N = R* × fp × ne × fl × fi × fc × L
地球外生命体の存在数Nを導くための方程式。
本当かどうか知らない。
それぞれのパラメーター項目の内訳は、
R*は、我々の銀河で星が形成される割合。
fpは、その星のうち惑星をもっている割合。
neは、そういう星のうち、生命を育む可能性のある惑星の平均数。
flは、実際に生命が誕生する割合。
fiは、そのうち知的生命体が誕生する割合。
fcは、そのうち、充分な科学技術が発達し、宇宙に電波などの情報を発信する割合。
Lは、そういうった文明が宇宙に情報を発信し続ける年月。
1960年に、アメリカの天文学者であるフランク・ドレイクによって考案された。ドレイクは宇宙にどれくらいの知的生命体が存在しているのか、それを計る方法としてこの方程式を考案した。
彼の名前をとって「ドレイクの方程式」と呼ばれている。また、この方程式がウェスト・バージニア州のグリーンバンクで発表されたため、「グリーンバンク方程式」とも呼ばれている。
ドレイク自身は、この方程式に次のような数値を概算として当てはめている。
N = 10 × 0.5 × 2 × 1 × 0.01 × 0.01 × 10,000 = 10
つまり、年間10個の星が誕生し、その半分が惑星をもつ。
生命が誕生する可能性のある星は平均2個で、それを100%とすると、宇宙に情報を発信できるほどの知力をもつ生命体は1%のみ。
そういう文明は1万年くらいは存続するだろう、という推定だ。
ずいぶん暢気な数値だな、という気がする。
我が地球だって、文明と呼べるものが誕生してから4000年ちょっとしか経っていない。そのうち、宇宙に情報を発信できる技術が確立してからまだ50年足らずだ。それが「1万年も存続する」ということは、あと地球文明は6千年は存続する、という見込みに他ならない。
僕は個人的に、世界の歴史を俯瞰して今後の展開を鑑みるに、地球文明はあと6千年も保たないと思う。
ドレイクがこの方程式を発表した論文(Drake, F.D., "Discussion of Space Science Board, National Academy of Scientific Conference on Extraterrestorial Intelligent Life", November 1961, Green Bank, West Virginia.)を読んでみると、どうやらドレイクの意図は実際の数値をはじき出すことではなかったようだ。ドレイクが強調したかったことは、「地球外生命体の数を想定するためには、7つの条件を考えれば充分だ」ということだったらしい。
デカルト以来、人間は「正体不明の謎」を考察するときに、その謎を因数分解して種々の諸条件に分解する方法を身につけた。彼の言葉で言う「困難は分割せよ」というやつだ。これがいわゆる「分析」という方法論だ。
謎は、謎のままでは取りかかれない。答えを出そうとする前に、「その答えを出すには、そもそもどういう条件が整わなければならないのか」という外堀を埋めなければならない。
子供の頃、星空を眺めて、「宇宙のどこかに、地球みたいに生命体が存在する星があるのかなぁ」と夢想したことがある人は多いだろう。スティーブン・スピルバーグの名作「E.T.」は、その辺の子供の夢を余す所無く映画化している。
しかし実際のところ、地球外生命体がどのくらい存在しているのか、単なる想像で止まってしまう人が多いだろう。
そこから一歩踏み込んで、「何が分かれば、地球外生命体の数が推測できるのか」という、思考の方法論をきちんと考えたことがある人は、それほど多くはあるまい。
そういう眼でドレイクの方程式を見直してみると、それほど荒唐無稽なことを言っているわけではないような気がする。ドレイクが提案している7つのパラメーターは、それぞれ階層性を成しており、知的生命体が存在すれば必ず引き出せるはずのインプリケーションになっている。
それらのパラメーターに実際にどういう数値を入力するかは、これまで積み重ねられてきた観察データから推測する問題であって、ドレイクの思考の妥当性とは関係ない。
実際のところ、この方程式は振り幅が大きすぎるため、あまり信頼できる数値は得られない。7つのパラメーターのひとつでも実際の値と違っていたら、他の6つのパラーメーターの値もその影響を深く受けてしまう。現在では、ドレイクの方程式で実際の文明数を導けると信じている人は少ない。
