろうか。

日本人がもつ金太郎のイメージは、そのほとんどが、童謡『金太郎』に依存している。
童謡には珍しく作者が明確に判明しており、作詞は石原和三郎、作曲は田村虎蔵。
曲が作られたのは以外に古く、1900年(明治33年)の「幼年唱歌」に掲載されている。

まさかりかついで金太郎
くまにまたがり おうまのけいこ
はいし どうどう はいどうどう
はいし どうどう はいどうどう

あしがら山の山奥で
けだもの集めてすもうのけいこ
はっけ よいよい のこった
はっけ よいよい のこった


物語としての「金太郎」を見ると、特にイベントらしいイベントが起きていないことが分かる。
登場人物に焦点が当てられる昔話は、まずその誕生に超自然的なエピソードがある。桃から生まれたり、光る竹の中に居たり、体をすった垢でつくった人形だったり、なにかしら普通でない生まれが多い。
ところが金太郎の場合、その生誕が話に含まれておらず、物語開始時に「むかし、足柄山に、金太郎という元気のいい男の子がいました」と、いきなり居る。そこでまず神話性がぐっと落ちる。
また、物語のクライマックスとなる事件が何も起きない。犬猿雉をつれて鬼退治にいくわけでもないし、亀の背に乗って竜宮城に行く訳でもない。


伝承、民話、説話、講談などの物語には、「糸物語」と「箱物語」の2種類がある。
「箱物語」は、文学研究では「枠物語」という構造の一例として扱われることがある。

「糸物語」というのは、物語の最初から最後までが一本のストーリーで繋がっており、散りばめられた細かい伏線をすべて回収して大団円の結末に向かう、一本の話になっている構造を言う。有名な糸物語としては「南総里見八犬伝」「東海道四谷怪談」「忠臣蔵」などが挙げられる。これらの話はすべて序盤から結末まででひとつの物語を構成している。ヨーロッパの物語では、J・R・R・トールキンの「指輪物語」が有名だ。それを意識して作られたJ・K・ローリングのハリー・ポッターシリーズも体裁としては糸物語の構成をとっている。

一方、「箱物語」というのは、一本のストーリーというよりも、短編のような1話完結のエピソードをよせ集め、ごっちゃにまとめた構造を言う。たとえば初期は講談として成立した「水戸黄門漫遊記」は、各地で起きた数々の事件を束ねた構造になっている。一休さんの頓知話もこの分類に属している。

ヨーロッパの古典は、ほとんどがこの箱物語の構造をしている。なにせ、聖書が箱物語だ。
文学的な作品の中でもこの構造は引き継がれている。14世紀にイタリアで書かれたボッカチオの「デカメロン」は、当時大流行したペストから逃れるために家に引きこもった男女10人が、退屈しのぎのためにそれぞれ話をする、というのが全体の枠になっている。10人が10話ずつ語り、全100話からなる。長編小説ではなく、各自が話す短編話の寄せ集めだ。「デカメロン」というのはギリシア語で「10日物語」を意味する。

それと似たような構造は、14世紀イギリスのジェフリー・チョーサーによる「カンタベリー物語」にも見られる。カンタベリー大聖堂への巡礼の途中、たまたま同じ宿に泊まった様々の身分・職業の人々が、夜に酒を飲みながら旅の退屈しのぎに自分の知っている物語を話す、という体裁になっている。

イスラム地域でもこの体裁は使われており、シャーリアール王に連夜お伽話を語って聞かせるシェヘラザードの「千夜一夜物語」がこれに相当する。お「伽」噺というと、何やらいやらしい物語を想像してしまうが、基本的には箱物語だろう。

箱物語の特徴は、その物語のために作られた話だけでなく、時代的、地域的に隣接した種々の民話を吸収してしまうことだ。箱物語には「10日物語」「千夜一夜物語」など、話数に見栄を張ったものが多い。ひとりの作者だけではそこまでの話が作れないため、たまたまその時代、その土地に伝承された民話が、まがいものとして紛れ込む。

箱物語は1本のストーリーではなく、数々の短編譚の寄せ集めだから、すぐには物語全体のあらすじを語りにくい。「水戸黄門漫遊記」や「一休さん頓知話」の世界観と雰囲気はよく知っていても、「どういう話?」と具体的に聞かれて、すぐに答えられる人は少ないだろう。伝えられる話は「〜のひとつ」「〜の一例」であって、その物語全体ではない。
また、成立過程の事情として「まぎれもの」が混ざり込むことが多いため、多少ストーリーの展開に無理があっても、強引に物語に埋め込んでしまう。その無理が、物語全体の構造にひずみを生じさせる。

