たくろふのつぶやき

春は揚げ物。

2014年03月

詩をつくる授業

甥っ子の作った詩が、地区の文集に入選したそうな。


秋休み

春夏秋冬あるはずが
なぜか秋だけない休み
なんでないかとたずねたら
秋はたんぼが忙しく
休みはないと言っていた
休みはいくつかあるけれど
やっぱりほしいな秋休み



よくできている詩だと思う。叔父としての贔屓目を排しても、最近の小学生でこういう作品を作れる子供は、あまりいないのではないか。
「なんで秋休みだけないんだろう」という子供らしい発想で、詩の題材として無理がない。使われていることばも平易で、読んだときに違和感のある「ごつい語彙」を使っていない。題材、韻律、内容、語彙、音感の調和がよくとれている、「バランスのよい詩」と言えるだろう。

僕が最初、この詩を見た時に「ほう」と思ったのは、内容よりもまず、この詩が韻文で作られていることだ。
現代の文章は、評論、小説、新聞記事など、ほとんどの文章が散文で書かれている。そうした媒体を読み慣れている現代人にとって、韻文はあまりなじみのない形態だろう。
散文詩と違い、韻文は「音による制約」がある。まず形式によって外側の枠を固めてしまい、中の「余った部分」で内容をつくる。形式による制約が厳しいので、テーマと内容をまず決めてしまう現代的な文芸活動とは対極にあると言っていい。

もちろん上の詩は、小学生が作ったものだから、韻文の規律に照らし合わせれば遺漏はある。「聯」の構成を無視しているのはその一例だろう。韻文は基本的に2句で一対となる「聯」を単位とするため、合計の行数は基本的に偶数になる。しかし上の詩では「2ー3ー2」という変則の聯構成にして、合計が奇数になっている。たぶん和歌の構成を意識したものだろう。
聯は絶対に守らなければならない規則ではなく、韻文にとって重要な要素である「押韻」をつくるための便利な単位だ。ふつう2句一対の聯のうち、2句めの最後に押韻を置く。聯を単位として韻を踏む構成は、東洋・西洋を問わず、韻文の黄金律と言える絶対規則になっている。


Yesterday all my troubles seemed so far away
Now it looks as though they're here to stay
Oh I believe in yesterday

Suddenly I'm not half the man I used to be
There's a shadow hanging over me
Oh yesterday came suddenly

Why she had to go I don't know she wouldn't say
I said something wrong Now I long for yesterday

Yesterday love was such an easy game to play
Now I need a place to hide away
Oh I believe in yesterday

(“Yesterday” by Lennon-McCartney, Beatles)



甥っ子の詩では、中の聯が奇数行になっているため押韻を置けず、行末の音に統一性がなくなっている。
本来であれば、韻文はそういう「音の制約」を最初に教えて、その制約内で言葉をさがす遊びから入るべきなのだろうが、今の小学校ではなかなかそういう授業はできないのだろう。音や語彙からではなく、内容から作らせる方法をとらないと、語感の乏しい子供は授業の意図が理解できずに混乱してしまうのだろう。本来、韻文は音から入るもので、内容はそれに付加する背景にすぎない。内容から先に作る創作のしかたは、韻文ではなく散文の作法だ。

小学生の詩だから、個々の技法を犠牲にする替わりに、視点のユニークさや柔軟な感性を最大限に活かすように指導をしたのだろう。
内容と形式で、それぞれひと工夫がある。

内容では、季語と対比を埋め込んである。雄大な自然があふれている中国大陸と異なり、日本は目も眩むような大自然がない。そういう国の文芸で変化やダイナミックさを演出するために、古来から日本の韻文には季節を盛り込む習慣があった。芭蕉はそれを「季語」という単位に収束させたが、本来的には別に特定の語彙で季節を代表させる必要はない。季節の変化で「切り取った一瞬」を表現させれば、日本流の韻文の用件はクリアしていると思う。
上の詩では、季節の違いを「◯◯休み」という長期休みに投影している。きわめて小学生らしい自然な発想で、変にこねくり回したような不自然さがない。いい素材に目を付けたと言えるだろう。

内容の「対立」は、そもそも聯という単位から派生した概念で、単純に言うと、動と静、明と暗、黒と白、生と死、といった対立概念を配置する構成のことだ。
上の詩の第二聯で、秋休みがない理由を「秋はたんぼが忙しく 休みはないと言っていた」と挙げている。都会で生活している小学生の実感として、田んぼの収穫という行事が自身の原風景として染み込んでるとは考えにくい。おそらく田んぼの収穫など、実際には見たこともあるまい。
この箇所は、「秋休み」というテーマから逆算して、「休ー忙ー休」という対比構成をつくるために埋め込んだ内容だろう。この「田んぼ」という語彙によって、空間イメージが詩の内容に膨らみを与えている。第1聯と第3聯が抽象的・観念的な記述なので、第2聯の「秋休みがない理由」の箇所で、田んぼという具体的なイメージの強い語を入れたのだろう。この詩の最後には指導した教員の氏名が明記されていたが、この第2聯は指導教員の意図がわりと分かりやすく見える。

