バンクーバーオリンピックで日本中の注目の的だった女子フィギアスケートが終わりましたね。
結果は浅田真央ちゃんが銀メダル。
おつかれさまでした。
なんやら、優勝したキム・ヨナの点の付け方がおかしい、という騒動になっているらしい。
僕はフィギアスケートの採点の仕方も、基準もよく分からないが、キム・ヨナも真央ちゃんも、どっちも優勝しておかしくない演技だったと思う。「ふたりとも、うまいなぁ」という程度で見ていた。ふたりの演技の細かい違いなど、僕には分からない。
レフリーがキム・ヨナに軍配を上げたのであれば、それなりの理由があったのだろう。少なくとも、金メダルにふさわしくない演技ではなかったと思う。
採点がおかしいとしたら、全体的におかしくなっているような気がする。
例えば、前回のトリノオリンピック優勝の荒川静香のスコアは191点。今回優勝のキム・ヨナは228点。
どう考えても、40点近い差がつく演技には見えない。
4年間の間に、採点基準が変化しているのは確かだ。細かい修正やルール改正などが行われたせいで、トリノの荒川静香と今回のキム・ヨナを単純比較することはできないのかもしれない。
それにしても、この点数の底上げ具合は異常に見える。ドラゴンボール並みのインフレが起きているのではあるまいか。
ちょっと調べてみたら、今回の採点基準の騒動の焦点は、「技術点」が軽視されて「演技構成点」なるものが異常に重視されている、ということらしい。
技術点が最も関与するのはジャンプだ。これが重視されないということは、たとえトリプルアクセルをバンバン決めても、それほど採点には有利にならない。
キム・ヨナが優勝した理由として「全体としての完成度が高い」「音楽の解釈が優れている」などが挙げられている。それに対して、「スポーツであるフィギアスケートに『曲の解釈』などが絡むとは何事か」「こんな採点基準なら、誰も難易度の高いジャンプなど挑まなくなる」などという不満がネット上で噴出している。
その事情は男子シングルでも同様で、男子銀メダルのプルシェンコも、技術点軽視のあおりを喰らった。参加選手のなかで唯一4回転ジャンプを成功させながら、それが報われなかった。
もっとも、プルシェンコの場合は、世界的に影響力のあるアメリカ人ジャッジ、ジョゼフ・インマンが、同僚ジャッジに「プルシェンコの演技構成点を下げるように」と仄めかすメールをバラ撒いていたことが発覚している。技術点では文句のつけようがないので、それ以外のところでごっそり減点するように圧力がかかっていた。
表彰台での抗議行動が是か非かは別として、そういう側面があったことは事実のようだ。
個人的には、技術点が軽視されようが、構成点だの曲の解釈だのが重視されようが、参加選手全員が共通した基準でジャッジされるのであれば、別に何の問題もないと思う。
「その採点基準はそもそもフィギアスケートの存在意義に反する」「そんなものはダンスであってスポーツではない」という意見の妥当性は、僕には分からない。国際スケート連盟がそう決めれば、そういうものとして競技をせざるを得ない。ルールに基づくスポーツというのは、そういうものだ。
そう考えれば、浅田真央の銀メダルは「採点基準に即した対策と戦術を練っていなかった」というだけのことになる。
トリプルアクセルを頑張るよりも、もっと別に磨くべき部分があった、というだけの話だ。
そういう動きのなかで破壊的な世界記録で優勝したキム・ヨナに関して、いろんな憶測が飛んでいる。
曰く、韓国は是が非でもキム・ヨナを優勝させなければならなかった。韓国は次回のソチの後の、冬季オリンピック開催地として立候補している。その招致活動の一環として、フィギアスケート金メダルの看板は欠かせない。実際、キム・ヨナはすでに五輪招致委員会の委員となっている。
韓国サイドは国際スケート連盟の副会長デビット・ドレと接近し、韓国のテレビ局KBSとサムスンがスポンサーについている。そこから根回しと圧力をかけて、手段を選ばずキム・ヨナを優勝させた。技術的に多少の不足はあっても、「構成点」という曖昧な概念を根拠に、なりふり構わず点数を上乗せし、世界最高記録の得点でオリンピックに優勝させた
・・・という噂らしい。
この噂の真偽については知らない。本当かもしれないし嘘かもしれない。そんなことはどうでもいい。
問題なのは、今回の世界最高記録を抱えて、キム・ヨナは残りの人生をどう過ごしていくのだろうか、ということだ。
その判断の基準は、オリンピック後に採点基準の改訂が行われ、「やっぱり技術点も大事」のように揺り戻しが行われるか否かにある。
