たくろふのつぶやき

春は揚げ物。

2011年12月

司祭が大乱闘。

大乱闘



キリスト生誕の地で司祭100人が大乱闘



イエス・キリスト生誕の地とされるヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベツレヘムにある聖誕教会で28日、ギリシア正教会とアルメニア正教会の司祭約100人が乱闘となり、警察が介入する騒ぎとなった。AP通信が伝えた。

司祭たちは1月7日の正教会のクリスマスを前に、教会内のそれぞれの敷地を清掃。相手の敷地に侵入したことで口論となり、ほうきを振り回してのけんかに発展したという。大けがをした人はいなかった。




俺はこういうニュースを待っていた。



いいぞもっとやれ。

200年の空白

香港


香港に行ってきました。


冬休みということで「うまいものでも食べにいこうか」という、ちょっとした海外旅行です。
学期間の疲れをリフレッシュしてきました。
嫁さんはもともと旅行好きで、アジアの国にはしょっちゅう出かけたことがあります。なので嫁さんは香港はもう5, 6回めですが、僕は初めてです。

たしかにごはんはおいしいですね。安いし。
街中にある安いごはん屋さんで腹いっぱい食べても、ひとり500~600円くらい。豪勢な食事気分が味わえます。
飲茶もいただきました。のんびり時間をかけて一皿ずつ食べていく感じが、なんとものんびりしてますな。
香港はもともと観光に力を入れている地域ですが、リピーターが多いのも頷けます。


僕にとっての香港のイメージは、なんというかまぁ、小さい頃に見た香港映画のイメージだった。
僕は子供の頃、ブルース・リーやジャッキー・チェンの映画を見て育ったので、1970~1980年代の香港のイメージが色濃く残っている。まだその頃は九龍地区の「世界で最も着陸が難しい空港」であった啓徳空港が稼動しており、その影響で九龍には超高層ビルもなく、夜のネオンサイン点滅が禁止されていた。


今回、香港に行って感じたことは、「ここは、どこの国なんだろう」ということだ。


もともと清朝の領土だった香港は、アヘン戦争後、1840年の南京条約でイギリスに割譲された。その後、1997年に中華人民共和国に返還されるまで、150年の長きにわたりイギリスの統治下にあった。
その間、第二次大戦期の一時期、日本の植民地であったことはあまり知られていない。これを反映して、1972年制作のブルース・リーの出世作『ドラゴン怒りの鉄拳』では、日本人が敵役として設定され、徹底した反日映画になっている。



怒りの鉄拳

日本人道場に単身乗り込むブルース・リー 



現在、香港の正式名称は「中華人民共和国香港特別行政区」。一応、中国の一部であるが、かなりの自治権を与えられており、特別区の扱いになっている。まぁ、それはそうだろう。150年間もイギリス式の統治が行われたあとで、社会体制のシステムが全く違う中国にシフトしたところで、そう簡単に香港のあり方が変えられるわけもない。法律だって返還以前の英米法が適用されており、中国本土と違って死刑制度もない。

ただし、この特別行政区扱いは恒久的なものではない。中国政府は「返還後50年」と期間を区切って特別扱いを認めている。2047年まで現行の資本主義システムを踏襲できるものの、その前後に中国本土のシステムに次第に以降していく構えのようだ。
行政、司法、経済、文化のすべての分野にわたって完全に中国化するには、香港はこの先、迷走を続けていくことになりそうだ。


僕はいままでそれほど多くの国を廻ったわけではないが、アメリカにしろヨーロッパの国にしろ、なにかしら「国の柱」となる思想なり姿勢なりが垣間見えた。たとえばアメリカは国としての精神的な支柱をもたない軽薄な国だが、軽薄なりに「論理」や「法」という人工物に人々の共通項を求める工夫をしている。

ところが香港には、そういう柱が感じられない。きらびやかな摩天楼やおいしい中華料理は良しとしても、そういう表層に見える文化的なものを一枚剥がした裏側に、「国」としての支柱が見えない。
考えてみれば、香港のうち少なくとも新界は、イギリスに「99年間」という期限付きで租借されていた地域だ。どんなにイギリス式の法制度が進んでも、資本主義勢力の下で近代化が進んでも、それは「終わりのある」近代化に過ぎなかった。
また、現在だって中国に返還されて、体制が安定したわけではない。今度は「むこう50年」という期限付きで資本主義制度の存続が認められているだけだ。その後、まだ中国が存続していれば、中国式の共産主義体制に組み入れられることになる。

