2011年06月
「AKB48の総選挙」って一体なんのこと?
なんかテレビの朝ニュースでもネット上でも、「神7の一角が崩壊」とか「前回に比べて大躍進」とか、なんか国民的ニュースのように報じてましたよね。
なんのことだろう、と思って調べてみたら,要するにただのアイドルグループのファン投票を大々的に報じていただけのようですね。
なんだそりゃ。
なんだか、CDを1枚買うと、その投票権が1票分だけもらえるそうですね。自分のひいきの娘に大量投票をするためにCDを万単位で買い占めていたコアなファンもいたとか。
僕はアイドルには興味はないし、そういう媒体に巨額の金を突っ込む趣味もよく理解できないんですが、そういう好みの方々もいらっしゃるのでしょうね。それはそれで、いいと思うんです。
プロデューサーの秋元康に対して「ひどい商売だ」「オタクに対する搾取だ」なんて陰口叩いてる人もいますが、僕はそこに対してはそれほど批判的な考えは持ってません。
今の日本に一番必要なのは経済復興です。端的に言うと、国民みんなが金の無駄遣いをすればいいんです。その点、たとえ限られた客層とはいえここまで無駄な金を使わせた、という点で、秋元康は日本経済にかなりの貢献をしてることになるとは思うんです。
ただし、僕はそういう観点とは別の理由で、この総選挙というイベントが気に入りません。
大きく分けて、アイドル産業は「プロデューサー、事務所」「アイドルの女の子」「購買層のファン」の3者の関係で成り立っていると思う。
そのうち、今回の総選挙で批判の対象になっているのは、「プロデューサー」が「アイドル」を商品に、「ファン」からお金を搾り取る、という図式のあり方だろう。
しかし、僕はこのビジネス形態で注目するべきところは、そこではないと思う。
「プロデューサー」が「アイドル」に向かう関係のあり方が、非常に無責任に見えるのだ。
いままで、AKB48の総選挙を批判している人の論調は、すべてファンの側からの視点での批判になっていると思う。「ボロい商売」「あこぎなやり方」のような批判だろう。
しかし、自分が芸能プロダクションを経営している立場、プロデューサーの立場になって考えてみると、どうだろうか。
AKB48は単一のプロダクションに所属しているわけではないそうだが、たとえばひとつの芸能プロダクションにとって、アイドルの女の子をひとり発掘し、育てあげ、売り出すまでに必要なリスクと労力は、相当なものだと思う。しかも、商品として確実性のあるビジネスではない。当たり外れも大きいだろう。長期的な売れ筋となることも期待できない。すべて一過性の「生もの」だ。
だからこそ芸能プロダクションは、オーディションやスカウトなど、新人発掘に必死になっているのだろう。
アイドルになりたい女の子、芸能界に憧れる女の子は、それこそ星の数ほどいるだろう。しかし、「かわいいだけの女の子」と「プロのアイドル」の間には、歴然とした違いがあるのだと思う。
芸能プロダクションやプロデューサーの側には、その違いを見抜き、それを育てるための、プロとしての手腕が必要になる。
ところがAKB48の総選挙は、そんな労力をかける必要がない。
そもそも、売れる女の子を、最初からファンの側が選ぶのだ。外れるわけがない。プロのアイドルを育てるのではなく、そのまま素材で売れる女の子をとりあえず売る。それが売れなくなったら使い捨てて、すぐ次の女の子に取り替える。
宣伝文句としては「隣の家にいるような普通の女の子」というコンセプト、ということになるのだろうが、言い方を変えれば「プロのアイドルとしての技量に欠けるアマチュア」に過ぎない。
つまり、元手のかからない商売なのだ。
あるアイドル志望の女の子を「売れるか売れないか」「売れるように育てるにはどうすればいいか」を見抜く能力が必要ない。プロデューサーとしての技量も才覚も能力も必要ない。大量の女の子をとりあえず囲い込んでおき、ファンに「売れ筋の女の子」を選ばせ、そのまま売る。
もし秋元康に「東京の街を歩いて女の子ひとりを選んでスカウトして、その子をアイドルとして大成させてみろ」という仕事を与えたら、できないと思う。売れる子を見抜く眼も、売れるように育てる腕も、持ってはいないだろう。