しかし、漠然と「宇宙人っているのかなぁ」と夢想するだけよりは、「これこれの値が分かれば、宇宙人の大体の数が分かるんじゃないかなぁ」と推測するほうが、格段に面白い。
単なる夢想は、いわば立ち止まったままの思考に過ぎない。真実に向かって、一歩も踏み出していない。
しかしドレイクの行ったチャレンジは、まがりなりにも、真実に向かって一歩でもいいから踏み出そう、とする意欲に溢れている。それは数億歩、数兆歩のうちのほんの一歩かもしれない。もしかしたら逆方向に歩き出しているのかもしれない。しかし、確実に一歩めを踏んで動き出していることは確かなのだ。
ある企業の入社試験で「日本全国に砂場はいくつあるか。推測しなさい」という有名な問題がある。
数百か、数千か、数万か。
まったく見当もつかないような問題に対して、どのように思考の筋道をつければいいのか。
おそらく、その問題を出題した企業も、全国にある砂場の数など把握してはいないだろう。つまりこの問題は、その数値の精確さを求める問題ではないと思う。
「見当もつかない謎を考えなければならないときに、どのようにして頭を使うか」を問う問題ではなかろうか。
たとえば、自分の住んでいる町内に砂場がどのくらいあるかを数えてみる。
小学校にひとつ、幼稚園にひとつ、公園が4つあって各ひとつづつ。
それを算出したら、その砂場が存在するエリア内に、どのくらいの数の住民が生活しているかを概算してみる。自分の住んでいる市町村の人口がどのくらいか。そのうち面積的にその界隈は何分の1くらいなのか。
それを計算すれば、ものすごくおおまかな数値だが、「人口何人あたりに対して砂場ひとつ」の割合が推測できる。あとは、それを日本の人口1億2千万に掛ければいい。
やっていることは、標本調査と同じだ。
大事なのは、結果として求めた数値の精確さではない。「どのような方法を取ればいいのか」という方法論が推測できることだ。数値の精確さは、実際の調査の絶対数と範囲の広さに依って、いかようにも上げられる。
しかし、そもそも方法論が思いつかないようでは、精確さを上げることすらできない。地球外生命体の数だって、日本全国の砂場の数だって、方法論を思いつくことがまず大前提になる。
ドレイクの方程式に対して、「全宇宙の知的生命体の数が、たった7つの変数で求められるものか」という印象をもつ人も多いと思う。しかし、このパラメーターの数は、なかなか妥当なあたりを突いていると思う。
たとえば、この地球上に存在するすべての物質の特徴は、いくつのパラメーターで記述できるかご存知だろうか。
正解は、たったの2つ。周期表を見ればすぐに分かる。
化学の時間でお馴染みの周期表の一番のポイントは、「あの表が2次元で記述できる」ということだ。つまり、縦軸と横軸のふたつで事足りる。
横軸には原子量に基づく「族」を配置し、縦軸には電子殻の数に対応した「周期」を配置する。そのふたつのパラメーターだけで、存在可能な全111元素が記述できる。
族は18の値があり、周期は7の値がある。このふたつの組み合わせで、世界に存在するすべての元素は構成されている。
実際には3族の周期6, 7は例外的に近似値をとる元素が密集しているため、単純にかけ算で総元素数が導けるわけではないが、基本的に周期表のポイントは「変数ふたつで決定できる」という点にある。
それを考えると、地球外生命体の数を算出する条件が7つ、というのは、別に少なすぎるとは思わない。素性というパラメーターで対象の特徴を記述する方法は、経験科学全般に適用可能な、強力な記述力をもつ。それだけに、いたずらにパラメーターを増やすことは、予測の過剰生成に繋がる危険な試みだ。
特徴を記述するために諸条件を考察するときには、とりあえず手当たり次第に条件を書き並べる。その中から統括したり支配関係を導き出したりして、パラメーターの数を「可能な限り減らす」という方法を採るのが王道だ。ドレイクの方程式は、その王道をきちんと辿った式に見える。
ドレイクの方程式は、天文学を専攻している人の間ですら笑い話だろう。この方程式で実際に地球外生命体の数を導き出そうとする研究など聞いたこともない。
しかし、「正体不明の謎にどのように立ち向かうか」という観点において、ドレイクの方程式はひとつのモデルを示してくれていると思う。これに文句を言う人は、ちゃんと代案を用意してから文句を言うべきだろう。
最近「答えさえ合ってればいい」という本末転倒な学生が多くて。