つまり、香港の人たちは、「自分は何人であるのか」をきちんと確立できないまま、200年を過ごすことになるのではないか。もともとは清朝、そのつぎはイギリス、途中で日本、はては中国、と目まぐるしく支配体制が変わり、つねに「恒久的な状態」ではなく「一時的な状態」に置かれ続けてきたのではなかったか。

人間のアイデンティティーのうち、国籍というものの占める割合は大きい。自分が属する国の文化や風習は、その人の価値観と世界観を強固に形作る。
日本のように、長い歴史に裏打ちされ、揺るぎない「国」の概念が確立している国は問題ない。アメリカのように、浮き草のような脆い土台に作られた国であっても、これから未来にそれを確立していこうという意気が高ければ、まぁよかろう。
しかし香港は、過去ずっと「とりあえず、今はこの状態」という状況のまま、近代化を達成してしまった。これからも、現状をずっと踏襲すればいいのではなく、50年のうちに社会主義体制に変換していかなければならない宿題がある。ずっと「一時的な状態」であることに変わりはない。

そういう香港の状態が、腰を据えた国民意識の育成を阻害しているのではないか。確かに香港は、ニューヨーク、ロンドンと並ぶ「世界三大金融センター」のうちのひとつに数えられるほど経済的に発達した。しかし、金儲け以外に、誇れるものが何かあるのだろうか。金のために街をつくり、その虚しさに気付いた時、香港に残るものは何なのだろうか。


僕は海外の街を歩く時、必ず街で一番大きな書店に行く。今回、香港で異様に感じたのは、あれだけ繁華街が延々と続きながら、本屋がまったく見当たらないことだった。ホテルのコンシェルジュに訊いて2件だけ本屋を教えてもらったが、両方とも扱っている本はすべて英語の本だった。
街の喫茶店やレストランにいる地元の人が熱心に読んでいるのは、すべて新聞だった。新聞は驚くほど多く発行されており、新聞をゆっくり読みながら長い時間をかけて飲茶をいただくのが定番だそうだ。

香港の公用語は一応、広東語だが、僕は街のどこでも英語で不自由しなかった。若い人ほど英語が上手い。おそらく、英語で教育を受けているのだろう。
国民意識が成熟せず、母国語の役割が薄い地域には、文学は発達しない。香港の街に本屋が少ないのは、彼らにとって「自分たちの物語」を描けるだけの基盤が、まだ確立していないからではないか。世の中を見るとき、どのような精神的な礎に基づいて世界を見るのか。その物語を、何語で書くのか。
そういった文化的土壌の脆さが、静かで深い書籍文化の発達を阻害し、新聞のような一過性の「情報」に価値を見出すような風潮になっているような気がした。

今回、観光客用の店ではなく、比較的場末にある、地元民しか使わないようなお店でいちど飲茶を頂いた。まわりの客はすべて地元の人で、60歳以上のお年寄りばかり。みんな新聞を読んでいた。
人間、60を越えると、動きの激しい世の中の最新情報よりも、時間を経ても変わらない普遍的な価値観に、興味の対象が定まっていくものではあるまいか。動きすぎる世の中は疲れる。それよりも、ゆっくりと自分の世界に浸れる時間を持ちたくなるものだと思う。
それなのに香港の人たちは、老境にさしかかって尚、昨日の情報を求めて黙々と新聞を読んでいる。そういう生き方が必要だからそうしているのか、他に選択肢がないからそうしているのか。飲茶のテーブルで思い思いに新聞を読んでいる地元のお年寄りたちが、なんか異様に映った。



文化というものは、金だけでは作れない。

あさごはん

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迫り来るおまんじゅうのみなさん。

旧イギリス領

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基本的にイギリス英語。

いい天気(^-^)

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道観の建物よりもうしろの高層建築のほうが凄い。
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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