例えば「竹取物語」では、5人の求婚者に無理難題を吹っかける場面が、箱物語の構造になっている。かぐや姫が「結婚してほしければこれを持ってこい」というお題を5人の求婚者に与え、5人はそれを得るために冒険の旅に出る。仏の御石の鉢(石作皇子)、蓬莱の玉の枝(車持皇子)、火鼠の裘(右大臣阿倍御主人)、龍の首の珠(大納言大伴御行)、燕の子安貝(中納言石上麻呂)を探す旅の話が、それぞれ埋め込まれている。

竹取物語のストーリーを知っている人は多いだろうが、この箱物語の5つのストーリーを正確に記憶している人は少ないだろう。この箇所は、要するに「本筋としてはどうでもいい、付け足しの部分」に等しい。箱物語というのはそういうものだ。
竹取物語の成立は10世紀前後。「今昔物語集」の成立よりも古い。しかし実際には、今昔物語が集めた中国・インドの説話のようなものが遣唐使で輸入されていたのだろう。そういう「単独では使えないが、何かの話に使えそうな物語」が、箱物語として埋め込まれることが多い。

金太郎の話は、物語の構成としては、箱物語の体裁をとっている。そこが、他の昔話とは異なる点といえる。
物語の外側の器だけがあり、具体的な内容は付け足しだろう。「隠居した副将軍が、助さん格さんを従えて地方の視察に出かける」と似たようなもので、全体の話としては「足柄山にむかし、こんな元気のいい男の子がいました」というだけのことに過ぎない。
市販されている絵本の類いを調べてみると、金太郎に含まれている箱物語は、元気な子供が引き起こした山の村落のエピソード程度のものが多い。暴風雨で切れた吊り橋の代わりに大木を切り倒して橋をかける、大きな荷物を抱えているおばあさんを手伝って荷物を運んであげる、といったものだ。一番有名な話は、童謡で歌われている「クマに乗って馬の稽古をする」「山一番の怪力を決めるためクマと相撲をする」だが、これとて全体のストーリーの一部を占めるというよりも、「そういうこともありました」という程度の箱物語に過ぎない。犬猿雉を従えた鬼退治に比べると、著しく物語性に欠ける。

つまり、日本人が「金太郎」の話を知らないのは、「『水戸黄門』ってどういう話だっけ?」と訊かれて、具体的なストーリーを1話ずつ話せないのと同じ理由なのだ。1本に繋がった話ではないため、具体的に話の内容を訊かれても答えようがない。「むかし足柄山に、金太郎という元気のいい男の子がいました」という、器となる大筋だけが重要で、具体的なエピソードは足柄山周辺の武芸譚を寄せ集めてできたものだろう。そうした集合的な物語の構造をしているため、「金太郎」の物語には、実態がない。知名度が1%に満たないのも、仕方がないと言える。五月人形として子供の成長を願う象徴として使えわれる程度が、妥当なところだろう。


金太郎の話が有名ではないのは、そういう物語としての構造にその原因の一端がある。
しかし最近、それ以外にも、日本の歴史の一部にその原因を見いだすことができるのではないか、と考えるようになってきた。

多くの昔話と異なり、金太郎の話は、かなり史実を反映した部分がある。
話の中で、金太郎を家来にとりたてた武士というのは実在の武士で、源頼光(948〜1021)。頼光が金太郎とはじめて会った日も判明しており、976年(天延4年)3月21日とされている。
金太郎はのちに頼光の腹心となり、「坂田金時」を名乗るようになる。渡辺綱、卜部季武、碓井貞光とともに「頼光四天王」と称される。

童謡に出てくる「あしがら山」というのは、現在の南足柄郡。神奈川県と静岡県の県境にあたる。京都を中心とする平安時代の地勢からすると、かなり辺境の地と言ってよい。
関東に地盤がある源氏、というと鎌倉幕府を開いた源氏一族を連想するが、時代が合わない。源頼光が活躍した時代は、頼朝が鎌倉に地盤を確立し幕府を開いた時代よりも150年ほど前だ。この時代は、いったいどういう時代だったのか。

平安時代と鎌倉時代の大きな違いは、朝廷を中心とする集権体制が崩れ、地方で武力と経済力を蓄えた武家の時代に移行したことだ。貴族中心の外戚関係によってほぼ政治権力が決定していた平安時代と、武家政権を打ち立てた鎌倉幕府の差異は、学校で習う程度の日本史の知識でも常識の範疇に属するだろう。

