たくろふのつぶやき

お出かけの時には保冷剤を持つのだ

2014年07月

2014年W杯、ドイツ優勝

ドイツ優勝



2014W杯決勝戦
ドイツ 1 - 0 アルゼンチン


ドイツが盤石の強さを見せて優勝。3大会続けて、準優勝、3位、3位とあと一歩のところで届かなかった優勝に、とうとう辿り着いた。
決勝戦はドイツ優勢の報道が多かった。この決勝戦を見る限り、ドイツとアルゼンチンの差は、実際の点差よりもはるかに大きかったと思う。

ドイツは試合前の練習でケディラが突然の負傷、急遽クラマーを先発で起用した。すでにこの時点で、ドイツの選手層の厚さが垣間見える。ケディラは中盤の底から前線まで広いプレーエリアをカバーし、豊富な運動量で相手国DFを悩ませた。準決勝のブラジル戦も、度重なるケディラの攻撃参加にブラジルDF陣は混乱し、大量失点を喫している。そのケディラが決勝戦直前に怪我するとあっては、ドイツにとっては一大事だろう。クラマーはここまで今大会に2試合出ているが、いずれも途中交代で、先発したことはない。しかしドイツは、経験値の低いクラマーを、なんの躊躇もなく、決勝戦という大事な試合でいきなり先発起用した。「誰が出ても替わりを務められる」という、レーヴ監督の絶大な自信が見える。
今回のドイツは、苦しい試合も経験している。グループリーグではガーナに引き分け、決勝トーナメントのアルジェリア戦では戦術を分析され大苦戦をした。そうした苦戦の土壇場でドイツが勝った理由は、交代選手が常にチームにぴったりフィットしていた、という点だ。

その最も顕著な例が、シュールレだろう。今大会ではガーナ戦を除く6試合に出場したが、すべて途中交代での出場だった。試合後半で膠着状態に入り、局面を打開する必要に迫られた時、ドイツはどの試合でも決め打ちの策としてシュールレを投入していた。シュールレは試合の流れをしっかり読み、各試合で必要な動きをとってドイツの攻撃に厚みをもたせ、疲労で足が止まっている相手DFを容赦なく攻め立てた。このシュールレ投入で重要なポイントは、シュールレはどんな試合でも「途中交代の試合にスムースに入れていた」ということだろう。試合から浮くことなく、自分の役割をしっかり理解して、攻撃に効果的なアクセントをつけた。またドイツ攻撃陣も投入されたシュールレの「使い方」に熟知しており、体力に余裕があるシュールレを空いてるスペースにどんどん走らせた。疲労で足が止まった相手チームのDFは、後半20分にシュールレが途中交代で入ってくると、ため息が出る思いだったのではないか。途中交代だけで今大会3得点というのは、尋常ではない。

それに対し、今回の決勝戦でのアルゼンチンの選手交代は、効果的だとはとても言い難い。後半に入ってから、ラベッシとイグアインに替えて、アグエロとパラシオを投入。しかし、ラベッシとイグアインの2人は、前半からドイツの守備のギャップを突き、メッシに頼らず何度か決定的なチャンスを作っていた。惜しくもオフサイドにはなったが、ラベッシのクロスからイグアインが1度シュートをドイツのゴールマウスに叩き込んでいる。攻撃として唯一機能していた二人に替えて投入したアグエロとパラシオは、全然機能しなかった。そもそもアグエロは負傷の影響で、コンディションが万全ではない。ただ、メッシは仲の良いアグエロと相性が良く、今大会でもサベージャ監督は、何度か「アグエロを入れてくれ」というメッシの要望を受けて選手交代を行なっている。

後半に入ってドイツの攻撃に押され気味になったアルゼンチンは、中盤のつなぎ役としてガゴを投入し、3人の交代枠を使い切る。守備力が高く運動量の多いガゴの投入は当然だが、そのかわりにペレスを下げてしまったのだ。ペレスは左サイドを幾度となく駆け上がり、ドイツ右SBのラームを守備エリアに釘付けにすることに成功していた。左サイドを制圧していたペレスがいなくなり、中央を守るガゴを入れることによって、アルゼンチンの守備のバランスは大きく崩ることになる。ペレスのプレッシャーがなくなったラームは、溜めていた体力を一気に発揮するように前線近くまで駆け上がり、ミューラーとのコンビネーションで右サイドを荒し回った。そのためアルゼンチンは守備が左に偏るようになり右サイドを手薄にしてしまい、それを見越していたかのようなシュールレにがら空きになった右サイドの突破を許し、ゲッツェの決勝点につながった。

ガゴを投入する際、誰を下げるべきだったのか。アルゼンチンには酷だが、あの場面で下げるべきだったのは、明らかにメッシだった。体調、精神面の両方でコンディションを崩しており、リズムを失い、動きも鈍い。一発に期待できるほど、ドイツのディフェンスは甘くない。アルゼンチンのチームの統括は、マスチェラーノのほうがむしろ適役だったはずだ。点は取れないだろうが、引き分け狙いでPKに持ち込む以外、あの場面でのアルゼンチンに残された道はなかったのではないかと思う。

ブラジルもアルゼンチンも、大会前の戦評では「選手層の厚さ」というフレーズが多く使われた。しかし、個としての能力が優れた選手がいくらたくさんいても、それらの選手がチームの戦術と試合の流れにスムースに入れるかどうかは、全く別問題だ。アルゼンチンの交代選手は、確かに個人能力は高かったのだろう。しかしチーム戦術が控え選手にまで浸透しておらず、人が変わると戦術を保てない。それが、誰が入ってもチーム力が落ちない、いやむしろ強くなるドイツとの大きな違いだったと思う。試合直前に主力がケガをして控えのクラマーが緊急先発しても、そのクラマーが前半31分で脳震盪で倒れても、すぐに替わりの選手が穴を埋められる。そういう「調整力」の大きな差が、今回の試合を決めた一番大きい要因だったと思う。


