たくろふのつぶやき

お鍋には熱燗をつけてくれたまへ。

2014年08月

ドイツの城




ホーエンツォレルン城(ドイツ)

大学でレポートの指導をするときに、「原因の究明は、手触りができる情報単位まで掘れ」と教えている。


ちょっと理解しにくいが、言っていることはそれほど難しくない。要するに「もっともらしい美辞麗句を並べて分かったつもりになるな」ということだ。
Aという不思議な現象があるとする。その原因を究明するときに、「Bだからだ」という答えを仮説として用意する。学生が書くレポートの多くは、その「B」が、なんのことだか分からない曖昧な言葉になっていることが多い。

たとえば、「現在の日本の景気が落ち込んでいる理由を説明せよ」とお題を出すとする。そうすると8割くらいの学生は、「ビジネスが国際化し、インターナショナルな視点で経済が相互に関連するようになり、景気変動の理由が多様化したから」のような答えを出してくる。おそらくどこかのネットで見かけた文言のコピペだろう。

こういう類いの答案は、答えになっていない。「ではどうすればその問題を解決できるのか」の具体策につながらないからだ。その背景には、「国際化」「インターナショナル」「相互に関連」「多様化」のような、わかったつもりになれる実態のない言葉がある。こうした言葉は様々な要素が絡まる概念をいいかげんに包む大雑把な言葉であり、ことばがもつ明確な指示対象がない。こうした学生に「『国際化』ってどういうこと?」「『相互関連』の具体例は?」「『多様化』の基準は?」などと、一歩突っ込んだ質問をすると、例外なく凍ってしまう。

こういう、実態のない「わかったつもり」の言葉を、マジックワードという。このマジックワードを使って説明したつもりになっていると、思考停止に陥る。具体策につながる提言にはならない。僕は大学のレポート課題で、こうしたマジックワードを使ったレポートはことごとく落第にしている。
マジックワードに陥らないためには、言葉を砕いて砕いて、具体的に「手触りのできる」情報単位まで思考を落とし込まなければならない。「Bだからだ」という仮説を出して満足するのではなく、「Bの具体例は何か」「Bを構成する要素にはどのようなものがあるか」「Bの対立仮説は」など、さらに掘り進む必要がある。

こうした掘り進みのためには、そもそものお題である「A」を詳細に分析する必要がある。「現在の日本の景気が落ち込んでいる理由を説明せよ」というAを示されたら、「『景気』とはいったい何のことか」「『景気が落ち込んでいる』とは何のことを指しているのか」など、そもそもの問題に含まれるマジックワードをまず明らかにしなければならない。これができずに、お題を「分かったつもり」になっているうちは、問題解決は絶対に無理だ。


閑話休題。8月20日の未明、広島の10カ所以上で土砂災害が発生し、死者が70人に達した。行方不明者も多く、安否が確認されていない人も多い。被災地では小学校や中学校を避難場所としたため、夏休み明けの授業再開をずれ込ませるなど、対応に追われた。安倍晋三首相は休暇を切り上げ首相官邸に戻り、自衛隊を派遣するなど、対策・現地支援の体制を整えている。
この件について、新聞各社が社説を掲載している。


『広島土砂災害 生かされなかった過去の教訓』
(2014年08月21日 読売新聞社説)

『広島の土砂災害 救援活動に全力挙げよ』
(2014年08月21日 毎日新聞社説)

『広島の土砂災害 地域「共助」で被害防ごう』
(2014年8月21日 産經新聞社説)

『豪雨土砂災害 情報が生死を分ける』
(2014年8月21日 東京新聞社説)

『豪雨土砂災害 避難の勧告ためらうな』
(2014年8月22日 東京新聞社説)

『広島土砂災害 検証究めて命を守れ』
(2014年8月22日 朝日新聞社説)

『なお死角多い土砂災害対策』
(2014年8月22日 日本経済新聞社説)


今回の土砂災害の背景には、広島県の災害対策の遅れがある。広島では、15年前の1999年の6月にも同様の土砂災害が発生し、20数名が死亡している。その事後対応として、2001年に「土砂災害防止法」が制定された。この法律では、各都道府県が危険箇所を調査し、「警戒区域」や「特別警戒区域」に指定し、ハザードマップを作製するよう義務付けている。
今回の広島の災害は、実質上、この土砂災害防止法が機能していなかった。土砂災害防止法が定める調査には膨大な人員と時間と予算がかかり、都道府県によってはその進捗状況が大きく遅れている。今回の広島の災害場所の大半は、警戒区域に指定されていなかった。