形式的には、最後の結語で体言止めを使い、第1聯の末尾をちょっとひねった韻をつくっている。第1聯の2句は、たとえば「なぜ秋休みはないのだろう」「なぜだかとれない秋休み」のような言い方でも、韻文としてリズムはおかしくない。それを「なぜか秋だけない休み」と語順を入れ替えている。これは、結語の「やっぱりほしいな秋休み」の語末と韻を踏ませ、かつ「秋休み」という単純な同語反復を避けるためだろう。この、結語の体言止めの伏線となる2行目は、なかなか技巧の高い語彙回しだと思う。


韻文詩というのは、ことばの感性と熟練度が必要な創作力を必要とするが、現代の社会活動で韻文が必要な場面というのはそれほどない。昔、中国の科挙の出題内容は古典の韻文詩であったが、現代的な観点からすれば笑止千万だろう。政治家になるために必要な資質が文学的な素養であるわけがない。科挙はもともと、歴代王朝が革命を防止するために民衆を愚民化するための方策だったことを考えれば、それはそれで仕方がない面もある。
一方、現在の文科省は、経団連からの「学校教育に実用性を」という突き上げに我を失い、「社会に出て役に立つ知識を」という旗印のもと、「要らない知識は教えない」として教養を切り捨てた。すでに大失敗が明らかになっている「ゆとり教育」が発案され、教科書の内容を大幅に削減されたとき、真っ先に切り捨てられたのは国語の詩の授業だった。

僕はゆとり教育発布の際、文科省の迷走っぷりをリアルタイムで観察していた。当時、国語審議会の答申で詩の授業削減が決定されたときに僕が異様に感じたのは、現場の教員側の立場から詩の削減に対して一切異論が出なかったことだ。想像するに、現場の先生にとっても「詩」という単元は、やっかいなものだったのではあるまいか。端的に言うと、教師の側に詩を教えられるほどの素養がないのだと思う。詩を作ったこともない、詩を鑑賞できる知識も感性もない、そういう教師が子供に詩を教えられるわけがない。

当然、日本の最高学府は、そういう教育現場の能力低下を嘲笑うような入試問題をつくってくる。
東京大学の国語入試問題の大問二は、いわゆる「東大第二問」と呼ばれ、入試テクニックが一切通用しない問題として、予備校関係者の頭痛の種になっている。その中で、1985年の東大入試では、その国語第二問で詩が出題され、受験生の度肝を抜いた。


<問題>
次の二つの詩は同じ作者の作品である。二つの詩に共通している作者の見方・感じ方について、各自の感想を160字以上200字以内で記せ。句読点も1字として数える。

「積もった雪」
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。

下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。

中の雪
さみしかろな。
空も地面もみえないで。


「大漁」
朝焼け小焼けだ
大漁だ
大羽鰯の
大漁だ

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。

(出典「金子みすゞ全集」)



この問題の意図と解答については過去のたくつぶ記事で書いたことがあるのでここでは詳述しないが、東大の意図だけはよく分かる。国語の入試というのは受験生の「ことばの能力」を計るための試験だ、という大前提に基づけば、この問題は奇問でも難問でもない。
現在、やたらと必要性が騒がれるような、情報収集の道具としての「ことばの能力」だけを見れば、国語能力イコール「読解力」ということになるだろう。短時間で大量の情報を吸収する能力が「国語能力」と勘違いされているような気がする。街中の本屋で売っているビジネス書で、やたらと「速読術」を売りにしている本が発売されているのは、その証左だろう。個人的には、10分で読み切れる本など、その程度の内容しか書かれていない本に過ぎない、と僕は思っている。

本当にことばに習熟している生徒であれば、どういう方法で問われても、その「ことばの力」を発揮できるようになってなければならない。決まった方法で問われた時だけ応えられる知識など、本物の知識ではない。ことばの使い方と役割について、散文だろうが韻文だろうが、評論だろうが論説だろうが小説だろうが詩だろうが、読解だろうが作文だろうが、どんな形式で問われても対処できなければ、本物ではない。
モーツァルトは、一度弾いたことがある曲を、逆から順に演奏することができたそうだ。これはモーツァルトの音楽能力が異様に高かったことを示すエピソードであって、「曲を逆から演奏する能力を身につければモーツァルトになれる」というわけではない。逆から演奏する、というのは、あくまでもモーツァルトが持っていた音楽能力を具体的に示す一例に過ぎない。

僕は大学で学生のレポートや論文を添削する立場だし、過去には入試問題の作成に関わったこともある。そのたびごとに感じることは「学生のことばの能力が、非常に固い」ということだ。応用力がまったくなく、決まった形式の決まった語彙を使った作文しか書けない。授業の感想で上手な日本語を書く学生が、メールやレポートで惨憺たる文章を綴ってくる。レポートを読んでいて、たまに「おおっ」と思うような文章があるが、気になって検索してみると、だいたいがネットに流れている文章のコピペだ。「あの学生に、ここまでの文章が書けるわけがない」というのが、はっきり分かる。僕はコピペを見破る打率がかなり高いが、学生はおそらく「内容でバレてる」と思っているだろう。しかし実際のところは、内容以前の「文章で使っていることば」でバレることのほうが多い。

