たくろふのつぶやき

夏の雲が大好き。

2011年04月

一粒の砂

ロサンゼルスの街には、ピアノの調律師が何人いるだろうか。




フェルミ

エンリコ・フェルミ(1901–1954) 



どうしても「マンハッタン計画」の中枢人物として、原子爆弾製造に関わる政治的な側面が強調される科学者だろう。
大学で、学生に科学者の話をするときに、非常に話し方が難しい人物だ。

第二次世界大戦中、ユダヤ人物理学者レオ・シラードがアメリカに亡命した。
彼はナチス・ドイツが原爆を開発する危険性を危惧し、同じユダヤ人物理学者のアインシュタインの協力を得て、ルーズベルト大統領に書簡で警告を送った。
その危険性に腰を抜かしたアメリカ政府は、すぐさまアメリカ中からトップレベルの物理学者を招集し、極秘に原爆開発と核兵器対策の研究を命じた。これが「マンハッタン計画」だ。

物理学者のロバート・オッペンハイマーをプロジェクトリーダーとして、ニールス・ボーア、ジョン・フォン・ノイマン、オットー・フリッシュ、エミリオ・セグレ、ハンス・ベーテ、エドワード・テラー、スタニスワフ・ウラムなど錚々たる顔ぶれが集められた。
若き日のリチャード・ファインマンも招集されている。

エンリコ・フェルミは1938年、放射性元素の発見でノーベル賞を受賞している。つまりもともと核物質に関する専門家で、マンハッタン計画の中枢を担う役割を果たした。
しかしフェルミ自身は倫理的な観点から、原爆および水爆の使用には反対だった。自分が原爆開発に関わった事実に、生涯苦しむことになった。

フェルミ自身はイタリア人だったが、妻のラウラはユダヤ人だったため、ムッソリーニ政権下のイタリアで迫害された。ノーベル賞受賞式典のためストックホルムに赴き、その足でアメリカに亡命している。
そういう経歴から、科学研究が政治的圧力に迫害される危険性に、人一倍敏感だったのだろう。

僕は大学に就職したとき、「科学研究上のモラル」を学生に話すため、マンハッタン計画に関する本を読み漁った。
計画に関わった科学者の業績のうち、物理学上の業績など僕にはよく分からない。専門的な話を抜きにしても、このエンリコ・フェルミだけはひときわ興味を引く科学者だった。

なんというか、「理論力」と「実践力」を兼ね備えている科学者なのだ。
計算をこねくりまわし机上の空論に終始するつまらない理論家でもなく、理論体系を軽視して結果のみを重視するリアリストでもない。その両方のバランスがよくとれている物理学者だ。

その能力がよくわかるエピソードがある。
原爆実験の際、その爆風の規模とエネルギーを直接測定するだけの技術は、当時まだ開発されていなかった。フェルミは原爆爆発のときに遠隔地でティッシュペーパーを落とし、その動きと爆心地からの距離を計算し、おおよその爆発のエネルギーを見積もったという。
何の手がかりもないように見える問題に対して、そのおおよその値を計算する「概算」の達人だったと言われている。

この概算力は、現在、彼の名前をとって「フェルミ推定力」と称されている。
経営コンサルタント、プログラム開発、証券会社など、限られた情報から大きな全体像を予測して検証する必要がある業種では、現在、就職試験の面接などでこの推定力をはかることがある。


「利根川河口に1分間に流れ込む水の総体積は」
「地球が太陽のまわりを廻っている速度は」
「琵琶湖に富士山を逆さまに沈めるとき、どちらのほうが大きいか」
「日本全国に砂場はいくつあるか」


これらの問題を解けない大学生は、「そんなの学校で習ってない」と文句を言うのだろうか。


エンリコ・フェルミはこの手の概算が得意だったらしい。限られた情報をもとに推論を重ね、おおよその数値をはじきだす。
たとえ数値が不正確だったとしても、その誤差は情報の精度を高めることによっていかようにも修正できる。