そうした広島の「対応の遅れ」が惨事の原因だ、と正面から論じているのが読売新聞だ。広島県内の土砂災害危険箇所は3万2000か所に上り、他の都道府県と比べてもかなり多い。どこよりも予防と対策が必要だったにも関わらず、それが適切に行われていなかった。
また避難勧告の発令も遅かった。土砂災害の原因となる大雨はすでに夜半から生じ、真夜中には既に数カ所で土砂災害が発生していた。にも関わらず、広島市が避難指示・勧告を出したのは、20日の午前4時15分以降。すでに災害が発生してからのことだ。広島市の担当者は「雨量の分析を誤った」と、発令の遅れを認めている。

惨事が惨事だけに傷口に塩を擦り込む過激な論調ではないが、読売新聞の社説は、明らかに広島県の対応を非難している論調だ。「人災だ」とまでは言わないが、「もっと広島市が適切な対応をとっていれば、被害は食い止められたのではないか」という論旨が読み取れる。
つまり読売新聞は、今回の惨事の原因と対応箇所を「広島市」に絞っている。広島の対応がこうだったから、こうなった。だから広島がこうすれば、こうすることができる。現象の原因を広島市に絞っている以上、読売新聞から読み取れる今後の対策課題は「都道府県」「市町村」という、行政レベルの努力に還元されることになる。

果たして、そうだろうか。読売新聞の主張は、現象を一般化すれば「だから各都道府県は仕事を頑張れ」という、「わかったつもり」の具体策にしかつながらない。
各都道府県や市町村は、別に仕事をさぼっているわけではあるまい。地質調査や警戒区域指定などの土砂災害の対策は、できる範囲で頑張っているのだろう。今回の災害は、今までの「できる範囲での努力」ではカバーし切れなかった現象だ。できる限りのことを頑張っている市町村に対して、「それ以上の努力をしろ」というのは、建設的な提言になっているのだろうか。

つまり読売新聞は、「土砂災害防止法に基づいて警戒区域指定の努力を続けろ」という「マジックワード」に到達した時点で、思考を止めてしまっている。本気で具体策につなげようとしたら、その次段階として「では、なぜ警戒区域の指定が進んでいないのか」「土砂災害防止法の徹底に必要な人員・予算・環境面での条件は何か」など、その先の問いまで掘り進めなければならない。
普通に考えて、役所はただでさえ少ない人員で通常業務をこなしている。そこへ土砂災害防止法に基づく警戒区域指定という新しい仕事が降ってきたら、いままでの人員では人手が足りないのは当たり前だ。国会は法案をつくって終わりだろうが、立法を司る以上、その法案を実施して具体的な作業を行うために必要な予算や人員を見積もる必要がある。実質上、その仕事は国会が行っているのではなく、各都道府県に丸投げだろう。役所が独自の部署でその仕事を行うにしろ外部に委託するにしろ、負荷がかかることは間違いない。

読売新聞の主張は、いうなれば上から現場を見下ろす、国会の目線だと思う。法案が通過した。実施は必須だ。だから頑張れ。それで終わりにしている。そういう目線で今回の惨劇を見ると、「広島市の職務怠慢」という結論しか出てこない。事実上、実施が困難な法案をなんとか消化しようとする現場の事情など知ったこっちゃないし、作業が遅れている本質的な理由にも届かない。要するに、災害の再発を防ぐために必要なことが「努力と気合」という精神論に陥る。
今回の読売社説が僕の講義の課題レポートだとしたら、間違いなく落第点をつける。

それに比べると、東京新聞はまだ説得力のある社説を掲載している。東京新聞は、同様な災害が生じて人的被害を最小限に食い止めた、他の事例を紹介している。
21日の社説では、同月16日から17日にかけて記録的な大雨が降った岐阜県高山市の事例を紹介している。約170カ所で崖崩れが起きたが、人的被害は一件もなかった。