キム・ヨナは「演技構成点」が異様に重視される現在の採点基準で、得点記録を伸ばすだけ伸ばした。ここでルールが改訂されて簡単に点数が取れないようになり、かつキム・ヨナが今回のオリンピックを最後に引退するようなことになれば、キム・ヨナは未来永劫「世界最高得点樹立者」として名前が残ることになる。
すると、世界選手権やオリンピック優勝者は、今後ずっと「でも、キム・ヨナの点数には達していませんね」という評価をされることになる。
その世評に、キム・ヨナは残りの人生、ずっと耐え続けることができるのだろうか。
スポーツの技術は日進月歩だ。今の時代よりも優れた選手は、きっと出てくることだろう。
今回優勝したキム・ヨナの演技を遥かに凌駕する選手は、この先必ず出てくる。
例えば、伊藤みどりはアルベールビルオリンピックで、唯一トリプルアクセルを決めて銀メダルを取った。今回、浅田真央はショートプログラムで1回、フリーで2回、合計3回のトリプルアクセルを決めている。18年前に比べて、選手の技術はこれだけ向上している。
しかし、採点基準の変更のせいで、これから出てくる名選手の点数がキム・ヨナの世界記録に達しないとなると、「今回のキム・ヨナよりも上手いのに、点数では下」という選手が続々と出てくることになる。
キム・ヨナだって世界を代表するアスリートだ。他人の演技を一目見て、全盛期の自分よりも上手いか下手かくらいは見ればわかるだろう。明らかに自分よりも上手い選手を目にして、自分よりも低い点数をつけられるのを目の当たりにし、それに対してコメントを求められる。そういう人生を、残り60年以上、ずっと続けられるものだろうか。
夏季オリンピックの話になるが、モントリオールオリンピック女子体操で史上初の10点満点を出したナディア・コマネチの演技は、今日的な観点からすると技術が全然足りない。ウルトラCもなかった時代のコマネチが、現代のスーパーE難度を連発する体操界に比べて技術で劣るのは、あたりまえだ。
ロサンゼルスオリンピックでは、アメリカはメアリー・レットンに金メダルを取らせるために、強引に彼女に10点満点を出した。しかし、彼女の後に演技した選手がことごとく彼女を上回ったため、10点満点が続出する異様な大会になってしまった。
それでも、体操競技の点数は、その大会が行われる間の相対評価に過ぎないから問題ない。どんなに採点基準が狂った大会でも、10点以上は出ない。だから体操競技には「世界最高得点」という概念がない。コマネチは当時の基準として10点だったのであり、今日の10点と比較することに意味はない。
ところがフィギアスケートは違う。オリンピック優勝者は、その大会の参加者だけとではなく、今後出てくる選手すべてと戦うことになる。点数に上限のない絶対評価だから、ある大会の得点と他の大会の得点を比較できる。
キム・ヨナの得点も、今後の世界選手権、オリンピックのたびに引き合いに出され、比較の対象として晒されることになる。
韓国はキム・ヨナの優勝で湧いているようだが、そんなに暢気に喜んでいい事態なのだろうか。
「世界最高得点」を誇りにするのは結構だが、それでひとりの有能な選手を、ひとりの人間を、潰すことになりはしないだろうか。
今回、韓国は女子フィギアで金メダルをとり気炎を上げたが、まだまだ全体的なレベルとしては世界のトップレベルに届いていないと思う。日本は浅田真央が銀メダルだったが、出場した3人が全員入賞しているのだ。全員がメダルを狙えたと言ってよい。
一方、韓国はキム・ヨナ1人の天才に賭けて、そこに全国民の期待が集中した。想像を超えるプレッシャーだっただろう。今後、第2、第3のキム・ヨナが出てくるようには、どうしても見えない。
キム・ヨナは「採点基準がおかしいから優勝した」のではなく、むしろ「フェアで真っ当な採点基準で優勝した」とされるほうが、今後、厳しい人生が待っているような気がする。
僕が見る限り、採点に意図的な操作が加わったように見えるのは、むしろ3位になったカナダのジョアニー・ロシェットの方だと思う。
オリンピック本番直前に母親が心臓発作で死去。涙をこらえながらの演技。それはそれで感動的な話ではあるが、それとフェアな採点のあり方とは別の話だ。ロシェットは素人目にもそれと分かるミスを連発した。少なくとも、長洲未来や安藤美姫を上回る出来とは思えない。
ジャッジをするのも人間だ。開催地の不可解な有利や、ジャッジの不穏な根回しなど、不正の匂いを完全に消し去ることは現実的に不可能なのだろう。
しかし、そういう歪んだアドバンテージで栄光を手にしたとしても、巡りめぐって最後に苦しむのは、選手自身だと思う。