フェルミの出した古典的な問題は、「ロサンゼルスにピアノの調律師は何人いるか」という問題だった。
10人か、百人か、千人か、1万人以上か。見当がつくだろうか。

この問題を解くために必要なのは、どういう情報だろうか。
フェルミはこの問題の推論過程に必要な情報として、以下を挙げている。

(1) ロサンゼルスの総人口
(2) 一人当たりのピアノ保有の割合
(3) ピアノ1台あたりの年間調律回数
(4) ピアノ1台の調律にかかる時間
(5) ピアノ調律師ひとりの年間労働時間

(1)に関して。アメリカの人口がだいたい3億人なので、ロサンゼルスの人口は1億人よりもずっと少ないだろう。100万人だと少な過ぎる。だから間をとって、とりあえず1000万人と推定しておく。

(2)に関して。ピアノの所有者は、個人、教会、学校など。10人に一人の人間がピアノを弾けると想定してみる。その人たち全員がピアノを保有しているわけではないだろうから、そのうち2-3%がピアノを所有している、と想定する。
教会はおよそ1000人に一軒、学校は生徒500人に1校、と考える。それらの諸条件を計算すると、ロサンゼルスのピアノ総台数はおおよそ4万台と推定できる。

(3) ピアノの調律は、だいたい1年に1回くらいだろう。

(4) ピアノ1台の調律時間はどのくらいか。鍵盤のキーが88個なので、キーひとつあたり2分かかるとしたら、1台ぜんぶの調律はだいたい3時間以内に収まるだろう。キーの使用頻度によっては調律に幅があるだろうから、おおまかに2時間くらいと推定できる。

(5) フルタイムの労働時間は法律で8時間と制定されている。週に5日間、一年を50週とすると、一年間の労働時間は2000時間と推定できる。一年間でおよそ1000台のピアノを調律できることになる。


これらの諸条件を合わせると、ピアノ4万台には、40人ほどのピアノ調律師が必要、ということになる。
答え合わせのためにロサンゼルスの電話帳を見てみると、「ピアノ調律、修理、塗装」の見出しには16件が載っている。ひとつの会社に2, 3人の調律師がいるとして、約30-50人。
なかなか悪くない推定だ。

数値の精確さが問題なのではない。何の前触れもなく、いきなり調律師の数を聞かれたら、100人なのか、千人なのか、1万人なのか、まず桁が分からない。
しかし、ある程度の諸条件を見切って、それをもとに推測を重ねると、恥ずかしいほど見当違いな答えにはならない。調査によってデータを調べれば、推定値はより正確になるだろう。

しかし、そもそも推定のしかたが分からなければ、データを集めても意味がない。
それと同じで、「知識」というものは、その使い方が分からなければ、いくら脳に記憶しても「知恵」には結びつかないものなのだ。

自分の住んでいる市町村の人口を知っているだろうか。
今回の大震災で、計画停電や水道などのライフラインに関する、いろんな噂が流れた。状況が把握できずにパニックになった人もいただろう。
僕の住んでいる横浜市は、人口約360万人。この数値を知っているだけで、ライフラインに関する政策を推測をする際に、強力な武器になる。

僕は今回、震災にまつわる状況把握が必要なたびごとに、意図的にこのフェルミ推定を行った。
計画停電の実施範囲や頻度、放射能漏れの拡散距離、スーパーの品薄状態が解消されるまでの期間、公共交通の遅れや停止状況など、事実が分からないときに、自分の頭で状況を推定する。
その材料となる数値や知識を求める目で、常に世の中を見ていると、ただの数字が意味をもつように見えてくるものだ。

知識というものは、そうやって増やしていくものだと思う。僕は今回の震災ではじめて、横浜市だけでなく、隣の川崎市や、東京23区のうち神奈川に隣接している区の人口の、おおよその数を知った。
その数だけを単なる知識として「暗記」しようとしても覚えられっこないが、計画停電や鉄道の運行状況を見切るために必要な武器として使うと、簡単に覚えられる。


エンリコ・フェルミという科学者について話をするとき、やっぱりマンハッタン計画にまつわる、科学者としてのモラルについて話さざるを得ない。大学で学ぶ者として、いちばん基本的な倫理観を説くのは何よりも必要なことだろう。
比較の対象が対象なので不謹慎に聞こえてしまうが、フェルミという科学者の本当の「面白さ」は、そこではない。僕がフェルミについて学生に話をするときに、身につけてもらいたい能力は、むしろ、一粒の砂から海岸の存在を予測するような「科学的想像力」のほうである気がする。