民間の気象情報会社のサービスも活用した素早く、きめ細かい避難勧告が奏功した。十七日昼に避難勧告を出した地区でその夜、土砂災害が発生して民家一棟が全壊した。住人は防災無線を聞いて小学校に避難しており、無事だった。なかなか指定が進まないとはいえ、土砂災害防止法の警戒区域は既に全国で三十五万カ所。危険を知らせる、危険を知る努力が命を守る第一歩であろう。
(東京新聞 8月21日社説)


また翌22日の社説では、2013年10月の伊豆大島(東京都大島町)の土石流災害の例を紹介している。こっちは「うまくいかなかったほうの例」で、避難勧告の遅れが災害につながった事例だ。
東京新聞は21日と22日の両日にかけて広島土砂災害の社説を掲載しているが、21日の社説は「土砂災害防止法の徹底の仕方」、22日の社説は「避難勧告のタイミング」に、それぞれ焦点を絞っている。
今回の広島の件は、災害が深夜だったこともあり、避難勧告を出すのが難しかった。昼間の避難に比べて、深夜の避難は行動が難しい。大雨がたいしたことなく避難勧告が空振りに終わった場合、住民感情としては行政に非難が向くだろう。こうした避難勧告の難しさについて、東京新聞は提言を行っている。

多くの犠牲者を出した昨年十月の伊豆大島(東京都大島町)の土石流災害でも、町が発生まで避難勧告を出していなかった。その失敗を教訓として、内閣府は今年四月、避難勧告や指示を出す際の指針を改定し、全国の市町村に通知していた。新指針は、被害想定がはずれる「空振り」を恐れず、早めに勧告を出すことを基本原則とし、夜間に避難行動が必要になりそうな場合には、早めに避難準備情報を出すことも示した。勧告を出すタイミングの事例も示し、土砂災害については、気象台などが土砂災害警戒情報を発表した段階で避難勧告を出すべきだとした。
(東京新聞 8月22日社説)


結果としては両社説とも「だから行政はがんばれ」という努力論になってしまうのだが、努力の仕方を明確に提言している分、読売社説よりも具体性が高い。また広島だけの問題として考えず、他の事例と比較して検証しているところも好ポイントだ。レポートの成績として評価すると、Aランクとまではいかないが、少なくともBはつけられる社説だと思う。

産経新聞は、他の社説とは一線を画した論調を載せている。広島市の対策の遅れや避難勧告の遅れについて、非難めいた論調を一切載せていない。産経社説は、このような災害への対策として、行政目線ではなく住民目線からの提言を行っている。「こうした災害時に必要なのは、近所同士の声かけなど、地域住民の共同対策だ」という内容だ。

災害から命を守る「自助」「共助」「公助」のなかでも、近隣住民が助け合い、地域の防災力を高める「共助」が、ゲリラ型の災害に対しては特に重要となる。土砂災害では、住宅が数メートル離れているだけで、生死が分かれるようなケースも少なくない。切迫した状況下では、避難行動の選択肢も限られる。独り暮らしの高齢者には、大雨や台風接近が予想される日には近所の家に身を寄せてもらうことで、災害時のリスクを大幅に縮小できる。今回のような深夜・未明の災害では、近隣住民同士の声かけによって命が救われることもあるだろう。

家庭ごとに安全を確保することも大事だが、10~20軒ぐらいの家が協力し、何ができるかを考えて行動すれば、より多くの命を守ることができるはずだ。それには、自分たちの住む地域でどんな災害が起こり得るか、災害時にはどんな対応ができるかを、普段から話し合っておく必要がある。地域のつながりと「共助」の力を高めるため、防災訓練などの機会に近隣住民の会合の場を設けてはどうだろう。
(産経社説)


おそらく産経社説の意図は、即効性だろう。災害対策は、長期的視野に立った対策と、短期的な努力目標の両面が必要となる。今回の災害の引き金になった大雨は依然勢力が弱まっておらず、広島の災害後の1週間くらいの間に、全国各地で同様の災害が発生する懸念がある。
産経新聞は、そうした「喫緊の必要性」に考慮し、すぐにでも実践可能な具体策を提言する方針で社説を書いたのだろう。長期的視野に立った行政の非難は後回し、とりあえず他の地域にも注意を呼びかけ、明日にでもすぐに実践可能な「心がけ」を説いている。こうした災害が頻発する時期には、行政を上から目線で訳知り顔に説教しても、何の助けにもならない。その点、産経社説の具体性は評価できる。