たとえばモーニング娘。を売り出したつんくの場合、少なくとも結果に関わるすべての責任をつんく一人が背負うシステムになっていた。馬鹿みたいに売れたとしても、全然売れなくなったとしても、それはつんくのプロデュース能力の反映として受け入れられる。いわば、彼は「責任」を負っていた。
しかし、AKB48の場合、総選挙1位の女の子が売れに売れたとしても、それは秋元康の技量の反映だとはどうしても思えない。「その子の商品を買いたい」というファンの思惑が、そのまま表出しただけの話だ。前回の総選挙で上位にいた女の子が今回ランクを落としたとしても、それは秋元康の責任ではない。なぜか「本人の努力不足」ということになってしまう。
僕はどんな分野でも、どんな業種でも、その道ならではのノウハウを身につけたプロの仕事には、無条件で敬意を払う。「どんな世界でも一流ってのは違うんだ」という技量をまざまざと見せつけてくれる「本物」には、無条件で惚れてしまう。
僕がAKB48を好きになれないのは、女の子たち本人、それをプロデュースしている秋元康に、どうしても「その世界での本物の技量」が見出せないからだ。売れているのはファンが選んでいるからだ。このビジネス形態を常態化できるのはアイドル志望の女の子の絶対数が多いからだ。
別の見方をすると、秋元康は「アイドルの作り方を知っている」のではなく、「コンスタントに売れるアイドルを生み出せるシステムの作り方を知っている」のだと思う。それはそれで、ひとつの技量ではあるだろう。むしろビジネスモデルとしては、こちらのほうが長期的な視野に立った経営戦略に適いやすい。芸能プロダクションとしてはぜひとも欲しい能力だろう。
しかし、どうもチェーン店経営のために大量生産をする大工場をイメージしてしまう。僕の個人的な好みとしては、熟練の技術を駆使して丹念に作品を仕上げる職人の仕事のほうが好きだ。
かわいい女の子は普遍の商品価値をもつ売れ筋商品なのだろうが、こちとら世界で一番かわいい嫁がいる身分だ。だから見た目の華やかさなど関係なく、その向こう側にある「プロとしての仕事」としてアイドルを見てしまう。そういう観点に立った場合、僕にとってAKB48は、それほどの技量があるようには見えない。
なんかテレビの朝ニュースでもネット上でも、「神7の一角が崩壊」とか「前回に比べて大躍進」とか、なんか国民的ニュースのように報じてましたよね。
なんのことだろう、と思って調べてみたら,要するにただのアイドルグループのファン投票を大々的に報じていただけのようですね。
なんだそりゃ。
なんだか、CDを1枚買うと、その投票権が1票分だけもらえるそうですね。自分のひいきの娘に大量投票をするためにCDを万単位で買い占めていたコアなファンもいたとか。
僕はアイドルには興味はないし、そういう媒体に巨額の金を突っ込む趣味もよく理解できないんですが、そういう好みの方々もいらっしゃるのでしょうね。それはそれで、いいと思うんです。
プロデューサーの秋元康に対して「ひどい商売だ」「オタクに対する搾取だ」なんて陰口叩いてる人もいますが、僕はそこに対してはそれほど批判的な考えは持ってません。
今の日本に一番必要なのは経済復興です。端的に言うと、国民みんなが金の無駄遣いをすればいいんです。その点、たとえ限られた客層とはいえここまで無駄な金を使わせた、という点で、秋元康は日本経済にかなりの貢献をしてることになるとは思うんです。
ただし、僕はそういう観点とは別の理由で、この総選挙というイベントが気に入りません。
大きく分けて、アイドル産業は「プロデューサー、事務所」「アイドルの女の子」「購買層のファン」の3者の関係で成り立っていると思う。
そのうち、今回の総選挙で批判の対象になっているのは、「プロデューサー」が「アイドル」を商品に、「ファン」からお金を搾り取る、という図式のあり方だろう。
しかし、僕はこのビジネス形態で注目するべきところは、そこではないと思う。
「プロデューサー」が「アイドル」に向かう関係のあり方が、非常に無責任に見えるのだ。
いままで、AKB48の総選挙を批判している人の論調は、すべてファンの側からの視点での批判になっていると思う。「ボロい商売」「あこぎなやり方」のような批判だろう。
しかし、自分が芸能プロダクションを経営している立場、プロデューサーの立場になって考えてみると、どうだろうか。
