2009年02月
「この授業の成績の一環として、15回の授業のうち一回、抜き打ちテストを行う。テストは、受講者のうち誰も決して予想できないような日に行う」
授業のシラバスにこんなことを書いておく。
シラバスには他にも授業の内容だとか、教科書だとか、いろんなことが書いてある。
授業の初回に、「シラバスに掲載されている内容のうち、おかしいところをひとつ指摘せよ」なんていう問題を出す。
これは、僕が実際に先学期の論理学の講義でやったいたずら。
学生さんたちはかなり混乱したみたいで、「大学の授業なのに教科書が指定してないのはおかしい」だの「14回めの授業日は補講日だから授業は行われないはず」とか、細かいところばかり指摘していた。
正解は、ということのほどではないが、シラバスの内容通りだとすると、抜き打ちテストは実施不可能になる。
全15回の授業のうち、仮に、最終回に抜き打ちテストを行うとする。
すると、学生は14回めの授業が終わった段階で、「次回にテストがあるな」と分かってしまう。
つまり、15回めの授業で抜き打ちテストをすることはできない。
すると、可能な最後の機会は14回めの授業のときとなる。
しかし、13回めの授業が終わった段階で、学生は「15回めの抜き打ちテストはあり得ない。すると、次回の14回めの授業で抜き打ちテストがあるに違いない」と予想できてしまう。
つまり、14回めの授業でも抜き打ちテストをすることはできない。
以下、この推論を何回も繰り返していくと、どの授業のときにも抜き打ちテストを実施することができなくなってしまう。
考え方としては逆向きの数学的帰納法になる。
(i)x=最終項、のときにPが成り立たない。
(ii)x=nのときにPが成り立たなければ、x=n-1のときにもPが成り立たない
この二つさえ保証すれば、ドミノ倒しのごとくすべての授業において抜き打ちテストが行えないことが示せる。
この問題が厄介なのは、このロジックの上にメタロジックをかぶせることによって、循環論に陥ることだ。
予測に反して、教師はいつでも抜き打ちテストを行える。なぜなら、数学的帰納法によって、学生は「どの日にも抜き打ちテストは実施できない」と予想できる。つまり、教師がどの日に抜き打ちテストを行っても、それは「学生が予測できなかった日」であり、シラバスの記載事項に嘘はないことになる。
とすると、逆に学生の側としては、「こっちが数学的帰納法ですべての可能性を否定するとすると、教師のほうはそれを逆手に取っていつでも抜き打ちテストをすることができる。しかし、それに我々学生の側が気づいているんだから、教師がいつ抜き打ちテストをしてもそれは我々の予測の範疇にある。従って抜き打ちテストをすることはできない」と予測することができる。
それに対して教師がさらに・・・、と、循環論は永遠に続く。
抜き打ちテストというのは一般的に「予告なく行う試験」のことだろう。「予告」の意味が「生徒があらかじめ実施を知る事ができる」という意味だったら、帰納法の考え方で抜き打ちテストを封じることくらいはできるかもしれない。
僕の実際の講義のときには、「抜き打ちテストが実施可能なのか不可能なのか」というロジックの問題が隠れていることに気づけば、及第点をあげた。
高校までと違って、大学からの勉強は、答えを出すことではなく、問いを発見することが中心になる。
多くの場合、「こたえ」というのは先の研究者が出した仮説に過ぎない。知識をもとに歴とした正解を答えるクイズは、高校までは成績をつける必要上、必要かもしれないが、大学はそもそもそういう領域を扱わない。
パラドクスの解決まではいかなくとも、その問題が埋め込まれていることに気づくことが、まず第一歩になる。
あ、もちろん僕の抜き打ちテストとは、その初回の問題のことです。
ひとりだけできてた。
授業のシラバスにこんなことを書いておく。
シラバスには他にも授業の内容だとか、教科書だとか、いろんなことが書いてある。
授業の初回に、「シラバスに掲載されている内容のうち、おかしいところをひとつ指摘せよ」なんていう問題を出す。
これは、僕が実際に先学期の論理学の講義でやったいたずら。
学生さんたちはかなり混乱したみたいで、「大学の授業なのに教科書が指定してないのはおかしい」だの「14回めの授業日は補講日だから授業は行われないはず」とか、細かいところばかり指摘していた。
正解は、ということのほどではないが、シラバスの内容通りだとすると、抜き打ちテストは実施不可能になる。
全15回の授業のうち、仮に、最終回に抜き打ちテストを行うとする。
すると、学生は14回めの授業が終わった段階で、「次回にテストがあるな」と分かってしまう。
つまり、15回めの授業で抜き打ちテストをすることはできない。
すると、可能な最後の機会は14回めの授業のときとなる。
しかし、13回めの授業が終わった段階で、学生は「15回めの抜き打ちテストはあり得ない。すると、次回の14回めの授業で抜き打ちテストがあるに違いない」と予想できてしまう。
つまり、14回めの授業でも抜き打ちテストをすることはできない。
以下、この推論を何回も繰り返していくと、どの授業のときにも抜き打ちテストを実施することができなくなってしまう。
考え方としては逆向きの数学的帰納法になる。