産経社説の欠点は、地域性を考慮していないことだ。たとえば東京新聞が紹介している岐阜県高山と、大都会である広島市では、「住民同士の関係」が大きく異なることが想像できる。これが東京、神奈川、埼玉、千葉などの都心に近くなれば、なおさら実践が難しいだろう。「住民同士で声を掛け合って」という提言は、地域によって実行可能性が大きく異なる。
土砂災害のような地域災害は、その地域によって大きく対処の方策が異なる。本来であれば、地域性や地理的条件など、局地的な条件をそれぞれの住民がよく考えて、地域にあった方策を独自に編み出す必要があるのだろう。
しかし、社説で「それぞれの地域で、それぞれに考えて」と書いたのでは、提言として漠然とし過ぎる。産経社説はその辺の事情を考慮して、日本全国のあらゆる地域で、共通項としてある程度通用しそうな「地域の連携」という最大公約数を、とりあえず掲載したのではないか。産経社説の書き方として、自社の主張内容が万能の方策ではあり得ないことを充分に承知した上で、なお緊急の必要性に応えるべく、拙速を了とした上での社説、という姿勢のような気がする。

今回の社説でいちばん良い点をつけられるのは、毎日新聞と日本経済新聞の社説だ。この両紙は、土砂災害防止法の徹底が進まない理由を、一歩踏み込んで指摘している。

広島県は危険箇所が多いが、調査に時間がかかることなどから作業が進まず、今回の被災現場も大半が指定されていなかった。危険度の高い地域の指定を優先するなど臨機応変の対応が求められる。全国的に見ても、国土交通省の調査で危険箇所は約52万カ所に上るが、3分の1は未指定で、作業は遅れている。指定されれば不動産価値が下がると住民が懸念し、理解を得にくいことも要因とされる。だが土砂災害の被害は甚大だ。住民に法の趣旨を丁寧に説明する必要があるだろう
(毎日社説)

広島市が避難勧告を出したのは土砂崩れの発生後だった。被災地は花こう岩が風化したもろい地質からなり、15年前にも大規模災害を経験している。8月に入って雨が続き、地盤もゆるんでいた。真夜中に突然、避難勧告を出すのは住民の安全確保に課題があり、自治体がためらうのは無理もない。だが雨の予報が出た段階で、注意を呼び掛ける「避難準備情報」は出せなかったのか

土砂災害の危険が高い地域では日ごろから住民に注意を喚起することも欠かせない。国土交通省によると、全国で土砂災害の危険地域は52万カ所にのぼる。土砂災害防止法は都道府県が「警戒区域」や「特別警戒区域」を定め、市町村に避難計画づくりを求めている。特別区域には宅地開発の制限もある。だが危険地域のうち3分の1は未指定だ。自治体の担当職員の不足に加え、警戒区域に指定されると不動産価格が下がるとして、地元住民が反対するケースもあるという。自治体は住民に粘り強く説明し、区域指定を急ぐべきだ。国が専門家を派遣して防災計画づくりを後押しすることも考えたらどうか。土砂災害から命を守るには、先手を打って避難するのが鉄則だ。迅速な避難行動を促すため、事前の情報周知がカギを握る。
(日経社説)


毎日も日経も、土砂災害防止法の実践の遅れの原因を「住民の理解が得られていないから」と分析している。確かに、いきなり行政に「あんたの住んでるところ、警戒区域ですよ」と公に指定されたら、いい気はしないだろう。不動産業者であれば、地価の変動に直結する死活問題だ。
つまり、地域住民には「土砂災害防止法の推進を喜ばない要因」が潜んでいるのだ。こうした要因を行政が丹念に排除していかない限り、土砂災害防止法は机上の空論になりかねない。