AKB48は単一のプロダクションに所属しているわけではないそうだが、たとえばひとつの芸能プロダクションにとって、アイドルの女の子をひとり発掘し、育てあげ、売り出すまでに必要なリスクと労力は、相当なものだと思う。しかも、商品として確実性のあるビジネスではない。当たり外れも大きいだろう。長期的な売れ筋となることも期待できない。すべて一過性の「生もの」だ。
だからこそ芸能プロダクションは、オーディションやスカウトなど、新人発掘に必死になっているのだろう。
アイドルになりたい女の子、芸能界に憧れる女の子は、それこそ星の数ほどいるだろう。しかし、「かわいいだけの女の子」と「プロのアイドル」の間には、歴然とした違いがあるのだと思う。
芸能プロダクションやプロデューサーの側には、その違いを見抜き、それを育てるための、プロとしての手腕が必要になる。
ところがAKB48の総選挙は、そんな労力をかける必要がない。
そもそも、売れる女の子を、最初からファンの側が選ぶのだ。外れるわけがない。プロのアイドルを育てるのではなく、そのまま素材で売れる女の子をとりあえず売る。それが売れなくなったら使い捨てて、すぐ次の女の子に取り替える。
宣伝文句としては「隣の家にいるような普通の女の子」というコンセプト、ということになるのだろうが、言い方を変えれば「プロのアイドルとしての技量に欠けるアマチュア」に過ぎない。
つまり、元手のかからない商売なのだ。
あるアイドル志望の女の子を「売れるか売れないか」「売れるように育てるにはどうすればいいか」を見抜く能力が必要ない。プロデューサーとしての技量も才覚も能力も必要ない。大量の女の子をとりあえず囲い込んでおき、ファンに「売れ筋の女の子」を選ばせ、そのまま売る。
もし秋元康に「東京の街を歩いて女の子ひとりを選んでスカウトして、その子をアイドルとして大成させてみろ」という仕事を与えたら、できないと思う。売れる子を見抜く眼も、売れるように育てる腕も、持ってはいないだろう。
たとえばモーニング娘。を売り出したつんくの場合、少なくとも結果に関わるすべての責任をつんく一人が背負うシステムになっていた。馬鹿みたいに売れたとしても、全然売れなくなったとしても、それはつんくのプロデュース能力の反映として受け入れられる。いわば、彼は「責任」を負っていた。
しかし、AKB48の場合、総選挙1位の女の子が売れに売れたとしても、それは秋元康の技量の反映だとはどうしても思えない。「その子の商品を買いたい」というファンの思惑が、そのまま表出しただけの話だ。前回の総選挙で上位にいた女の子が今回ランクを落としたとしても、それは秋元康の責任ではない。なぜか「本人の努力不足」ということになってしまう。
僕はどんな分野でも、どんな業種でも、その道ならではのノウハウを身につけたプロの仕事には、無条件で敬意を払う。「どんな世界でも一流ってのは違うんだ」という技量をまざまざと見せつけてくれる「本物」には、無条件で惚れてしまう。
僕がAKB48を好きになれないのは、女の子たち本人、それをプロデュースしている秋元康に、どうしても「その世界での本物の技量」が見出せないからだ。売れているのはファンが選んでいるからだ。このビジネス形態を常態化できるのはアイドル志望の女の子の絶対数が多いからだ。
別の見方をすると、秋元康は「アイドルの作り方を知っている」のではなく、「コンスタントに売れるアイドルを生み出せるシステムの作り方を知っている」のだと思う。それはそれで、ひとつの技量ではあるだろう。むしろビジネスモデルとしては、こちらのほうが長期的な視野に立った経営戦略に適いやすい。芸能プロダクションとしてはぜひとも欲しい能力だろう。
しかし、どうもチェーン店経営のために大量生産をする大工場をイメージしてしまう。僕の個人的な好みとしては、熟練の技術を駆使して丹念に作品を仕上げる職人の仕事のほうが好きだ。
かわいい女の子は普遍の商品価値をもつ売れ筋商品なのだろうが、こちとら世界で一番かわいい嫁がいる身分だ。だから見た目の華やかさなど関係なく、その向こう側にある「プロとしての仕事」としてアイドルを見てしまう。そういう観点に立った場合、僕にとってAKB48は、それほどの技量があるようには見えない。
市場の動向を見る眼に関しては確かなのだろうが
ペンギン命
takutsubu
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