2006年、2010年、そして今回の2014年の3大会と連続して、ドイツとアルゼンチンは対戦している。戦績はドイツの2勝1分け(PK戦でドイツが勝利)。お互いに似た足跡を辿ったドイツとアルゼンチンだが、この8年間の間についた差は大きいと思う。
それが象徴的に表れたのが、シュバインシュタイガーとメッシという、両チームを引っ張るリーダーの成長の差だろう。

シュバインシュタイガーは2006年の自国開催時、まだ若く、体力と走力にまかせたサイドプレーヤーだった。攻撃的MFとして前線の攻撃に積極的に絡み、ガツガツしたドリブルで前に進むことしか考えていないプレーヤーだった。周りとのコンビネーションよりも単独で局面を打開するほうを好み、突貫小僧のようにアグレッシブに攻める、勢いだけが取り柄のプレーヤーだった。プレーの質も荒く、精神的にも未熟で、試合中にエキサイトして相手と小競り合いを起こし、イエローカードをもらうことも多かった。

その後、所属のバイエルン・ミュンヘンでボランチの役割を与えられ、パス能力、ゲームコントロール、視野の広さが格段に飛躍した。特に守備力の向上は著しく、マンマーカーとなって相手エースを封じるだけでなく、必要であればDFにも入れる。かつ攻撃力が衰えることはなく、攻撃の枚数が足りない時には積極的にオーバーラップし、かつての突破力と決定力が衰えていないことを見せつけた。2006年時のシュバインシュタイガーは、まるでオランダのオーフェルマウス、アルゼンチンのクラウディオ・ロペスのようなプレースタイルだったが、2010年W杯からはDF、守備的MF、サイドアタッカーのすべてを兼ね備えたサネッティのような選手に変貌している。

キャプテンシーも経験を経るごとに増している。ピンチの時にはチームを鼓舞し、戦う姿勢で仲間に活を入れる選手に成長した。今回の決勝戦の延長では、体を張ってアルゼンチンの攻撃を止め、接触プレーで眼の下を切って流血しながらも交代を拒み、ドイツ守備陣の最前線に仁王立ちした。シュバインシュタイガーのマークを分散しメッシをフリーにする役割を負ったガゴは、まるでシュバインシュタイガーの気合に睨まれたかのように、中盤の制圧を許してしまった。シュバインシュタイガーは8年間の苦杯を嘗め続ける過程で、確実にプレーの幅を拡げ、精神的に大きく成長していた。8年前と今では、全く違うプレーヤーと言ってよい。

一方のメッシは、2006年の時点では「ドリブルで単独突破ができるエース」であり、今大会でも「ドリブルで単独突破ができるエース」だった。つまり8年前と今のメッシは、同じメッシだ。プレーの幅が広まったわけでもなく、キャプテンシーに溢れるリーダーになったわけでもない。スタミナに欠ける分、プレーヤーとしての質はむしろ落ちているだろう。
メッシはキャリア全般で見る限り、マラドーナのような「伝説」になるに十分な資質を備えた選手だっただろう。しかし、8年間という歳月は、ライバル国に「メッシ対策」を研究され封じられるには十分な歳月だった。
時代も変化している。マラドーナのように一人の天才が局面を打開できる時代とは異なり、情報と分析を駆使し、高度なチーム戦術で戦ってくる現代サッカーでは、単独で状況を打開するのは難しい。特にドイツのようにチーム戦術の権化のような相手には、「天才」は通用しないだろう。

今大会のメッシは、攻撃だけに専念する「特権」を与えられており、前線でのディフェンスにまったく参加していない。走行距離も短く、7~8キロしか走っていない試合が多かった。ドイツ攻撃陣がほとんど11, 12Kmを走っているのと大きな差がある。これは明らかに、サベージャ監督の指示によるもので、攻撃時にメッシを温存するための策だろう。
メッシはキャプテンでありながら、積極的に動くわけでもなく、チームを鼓舞するわけでもなく、ひたすら仲間がパスしてくれるボールを黙って待ち続けた。一般的には「アルゼンチンはメッシ頼み」「メッシにおんぶにだっこ」という論調が多かったが、逆だと思う。メッシのほうが、チームの仲間に頼り切っていた。守備は任せる、中盤は任せる、最後のパスだけを寄越してほしい。とんだキャプテンもあったものだ。ドイツの怒濤の攻撃を必死で食い止め、仲間を鼓舞し、気合でアルゼンチンを引っ張っていたのは、間違いなくマスチェラーノだった。実質上、決勝戦のキャプテンは彼だったと言ってよい。
延長後半、ディフェンスでボールを奪ったシュバインシュタイガーが、メッシのいるすぐそばをドリブルで普通に素通りしていった。ドイツはメッシがディフェンスに加わらないことをすでに熟知しており、守備ではメッシはいないものとして扱っていた。8年の歳月を経て、両者の間に開いた大きな差が、はっきりと見て取れる瞬間だった。

しかし、メッシにはそうするより他に行動を許されていなかった。メッシがそういうプレーに終止したのは、他ならぬ監督の指示なのだ。僕は、アルゼンチンの「攻撃はすべてメッシに任せる」という作戦が、大会を通して徐々にメッシ本人を追いつめていったのだと思う。守備免除の特権、攻撃の全権委任という信頼は、裏を返せば「もし敗戦すれば全責任を自分ひとりが負う」というプレッシャーにつながる。メッシは予選リーグでこそ4得点と活躍したが、決勝トーナメントでは1ゴールもあげていない。これは試合を重ねるごとに、チームの期待、国民の期待を背負う膨大な重圧に、少しずつメッシが耐えられなくなったからだと思う。コンディションの問題というよりも、精神的な問題だろう。決勝戦でも、前半ですでにメッシはピッチ上を嘔吐をしている。彼が、すでにプレッシャーに耐えられない精神状態だったのは、明らかだろう。