日経社説は、さらに踏み込んだ提言を行っている。広島市の避難勧告が遅れたのは東京新聞も指摘してる通りだが、警告はなにもいきなり避難勧告を出さなければいけないわけではない。大雨警報、避難準備情報、非難勧告、と順次警戒レベルを高めていく方法がある。こうした「情報発信の方法の整備」という視点は、単に避難勧告の遅れを責めるよりも、よほど建設的だ。
日経社説は、他紙が指摘している論点をすべて包括した上で、さらにそれを一歩進めて具体策まで掘り進んでいる。「広島市は努力が足りない」という安易な根性論ではなく、避難勧告と土砂災害防止法実施の両面で、きちんと具体案まで砕いている。毎日社説では前者の視点が欠けている分、日経社説のほうに軍配が上がるだろう。レポートの成績として評価すると、毎日新聞がA、日経新聞がA+くらいの評価だろう。


問題が生じて、それに解決案を提案するときに、マジックワードを散りばめて提言をしたつもりになっているうちは、何の実効性もない。「わかったつもり」になっているだけの提言は、気持ちに作用するかもしれないが、必要なのは気持ちではない。実行可能な具体策だ。そこまで思考を掘り下げ、噛み砕き、自分の行動に還元できる提言でないと、単なるかけ声と同じだ。そういう見方で社説の読み方をすれば、大学のレポートで無様な成績をとるようなことはないと思う。

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フランス世界遺産




モンサンミッシェル(フランス)

金魚1



たまには夏らしいお出かけを、ということで、東京日本橋のアートアクアリウム2014に行ってきました。
銀座へのお出かけなんて久しぶり。




金魚2
いきなり度肝を抜かれる幻想的な水槽のみなさん



金魚3
涼しそうですな



金魚6
反射角によって逆側も見れる水槽




金魚7
小学校時代の教室の水槽とは明らかに違う何か




金魚8
屏風を模した水槽。どうやって水圧調整してるんだろう。




金魚9
壁に埋め込まれた間接照明的な水槽



金魚4
明らかに僕の月給では飼えない金魚様のみなさん



金魚5
ふくれておる。




普段、水族館に行くと「うまそうだ」などとつぶやく嫁も、夏の金魚の清涼感を存分に堪能しておりました。夏らしいデートに最適と思われます。ちなみにチケット購入が大変混み合いますので、事前にネットで時間制チケットを購入しておくと並ばずに済みます。
ちなみに屋台のような金魚すくいは開催しておりません。お持ち帰りもできません。


 
 
風鈴、朝顔、花火と並んで日本の夏の代名詞。

『「アナ雪」人気 生きにくさを超えて』
(2014年8月19日 朝日新聞社説)


朝日新聞がまた珍妙な社説を掲載した。大ヒットしたディズニーのアニメーション映画『アナと雪の女王』について書き始め、その人気の理由についてひとくさり講じたあと、いきなり男女差別についての結語を導いている。


ディズニー長編アニメ初の女性監督が手掛けたこの作品で、主人公姉妹は「白馬の王子様」を待たず、自分で困難を乗り越える。エルサが主題歌を歌いあげるのは、それまで抑えていた力を存分にふるう場面だ。ヒロインが「ありのままの自分になる」と歌う映画に、日本社会は強く反応した。それは、女性たちが生きるうえで、大小様々な障害にぶつかっている現実と無縁ではないはずだ。

この映画の公開中も、女性の生きにくさを映す事件が頻発した。政権が成長戦略として女性「活用」を唱える一方、働く母親が仕方なく預けた幼い命が奪われたり、国や地方議会で女性差別ヤジが問題になったり。三重県の女性の活躍推進会議では「女は下」発言もあった。こうした環境を変えるため、一つ一つの問題を見逃さず、声を上げ、取り除く努力を重ねたい。社会の仕組みを見直し、偏った意識を問い続けよう。女性が、そして男性も、伸びやかに生きられる世の中を目指して。



僕も実際に「アナ雪」を観たが、



アナ雪ってそういう話だったか?



