たくろふのつぶやき

春は揚げ物。

2011年09月

マクドナルド、定年制復活

日本マクドナルドが定年制を復活 「成果主義」思惑はずれ若手育たず


日本マクドナルドは2012年1月から、60歳定年制を復活する。同社は年功序列の人事・賃金制度の廃止など、成果主義の人事体系を目指しており、その一環として06年に定年制を廃止していた。
いったん定年制を廃止したものの、復活するケースは非常にめずらしいという。

■定年制の廃止「時期尚早だった」
日本マクドナルドの正社員は約3400人で、現在の平均年齢は35.5歳。今回、定年制の復活と同時に65歳までの再雇用制度を導入。高年齢者雇用安定法に対応し、雇用継続を希望する社員の健康や能力を判断して年間契約で雇用することにした。

定年制の復活について、同社は「若手社員を伸ばしていく企業文化を根づかせていくため、年功序列を廃止するなど、実力主義への意識を高めようとしたなかで、定年制を廃止すべきと考えたが、時期尚早だった」と説明する。

定年制の廃止は、ベテラン社員の経験やノウハウ、スキルが活かされるメリットがある。しかし同社によると、経験豊かなベテラン社員が自身の成果をあげることを優先してしまい、若手社員の育成が疎かになってしまったという。ベテラン社員のもつノウハウなどの若手社員への伝承がうまく進まなかったと反省している。

6年前の廃止時には、「定年制の廃止は20~30歳代の社員のため、実力本位の意識を高めるのが狙い」(原田泳幸会長兼社長)と話し、年齢ではなく、実力本位であることを会社が明確にすることで「若手のモチベーションが高まるはず」としていた。

ところが、「ベテランが職務に取り組むうえで、仕事の成果と人材育成のバランスのとり方が難しく、仕事の優先順位が崩れてしまった。(定年制を復活することで)人を育てていく企業文化を再度築き上げる」と話している。



2:名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/09/25(日)
保身に走るのはあたりまえだろw


10:名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/09/25(日)
これは面白い結果だな


3:名無しさん@涙目です。(東日本):2011/09/25(日)
10年前の富士通かよ


16:名無しさん@涙目です。(新潟県):2011/09/25(日)
>>3
今の日本だよ


7:名無しさん@涙目です。(東日本):2011/09/25(日)
飯の種をただで教えるわけにはイカねぇ


9:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/09/25(日)
成果の中にどんだけ使える若手を育てたかを入れればいいだけじゃねーの?


105:名無しさん@涙目です。(茨城県):2011/09/25(日)
>>9
「育った?じゃぁ首ねw」に決まってんだろ


11:名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/09/25(日)
あっち行け!
わしが肉を焼くところを見ちゃいかん!見ちゃいかんぞ!


28:名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/09/25(日)
お前何俺がポテト揚げるとこ見てんだよ!あっちいけ!


12:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/09/25(日)
ノウハウを伝授したら用済みでリストラが待ってるんだから
こうなるのは当たり前だろう。


15:名無しさん@涙目です。(庭):2011/09/25(日)
そもそも育成を評価点にいれないのがおかしい


19:名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/09/25(日)
自由競争で年寄と若者が対決したら負けるに決まってるわな


27:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/09/25(日)
まあね
長く続いた制度には理由がある


29:名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/09/25(日)
雇用の流動性が極端に低く、35過ぎてクビを切られたら人生が終わる日本みたいな社会で
成果主義を導入したらこうなるなんて火を見るより明らかなことだろ。


38:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/09/25(日)
今若手が使えないとかゆとりとか言ってる中高年って、もしかしてこれと同じで、
自分の地位とか守るためにろくな指導してないだけでは…。


58:名無しさん@涙目です。(東海):2011/09/25(日)
>>38
実際それだよ
団塊は余裕がないもの


77:.(米):2011/09/25(日)
>>58
ゆとりゆとり言ってるのは
自分のクビが飛ばないようにする為か
ケツの穴ちいせえなあ


117:名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/09/25(日)
>>77
昔から
閑職寸前のじじい「いまどきの若いもんはなっとらん」
やり手のじじい「いえいえ、若い衆もなかなか立派なものですよ」
っていうやりとりが繰り返されてる


43:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/09/25(日)
まあこうなるわな、成果主義が主流の他の国はどうしてるんだろ


57:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/09/25(日)
不思議なことに成果主義を導入して人件費があがった企業はほとんどない
社会に出たことの無い馬鹿は成果主義を妄信してるけど、現実は