アルゼンチンの決勝トーナメント1回戦のスイス戦で勝負を決めたのは、マークが集中していたメッシからのスルーパスを受けた、ディマリアの一撃だった。延長戦を戦い、スイスの集中マークに遭い、苦しい試合を乗り切ったためもあるだろうが、あのゴールの後にメッシが大喜びでディマリアに抱きついていたのが印象的だった。きっとあのゴールが、メッシが一番喜んだゴールではなかったか。自分はひとりだけではない、他のプレーヤーを活かせば、自分以外にも決めてくれる仲間がいる。単独突破を期待されたメッシが、負担を分かち合ってくれる仲間を活かすことによって取った得点だ。それ以後の決勝トーナメントで、過大な負担を負ったメッシがどう戦えばいいのか、大きな分水嶺になり得た試合だったと思う。それだけに、ディマリアの離脱は、メッシにとってかなりの痛手だっただろう。

今回の決勝戦で、メッシの精神状態を象徴するシーンがあった。試合後半が終わり延長戦に突入する場面で、ドイツの選手はそれぞれ横になって仲間のマッサージを受けていたが、アルゼンチン代表は全員がサベージャ監督のまわりに集まり円陣を組んで、サベージャ監督の熱い指示を聞いていた。見た感じ、チームの雰囲気は、アルゼンチンのほうがまとまっているように見えた。
しかし、その輪のなかにメッシだけは入っていなかった。メッシは円陣を組む仲間など見向きもせず、ひとり輪を外れてピッチに座り込んでいた。チームの仲間から諭されてしぶしぶ円陣に入ったものの、監督の言うことなど全く聞かずに、すぐに輪を離れる。普通に考えれば、キャプテンとしてどころか、チームの一員として失格の態度だ。

きっとメッシは、監督の言うことを聞きたくなかったのだろう。「ボールをメッシにつなげ」「メッシがなんとかしてくれる」「メッシが決めてくれるまで耐えろ」・・・。延長戦の前にメッシがチームの輪を離れていたのは、そうしてメッシひとりに攻撃の全責任を負わせるサベージャ監督に対しての、彼なりの抵抗だったのだと思う。
ドイツに先制を許し、どうしても1点をとらなければならなくなったアルゼンチンは、延長後半の終了間際、フリーキックのチャンスを得る。キックを任されたメッシの表情は、すでに戦う人間の顔ではなかった。そのFKを外したメッシは、天を仰いで苦笑いをしていた。僕には、そのメッシの表情が、自分ひとりにすべてをやらせようとしたチーム戦術に対する自嘲に見えた。だから言っただろ、俺ひとりで何でもできるわけないじゃないか。ひとりの力で優勝できるほど、ワールドカップが甘いもんか・・・。

試合後の表彰式で、メッシは大会MVPに選ばれた。そのトロフィーを受け取る時のメッシの落胆した表情は、いろいろなメディアで報道されている。守備の放棄、少ない運動量などを根拠に「メッシは自分がMVPにふさわしくないことが分かってて、分不相応な賞をもらうことに気後れしているのでは」という論調もあった。
しかし僕は、あのメッシの表情は、自分ひとりが重圧を背負って戦ってきたワールドカップが、彼にとって全然楽しくない大会であったことの、何よりの表出だと思う。チーム全員の、アルゼンチン国民の、過大な期待を一身に受けて、そして負けた。それに応えられなかった申し訳なさもあったと思うが、何よりも「なんで自分ひとりに」という、背負ったものの大きさに対するやるせない不満のほうが大きかったのだと思う。不満を言葉に出すことが許されない中で、自分ひとりで理不尽に耐えなければならない気持ちが、あの表情だったのではなかったか。

MVPはメッシではなく、ドイツGKのノイアーのほうがふさわしいのでは、という報道があった。しかし僕は個人的に、「自由という鎖」に縛られ、チームに献身的に貢献する道を断たれ、仲間と監督と国民の過度な期待に耐え抜いて、チームを決勝戦まで導いてきたメッシには、なんらかの報償があってしかるべきだと思う。いわゆる普通のMVPとは意味合いが違うが、あそこまでプレッシャーに耐え、加熱する報道に世論のハードルを上げられ、最後に負けた末に何も残らないのでは、あまりにもメッシが浮かばれない。


一方のドイツは、マスチェラーノが指揮するアルゼンチンの固い守りを、組織的に崩していく。あまり報道されていないが、実はアルゼンチンは決勝トーナメント以降の試合を、すべて完封で乗り切っている。攻撃をメッシに任せ、中盤の選手の大部分を守備に割り当てる守備的な布陣が功を奏し、固いディフェンスで守り切ってきた。サパレタ、デミチェリス、ガライ、ロホのDFライン、マスチェラーノ、ビグリア、ガゴのMFの7人で守備陣形を敷き、ドイツの怒濤の攻撃に耐え抜いていた。
スイス、ベルギー、オランダには通用したその守備網は、ドイツには通用しなかった。特にドイツの攻撃の起点となったのは、ペレスの交代によって前線に出る自由を得た、右SBのラームだった。延長戦に入ってからのラームの運動量は、超人的と言ってよい。疲労が溜まり、両チームとも膝に手をつく選手が多くなった中で、まるで試合が始まったばかりであるかのような運動量とスピードで、容赦なくアルゼンチン陣内に攻め込んだ。まるで化物だ。
ラームは雄叫びを上げてチームを鼓舞する闘将タイプのキャプテンではないが、あのスタミナと運動量は、ドイツ攻撃陣を奮い立たせるに十分な役割があったと思う。同じく人間離れしたスタミナをもつミューラー、途中交代でスピードのあるシュールレとゲッツェ。ドイツがアルゼンチン守備網を破るのは、もはや時間の問題だっただろう。