まず、アナ雪がこれほど流行った理由だが、朝日の見方は本当に正しいのか。
朝日新聞によると、アナ雪の驚異的な動員の元は、成人女性が何度もこの映画を観るリピーターになっている、ということだそうだ。その理由として、朝日新聞は「ありのまま」というキーワードを取り上げ、「現在の女性が、ありのままに生きづらい世の中になっているからではないか」としている。


配給元によると、家族連れに加え、大人の女性客が多いのが特徴だという。ディズニー長編アニメ初の女性監督が手掛けたこの作品で、主人公姉妹は「白馬の王子様」を待たず、自分で困難を乗り越える。エルサが主題歌を歌いあげるのは、それまで抑えていた力を存分にふるう場面だ。ヒロインが「ありのままの自分になる」と歌う映画に、日本社会は強く反応した。それは、女性たちが生きるうえで、大小様々な障害にぶつかっている現実と無縁ではないはずだ



はたして、本当にそうなのだろうか。
アナ雪の主題歌が爆発的なヒットを記録し、世界中の言語に翻訳され、映画のヒットの原因になったのは確かにその通りだろう。しかし、「歌詞に共感して」という朝日の見方は正しいのだろうか。
アナ雪の曲の売り上げをインターネットからのダウンロード数で観てみると、日本語歌詞バージョンだけでなく、英語、ドイツ語、フランス語など様々な言語のバージョンで売り上げが伸びている。ということは、視聴者はこの「曲」に反応しているのであり、別に「歌詞」の内容に反応しているのではないと思う。人が気に入る曲の傾向として、歌詞がどうのこうのではなく、楽曲の良し悪しのほうが重要な要素ではあるまいか。

また、今回の映画が爆発的に売れた理由だが、そもそもの前提として「年齢層に関係なく、ディズニーが好きな女性は一定数存在する」という事実があると思う。近年のディズニー提供の映画は、おもちゃだのクルマだの飛行機だの、人間以外の主人公を擬人化した物語が多かった。いくらディズニーが好きな女性といってもなかなかお気に召す作風ではあるまい。
それが今回久々に、人間を主人公とする映画が公開された。エルサとアナというふたりの女性を軸にしており、主人公の年齢層としては、映画を見せるターゲットの年齢層にかぶっている。今回の「アナと雪の女王」は、売れるべくして売れた映画だったのだと思う。今回のアナ雪が、小中高生や大学生など社会に出ていない層の女の子にも受けている理由、幼児をターゲットにしたアナ雪のキャラクターグッズが続々発売されている理由を、朝日新聞はどのように説明するつもりだろうか。


また朝日新聞は、「アナ雪が売れたのは、社会的に容認されにくい女性が、主人公の立場に共感したからだ」と主張している。つまり朝日新聞の前提としては、「この映画を見に行く人は、事前にちゃんとストーリーをしっかり理解して、その世界観に共感した上で見に行っている」という前提がある。
本当にそうだろうか。一般的に我々が映画を見に行くときには、キャスティング、だいたいの重要シーン、おおよそのコンセプトだけを散りばめた予告編を観て、「なんとなく面白そうだ」的な感覚で見に行くのではあるまいか。また、僕がこの映画を観た限り、この映画の魅力は各場面や情景描写の雰囲気であり、ストーリーとしては「女性がひとり城を出て行って、いろいろあって、帰ってきました」というだけのものでしかない。少なくとも、「女性」の生き方を軸にしたヒューマンドラマが映画の中心ではない。

そもそも、この映画の主人公のエルサが孤独を感じ「ありのまま」の生き方を求めたのは、エルサが女性だったからではない。魔力をもっていたからだ。結果としてこの映画は男性の力を借りることなく問題を解決するが、それはもうひとりの主人公であるアナに重要な役割を担わせるための構成上の都合だろう。少なくとも、このストーリーをもとに、朝日新聞のように「この映画が売れたのは、抑圧された女性の立場に共感した客が多かったからだ」と論じるのは無理がある。原因、結果、因果関係、すべて違う。

今回の朝日社説の書き方としては、最初から「女性の社会的立場が恵まれていない」という結語ありきなのだと思う。そこに結びつけるために何か時事的なネタを導入にして、気の効いた社説にしたかったのではないか。
朝日新聞はよくこういう牽強付会、我田引水の社説を書き散らすが、これはあとあと問題になると思う。いまこの朝日の社説を読んだら、僕以外にも「そうかなぁ?」と思う読者はいると思うが、これが10年後、20年後になって記録としての社説として紐解かれるようになると、「2014年の朝日新聞社説にはこのように記してある」と、まるであたかもそれが事実であったかのような扱いをされる。そして多くの場合、そのように過去の朝日社説を、検証なく事実として扱うのは、ほかならぬ朝日新聞自身なのだ。自分たちで勝手な記事を書き散らしておいて、後日、「過去の本紙記事にはこのような記述がある」と、あたかも権威のある事実のように自社記事を祭り上げる。このような朝日新聞の体質が様々な国際関係の軋轢になってきたのは、もはや周知の事実だろう。