しかし、武家社会に移行したとしても、鎌倉時代すなわち絶対実力主義、というわけではない。鎌倉時代というのは、朝廷が、武士階級の力を「無視できなくなってきた」という段階であって、世の中すべての原理が武士のルールに完全移行したわけではない。朝廷の階級社会と、武士を中心とする実力主義は、平安から戦国時代まで振り子のように揺れ動く。

鎌倉時代は武士社会による統括を一応実現させたが、朝廷ではそれを快く思わないものも多く、後醍醐天皇による建武の新政によって平安時代の原理に先祖返りする。それを瞬時に潰した足利尊氏による室町幕府は、両勢力の調整をはかることに失敗した。天皇をはじめとする朝廷の権力を完全に封じ込めることができず、京都という地理的な条件も朝廷の影響力を助長した。日本の歴史で室町時代だけが「権力の在処がはっきりしない」時代だったのは、そのためだ。武士社会独自の「実力主義」という原則が徹底されるのは、「見せかけの権力」としての室町幕府が有名無実化する戦国時代を待たなくてはならない。

日本史の謎のひとつに、「鎌倉幕府の執権を代々務めた北条氏は、なぜ将軍職に就かなかったのか」というものがある。幕府の中枢として将軍を補佐する職として名をなした北条氏は、京都から幼年の皇族を将軍として鎌倉に招き、成人すると将軍をクビにして、新たな幼年将軍を迎える、ということを延々と繰り返した。鎌倉将軍として頼朝、頼家、実朝の3代は覚えているが、4代以降は覚えていない、という人は多いだろう。実際には、鎌倉将軍は9代まで続いている。4代以降の鎌倉幕府は、北条氏の執権政治によって運営されており、将軍は飾りに等しい。覚える必要がない所以だ。

北条氏が将軍職に就かなかった理由は、中期から末期にかけての鎌倉幕府が将軍として皇族を擁立していることから推測できる。建前上、武家社会の鉄則は、「御恩」と「奉公」の双方向の義務によって成り立っている。将軍が自分たちの所領を守るからこそ、奉公としての追従が成り立つ。この時代の上下関係は、いわば契約関係によるものであり、絶対的君主制のように人権や人格まで束縛するものではなかった。だから主人が契約を果たさなかったら、ためらいなく主従関係を解消できる。
鎌倉幕府の将軍として武士団の頂点に立つということは、それだけの責任を負うことを意味する。いち地方豪族に過ぎない北条氏には、そこまでの御恩を全国的に保証するだけの「先立つもの」がなかっただろう。だから摂家将軍、皇族将軍を擁立し、封建的主従関係を形式だけでも保つ必要があった。

また、「地方豪族」や「武士団」と言っても、何もない所から自然に湧き出てきたわけではない。そのルーツはほとんどが清和源氏、桓武平氏などの「貴種」であり、京都から追捕使や押領使として全国へ派遣されたものが、現地に土着したものだ。つまり「京につながる血筋」であることが、武士団の棟梁として絶対的な価値をもつ。
一方、北条氏の出自は土着の農民だ。「貴種」に属する武士団の棟梁とは、血筋が違う。同じ関東の武士団のなかでも、三浦氏や千葉氏などよりも格下にあたる。せいぜい在庁官人としての地位を認められるに過ぎず、武士団すべてを束ねる棟梁としての格ではなかった。

つまり北条氏は、将軍職に「就かなかった」のではなく、「就きたくても就けなかった」のだ。その背景には、血族社会から実力社会に至る、日本史の長い過渡的な歴史にちょうど時代があたってしまったことがあるだろう。表面的には武家社会、その裏面は貴族的血族社会、という二面性が、平安末期から鎌倉にかけての、時代の実態だ。

そう考えてみると、金太郎を家来に召し上げた源頼光の行為は、かなり時代に反していたように見える。
たとえ怪力で戦力になるとしても、四天王などと呼ばれようとも、時代の眼で見る限り、坂田金時はしょせん「山で育った出自不明の輩」でしかない。来るべき戦乱の世に備えて軍力を蓄える必要はあっただろうが、金太郎のような子供を家来として重用することに、反対する道徳律は存在していただろう。