結局、アルゼンチンとドイツを分けたのは、「成長の差」と「試合中に戦術を変えられる引出しの多さ」だったと思う。アルゼンチンはいまだに「マラドーナ神話」から脱却できていない。ひとりの天才的ファンタジスタがチームを優勝に導いてくれる、そんな神話がいまだに幅を利かせている。21世紀になりサッカーが大きく進化した今、そんな神話はもはや「呪い」でしかない。
「選手層の厚さ」というのも、単なる「個」の話であって、チームとして機能しない、意味のない「厚さ」だ。2002年の日韓W杯時、アルゼンチンは南米予選をぶっちぎりの強さで1位通過し、当時は「優勝できるチームがふたつ組める」と言われるほどの「選手層の厚さ」を誇っていた。しかし実際の本大会では、バティストゥータの不振を埋めるべきクレスポがまったくチームにフィットせず、空回りする10番を背負ったオルテガの替わりを務めたアイマールは、せっかくの持ち味をチーム戦術に封じられた。優勝チームふたつどころか、ひとつのチームすらまともに組めない。イングランド、ナイジェリア、スウェーデンという「死の組」に当たった不運はあったが、まさかの予選リーグ敗退という苦杯を味わった。当時も今も、「優秀な控え選手が多いものの、チームの交代要因としては機能しない」という弱点は、アルゼンチンの根源的な問題点だろう。
前回大会でドイツに4-0で大敗したのも、同様の理由だろう。なにせ前回大会では監督がマラドーナだったのだから、「マラドーナ神話」から脱却するどころの話ではない。マラドーナにとっては、自分がかつて成功した方法こそが「正解」なのであり、自分の時代とは違うチームを作れるほどのインテリジェンスはないだろう。メッシは「マラドーナ」になるべく仕立て上げられたのであり、不振で終わるのも無理はない。

戦術をひとつしか持たず、局面に対処する柔軟性を欠いたアルゼンチンと違って、ドイツは決勝戦で起きた度重なるアクシデントに、いとも簡単に対処した。ドイツには、その人ひとりをマークすればいい絶対的な選手がいない。誰が抜けても、必ず替わりの選手が役割を果たす。ケディラがだめならクラマーが、クラマーがだめならシュールレが出てくる。しかもそれでチーム戦術が大きく変わることなく、しっかり機能する。ドイツ相手に、ひとりにマークを集中させることは、他の選手をフリーにしてしまうリスクにしかならない。

ドイツは、ラームとミューラーの右サイドを起点にアルゼンチンを崩しにかかった。その結果、アルゼンチンDFは過度に左に寄らざるを得ず、自陣の右サイドに大きなスペースを作ってしまった。ゲッツェの決勝点は、そのプレーを単独で見る限り、「どうしてあんな攻撃を防げないのか」という程度のものに過ぎない。シュールレの突破はスペースを突いただけのものだったし、フィニッシュを決める段階でアルゼンチン陣内のボックスに入っているのはゲッツェ1枚だけだった。ゲッツェは身長が高くなく、空中戦に強いわけではない。そのゲッツェに鮮やかな決勝弾を許してしまったのは、ドイツからの右サイド突破に対処せざるを得なくなり、左サイドと中央をフリーにしてしまった結果だ。ドイツの幅広いサイドチェンジに対処できるほどの体力は、アルゼンチンDFには残されていなかった。ゲッツェに先制弾を許した直後、獅子奮迅の働きをみせていたマスチェラーノはピッチに倒れ込み、しばらく立てなかった。それはそうだろう。

ドイツは決勝戦で、特にメッシ対策を講じることなく、いつも通りのディフェンスを行なった。メッシのボールを持つ回数とドリブルの走行距離は、実は準決勝のオランダ戦よりも多い。ドイツがある程度メッシを自由にしていた結果だ。メッシにボールを持たせてもよい、シュートを打たせてもよい、それを許した上で、なおかつ守り切る自信がある。ドイツの守備は、そこまで完成されていた。


ドイツは毎回、安定した成績を残し、どの大会でも優勝しておかしくない戦力を保っていた。今大会でドイツが頂点に達したのは、他でもない、ドイツ自身が成長し、強くなっていったからだ。2002年よりも2006年、2006年よりも2010年、2010年よりも今大会のほうが、明らかにチームが強くなっている。やっているサッカーも全然違う。また伝統的にドイツはトーナメント式のチームを作るのが上手く、大会を通してチームが成熟し成長していく方法に長けている。短期決戦では欠かせない「ラッキーボーイ」にチャンスを与え、勢いをつかむのが上手い。ベテランと若手の融合、世代交代の成功、卓越したチーム戦術、選手のインテリジェンスと戦術理解度の高さ、エースに頼らない豊富な攻撃のバリエーション、交代が効く柔軟な選手層、どれをとっても今回のドイツに勝るチームはなかっただろう。もう一度今大会をやり直しても、やはりドイツが優勝したと思う。それだけ完成度の高いサッカーを見せてくれた。次回の2018年ロシア大会でも、さらに強くなったドイツ代表を観てみたい。



前回大会優勝時のスペインよりも間違いなく強いと思う。

ドイツーブラジル戦

ドイツ
W杯準決勝
ブラジル1―7ドイツ


準決勝で、開催国vs前回大会3位というビッグカード。決勝トーナメントの組み合わせが決定した時には「事実上の決勝戦」の呼び声も高い試合だった。こんな大差がつくとは誰も予想できなかっただろう。
しかし、今回のブラジルは本当に世間の評判ほど強かったのだろうか。

今回のブラジル代表は、ちょっと精神的に異常だ。試合前に国歌を歌いながら泣き、PK戦で泣き、試合に勝つと泣く。いくらなんでも泣き過ぎだ。キャプテンのチアゴ・シルバは決勝トーナメント1回戦のチリ戦とのPK戦のあとに号泣し、メディアの冷ややかな批判を浴びた。地元ブラジルの熱狂的なサポーターとの心情的な一体感というより、単に精神的に未熟な印象がある。

今回のブラジル代表は、地元開催というプレッシャーを背負えるだけの、精神的な成熟が足りないのではないかと思う。それは代表試合の経験値の少なさによるものだろう。チアゴ・シルバ(45)、ダビド・ルイス(34)、オスカル(29)、ネイマール(47)、フッキ(31)など、代表試合数が50に満たない選手が多い。経験豊富と言えるのは、ジュリオ・セーザル(78)、マイコン(70)くらいのものだろう。本当にチームがパニックに陥ったとき、肝を据えて試合を落ち着かせられる人材がいない。

