連合赤軍40年、ワタミ問題にも通じる「敗北死の肯定」という踏み入ってはいけない暗黒
森は永田に煽られつつ「反抗的」「日和見」「脱落」等の理由で、次々と仲間を「総括」の名の下に殺害していきます。自身や永田が気に入らない者は、一方的に考え方を押し付けつつ「自己批判」をもとめ「総括せよ!」という抽象的な要求で批判を繰り返し、挙句に直接・間接を含めた暴力的な行為をも「総括」手段として肯定し死に至らしめる。結果、力尽きた仲間たちを「敗北死」として自らの行為を正当化するという、著しく正気を逸脱した行動に入り込むのです。周囲は、自己の防衛本能から誰もこれを止めることができず泥沼にはまり込む。リーダーの資質のない者がリーダーになり、強権的独裁体制を確立した悲劇がそこに見て取れます。
連合赤軍40年を機に、資料を読み返しその問題点をひも解く中で再会したこの「敗北死」という言葉。あらゆる組織運営にとって、絶対に肯定してはいけない言葉であると改めて連合赤軍の事件は教えてくれています。企業において仮に“脱落者”がいたとしても、組織内外に新たな道を用意し活路を開く支援をするのがリーダーのあるべきであり、いかなる理由があろうと敗者復活を認めず「敗北死」に追い込むリーダーはそもそも資質面で失格であるはずなのです。
この「敗北死」という言葉を聞いて、失礼ながら私は今物議を醸しているワタミの渡邉美樹さんの顔を思い浮かべてしまいました。従業員の死を残念であるとしながらも、自己の至らなさを省みることができない姿は、まさしく「敗北死」を肯定するリーダーのそれであると思えてしまったのです。
「ヒト」「モノ」「カネ」という三大経営資源の中でも、もっともかけがえのない存在であるはずの「ヒト」。企業経営者と言うリーダーはたちは、どんな状況下にあろうとも従業員を「敗北死」に決して追い込まない経営、従業員の「敗北死」を決し容認しない経営を忘れないことこそ大切であるはずです。リーダーが「敗北死」に追い込まない、「敗北死」を容認しない勇気を持ち組織内にその風土の浸透をはかることこそ、企業という組織運営においてもパワハラや過労死や不幸な自殺を未然に防止する重要なカギを握っているのではないかと思えます。連合赤軍事件から40年を経た今なお、この事件は組織運営の教訓として十分な有効性を持っており、これをしっかりと語り継ぐ必要性を強く感じる次第です。
ビルの8, 9階で「ここから飛び降りろ」って、総括でしょ?