(i)x=最終項、のときにPが成り立たない。
(ii)x=nのときにPが成り立たなければ、x=n-1のときにもPが成り立たない
この二つさえ保証すれば、ドミノ倒しのごとくすべての授業において抜き打ちテストが行えないことが示せる。
この問題が厄介なのは、このロジックの上にメタロジックをかぶせることによって、循環論に陥ることだ。
予測に反して、教師はいつでも抜き打ちテストを行える。なぜなら、数学的帰納法によって、学生は「どの日にも抜き打ちテストは実施できない」と予想できる。つまり、教師がどの日に抜き打ちテストを行っても、それは「学生が予測できなかった日」であり、シラバスの記載事項に嘘はないことになる。
とすると、逆に学生の側としては、「こっちが数学的帰納法ですべての可能性を否定するとすると、教師のほうはそれを逆手に取っていつでも抜き打ちテストをすることができる。しかし、それに我々学生の側が気づいているんだから、教師がいつ抜き打ちテストをしてもそれは我々の予測の範疇にある。従って抜き打ちテストをすることはできない」と予測することができる。
それに対して教師がさらに・・・、と、循環論は永遠に続く。
抜き打ちテストというのは一般的に「予告なく行う試験」のことだろう。「予告」の意味が「生徒があらかじめ実施を知る事ができる」という意味だったら、帰納法の考え方で抜き打ちテストを封じることくらいはできるかもしれない。
僕の実際の講義のときには、「抜き打ちテストが実施可能なのか不可能なのか」というロジックの問題が隠れていることに気づけば、及第点をあげた。
高校までと違って、大学からの勉強は、答えを出すことではなく、問いを発見することが中心になる。
多くの場合、「こたえ」というのは先の研究者が出した仮説に過ぎない。知識をもとに歴とした正解を答えるクイズは、高校までは成績をつける必要上、必要かもしれないが、大学はそもそもそういう領域を扱わない。
パラドクスの解決まではいかなくとも、その問題が埋め込まれていることに気づくことが、まず第一歩になる。
あ、もちろん僕の抜き打ちテストとは、その初回の問題のことです。
京大、「ライダーマン」がお出迎え 国公立大入試の二次試験始まる
国公立大入試の二次試験前期日程が25日、全国の149大学で始まった。京滋では大きなトラブルはなく、約1万4000人の受験生が京都大(京都市左京区)や滋賀大(大津市、彦根市)など9大学で大一番に臨んだ。
京都では6大学に1万1350人が志願した。京大では午前9時半から「国語」が行われ、7838人が受験した。冷たい雨が降り続く中を集まった受験生たちは開始前、カイロで手を温めたり、目を閉じたりして集中力を高めていた。国語の欠席率は1・1%だった。
洛南高3年の男子生徒(17)は「緊張はしていない。いつもの力を出せれば必ず合格できる」と意気込んでいた。
滋賀では滋賀大と滋賀医科大(大津市)、県立大(彦根市)で前期日程が始まった。3大学で2984人が試験に臨む予定。
25日から始まった国公立大入試には、前中後期合わせて、センター試験導入後では最も少ない47万5020人が志願し、倍率は4・8倍となっている。
文部科学省によると、この日、悪天候や車両トラブルなどで受験会場周辺の交通機関が乱れ、岐阜大、大阪府立大、岡山大、広島大が試験時間を30分から1時間繰り下げた。
■今年の「折田先生像」、「ライダーマン」に“変身”
京都大吉田南キャンパス(京都市左京区)に25日、入試シーズン恒例の、キャラクターに変身した「折田先生像」が登場した。今年は「仮面ライダーV3」に出てくる「ライダーマン」が二次試験の受験生を出迎えた。
京大前身の旧制三高の折田彦市の銅像は、相次ぐいたずらで大学側に撤去され、その後は作者不詳の張りぼて像が毎年登場している。
ライダーマンは正義と平和を求めて悪の集団「デストロン」と戦う京大出身の科学者。次代を担う若者にもライダーマンのように活躍してほしいとのエールを込めたとみられる。受験生らは、突如現れた正義のヒーローの前で写真を撮ったり、不思議そうに眺めたりしていた。
結婚する流れにいつの間にかなってる
シャキッとせんかい馬鹿者が。
気づいたら結婚してた俺が通りますよ
5年ほどつきあってる彼女がいる。先日、話の流れで 「結構つきあい長いけど、今後もつきあっていくならそのうち結婚とかも考えないといけないかもねー」
と言うようなことをごく軽い口調で言った。
まだまだ結婚なんて考えていないけどいずれは考えないとねくらいの気持ちで。
1週間くらいしたら電話かかってきた。
「そろそろ結婚するって親に言ったから」
・・・あれ? ま、まあ、このまま行ったらそう遠くないうちに結婚するかもしれないし、そんなに問題ないか。
さらに数日後
「そちらのご両親と会いたいって。いつにしようか」
・・・え? 勝手に話進んでる・・・? ちょ、ちょっとまって、まだ早いんじゃない?
また数日後
「式の日取りはどうする。あ、その前に住む部屋さがさないとね」
・・・あれ? いつのまにか確定事項? 詳細詰める段階に入ってる?
あれ? 俺、このまま結婚しちゃうの?
シャキッとせんかい馬鹿者が。
ペンギン命
takutsubu
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