結果は浅田真央ちゃんが銀メダル。
おつかれさまでした。
なんやら、優勝したキム・ヨナの点の付け方がおかしい、という騒動になっているらしい。
僕はフィギアスケートの採点の仕方も、基準もよく分からないが、キム・ヨナも真央ちゃんも、どっちも優勝しておかしくない演技だったと思う。「ふたりとも、うまいなぁ」という程度で見ていた。ふたりの演技の細かい違いなど、僕には分からない。
レフリーがキム・ヨナに軍配を上げたのであれば、それなりの理由があったのだろう。少なくとも、金メダルにふさわしくない演技ではなかったと思う。
採点がおかしいとしたら、全体的におかしくなっているような気がする。
例えば、前回のトリノオリンピック優勝の荒川静香のスコアは191点。今回優勝のキム・ヨナは228点。
どう考えても、40点近い差がつく演技には見えない。
4年間の間に、採点基準が変化しているのは確かだ。細かい修正やルール改正などが行われたせいで、トリノの荒川静香と今回のキム・ヨナを単純比較することはできないのかもしれない。
それにしても、この点数の底上げ具合は異常に見える。ドラゴンボール並みのインフレが起きているのではあるまいか。
ちょっと調べてみたら、今回の採点基準の騒動の焦点は、「技術点」が軽視されて「演技構成点」なるものが異常に重視されている、ということらしい。
技術点が最も関与するのはジャンプだ。これが重視されないということは、たとえトリプルアクセルをバンバン決めても、それほど採点には有利にならない。
キム・ヨナが優勝した理由として「全体としての完成度が高い」「音楽の解釈が優れている」などが挙げられている。それに対して、「スポーツであるフィギアスケートに『曲の解釈』などが絡むとは何事か」「こんな採点基準なら、誰も難易度の高いジャンプなど挑まなくなる」などという不満がネット上で噴出している。
その事情は男子シングルでも同様で、男子銀メダルのプルシェンコも、技術点軽視のあおりを喰らった。参加選手のなかで唯一4回転ジャンプを成功させながら、それが報われなかった。
もっとも、プルシェンコの場合は、世界的に影響力のあるアメリカ人ジャッジ、ジョゼフ・インマンが、同僚ジャッジに「プルシェンコの演技構成点を下げるように」と仄めかすメールをバラ撒いていたことが発覚している。技術点では文句のつけようがないので、それ以外のところでごっそり減点するように圧力がかかっていた。
表彰台での抗議行動が是か非かは別として、そういう側面があったことは事実のようだ。
個人的には、技術点が軽視されようが、構成点だの曲の解釈だのが重視されようが、参加選手全員が共通した基準でジャッジされるのであれば、別に何の問題もないと思う。
「その採点基準はそもそもフィギアスケートの存在意義に反する」「そんなものはダンスであってスポーツではない」という意見の妥当性は、僕には分からない。国際スケート連盟がそう決めれば、そういうものとして競技をせざるを得ない。ルールに基づくスポーツというのは、そういうものだ。
そう考えれば、浅田真央の銀メダルは「採点基準に即した対策と戦術を練っていなかった」というだけのことになる。
トリプルアクセルを頑張るよりも、もっと別に磨くべき部分があった、というだけの話だ。
そういう動きのなかで破壊的な世界記録で優勝したキム・ヨナに関して、いろんな憶測が飛んでいる。
曰く、韓国は是が非でもキム・ヨナを優勝させなければならなかった。韓国は次回のソチの後の、冬季オリンピック開催地として立候補している。その招致活動の一環として、フィギアスケート金メダルの看板は欠かせない。実際、キム・ヨナはすでに五輪招致委員会の委員となっている。
韓国サイドは国際スケート連盟の副会長デビット・ドレと接近し、韓国のテレビ局KBSとサムスンがスポンサーについている。そこから根回しと圧力をかけて、手段を選ばずキム・ヨナを優勝させた。技術的に多少の不足はあっても、「構成点」という曖昧な概念を根拠に、なりふり構わず点数を上乗せし、世界最高記録の得点でオリンピックに優勝させた
・・・という噂らしい。
この噂の真偽については知らない。本当かもしれないし嘘かもしれない。そんなことはどうでもいい。
問題なのは、今回の世界最高記録を抱えて、キム・ヨナは残りの人生をどう過ごしていくのだろうか、ということだ。
その判断の基準は、オリンピック後に採点基準の改訂が行われ、「やっぱり技術点も大事」のように揺り戻しが行われるか否かにある。