寺田寅彦が言っているのも基本的には同じこと

アート・ブレイキー

166 名前:名無しさん@涙目です。(宮城県) [sage] :2011/04/19(火)
ジャズの巨匠アート・ブレイキーのエピソード

素晴らしいメンバーを従えてアート・ブレイキーが
初めて羽田空港に降り立ったのは、1961年元日の夜10時のことだった。
機内から外へ出た瞬間にブレイキーが目にしたのは、花束を持ち、
こちらに向かって熱狂的に手を振っている無数の若者達。
彼はいったい同じ機にどんな有名人が乗っていたのだろうと思ったのだが、
これが実は自分達を歓迎するファンの渦だと知ったとき、彼の目からは大粒の涙があふれた。

熱狂ファン「ミスター・ブレイキー!お願いがあります。」
ブレイキー「何だい?」
熱狂ファン「僕と一緒に写真を撮って下さいませんか?」
ブレイキー「は?本気か?」
熱狂ファン「もちろんです!是非、是非お願いします。」
ブレイキー「俺は黒人だが・・・そんな俺と同じ写真に写っていいのかい?」
熱狂ファン「そんなこと知ってますよ。是非お願いします。記念にしたいんです。」
ブレイキー「俺は黒人だぜ。本当にいいのか?」

アフリカン・アメリカンとして、常に差別を意識せざる得ない状況の中で
生きてきたブレイキーにとって、この、彼らへのただ手放しの歓迎ぶりは、
にわかには信じられないことだったのだ。

タラップを降りると、ファンからの花束に埋もれ、スピーチを求められても、
涙が止まらなくてとてもそれどころではない。
ただ顔をくしゃくしゃにしたまま、ブレイキーはある屋敷で開催された歓迎会へと向かったのだった。

帰国を前に、彼は「私は今まで世界を旅してきたが、
日本ほど私の心に強い印象を残してくれた国はない。
それは演奏を聴く態度は勿論、何よりも嬉しいのは、アフリカを除いて、
世界中で日本だけが我々を人間として歓迎してくれたことだ。
人間として! ヒューマンビーイングとして!」とも述べている。



最近ジャズにはまってまして。

研究室のいたずら

ついこのあいだ卒業したばっかりの学生さんが研究室に遊びにきまして。


大学院に合格したんですが、先の震災で大学がダメージを受けてしまい、大学院の開始が大幅に遅れているそうです。
引っ越しの準備も延期になって、宙に浮いた感じの4月になってしまったとのこと。

家でぶらぶらしていても気合が入らないので、じゃ大学の研究室にでも顔出すか、という感じでふらっと来ました。
ちょうど読書会の人数が欲しいところだったので、数合わせにちょうどいいやと思って読書会に入れました。
家でごろごろしてるくらいだったら大学で勉強せい。


その学生、どうもいたずら好きな奴でして。


しかも、大掛かりないたずらとか、人に迷惑かけるようないたずらではなく、人の目につきにくいところでこっそりいたずらするような、変な学生です。誰も気付かなければ気付かないほど喜ぶというか。
妙に芸術家肌なところがあるんでしょうか 

僕の研究室には、学生さんが自由に使えるようにPCが一台置いてあるんですが、そのデスクトップが



dareda
いや、お前だろうが。



なんかごちょごちょPCいじってると思ったら

京都大学の学園祭スローガン

1959年(第1回) - 戦後派意識の解明  

1960年(第2回) - 独占資本主義社会におけるマゾヒズムとサディズムの意識

1961年(第3回) - 仮眠の季節における僕たちのあいさつ

1962年(第4回) - 故郷喪失の時代と僕ら

1963年(第5回) - 噛む時には言葉を考えるな

1964年(第6回) - ああ自然死-このナチュラルなもの

1965年(第7回) - 新しい歴史は僕らの手で せまりくる嵐のなか わだつみの声をのりこえて 真実を求め ともに考え前進しよう 真の学問文化を追求するなかで

1966年(第8回) - 青年よ その眸で真実を見よ

1967年(第9回) - のばそう大学に新しい芽を 築け展がれ人類の知恵 鳴らせ高らかに創造のつのぶえ おしよせる戦火の嵐ふきとばし 進め固めて反戦自由の道

1968年(第10回) - 思索から連帯へ!終章。 永訣の朝-B52。君たちの祖国70年6月23日 友よ 自己と日本解放の日は近い

1969年(第11回) - みずからの手で 新しい大学の創造を 豊かな文化の創造を 京大からの真実の声を そして連帯を 日本の夜明けめざして……

1970年(第12回) - 歴史の試練に応えんとする我ら 失うまい 奔流の中で科学者の目を! いつわりの孤高に別れをつげ 人民の連帯の息吹をだきしめよう 君のその精悍の腕でがっしりと