朝日新聞はこのような記事を書いた背景を明記していないが、この記事のきっかけはおそらく、厚生労働省が発表した2013年度雇用均等基本調査だろう。この調査で、課長以上に相当する管理職の女性比率は6.6%という結果が出た。左派の新聞であれば女性雇用問題は政策論題の軸になるネタだろうし、政権批判の焦点になる話題だろう。
この件については、毎日新聞も社説を発表している。


『女性管理職6.6% 異次元の対策が必要だ』
(2014年08月22日 毎日新聞社説)


毎日新聞の社説は一般的にきれいごとが多く、つまらない記事が多い。しかし今回の記事は、安易の行政の責任に押し付けるのではなく、「重用されない女性側の能力にも問題がある」という意見を掲載しているところが面白い。話のもっていき方としては「女性の能力をちゃんと発掘しているのか」と女性以外の要素のせいにしているが、一方的な視点に拘泥せずきちんと別視点を置いていると言える。
また、海外の事例を安易に賞賛するのではなく「日本のもつ職場の事情を鑑みる必要がある」と指摘している点も面白い。もちろん、当事者の企業の怠慢な姿勢もきちんと指摘している。「自分の企業のこともろくに分かっていない経営者に自主性など期待できるか」とは、なかなかの啖呵だ。


さらに、取り組まない理由にあぜんとさせられる。「男女にかかわりなく人材を育成しているから」「すでに女性は十分活躍しているから」「女性が少ない、あるいは全くいないから」−−。現状を特段、問題視していない姿が透けて見える。一方、女性を起用するにやぶさかではないが、能力や経験を伴った人材がいない、というのも女性管理職が少ない理由としてよく耳にする。厚労省の調査でもこれがトップだった。しかし、企業は本気になって、人材を発掘しようとしているだろうか。男性の管理職は能力や経験が伴った人ばかりなのだろうか。

政府は新法を作って、企業に積極的な行動を促そうとしているが、「経営の自主性に任せてほしい」というのが経済界の基本姿勢である。だが、現状をさほど問題と認識していない、あるいは自社の実態を把握すらしていない経営者の自主性に期待するのは楽観的過ぎというものだ。役員の4割以上を女性にしない企業は最終的に解散処分となるノルウェーのような急進的制度は日本の文化になじまない。そんな声が多い。義務化に反対するのなら、企業は、前例のない大胆な行動で本気度を証明すべきだ。ちなみに、経団連の会長と副会長18人は全員が男性である。女性の就任は一度もない。象徴的な例として、正副会長や委員長ポストに女性を起用する計画を示してはどうか。



毎日社説の欠点は、結論がないことだ。「では、どうすればいいのか」という提案がない。全体の趣旨としては、「みんな悪い」ということだろう。企業、男性管理職、女性、どの立場にも正義はない。だから「前例のない大胆な行動で本気度を証明すべき」と来た。要するに、「何をすればいいかと問われたら答えはないけど、なんか新しいことをしろ」という主張だ。無責任といえば無責任だろう。

しかし、少なくとも一方的な男性悪者論や外国礼賛ではないし、企業の怠慢なまでに保守的な姿勢を批判する役割は果たしている。そもそも、「女性は社会に進出している」という思い込みをしている読者に対し、現状を啓蒙し警鐘を鳴らすことはできる。満点答案ではないが、平均点程度はクリアしている社説だと思う。毎日新聞にしては上出来の部類に属するだろう。

少なくとも、朝日社説よりは数億倍もマシだ。朝日社説を読んだ後では、「なんかアナ雪について勝手なことを言っているな」程度の読後感しかない。朝日の社説を読んだ後で、女性の社会進出について問題意識を啓発された読者は、ほとんどいないと思う。 ちょっと時事ネタに絡めて気の利いたことを言おうとしたのだろうが、論旨の中心からずれたネタを強引につなげる書き方には違和感を覚えるし、問題提起の印象も薄い。この件をちゃんと本気で考えているのだろうか、という感じがする。