キム・ヨナは「演技構成点」が異様に重視される現在の採点基準で、得点記録を伸ばすだけ伸ばした。ここでルールが改訂されて簡単に点数が取れないようになり、かつキム・ヨナが今回のオリンピックを最後に引退するようなことになれば、キム・ヨナは未来永劫「世界最高得点樹立者」として名前が残ることになる。
すると、世界選手権やオリンピック優勝者は、今後ずっと「でも、キム・ヨナの点数には達していませんね」という評価をされることになる。
その世評に、キム・ヨナは残りの人生、ずっと耐え続けることができるのだろうか。
スポーツの技術は日進月歩だ。今の時代よりも優れた選手は、きっと出てくることだろう。
今回優勝したキム・ヨナの演技を遥かに凌駕する選手は、この先必ず出てくる。
例えば、伊藤みどりはアルベールビルオリンピックで、唯一トリプルアクセルを決めて銀メダルを取った。今回、浅田真央はショートプログラムで1回、フリーで2回、合計3回のトリプルアクセルを決めている。18年前に比べて、選手の技術はこれだけ向上している。
しかし、採点基準の変更のせいで、これから出てくる名選手の点数がキム・ヨナの世界記録に達しないとなると、「今回のキム・ヨナよりも上手いのに、点数では下」という選手が続々と出てくることになる。
キム・ヨナだって世界を代表するアスリートだ。他人の演技を一目見て、全盛期の自分よりも上手いか下手かくらいは見ればわかるだろう。明らかに自分よりも上手い選手を目にして、自分よりも低い点数をつけられるのを目の当たりにし、それに対してコメントを求められる。そういう人生を、残り60年以上、ずっと続けられるものだろうか。
夏季オリンピックの話になるが、モントリオールオリンピック女子体操で史上初の10点満点を出したナディア・コマネチの演技は、今日的な観点からすると技術が全然足りない。ウルトラCもなかった時代のコマネチが、現代のスーパーE難度を連発する体操界に比べて技術で劣るのは、あたりまえだ。
ロサンゼルスオリンピックでは、アメリカはメアリー・レットンに金メダルを取らせるために、強引に彼女に10点満点を出した。しかし、彼女の後に演技した選手がことごとく彼女を上回ったため、10点満点が続出する異様な大会になってしまった。
それでも、体操競技の点数は、その大会が行われる間の相対評価に過ぎないから問題ない。どんなに採点基準が狂った大会でも、10点以上は出ない。だから体操競技には「世界最高得点」という概念がない。コマネチは当時の基準として10点だったのであり、今日の10点と比較することに意味はない。
ところがフィギアスケートは違う。オリンピック優勝者は、その大会の参加者だけとではなく、今後出てくる選手すべてと戦うことになる。点数に上限のない絶対評価だから、ある大会の得点と他の大会の得点を比較できる。
キム・ヨナの得点も、今後の世界選手権、オリンピックのたびに引き合いに出され、比較の対象として晒されることになる。
韓国はキム・ヨナの優勝で湧いているようだが、そんなに暢気に喜んでいい事態なのだろうか。
「世界最高得点」を誇りにするのは結構だが、それでひとりの有能な選手を、ひとりの人間を、潰すことになりはしないだろうか。
今回、韓国は女子フィギアで金メダルをとり気炎を上げたが、まだまだ全体的なレベルとしては世界のトップレベルに届いていないと思う。日本は浅田真央が銀メダルだったが、出場した3人が全員入賞しているのだ。全員がメダルを狙えたと言ってよい。
一方、韓国はキム・ヨナ1人の天才に賭けて、そこに全国民の期待が集中した。想像を超えるプレッシャーだっただろう。今後、第2、第3のキム・ヨナが出てくるようには、どうしても見えない。
キム・ヨナは「採点基準がおかしいから優勝した」のではなく、むしろ「フェアで真っ当な採点基準で優勝した」とされるほうが、今後、厳しい人生が待っているような気がする。
僕が見る限り、採点に意図的な操作が加わったように見えるのは、むしろ3位になったカナダのジョアニー・ロシェットの方だと思う。
オリンピック本番直前に母親が心臓発作で死去。涙をこらえながらの演技。それはそれで感動的な話ではあるが、それとフェアな採点のあり方とは別の話だ。ロシェットは素人目にもそれと分かるミスを連発した。少なくとも、長洲未来や安藤美姫を上回る出来とは思えない。
ジャッジをするのも人間だ。開催地の不可解な有利や、ジャッジの不穏な根回しなど、不正の匂いを完全に消し去ることは現実的に不可能なのだろう。
しかし、そういう歪んだアドバンテージで栄光を手にしたとしても、巡りめぐって最後に苦しむのは、選手自身だと思う。
やっぱ採点系の競技はどうしても分からんよ