たくろふのつぶやき

夏休みはそれを楽しみにしている間こそ至高。

2009年01月

靴下

「靴の上にはくのに、なんで『靴下』って言うんですか?」


きのう、留学生に質問されたんですがね。
誰もが一度はもったことのある疑問じゃないかなと思うんです。
僕もちょっと気になったので、辞書や事典の類いをひっくり返して調べてみました。



ふつう「下」といのは、地面から垂直に上下関係を言う場合に使う。
このように「低い位置」という観点からすると、位置上では靴の「上」にはくのに「靴下」はおかしいじゃないか、ということになる。

しかし「下」は、「外側と内側があるうち、内側のほう」という意味があるらしい。
「下着」というのは、下半身に着るもののことではない。上半身に着るものでも「下着」という。これは、「内側に着るもの」の意だ。
逆に、「上着」というのも「上半身に着るもの」ではなく、「外側に着るもの」という意味になる。
着物でも、外側に締める帯を「上帯」、内側に締める帯を「下帯」という。

異性に対して何かエッチなことを企てることを「下心」というが、本来は「表に見える気持ちの、内側に隠れた気持ち」という意味。エロいこととは何の関係もない。「下」という言葉と、その言葉がよく使われる状況から、「下」=「下半身」という語源だと勘違いする異分析がまかり通ったんだろう。


靴下はもともとポルトガルから流入したが、ポルトガル語の「meias」が訛って「メリヤス」と言われていた。日本語での「メリヤス」は「綿糸や毛糸などを編み込んだもの」の意味だったが、江戸時代には「メリヤス」とは靴下そのものを指すことばだったらしい。
ちなみに日本ではじめて靴下をはいたのは水戸光圀公だったそうな。旅に重宝したのかな。

「靴下」をあれこれ調べたついでに拾った、ちょっとしたトリビア。



「上靴」の反対がなんで「下足」なんだろう

赤ちゃんのほのぼのビデオ





片時もじっとしてないのね

ゴマちゃん

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我が家ではこやつがオニ役だそうです。

山形でフグを食す

フグ中毒か7人搬送 山形、免許制度なし


26日午後8時半ごろ、山形県鶴岡市大西町の「鮮魚料理きぶんや」で飲食した客が手足のしびれを訴え、病院に運ばれた。27日未明までに7人が搬送され、このうち同市青柳町、無職佐藤朝吉さん(68)と同所、公民館職員五十嵐孝志さん(55)が一時重体となった。60代の男性1人が重症、同4人は軽症。いずれもフグ中毒とみられる。  

県は27日、食品衛生法に基づき、同店を立ち入り調査し、無期限営業停止処分とした。鶴岡署は、フグを仕入れてさばいた経営者の男性(65)に対する業務上過失傷害の疑いで同店を捜索した。  

鶴岡署によると、7人は同店で精巣に毒を持つヒガンフグの刺し身や白子焼きを食べたという。経営者は「フグの調理師免許は持っていない。白子焼きは初めて提供した」と話している。県食品安全対策課によると、同県にはフグ調理に関する免許制度がなく、無届けで調理、提供しても罰則はない。県のフグ取り扱い指導要綱に基づく講習を受けておらず、届け出もしていなかった。調理師免許も持っていなかったという。  

中毒になった男性らは午後6時半ごろから地区の会合の2次会を開いていた。午後8時半ごろから、しびれなどの症状が出始めたという。




山形、恐るべし

英語力の根源

僕はアメリカに5年間留学した。


アメリカに留学する学生の大半が苦慮するのが、英語力だろう。
専門の分野についてはある程度の知識や土台ができている学生でも、英語でコミュニケーションをとり、英語の講義を聞き、英語で発表する、という英語力については不安を覚える学生が多い。

僕は日本で大学院を4年修了してからアメリカに行った。
ふつうだったら博士論文を書き始めなければならないくらいの時期だから、言語学の基礎知識は、まぁ身に付いている。
しかし、英語については惨憺たるものだった。

アメリカでの僕の同期には5人の留学生がいたが、全員英語が流暢だった。TOEFLは満点、ネイティブ並みの英語力を持っている学生ばかりだった。
留学すると、まず留学生は英語力を判定するための簡単な試験を受ける。同期の学生が楽々と満点で合格するなかで、僕一人が不合格だった。

言語学の知識にはある程度の土台があったから、講義やゼミの内容は理解できる。レポートも書ける。
2, 3年めになると学会発表の機会も増え、原稿なしで発表できるくらいまでにはなった。
大学の中や、自分の専門分野を勉強する限りにおいて、不自由はない。
それをもって、自分でも英語はある程度できるつもりになっていた。


そんな僕が、留学の最後の段階まで理解できなかった英語がある。
レストランに食事に行く時の、ウェイトレスのお姉ちゃんの会話だ。

「ハーイ、わたしベティ。あなたたちのテーブルを担当するからよろしくね。今日のおすすめはビーフとポテトのシチューよ。スープはここ一押しのクラムチャウダーよりも、ブロッコリーのクリームスープのほうがいいかもね。今日はいい材料が入ってるの。じゃあまず何か飲み物は要るかしら?」