柔軟性の高いことばの能力を身につけるためには、幼少時から多種多様な文芸媒体に接して、吸収力を高めておかなければならない。 最近の大人世代は「必要ないものは切り捨てる」という価値観に取り憑かれているから、現代の情報活動に不要な韻文を平気で切り捨てる。その結果、学校の先生が詩作に対して無能となり、子供に詩を教えられなくなる。最近の小学生~高校生に対して、詩の授業をする際に多種多様な引出しをもっている先生の数は、それほど多くはあるまい。
少年サッカーの指導をしているコーチに話を聞いたことがあるが、小学生向けのサッカースクールでは、子供ごとにポジションを固定しないのだそうだ。DFだろうがMFだろうがFWだろうが、GKでさえも、いろんなポジションを経験させる。幼少期からポジションを固定し他の役割を一切経験させずに育てると、早い時期に壁に当たってしまい伸び悩んでしまう。多様な環境条件から必要な資質を吸収する柔軟性を育てないと、自分で能力を伸ばしていくことができなくなるらしい。

ことばの能力もそれと同じことで、早くから論説文の読解ばかり教え込むと、凝り固まった言語能力ができあがる。早い時期にいろいろな媒体に親しみ、ことばで遊べる能力を養う必要があるだろう。
その際に大事なのは、子供のことばの能力を「成績づける」ようなことをしてはいけない、ということだと思う。評価のために文芸作品に接した時点で、それは教養ではなく勉強になる。「高い評価をとる」という目標から逆算した、文芸への接し方しかできなくなる。韻文を読めば、自分の好きなものとそうでもないものとが分かれてくる。ある程度、自分の鑑賞力で韻文を読めるようになってから、韻文に関する専門知識をつけるので遅くはない。

今では極もの扱いされている韻文だが、古来、文芸活動の中心は韻文のほうだった。漢詩や和歌など、文人が最低限嗜まなければならない教養は韻文のほうだった。散文のほうが文芸活動の中心となったのは、情報に過度な価値が与えられるようになった近現代以降のことだろう。
『平家物語』が作者不詳のまま1000年以上も語り継がれているのは、あの物語が韻文だからだ。琵琶の音楽にのせて韻律で詠われると、人の記憶に強く染み込む。現代の子供向け絵本の中では、意図的に韻文で構成されているものも多い。どの図書館、どの幼稚園にも置いてある『ぐりとぐら』(中川李枝子・山脇百合子)の絵本シリーズの文章は、すべて韻文で書かれている。


そういう風潮にあって、小学校で詩作の時間をとり、その指導がきちんと行なえる環境は、珍しいと思う。
小学校の頃にこういう体験をきっちりしておけば、中学校に入ってから自由律・変則詩を習ったり、高校に入ってから和歌や漢文を習ったりしても、動揺することなく吸収できる感性が育つと思う。



僕は勝手に秋休みを取っていますが。

現役Jリーガーが早田誠のカミソリシュートを打つ


こういうプロになりたい

牽強付会

「ダサいくらいなんだよ!」
(朝日新聞 2014年3月12日 「天声人語」)


ダサいという言葉はいまどれくらい使われているだろう。辞書をみると、70年代に登場したらしい。かっこ悪い、やぼったい、田舎くさいといった意味である。当時の若者に とっては、いわれたくない悪口の筆頭だったように思う

この言葉が、去年人気をよんだ NHKの「あまちゃん」で使われ、名セリフの一つに数えられた。主人公アキの親友ユイが、もうアイドルをめざさない、あんなのダサいという。それにアキが反論する。「ダサいくらいなんだよ、我慢しろよ!」

あまちゃんの音楽を担当した大友良英さんは、アキのセリフに衝撃を受けたという。福島の高校を卒業して東京に出 てきた大友青年にとって、ダサいは〈切ないくらいの呪縛力を持ったことば〉だった。岩波ブックレットの新刊『3・11を心に刻んで 2014』に書いている

いつか都会には慣れた。ダサいといわれる恐怖を久々に思い出させたのは 東日本大震災だ。かつての自分と、原発に翻弄されるいまの福島が重なって見えた。ダサいという言葉に囚われる心と、福島に原発がつくられた〈土壌〉は一致している、と

そこに共通するのは都会へのひけめ、あこがれ、そして対抗心も、だろうか。だからこそ、大友さんはアキの言葉にはっとし、〈地方と中央の関係を根底からくつがえす原動力〉を見たのかもしれない

ドラマの中のアキは東京生まれの設定だが、ずっと方言のままだった。 東京発の価値観だけにしたがって生きる必要などないのだ





何言ってるのか分からない。



そりゃ入試問題にも使われるわな
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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