それに比べると、ドイツ代表は比較にならないほど経験が豊富だ。ブラジルの主力メンバーの経験値は、ドイツなら「若手」と称される程度のものでしかない。クロース(42)、ミューラー(47)、シュールレ(31)、ゲッツェ(27)、ケディラ(44)など、今回はじめてW杯デビューを飾った主力も含め、20代前半の選手に、すでにブラジル代表の主力と同程度の経験値がある。
それに加え、ドイツには代表試合数が100に届くレベルのベテランがゴロゴロいる。ラーム(105)、メルテザッカー(96)、シュバインシュタイガー(101)、ポドルスキ(112)、クローゼ(131)など、他の国には一人いるかいないかというレベルの経験値をもつ選手が複数いる。彼らにとって、完全アウェーの環境で一斉にブーイングを浴びることなど、何でもない。百戦錬磨の経験を誇るドイツ代表は、試合の中で自分達を精神的にコントロールする方法を完全に身につけている。

いまのドイツ代表は、レーヴ監督が8年かけて練り上げてきたチームだ。長期政権にありがちな世代交代の失敗もなく、積極的に若手を登用し、早い時期からじっくり経験を積ませている。こうした「精神力」「経験」の面で、ブラジル代表はドイツに大きく差をつけられていたと言ってよい。


今回の試合で、ブラジルはネイマールというエース、チアゴ・シルバというキャプテンを失っていた。この原因となった準々決勝のコロンビア戦で、すでにブラジルの大惨敗の伏線が張られていた。

今回のブラジル代表に特徴的なことがふたつある。「反則が多い」「攻撃時によくプレーが止まる」ということだ。
「反則が多い」というのは、対人ディフェンスの方法に原因がある。一般的に南米諸国のディフェンスは、前に進むオフェンス側の勢いを止めるため、ボールを奪うのではなく、人を止める。だから対人ディフェンスは、相手選手を「削りにいく」のが基本だ。

それは今大会のファウル数に顕著に現れている。今大会中、いままで警告を受けた数が多い国は、コスタリカ(黄10、赤1)、ブラジル(黄10)、ウルグアイ(黄色8、赤1)、メキシコ(黄8)と、すべて中南米の国だ。これは、これらの国のディフェンスが、ボールよりも人を狙っていることに原因がある。
それが最も顕著に現れたのが、ネイマール負傷の原因となったブラジルvsコロンビア戦だ。
この試合で笛が吹かれたファウル数は今大会中、最も多い。合計54のファウルで笛が吹かれ、そのうち31がブラジルのファウルだ。

南米同士の戦いでは、お互いに相手の削り方の程度を知っている。だから攻撃側は、あまりディフェンスに削られないように、身を守る方法を無意識のうちに身につけている。それがマリーシア、いわゆるシミュレーションだ。本当は接触していないのに、接触されたふりをして痛そうにゴロゴロ転がる。南米の国に猿芝居をする選手が多いのは、ディフェンスが肉弾戦になることが多いため、それから我が身を守るために自然に身についた習性だからだ。

ブラジルvsコロンビアの試合では、当然、ネイマールに対するマンマークがきつくなる。そういう削り合いが激しくなる試合では、シミュレーションによって倒れ込むことが多くなるため、必然的にファウルが増え、セットプレーが多くなる。
僕がブラジルvsコロンビアの試合を見た時、ブラジルもコロンビアも、敵陣深くまで攻め込んだら、なんとか相手のファウルを誘ってプレーを止め、そこからセットプレーをするのが「規定戦術」のように見えた。局面ごとに、1対1になることが非常に多い。その際のオフェンス側の動きは、ほとんどパスを選択しない。強引に1対1の勝負を仕掛け、「ファウルをもらう」ことに一生懸命だった。

ネイマールもこの試合、執拗なマークにあっていたため、よくまぁゴロゴロと転がっていた。ほとんどの倒れ込みが芝居だったと思う。そのネイマールの振舞いが、試合終了直前のあの悲劇の伏線になっていたことは否めないだろう。コロンビアDFスニガの反則行為は決して許されるものではないが、ネイマールのほうが純真潔白かというと、そうでもないと思う。ああいう「削り合い」の度が過ぎる展開になったら、コロンビアにせよブラジルにせよ、いずれどちらかのチームに「犠牲者」が出ることは避けられなかっただろう。
他にもブラジルは、しなくてもいい反則で試合のリズムを自ら崩すことが多かった。チアゴ・シルバの警告も、試合の趨勢にまったく影響がないGKに対する不要なファウルに対するものだ。その愚行が原因で、ブラジルは対ドイツ戦にキャプテンなしで戦う羽目になってしまった。ネイマールにせよチアゴ・シルバにせよ、ブラジルがここまで貫いてきた基本姿勢が、我が身にはね返ってきただけのように見える。

一方のドイツは、2002年準優勝、2006年3位、2010年3位と、あと一歩のところでタイトルを逃した経験を、しっかり分析し対策を練ってきている。2002年の日韓大会の決勝戦でドイツがブラジルに負けたのは、準決勝で累積警告を受けたバラックを出場停止で欠き、攻守のバランスが崩れたことが大きい。前回の2010年南ア大会の準決勝でも、絶好調だったミューラーを累積警告で欠き、スペインに足下を掬われた。
そういった過去の反省を踏まえ、今回のドイツ代表は、徹底して「ファウル・トラブル」を回避する方針で戦術を構築している。今回のドイツ代表の5試合のファウル数は57。ベスト8に残ったチームの中で圧倒的に少ない。ブラジルの96に比べると、その少なさが突出している。受けたイエローカードの数は6。しかも同じ選手が累積で受けたことはない。今回のドイツ代表は明らかに、「主力の出場停止」を何よりも回避することを最重要事項にしている。

ファウルを犯さないためにドイツが取った戦術は、ゾーンディフェンスとマンマークディフェンスの、素早い切り替えだ。ベスト8に残ったチームはほとんど、中盤ではゾーンディフェンスを敷き、攻め込まれたときのボックス内ではマンマークを敷いている。ところがドイツは逆で、中盤ではマンマークを敷き、ボックス内でゾーンディフェンスを敷いている。