つまり金太郎の話は、そのサクセスストーリーを良しとしない風潮が、当時からあったのではあるまいか。地元では有名な子供かもしれないが、京都や有力御家人から見れば、「頼光はあんな素性の知れない奴を家来にとりおって」のような見方をされるに過ぎない。
金太郎の話は、政権を取った側からの「上からの目線」の物語ではなく、地元の伝承による「下からの目線」で書かれている。当時の一般民衆にしてみれば、元気一杯の子供が有名な武士の家来に取り立てられる、というのは、これ以上ないほどの出世譚だろう。しかし、そういう例は当時でも例外中の例外であって、基本的には武士団の階級は血筋や血縁に依拠する場合が多い。

だから金太郎の出世話は、公権力からすれば「封じ込めたい話」であり、話が広まらないように何らかの圧力がかかっていたのではあるまいか。その結果、破天荒な子供を讃える民間伝承を、地元でひっそりと語り継ぐ程度に留まったのだろう。そういった時代の圧力が原因となり、「金太郎」は広く全国に知れ渡る「物語」になり得なかったのではあるまいか。
平安から室町にかけて、政治権力の動向が振幅した時代に書かれた物語は、すべて身分・階級・血筋の差を当然の前提としている話が多く、下克上や分不相応な出世を讃える話は無い。「太閤記」のような話は、戦国時代を経てはじめて可能になった物語だ。


金太郎の話は、その物語の構造、時代背景など、いろいろな要因が絡まって、あまり知られることのない話になっている。その要因を紐解いてみると、日本の歴史の推移の中にその背景が隠されているような気がする。金太郎の他にもそういう昔話は、思いのほか多いのではないだろうか。



神奈川県民でも知らない人が多い。

天気図を書く

はじめての天気図
(デイリーポータルZ)



こういうのを本当の娯楽というのではあるまいか

漱石の誤字

借金は「帰」さない? 漱石の誤字に隠れた意図
(日本経済新聞)

 季節は読書の秋。校閲の仕事をはじめて2年だが、最近では、目にするものすべてに誤字脱字がないか探す“職業病”がすっかり身についてしまった。最近読んだ本から見つけた「誤字」はこちら。「商買(商売)」「借す(貸す)」「辛防(辛抱)」「引き起し(引き越し)」「専問(専門)」。実はこれ、すべて夏目漱石の小説「坊っちゃん」の直筆原稿の中から見つけたもの。「漱石は書き損じが多い」という話は一部では有名なようだが、すべて単なる書き損じなのだろうか?

■直筆原稿に「誤字」散見
 「坊っちゃん」は、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」主人公の坊っちゃんが、四国の旧制中学に教師として赴任。そこで展開される生活を描いた作品だ。小中学校時代に読んだことのある人も多いだろう。

 漱石の直筆原稿の画像で構成された集英社新書ヴィジュアル版「直筆で読む『坊っちゃん』」を見ると、現在の一般的な表記では誤字とされる表記がある。例えば、坊っちゃんに育ての親ともいうべき下女の清がお金をくれる場面。清からもらった3円を回想して次のように述べている。(以下、〈 〉で示した強調はすべて記者による)

 「この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に〈帰〉すよといったぎり、〈帰〉さない。今となっては十倍にして〈帰〉してやりたくても〈帰〉せない」

 漢字の使い分けは、新聞社や出版社が発行する用語辞典を見るのが分かりやすい。共同通信社が発行している「記者ハンドブック 新聞用字用語集」によると、「帰」は主に人に対して、「返」は主に事物に対して使う言葉。この場面では、返すのはお金なので、「帰」では不適切。「返」を使うのが順当のはず。一見、「誤字なのかな」と思ってしまいそうだ。

■意図的に使い分け?
 記者がよく目にする同音異義語・同訓異字タイプの誤字は、ワープロ変換ミスによるものが多い。だが漱石の時代にはもちろんワープロなどない。しかも、漱石の表記の使い分けをよく見ると、彼なりに一定のルールに基づいているものもあるようだ。「帰」と「返」にしても、漱石は自分なりに使い分けていたフシがある。

次の文章では、坊っちゃんが同僚教師の山嵐から借りた1銭5厘を、清から借りた3円と比べて物思いにふけるシーン。ここを読むと、漱石の「帰」と「返」の使い分けがはっきりする。