凄くよくできる奴⇒少しあがる
よくできる奴⇒現状維持
普通の奴⇒下がる

なのに


79:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/09/25(日)
うちの会社なんだけど、営業で成果主義導入して2年目までは業績がうなぎ登りだったんだけど
その当たりがピークで社内でも情報共有しなくなって、
新しい人育てようとか仲間意識が吹っ飛んで
どんどんダメになってった 情報共有がないから誰がどこ担当してるとかわからんし、
担当者ついてるとこに飛び込み営業かける奴が出てきて
そこがうちの会社で一番大きな取引先だったんだけど、
結局その事がきっかけで取引して貰えなくなったし
あと一番のエースだった人や営業部長なんかはもっと給与良い他のとこ行っちまった


95:名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/09/25(日)
>>79
70年代の営業を見ているようだ


137:名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/09/25(日)
>>79
おもしれえw


179:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/09/25(日)
>>79
うちもまさにこれだな。営業所同士で順位づけし合うから、情報共有がされなくなってずたぼろになってる。
早く倒産してほしいよ。


126:名無しさん@涙目です。(静岡県):2011/09/25(日)
日本の成果主義は欧米の成果主義を勘違いしてるって論が面白かった
欧米の成果主義は「これから成果が期待される人に払う」
日本の成果主義は「すでに成果を出した人に払う」
後者ならそりゃ手柄の取り合いだろうさ


139:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/09/25(日)
>>126 すごい成果だしたけど、ぜんぶ上司にもっていかれたでござる。


131:名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/09/25(日)
減点方式の成果主義やってるからだよ
学校のテストからペーパー試験や羅人事評価やら
全部100からマイナスしていくからみんなが保身に走る


%-----------------------------------------

成果主義ってのは、もともとそういうシステムじゃないと必死に仕事しない怠惰な欧米気質に根ざした制度だと思う。部分的には必要ではあろうが、まるまる全体がその枠組みになるというのは、決して自慢できた話ではあるまい。

日本はもともと年功序列制をとっており、成果主義ではなかった。そもそも成果主義にする必要がなかったのだ。
日本人は成果主義で脅しをかけなくても、根が真面目だから、きちんと真摯に働く。そういう国だから、コンビニのバイトが、新人のバイトをトレーニングする、などという世界では信じられない形態で店舗運営が可能なのだ。

それを欧米病患者が何でもかんでも向こうのシステムを妄信して、日本のもつ優れた特質をドブに捨ててしまった。日本はアメリカの真似をしようと思えばできるが、アメリカは日本の真似はできない。なぜアメリカには無い優れた社会気質を持っておきながら、それを捨てて向こうの真似をしようとするのか、理解に苦しむ。



年功序列は、「道(どう)」の志がない国民には無理だと思う

中国、宿題を苦に児童三人が自殺未遂

「宿題終わらなくて…」自殺未遂 中国で児童3人


死んでしまえばもう宿題をしなくて済むと思った」。中国で飛び降り自殺を図り、大けがを負った3人の女子児童が地元紙の取材に話した動機が波紋を呼んでいる。児童らは教師の体罰が怖かったと話しており、インターネット上で学校や厳しい教育のあり方に批判が強まっている。  

地元紙などによると、江西省九江市で19日、同じ小学校に通う10歳と11歳の女児3人が2階建ての民家の屋根から飛び降り、あばら骨を折るなどの重傷を負った。3人は、はしごを使って高さ約6メートルの屋根をよじ登り、手をつないで飛び降りたという。「宿題が終わらず、学校に行けば先生に殴られると思った」と動機を説明している。  

3人が通う同市内の小学校の責任者は22日、朝日新聞の電話取材に、原因は調査中とした上で「教育局の規定に基づいた宿題の量で、決して多いわけではない。3人が遊びすぎて終えられなかっただけだ」と反論した。



中国でこういう事件が起きた時、「行政や教育局の責任」という結果になったことって、建国以来、一件もないんですかね。



その「教育局の規定」なるものは公表しないわけですね、わかります

友人。

いつの時代でも、友達ってのはいいもんですね。


僕はあまり友人との付き合いがべったりしている方ではないので、常日頃からこまめに連絡を取り合う、ということをあまりしません。
決して人嫌いというわけではないんですが、生活の環境が変わると、以前の環境で近しかった人とは連絡が疎遠になる傾向があります。
要するにずぼらなんですね。

中学のときの友達とは、高校に入ってから疎遠になりました。高校のときの友達とは、大学に入ってから疎遠です。
だからアメリカに住んでいた時、夏休みなんかにたまに帰国しても、あまりあちこち友達と会うようなこをはありませんでした。
就職してからは、大学院時代の友人とはあまり連絡をとらなくなってしまいました。