今回のドイツ代表のディフェンスの顕著な特徴は、とにかくディフェンスラインが高いことだ。これはドイツの伝統的な戦術とは異なる。歴代のドイツ代表は、リベロを真ん中においた3バックを深い位置に保ち、自陣深くに相手を引き入れて「囲み込む」ことによりディフェンスを行なっていた。2006年の自国開催時には、高いディフェンスに上げる戦術を取っていたものの、開幕戦のコスタリカ戦でディフェンスラインの裏をつかれ2失点を喫し、修正を余儀なくされている。
今回大会では、8年前に失敗した「高いDFライン」を、完成の域に高めている。ディフェンスラインの4人が全員センターバック、GKノイアーの広い守備範囲、ボランチのライン参加など、8年前にはなかったオプションが加わり、DFラインを押し上げることを可能にしている。

攻め込まれたときのボックス内では、ドイツはボールを奪いにいくのではなく、わざと隙間を空けてシュートを打たせている。ノイアーの守備位置が必ずDFラインの穴に構えていることから、DF陣とノイアーの間で、「打たせて、取る」という意思統一ができていることが分かる。あれだけの大差がついた試合にも関わらず、シュート数はブラジルが18、ドイツが14。実はブラジルのほうが多くのシュートを打っている。これはドイツDFを崩してのシュートというよりは、ドイツの戦術によって「打たされたシュート」だ。
つまりドイツは、自陣ボックス内でファウルを犯す危険性を最小限に押さえるために、相手との接触プレイを避けるようなディフェンスの仕方をしている。このことがファウル数とイエローカード数の激減につながり、「主力を出場停止で欠く」といういままでの敗退理由を打ち消している。

またドイツDF陣の対人ディフェンスは、南米勢とは異なり、正確にボールを狙うタックルをしている。人を止めるのではなく、ボールをはじき出すイメージでタックルをしている。ラームやフンメルスの守備は、どんなにギリギリの状況でも、必ずボールを狙っている。南米勢の「雑なタックル」とは違って、ドイツDF陣は、ファウルをとられにくい、技術の高いタックルを身につけている。

今回大会では、スアレスの噛みつきの件、ネイマールの負傷の件など、審判のレフェリングが後日になって物議を醸すケースが多い。当然、FIFAからは審判団に「シミュレーションには厳正に対処すること」という特別な通達が渡っているだろう。またドイツもその重要性をしっかり認識しており、レーヴ監督やシュバインシュタイガーが、試合前の記者会見で、レフェリーの正確なジャッジを求めて釘を刺している。ブラジル戦の審判が、イタリアvsウルグアイ戦の主審を務めてスアレスの噛みつきを適切に裁けずFIFAから厳重注意を受けたマルコ・ロドリゲスだったことも、当然計算のうちに入っていただろう。

ここまで周到にファウル対策とシミュレーション対策を行なっていたドイツを相手に、ブラジルは相変わらずゴロゴロ転がる猿芝居を続けた。いままで通用してきたシミュレーションがすべてドイツによって封じられていることに気付かず、空気が読めていなかった。特に前線のふたり、左のフッキと右のベルナールは、何度審判に無視されても変わることなく、無意味にゴロゴロ転がり続けファウルをアピールする、という情けない体たらくだった。主審のロドリゲスはメキシコ人だが、ウルグアイ戦の過ちを二度と犯すまいと、ブラジルの幾度とないシミュレーションを厳正に流し続けた。その結果、ブラジルの攻撃のリズムは幾度となく止まり、連動性を失うことになる。前半の段階で、フッキは度重なる芝居によって明らかに主審に睨まれており、しかもフッキはそれに気付かず延々と猿芝居をしてファールを懇願し続けた。さすがに事態に気付いたブラジルのスコラーリ監督は、前半終了の段階でフッキを交代させている。

今回のブラジルの惨敗の理由は、ドイツの攻撃力に原因を求める論調が多いが、僕はもっと深い部分でドイツとブラジルは大きな違いが生じていたような気がする。精神力、経験値、試合に向うにあたって行なう周到な準備、過去の失敗と、相手の傾向に対する詳細な分析、どれをとってもブラジルはドイツに及ばなかった。ファウルを狙って小賢しく攻めるブラジルと、点を取るために最小手数で効率的な攻めを繰り広げるドイツでは、相手にならないのも当然だろう。


攻撃についても同様に、ドイツは「南米開催の今大会では、激しく削りにくるフィジカル・コンタクトが多くなる」ということを十分に想定している。今回のドイツ代表はパスワークによってポゼッションを保つスタイル扱いされているが、あれは削られて怪我をする危険性を最小限に止める方策をとった末の結果論にすぎない。

ドイツとブラジルのパス交換を見てみると、明らかにパスの仕方が異なる。ブラジルのバスの回遊率は70%前後で、1人につき平均して7人からのパスを受けている。それに対しドイツのパス回遊率は85%を越えており、それだけ1人の選手が多くのプレーヤーからパスを受けている。ドイツのほうが、パスコースやパス相手の選択肢が多い。
またパスの本数にも両チームには大きな差があった。ブラジルの攻撃陣のなかで20本以上のパスを受けていたのはオスカル(22本)、グスタボ(24本)の二人だけ。一方ドイツは、クローゼ(13本)以外の全員が20本以上のパスを受けている。ミューラーは32本、クロースに至っては34本のパスを受けている。
パスの本数だけでなく、パスの地域にも大きな差がある。ブラジルの前半のパス総数は210本、そのうち前線で回したパスは95本。これは全体の45%にすぎない。つまりブラジルは、攻撃に関係ないDFラインの間で横に回すパスが多い。
一方ドイツは、前半のパス総数249本のうち、前線のパスが150本。実に全体の60%を前線で回している。