きっと、この日の社説が批判を浴びたのだろう。朝日新聞は一週間後に、女性の雇用促進と労働環境改善を訴える社説を、改めて掲載している。


女性の活躍―働き方全体の見直しを
(2014年8月26日 朝日新聞社説)


書き方としては経団連が発表した約50社の女性登用計画を受けた「別件記事」、という体裁をとっているが、実質上は前回の社説の書き直しだろう。話はすぐに前回と同じ「管理職に占める女性の割合」に戻っている。前回、「アナと雪の女王」を使ってうまいこと書いたつもりだったのが批判を浴び、それを受けての重複した社説だろう。そうしなくては、前回のアナ雪社説が、朝日新聞のこの件に関する「公式見解」として後世に残ってしまう。
今回の社説は、アナ雪にからめて読者の印象操作を目論むような姑息なものではなく、女性の労働実態を正面から政策論題として捉えている。どうせこう書くのだったら、アナ雪など使って遊んだりせず、最初からまじめに書けばよかったのではないか。

しかし、今回の書き直しで内容を了とするかというと、そうはいかない。相変わらず、主張が不鮮明で論旨の破綻が見られる。
今回の朝日新聞社説の趣旨は、役員の女性比率や女性の登用プランの情報公開を新法として構想している安倍政権の批判だ。論点は、政権がそれらの女性進出の法案を「成長戦略」と位置づけていることだ。日本の経済問題を解決するための施策と、女性の社会進出問題は切り分けろ、という趣旨だろう。

その目標はもっともではあるが、発想が狭すぎないか。人間が性別を問わず仕事に打ちこめる環境をつくることは本来、成長戦略と位置づけるものではない。男女を問わず、働き方全体を見直す契機にすべきだ。成長に直結するかどうかは別にして、誰もがより良く働き、暮らせる社会をめざしたい。


しかし前回の「アナ雪」社説では、同じ路線を肯定的な文脈で使っている。

この映画の公開中も、女性の生きにくさを映す事件が頻発した。政権が成長戦略として女性「活用」を唱える一方、働く母親が仕方なく預けた幼い命が奪われたり、国や地方議会で女性差別ヤジが問題になったり。三重県の女性の活躍推進会議では「女は下」発言もあった。


要するに朝日新聞にとっては、現政権がどういう形で女性進出問題を扱っていようと、社説の論旨とは関係ないのだ。それ自体を真剣に論じようとするよりも、その時その場の事情で自社の社説に、都合よく使うことしか考えていない。アナ雪社説では肯定的に書いておいて、今回の社説で批判するのでは、筋が通らない。まじめに社説を書いていない証拠だろう。  

百歩譲って、アナ雪社説は単なるおふざけとして無視するとしても、今回の社説の論旨だけをとっても、充分におかしい。現政権が「女性の活躍促進」を成長戦略としているのは、「人材の積極的な登用こそ企業成長の柱」と位置づけているからだ。その背景には、現行の企業の人事が旧態依然としており人材の登用が澱んでいる、という分析がある。つまり現政権にとって、経済促進戦略と、人材登用の刷新(女性登用を含む)は、同じ問題なのだ。事前の毎日新聞社説は、それを正しく捉えた上での社説になっている。

しかし今回の朝日社説は、「女性の活躍促進」と「経済戦略」を、まったく別物として切り離していることになる。経済戦略と女性雇用問題を切り離すのであれば、企業の女性雇用施策は「女性であること」だけの理由で処遇をする姿勢を強いられることになる。「有能な人材が埋もれているのならば積極的に登用すべきだ」というのが政府方針や毎日社説の趣旨だとしたら、朝日社説の趣旨は「有能だろうが無能だろうが関係なく、企業は女性管理職を一定数雇用しなければならない」という主張に通じる。「発想が狭すぎ」なのは、むしろ朝日新聞の側だろう。

今回の女性雇用問題は、アナ雪の社説で醜態を晒した朝日新聞が、失点を挽回しようとして却って泥沼に嵌ったように見える。
はじめから真摯に社説を書いていれば、こんな失態を晒さずに済んだのではないか。

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