たくろふのつぶやき

食欲の秋の季節がやってまいりました!o(^▽^)o

2013年02月

京都大学・折田先生像2013

orita2013a


orita2013b



(参考:折田先生を讃える会




恒例行事ってことで。

子供が学校のことを話したがらない理由

「今日、幼稚園で何があった?」という質問が息子に嫌がられていた理由


長男(幼稚園年中)と話していた際、ふと気付いたこと。よく考えてみればごく当然のことだったのだが、今まではっきりと認識出来ていなかったので、ちょっと書きとめておきたくなった。
子供たちや奥様と一緒に、風呂に入った時の話である。
我が家の風呂は、比較的早風呂である。とはいえ、風呂に入りながらも色々と話す。

息子さんとばしゃばしゃお湯をいじりながら、私はなんとはなしに、「今日、幼稚園で何があったー?」と聞いた。この時、彼は「もう、そんなにいろいろ聞かないでよー」という嫌がり方をしたのである。

ん、色々?

私が聞いたのは、「幼稚園でどんなことが起きたか」という一点だけであり、別に「色々な質問」をした訳ではない。そして、この質問をする前にしていた話は、お風呂で遊ぶおもちゃについての話であり、特段何か質問をした訳でもない。

実は、この質問に対して息子さんが難色を示すのは、初めてのことではない。いつもは「えー、わかんないよー」とか「覚えてないよー」といった難色の示し方をする為、私が話の方向性を変えて、息子さんと先生や友達の間で起きたことの話を聞くのが定型パターンだ。

この展開について深く考えていなかった私は、彼が単純に「幼稚園の話」をするのがイヤなのかなーなどと思っていたのだが、ふと奥様が横から口を挟んだ一言で謎が解けた。
奥様はこういった。


開かれた質問だから答えにくいんじゃない?


臨床心理士であり、元スクールカウンセラーである奥様は、するっと心理学用語を使うことがある。開かれた質問というのは、話者に自由な応答を促す、具体的な方向性が定められていない質問、のことである筈だ。
この時ようやく、息子さんが「いろいろ聞かないでよ」と言った意味が分かった。

彼の頭の中では、「幼稚園で起きたこと」というのは、「色々」としか形容しようがない、非常に雑然とした状態で蓄積されている。それは、友達と遊んだ記憶であり、先生のお話を聞いた記憶であり、歌を歌った記憶であり、お弁当を食べた記憶だ。
「幼稚園で起きたこと」というのはそれら全てを包括した言葉であり、一言で「幼稚園で起きたこと」と聞かれても、彼にとっては「色々起きたこと」について一遍に聞かれているようにしか受け取ることが出来ない、ということだったのだ。いや、多分、だが。

大人は、例えば「今日会社であったこと」という漠然としたテーマについて、自分で適当に一つを抽出して、適当に四捨五入した内容を話すことが出来る。それは、相手が求めているのが単なるイメージ的な総括であり、「会社であった全て」について聞きたい訳ではない、ということが分かっているからだ。
しかし、子供はその前提を承知していない。「幼稚園であったこと」というのは、基本的には、幼稚園で起きた全て、を指す。その為、「色々あった」ということをどう説明していいか分からず、途方に暮れてしまっていた、というのが彼の難色の正体だったのではないか、と私は思ったのである。

そこで私が、質問を「幼稚園で、休み時間になった時どんな遊びをしたか」に変えると、息子さんは喜んで、幼稚園で今流行っている「どろけい」について話し出してくれた。曰く、遊ぶ人数は場合によって違う。先生がどろぼうの基地を地面に書いてくれる。先生が一緒に混じることもある。今日は警察で何人捕まえた。とても楽しかった。

質問を具体的な方向に変えること自体はいつものことだが、今までその理由は「なんとなく」だった。ただ、私は今まで重大な勘違いをしており、彼は決して「幼稚園について話すのがイヤ」だった訳ではなかったのである。具体的に、こちらが何を知りたいのか提示してあげれば、彼にはそれに応じて伝えたいことが溢れる程あったのである。



すごくよく分かる。


僕も子供の頃、親から「今日、学校はどうだった?」と聞かれるのがすごく嫌だった記憶がある。
朝に登校してから夕方下校するまでの一日すべてを延々と説明しろ、と言われているような気がしていたのだと思う。

「話す」という行為は、内容を取捨選択し、聴き手の立場になって客観的に情報を盛り込み、要領よく伝達する、という一連の「技術」のことだ。それが十分に身についていない子供にとっては、かなりハードルの高い行為だろう。
「今日、幼稚園で何があった?」という質問は、言ってみれば、スイッチひとつ押すだけであとは全部相手が自動的に話すことを強要する言葉だと思う。そうやって自動的に相手にべらべら喋らせることを「聞く」とは言わない。「聞く」も「話す」と同様、一種の技術であり、話す側が話しやすいような質問と対話を重ねていくものだ。

大学の先生で「最近の学生はコミュニケーション能力がない」と嘆く先生は、大体独善的で、人の話を聞くのが下手な人が多い。
親の場合も、「うちの子は学校について話したがらない」と嘆く前に、自分にはちゃんと「聞く技術」が備わっているのかどうか、顧みる必要があるだろう。



子供、患者、学生から話を聞き出すためには「技術」が必要。

近いってば。

tikai



時間割。

大学は今、春休みでして。


今年度はかなり後期に授業が詰まっていたので、授業が終わってほっとしておりました。前期にやたら授業が少ないなぁと思ってたら、ほとんどの授業がセメスター制(週2回)授業で詰まっていたので、後期はホント死にそうになりました。

日によっては1限から6限まですべて授業という日もありました。学生の頃だってこんな無茶な時間割なかったぞ。
だから大学で4年生が「後期は授業を減らして週2日だけ登校なんですー」なんて言ってるのを聞くと何言ってるんだこのヴォケと言いたくなります。授業聞くのと授業やるの、どっちが大変だと思っとるんじゃ。

春休みと言っても仕事がないわけではありませんで、こまごまといろんな業務があります。
僕は科目主任なので、クラスごとの授業の時間割を割り振る仕事があります。春からの時間割をつくるにあたって、大学事務課に行って講師の先生方の時間割をパズルのように決めて行くわけです。
そんなわけで、大学の事務方さんのなかで、時間割担当の方とは結構打ち合わせをする機会があります。


「ええと・・・◯◯◯先生の授業は、火・木になりますかね」

そうねぇ、出校可能日がその二日だけだから、しょうがないすね。

「できれば月・木か、火・金の組み合わせで揃えてほしんですけど」

うーん・・・。担当の先生にもう一度問い合わせてみますよ

「あ、そうだ、他の先生の時間割もありますけど、たくろふ先生の時間割はどうします?」

へ?

「いやね、たくろふ先生の授業、今年は後期にかなり詰まってたでしょ」

はぁ。

「あれ、授業に前期後期の指定がないので、いくつか前期に授業ずらせますけど、どうします?」



是非、是非に移動してくれたまい。



そんなわけで、言語学の専門授業を前期に移すことに成功しました。
よかったー。インターンと卒論と専門科目がかち合ったら、来年間違いなく後期に死ぬところだった。



今日の教訓:
事務方と仲良くすると、良いことがある。




やべ、まだシラバスぜんぶ上げてない。
ペンギン命
ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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