大学の学部生の頃は、ひとつ上の先輩とよく競って勉強していました。同じ仙台の大学院に進学したこともあり、たまに夕ご飯を一緒に食べたり酒を飲んだりしてました。先輩であり親友であり、僕の大学院生活のなかで大事な人間関係だったと思います。
その彼とも、僕がアメリカに行った頃から連絡をとらなくなってしまい、就職してからは全く疎遠です。まぁ、僕がどこかで生きてることくらいは感じてるでしょう。


閑話休題。先日、台風15号の影響で、研究室宿泊を余儀なくされました。
Twitterなどで愚痴ってたら、はげましのおたよりがメールで多数届けられました。主に学生さんからですが。
こういう災害時の安否確認に、ソーシャルネットワークってのは便利ですね。

台風の夜、研究室でネットして遊んでたら、件の、学部大学院時代の友人から、なんと10年振りにメールが入ってきました。




「風邪だけはひかないようにしたほうがいいと思う。」







オメェ10年振りのメールが1行かよ 





もっと何か言え。
まったくもう。



もちろん僕も1行だけ、しれっと返信しました。



なにその挟まった10年が無いかのごときフランクなメール。

台風でござる。

AKB48なんてどうせ誰がセンターやっても同じなんだから、いっそのことジャンケンででも決めちゃえばいいんじゃないですかね。


閑話休題。たくろふです。
日本列島が台風15号のせいで大変なことになっておりますな。

今日は会議出勤だったんですが、お昼には早々と大学内に業務停止・帰宅指令が発令しました。
ところが、明日の授業開始のために必要な会議で足止めされまして、学校を抜けるのがちょっと遅れたわけです。
そのわずかな差が命取り。

駅にいくと、もう電車が止まっておりました。あーあ。
これから台風が接近する、というタイミングだったので、電車の復旧は無理と諦めて、研究室に戻りました。
そんなわけで午後は、外がとんでもない大嵐になっているのを眺めながら、のほほんと仕事をしておったわけです。

夜になって雨が止んだので駅に戻ってみましたら、川の氾濫やら停電やらで、電車の復旧の見込みが立っていないとのこと。
僕はこういうときにはぜんぜん粘らない性格なので、早々と電車に見切りをつけ、宿泊狙いに切り替えました。


えー、当然ながら、ホテルはどこも満室でして。


当然の帰結として、研究室宿泊と相成りまして。


まぁ、しょうがないですね。自然災害が相手ですから。今年はそういう年なんでしょう。
研究室宿泊なんて余裕なんですよ。なんせ大学院のためにアメリカに渡ったばかりの頃は1ヶ月の学内ホームレス生活を送ったワタクシですから。
僕の研究室にいつもうろちょろしている学生は知らないことですが、実は僕の研究室は宿泊するための設備が完備してござるのですよ。
こんなのはサバイバルのうちに入らないのですよ。


まぁ、駅で行き場を失った人の中には、家にも帰れない、ホテルにも泊まれない、駅で夜を明かすしかない人もいるわけですから。
ちゃんと屋根の下で、電気・水道・ネット・トイレが完備している環境で夜明かしできるだけ、有難いというべきでしょう。

大学に戻ると、守衛さんに「大変ですねぇ」と同情されました。
まぁ、仕事に殉じて台風の被害を被ったように見えるんでしょう。



しかし、なんですかね、研究室で夜明かしする前の



この妙なワクワク感は。



すでに祭は始まっているのだよ

仙台。

仙台から帰ってきました。


今回は僕の出身大学院の研究会に呼んでもらいました。
研究室の主任教授が今年で定年退官なので、その記念ワークショップです。
僕の他にも研究室OBが駆けつけ、さながら同窓会の様相を呈していました。
いいですね、そういう集まり。僕も久しぶりに研究室に戻って、大学院時代を懐かしく思い出しました。

僕はもう日本の大学院を離れて10年くらい経ちますが、その間に僕の生活環境も2転3転しました。僕は大学院在籍中にアメリカの大学院に転出したので、日本の大学院を満期修了していません。中途退学です。
冷静に考えれば僕のやったことは、本当は、研究室および大学に対して非常に失礼な行為です。研究室に在籍していながら、「他の大学院に行きたいです」と勝手に飛び出したわけです。普通の世界だったら破門でしょう。僕はいつも、自分の出身大学院に対して、留学という大義名分を楯に途中退学したことに、若干の負い目を感じています。