「あした学校へ行ったら、一銭五厘〈返〉して置こう。おれは清から三円借りている。その三円は五年経った今日までまだ〈帰〉さない。〈返〉せないんじゃない、〈帰〉さないんだ。清は今に〈帰〉すだろうなどと、かりそめにもおれの懐中をあてにはしていない。おれも今に〈帰〉そうなどと他人がましい義理立てはしないつもりだ。こっちがこんな心配をすればするほど清の心を疑ぐるようなもので、清の美しい心にけちを付けると同じ事になる。〈帰〉さないのは清を踏みつけるのじゃない、清をおれの片破れと思うからだ」

 これきりの短文なのに、「帰」と「返」が混在している。確かに、単なる誤字として片付けるのは少し無理があるような気がする。

 漱石など日本文学の校訂研究で知られる山下浩の著書「本文の生態学―漱石・鴎外・芥川」(日本エディタースクール出版部)によると、この「誤字」は明らかに漱石なりの意図に基づいた使い分けだという。

 読み解くヒントは末尾にある「清をおれの片破れと思うからだ」の一文。坊っちゃんにとって、清から借りた3円は清の分身にひとしい「片破れ」なのだ。だから、物のように「返す」といわず、人のように「帰す」を使いたかった。山嵐から借りた1銭5厘と、清から借りた3円が、坊っちゃんの中で明確に区別されており、だからわざと「帰」と書いたのではないか、というのだ。

■文庫本は「修正」済み
 同書は、他にもこの種の含みのある漱石の「誤字」をいくつか指摘している。例えば、「誤楽(娯楽)」という言葉。坊っちゃんが娯楽という言葉を口にするときは、漱石は必ず「誤楽」と書く。坊っちゃんが気取り屋の教頭、赤シャツを皮肉ったり批判したりするときにだけ使われる言葉だ。

 「すると赤シャツがまた口を出した。『元来中学の教師なぞは社会の上流に位するものだからして、単に物質的の快楽ばかり求めるべきものでない。(中略)何でも高尚な精神的〈誤楽〉を求めなくってはいけない……』(中略)あんまり腹が立ったから『マドンナに逢うのも精神的〈誤楽〉ですか』と聞いてやった」

 赤シャツの「誤楽」を鼻で笑う坊っちゃんの姿が目に浮かぶようだ。もとの文章の中で改めて読んでみると、「娯」をわざと「誤」にすることで、痛烈な皮肉を表現する、漱石流のウイットだったとも思えてくる。

詳細に「誤字」を見ていくと、「あえて普通とは違う漢字を使っているのではないか?」という可能性が頭をもたげてくる。ところが、岩波文庫版「坊っちゃん」をはじめとした各種文庫では、「帰」は「返」に、「誤楽」は「娯楽」に校正されている。書店に並んでいる数種類の文庫を開いて見てみたが、漱石の直筆原稿を生かしてこれらの誤字を残したままにしているものは、記者が探した限り見つからなかった。

■「誤字」に込められた意図
 誤字だけではない。坊っちゃんには「赤シャツ」が1カ所だけ「赤しゃつ」と平仮名書きになっている箇所があるのだが、ここも各種文庫では「赤シャツ」と片仮名に校正されている。ところが、「赤しゃつ」と平仮名書きされているただ1カ所というのは、主人公の坊っちゃんが、無学で平仮名しか書けない「清」に宛てた手紙の中なのだ

 「坊っちゃん」が雑誌「ホトトギス」に掲載されたのは1906年(明治39年)のこと。日本初の近代的国語辞典として知られる「言海」が刊行されたのは1891年なので、わずか15年後ということになる。

 辞書はいわば日本語の規範を示した書物。例えば「帰」と「返」の使い分けは、「言海」をはじめとするどの辞書にも載っている。しかし「言海」が刊行されてさほど時間がたっていなかったころは、「文章のプロ」である作家たちの間でも、日本語の規範に沿おうという意識がまだ薄かったのかもしれない。

 辞書的な規範にとらわれない表記には、作家の自由な発想が潜んでいることもある。明治・大正時代よりも厳格な言葉のルールに慣れ親しんでいる現代人には誤字と思える表記も、実は作家による「計算ずくの誤字」である可能性もある。文学作品に現代人の感覚でむやみに校正を入れると、むしろ改悪になっ てしまう恐れもあるわけだ。ただ、どこまでが「計算ずくの誤字」で、どこからが書き損じなのか。それを見極めるのはとても難しい。

 この季節、秋風にさそわれて読書にふける人も多いはず。「誤字」の数々に秘められた意図を推察しながら、改めて漱石作品を読み返してみるのも面白いだろう。
(山本紗世)




新聞に載せるには勿体ない文章。
ペンギン命

takutsubu

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