こうしたパスの質の違いは、そのまま両チームの攻撃の流動性に反映されている。決まった選手が立ち止まったままパスを受けるブラジルとは異なり、ドイツの選手は前線でポジションチェンジを繰り返しながら、流動的に走りながらパスを受ける。
ブラジルは自陣深くではマンマークで対処するので、ポジションチェンジを頻繁に繰り返されると、マークがずれる。特に中盤の底からの飛び出しに弱く、幾度となくケディラの攻撃参加で守備のギャップを突かれた。
またブラジルの突破は「個人技でドリブルで持ち込む突破」が多かったが、ドイツの突破は「中盤からのパスを受けるための、スペースに走り込む突破」が多かった。右のミューラー、左のエジル、中央のクローゼが幾度となく空いたスペースに走り込み、そこへクロースが縦の鋭いパスを送り込む。運動量の多いドイツ前線のポジションチェンジにマークが追い付かず、空いたスペースにことごとく走り込まれ、あの8分間の4失点につながった。

ドイツがこのようにパス回しを徹底させた理由は、南米特有の「削りにくるタックル」を受けないようにするためだろう。ドイツの選手は、いつまでもじっと一人がボールをじっとキープするようなことをせず、どんどん回す。ボールの動きが目まぐるしいため、タックルの狙いがつけられない。削りたくても削れないのだ。
こうしたパスワーク基調の戦術は、いわゆるスペインのような「ポゼッション・サッカー」とは、ちょっと意味あいが違うと思う。スペインの場合、ボールを回してボゼッションを保つこと自体が戦術だった。パスワークによって相手のギャップをつき、組織で相手DFを崩す。しかし今回のドイツの場合、パス回しやポゼッションは、必要なことを盛り込んだらそうなったというだけの単なる結果であり、それ自体が目的ではない。実際、ブラジル戦での多くの得点は、空いたスペースに向って長い距離を走り込み、ピンポイントでパスを送り、スピードで点を取る、ドイツの伝統的な攻め方となんら変わりはない。速攻やカウンターは、いつの時代でもドイツの得意技だ。


そうした攻守にわたる周到な準備が、8年という年月をかけて完成に近づいたドイツ代表の強さにつながったと思う。しかもドイツは、まだ準決勝ですべての手の内を見せていない。いくつか、決勝戦を見据えて隠しているカードがあった。

1. シュバインシュタイガー
今回のブラジル戦では、不気味なほどにシュバインシュタイガーが目立っていない。ドイツ代表の好調をいつも攻撃面で支える副キャプテンは、今回どういう仕事をしていたのか。
実は今回のブラジル戦で、ドイツはフォーメーションを3回変えている。スタート時の4-5-1、後半開始時に攻め込まれたときの5-4-1、シュールレ投入でカウンター主体に切り替えたときの変則3-5-2だ。それぞれのフォーメーションで、DFラインを統括していたのがシュバインシュタイガーだった。4-5-1の時には守備的MF、5-4-1のときには4バックの中央に入り込み、3-5-2のときには両SBを上げて2人のCBの中央にリベロとして留まった。つまり今回の試合の後半で、シュバインシュタイガーはDFとして最終ラインの統率をしていたのだ。

なぜレーヴ監督は、このような仕事をシュバインシュタイガーにさせたのか。
そのヒントは、後半開始早々にCBのフンメルスをメルテザッカーに替えたことにある。メルテザッカーは2M近い長身で空中戦に強い一方、スピードに難がある。ブラジル戦の後半では、メルテザッカーの対処が遅れたDFの穴を、シュバインシュタイガーが埋めるシーンが数多く見られた。

つまり、後半のシュバインシュタイガーの起用法は、決勝戦でギリギリの点の取り合いになり、相手がパワープレーを仕掛けてきた時の「練習」だったのだろう。ブラジル戦の勝負は事実上、前半で決着がついた。だったら決勝戦の相手を想定して、その対策をしておいたほうがいい。
オランダもアルゼンチンも、サイドからの崩しでクロスを上げる攻撃には定評がある。パワープレーを仕掛けてきた時の空中戦を制するには、メルテザッカーの高さは必須だろう。その一方で、オランダにはロッペン、アルゼンチンにはメッシという、スピードで単独突破できる点取屋がいる。メルテザッカーに高さを制圧させる代償として、彼らを止めるための、スピードのある「マンマーカー」が別に必要になる。おそらくレーヴ監督は、その役割をシュバインシュタイガーにやらせるつもりなのではなかろうか。シュバインシュタイガーが「最後の防波堤」としてロッペンやメッシを止める役割を担うとなれば、それは当然リベロということになる。シュバインシュタイガーは攻撃力もあり、ロングパスの精度も高い。上がって攻撃参加することも可能だ。たぶんドイツは「隠しリベロ」としてのシュバインシュタイガーの起用法を温存し、決勝戦の大事な場面でその戦術をとるつもりではないか。今回のブラジル戦の後半でDFラインに吸収されたシュバインシュタイガーを見る限り、そんな気がしてならない。


2. ポドルスキ
代表112キャップを誇り、過去2大会でドイツに勝利をもたらす決勝弾を幾度となく叩き込んできたポドルスキが、今大会でまったく使われていない。しかしブラジル戦のハーフタイムでクローゼを出迎えた時のポドルスキは、表情が明るく、自分の役割をしっかり認識しているように見えた。いったい今回のチームの中で、ポドルスキの役割は何なのか。

決勝トーナメント1回戦のアルジェリア戦で、右SBのムスタフィが負傷離脱し、ボランチの位置に入っていたラームが急遽「本職」の右SBに戻った。これまでドイツのDFラインは、暑さ対策として対人守備に強い4人のCBを並べる布陣だったため、どうしてもサイド攻撃に難があった。そこへラームが右SBに戻ることで、ドイツのサイド攻撃に流動性が生まれた。今回のドイツ代表は、ケディラ、クロース、シュバインシュタイガーという優れたボランチが多いため、別にラームがボランチをする必要がない。その結果、「ラーム論争」に終止符が打たれた。