1971年(第13回) - 闇を裂き 燃えあがる松明 凝視せよ! 今この時 虚飾にまみれた城郭は浮かびあがった 打ち砕け! 友よ湧きおこる怒りをこめて……

1972年(第14回) - 嵐を突き 燃え拡がる変革の炎 歴史に問んとする我ら 研ぎすませ! 理性の目 生きた思考 創ろう! 新しい大学そして科学

1973年(第15回) - 創造の火を! 連帯の輪を! 今こそ君が手に反戦・自由の歌

1974年(第16回) - 今、矛盾の中で叫びが―さて君はどうする 人間不在の危機的現実 その根源と背景

1975年(第17回) - 流れの中 動かざるものを求めて

1976年(第18回) - 燃やそう! 新しい文化の炎を 研ぎ澄まそう!若き知性を 学術文化の奔流よ築け!若者の未来を!

1977年(第19回) - 明日に生きる我ら 未来を信じて突き進め 創れ 学生の心を 築け 学生の文化を

1978年(第20回) - 振りかえれ人類の歴史を みつめよう青年の未来を もどすな歴史の歯車 我らの文化は我らの手で

1979年(第21回) - 今、新しい時代に立ち向かう仲間たちよ 数百年を内蔵する思想を持とうではないか

1980年(第22回) - 友よ! この変革のとき 時代の胎動に耳をすまし 共に奏でよう 希望の交響楽を

1981年(第23回) - 今、戦争と平和の対峙の時 80年代の行く手を示す羅針盤を我らの手に

1982年(第24回) - 草の根も 花も咲いたら ひざまずき ひろひとおがんで むせび泣く 人は昔にゃ戻れないピーピーヒャララ ピーヒャララ

1983年(第25回) - 万声一京 極祭色 騒がぬ民に 盛りなし

1984年(第26回) - 海を、荒れた海を見つめながら 彼女は呟いた 「わたしは誰?」

1985年(第27回) - もうすぐきっと冬になる 騒ぐんだったら 今のうち

1986年(第28回) - えっせん あーす げげっせん よんせん はっせん

1987年(第29回) - 白い乳房の上の11月祭

1988年(第30回) - 裏からのぞけば 見えてくる

1989年(第31回) - 堕落への誘い

1990年(第32回) - ……そして創造-草の根からのルネッサンス

1991年(第33回) - ヤルハ粋狂、 ヤラヌハ卑怯

1992年(第34回) - 人が右なら 私は左

1993年(第35回) - 花も実もある 根も葉もない

1994年(第36回) - 古今東西 有実無題 若気至りて無限大

1995年(第37回) - 我輩は京大生である 理性はもうない

1996年(第38回) - 知と痴の融合

1997年(第39回) - 狂うは一時の恥、狂わぬは一生の恥

1998年(第40回) - 堕落の道も一歩より

1999年(第41回) - 素晴らしき無駄なエネルギー

2000年(第42回) - 無人島ダンス

2001年(第43回) - それはそれ これはこれ

2002年(第44回) - 総長! 京都を占拠致しました!

2003年(第45回) - やっぱ京大やし。

2004年(第46回) - 倒れる時は前のめり

2005年(第47回) - せっかくだから

2006年(第48回) - 溢れる才能の無駄使い

2007年(第49回) - 満喫!モラトリアム。

2008年(第50回) - 単位より大切ななにかを求めて

2009年(第51回) - 失った常識のかわりに

2010年(第52回) - 仕分けできないムダがある



いい感じにアホだ。

女の子の部屋

20代女子たちの部屋を撮影した画像78枚



壁に貼るものが「情報」じゃない
ペンギン命

takutsubu

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