でもそんな僕に、研究室の先生方は惜しみなく留学を支援してくれました。出願の際には推薦状も書いていただきました。今回のように研究室で催しをする際にも、「卒業生」として扱ってくれます。研究室の先輩や後輩も、冷たい目で見ることなく、在籍していた頃の人間関係を保ってくれています。

日本の大学院から海外へ留学しよう、と思っている人は多いと思います。そのほとんどが、修士論文を書き上げる頃をひとつの区切りとして、日本の大学院を中途退学して留学するパターンだと思います。そういう経験をしている人がこの世界には多いので、それが当たり前であるかのような錯覚を抱いている人が多いと思います。
しかし、自分が何をしたのかを冷静に考えてみれば、当たり前どころか、どんなに感謝しても感謝しきれないくらいの大恩です。海外の大学院に合格したことを「良かったね、おめでとう」と言ってもらえる環境がどれほど有難いものなのか、留学を希望している大学院生はいま一度考える必要があると思います。

他の人はともかく、僕個人としてはそういう感覚でいるので、今回のように研究室から声が掛かった時には、万難を排して駆けつける所存でおります。
決して「しめしめ、また国分町で飲めるぞ」とか「久しぶりに牛タン定食(゚Д゚)ウマー」などという邪な考えではないわけです。



そんなことは微塵も考えてはおりません。



本当ですってば。




夜の打ち上げの酒の席で、現役の院生や先生方に、3月11日の話を聞いた。
想像以上に壮絶な状況だったようだ。

今回、大学院の建物を見たら、あちこちがひび割れており、ひどい箇所ではコンクリートがはがれ落ちて鉄筋が剥き出しになっていた。他の研究棟では、半壊していまだに使用禁止になっている建物もあるそうだ。研究室の院生室の机には、大学の名が入ったヘルメットがそれぞれ置かれていた。あの日の地震の物凄さは、いまだに生活環境の中に克明に刻まれている。
あの日は金曜日の午後だったから、研究室にいて仕事をしている人が多かった。研究室の本棚から本が乱れ落ち、何が起きているのか、状況を正確に把握できない有り様だったようだ。

携帯電話が繋がらず、家族の安否の確認が取れなかったこと。
車での移動が危険なので、大学から家まで歩いて帰ったこと。
夜になると雪が降ってきて怖かったこと。
マンションや集合住宅で数年間住んで以来、一度も話したことのない近所の人たちと、初めて話をしたこと。
トイレを流すのに風呂の水しか使えず、日に日に風呂桶の水が減っていくのがとても不安だったこと。
家で寝ると余震が怖いので車に布団を持ち込んで家族で夜を過ごしたこと。
車の暖房を付けっ放しだとガソリンを消費するので、着込んで寒さをしのがないといけなかったこと。

関東でさえ大混乱になった震災なので、震源地の仙台周辺はいかほどだったのか、想像はしていた。しかし、実際に自分が一時期を過ごした地域が壊滅的な被害を受けているのを改めて目の当たりにして、実際の話を聞くと、背筋に冷たいものが流れる。日常生活や公共のインフラも含めて仙台が元通りになるには、あと数年かかるだろう。

大学の研究会が終わった翌日の朝、定禅寺通りの仙台市民図書館に出向いて、政府、宮城県、仙台市が公表した、震災直後からのインフラ状況の経緯や被害状況報告を複写してもらった。今回は学術目的の出張で、資料の使用目的も大学の授業と研修のためだから、公費扱いにすることもできたのだが、何となく、その資料は大学ではなく僕個人が持っていなければならないような気がして、自費で払った。
帰りの新幹線の中でその資料を読んでいると、地震の被害の大きさと、この半年間で復興のために充てられた予算と人員の大きさが、ともに半端ないものであることがよく分かった。時が経つにつれて、被害の痛みは風化していくかもしれない。しかし、その痛みを具体的な数字で保存しておくこと、数字からその痛みを想像できること、そのふたつの能力は、大学で教壇に立つ者として、次の世代に身につけてもらわなければいけない能力だと思う。


今回、仙台に行く際には、個人的にいろんな思いが複雑に絡み合っていた。単に懐かしいというだけでなく、いま仙台が置かれている状況は、僕がいた頃とは大きく異なる。そんな仙台の街を歩きながら、いままで自分が辿って来た道のりと、これから僕が辿ることになる行く末を、ぼんやり考えた。
大学ではもうすぐ後期の授業が始まる。教壇から学生に何を話し、何を伝えるのか。この時期に仙台に行ったのは、そのことを考え直す良い契機になった気がする。



さくら野なんて認めない。あれはビブレだ。
ペンギン命

takutsubu

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