ラームのSB復帰によって、ドイツの右サイドの攻撃力は凄まじくなった。SBのラームとMFのミューラーは、ともにバイエルン・ミュンヘンでも組んでおり、コンビネーションの完成度が高い。ブラジル戦でも、右のラームとミューラーの突破によって幾度となくブラジル守備陣が破られ、失点を重ねた。
一方、左サイドはエジルの調子がよくない。前回大会に比べてエジルの存在感が薄れており、ドイツの左サイドがあまり効果的に機能していない。
エジルの不調の原因は、左スペースに走り込むパスの受け手がいないからだ。ラームのSB復帰で右サイドが活性化したため、ブラジル戦のドイツの崩しは右サイドが基本になっていた。左サイドはたまにシュールレが走り込むくらいで、あまり使っていない。

おそらく、決勝戦に備えて隠しているのだと思う。左サイドを活性化させるには、左利きのポドルスキを投入すればいい。エジルとポドルスキのコンビは、前回大会でも数々の得点をもたらした。準々決勝のアルゼンチン戦でも、このふたりが起点となるカウンターでアルゼンチンを襲い、4-0で大勝している。
いまドイツはラームの右サイドが脅威になっているので、相手は守備を左に偏重せざるを得ない。もしその構図で膠着状態に陥った場合、ポドルスキの投入によっていきなり左サイドからの攻撃が可能になる。今回大会ではその形を見せていないが、112キャップの経験値を誇るポドルスキには、試合での「練習」は不要だろう。また今回大会には同じ役割を果たすオプションとして、ゲッツェもいる。ブラジル戦で一切ゲッツェを使う素振りを見せなかったことを考えると、レーヴ監督は対戦相手に「右サイドからの攻撃」を強く意識させ、決勝戦で左からの攻撃の切り札となるポドルスキとゲッツェを温存したのではあるまいか。


3. パワープレー
ドイツの攻撃の最大の武器は「高さ」にある。もともとクローゼは利き足が「頭」だし、セットプレーの際には高さを使ったパワープレーを仕掛けてくる。しかしブラジル戦の後半では、高いクロスをほとんど放っていない。空中戦は皆無で、シュールレが入れた6点目のように、サイドの脇を鋭く抉ったサイドアタッカーが、低いクロスを入れるパターンに終止していた。
ドイツの空中戦の強さは、正確なクロスを上げるパサーの精度に依るところが多い。エジル、クロース、ラームなどの放るクロスは、ピンポイントでFWを狙える精度だ。それをブラジル戦では一度も見せていない。

ブラジル戦でマンオブザマッチに選ばれたクロースは、中盤の底から空いたスペースに向って効果的なパスを配給し、ブラジルの守備網を分断した。おそらく決勝戦でも激しくマークされるだろう。しかし、マークのされ方はあくまでもブラジル戦を参考にしたもので、中央の位置からのロングパスを潰すようにマークしてくるだろう。決勝の相手に決まったアルゼンチンでは、マスチェラーノがその役割を果たすと思う。

しかし、もしクロースが決勝戦で、中央からの縦パスではなく、サイドからのクロスパサーとして空中戦を指揮したらどうなるか。想定していた攻撃法と違うので、マークがずれるだろう。ブラジル戦でドイツが高いクロスを放って空中戦を仕掛けるという「得意技」を封印したのは、決勝戦に備えて、クロスの供給源となるパスの位置とタイミングを、隠しておきたかったからではないか。


決勝戦の相手はアルゼンチンに決まった。お互い、最後の優勝のときの決勝戦の相手にあたる。2006年大会ではPKで勝利、2010年の前回大会では4-0で大勝している相手だ。毎回毎回アルゼンチンとあたるのはなんか因縁めいているが、ドイツはチームマネジメントが成功してベストメンバーを組める。一方アルゼンチンはディ・マリアを欠き、運動量で劣るオランダ相手に大苦戦を強いられた。前回大会でメッシの完封に成功したドイツが、今回どういう戦いを見せるか、今から楽しみだ。



むしろ、よく7失点で済んだと言えよう。

兵庫県議 野々村竜太郎



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ごまかせるとでも思ってるのか

TVのワイドショーがくだらない理由

『バカが多いのには理由がある』


ずいぶん昔の話ですが、仕事の企画で民放テレビのディレクターに会いにいったことがあります。彼は30代後半で、視聴率の高いワイドショーを担当し、業界ではやり手として知られていました。

「僕の話なんか聞いたって仕方ないですよ」

 開口一番、彼はそういいました。
「昼間っからテレビを見ている視聴者って、どういうひとかわかりますか? まともな人間は仕事をしているからテレビの前になんかいません。暇な主婦とか、やることのない老人とか、失業者とか、要するに真っ当じゃないひとたちが僕らのお客さんなんです。彼らをひとことでいうと、バカです。僕らはバカを喜ばせるためにくだらない番組を毎日つくっているんですよ。あなたの役に立つ話ができるわけないでしょ」
 彼はテレビ局のエリート社員ですから、この偽悪ぶった言い方がどこまで本音かはわかりません。私が驚いたのは、その言葉の背後にある底知れぬニヒリズムです。
 彼によれば世の中の人間の大半はバカで、1000万人単位の視聴者を相手にするテレビ(マスコミ)の役割はバカに娯楽を提供することです。その一方で、テレビは影響力が大きすぎるので失敗が許されません。そこでテレビ局はジャーナリズムを放棄し、新聞や週刊誌のゴシップ記事をネタ元にして、お笑い芸人やアイドルなどを使って面白おかしく仕立てることに専念します。これだと後で批判されても自分たちに直接の責任はないわけですから、番組内でアナウンサーに謝らせればすむのです。
バカだって暇つぶしをする権利はあるでしょ」彼はいいました。「それに、スポンサーはバカからお金を巻き上げないとビジネスになりませんしね」
 いまではこうしたニヒリズムがメディア全体を覆ってしまったようです。嫌韓・反中の記事ばかりが溢れるのは、それが正しいと思っているのではなく、売れるからです。ライバルが過激な見出しをつければ、それに対抗してより過激な記事をつくらなければなりません。
 近代の啓蒙主義者は、「バカは教育によって治るはずだ」と考えました。しかし問題は、どれほど教育してもバカは減らない、ということにあります。
 だとしたらそこには、なにか根源的な理由があるはずです。




「くだらないモノを必要とする人がいるから」。
ペンギン命
ここでもつぶやき
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