これを、恐ろしい速さでまくしたてる。さっぱり分からない。
一緒にいる英語の流暢な日本人留学生の先輩から、ニヤリとして「どうだ、今のは分かったか?」と訊かれる。
あまりに英語が分からないので、 ICレコーダーでこっそりウェイトレスさんの英語を録音し、部屋に戻ってからスロー再生して聞いてみる、などということをやってみたりもしていた。

まぁ、典型的な日本人の英語能力と言ってもいいだろう。
特定の専門分野に特化して外国語を鍛え、それ以外の場面についてはあまり努力が及ばない。
僕は英語の論文を読むことで英語を勉強した。音に関する訓練がおざなりになっていたことは否めない。
そのため、その遅れを取り戻すために5年間、えらい苦労をした。

いま大学に勤務して学生に英語を教えていると、どうも「半年から一年ほど留学すれば、英語はペラペラに喋れるようになる」と思い込んでいる学生が多いようだ。
ひどいのになると、「どうせ日本で英語やっても向こうでは通じないんだから、アメリカに行ってからやればいいじゃないか」と決め込んで、ろくに英語を訓練しない学生もいる。

僕の経験から言うと、日本にいてもアメリカにいても、英語力を上げるためにしなければならない努力の種類は変わらない。
数限りない英文を聞き、声に出して読み、暗唱してしまうまで覚え込む。発音のまちがいをネイティブに直してもらう。そういう、「自分で汗をかく」という地道な訓練なくしては、語学の上達はありえない。
その国になんとなく居て、なんとなく会話をしているだけでは、なかなか本当の語学力は身に付かない。


1889年8月、いまから120年前のロンドン。


外交官としてロンドンに赴任した、あるエリート官僚。日本では「英語の達人」といわれ、その卓越した英語力を買われて外交の任にあたった。
ある日、仕事で植民省に赴くとき、馬車を拾った。ところが御者に英語が通じない。こちらの言っていることが通じず、向こうの言っていることも理解できない。
ところが、いったん植民省についてしまえば、何事もなかったように用件を果たすことができる。

日本にいた頃は語学力で鳴らしたエリートにとっては、この経験はショックだった。
自分の身につけていた英語は、なにか間違っていたのではないか。

彼は自費で語学教師を雇って、自分の英語力を鍛え直すことにした。
その先生は英語の文章を彼に示し、音読するように言った。
その英語を黙って聞いていた先生は、諭すように言った。

「あなたの英語の程度は分かりました。今のあなたに必要なのは、新たに英語を学ぶことではありません。あなたの耳や口には、日本で学んできた英語の音がこびりついています。まず、これを一掃することが先決です。 learnするよりも、まずunlearnしなさい」

それから先生は、音に特化して外交官の英語を訓練した。
まずABCから始めて、アルファベットの発音を徹底的に繰り返し練習する。
次に、書物の3, 4ページを課題としてだし、それを全文暗唱させる。
それを先生の前で復唱し、発音を厳しく直してもらう。

外交官は、夜も日も繰り返し暗唱に没頭した。汽車の中でもバスの中でも、常に課題の英文を持ち歩き、わずかな時間の隙間を使って英文の暗唱を繰り返す。
課題をクリアしたら、先生はまた新たに3, 4ページの文章を渡し、暗唱させ、その発音を矯正した。

のちに、その外交官はベルギーに転勤となり、日露戦争の戦局に対応するため釜山に派遣される。その後、駐米全権大使としてアメリカに赴く。
その間ずっと、 30年以上、彼はロンドン時代の先生に課された宿題を継続し、英語の暗唱をし続けた。

1921年11月のワシントン会議。
軍縮や、太平洋および極東問題を討議するための会議で、日本の台頭を警戒する欧米各国が日本の海軍主力艦の保有率を米・英・日で 5:5:3に抑えた。世界史の教科書にも載っている。
この会議場での争点は、中国と日本の権利攻防だった。

日本は第一次世界大戦に乗じて山東半島を押さえ、中国大陸への進出を狙っていた。これを不当とする中国側は、ワシントン会議を利用して山東半島の返却を欧米諸国に訴えた。
日本側の全権代表は加藤友三郎。

欧米の支持を得るため、中国側はとびきりの英語達人を会議に送り込んだ。英米の代表が傍聴する中、中国代表は洗練された英語で日本を攻撃する。それに対する日本代表はどうも旗色が悪い。英語の応対があやふやで、自国の主張をうまく展開できない。
「山東問題は決裂するだろう」との悲観的な観測が流布した。

そのとき、駐米全権大使の例の外交官は、腎臓結石を病み大使館で静養していた。
しかし、会議での日本側の不利を伝え聞くや、医師の制止も顧みず会議へ出席した。
脈も体温も安定せず、何週間も寝たきりのあとで足下がふらつく中、ようやく会議場に到着した。

会議では相変わらず中国代表が日本を盗人呼ばわりし、激しい舌戦を繰り広げていた。
それを聞いていた外交官は、廻りの英米代表が驚くほど流暢な英語で、静かに応戦した。

「日本は山東省の鉄道その他を奪い取ったようなことを言われるが、それは違う。買収の主な根拠は、パリ講和会議に依っている。日本は相当の額を支払うのだから、盗人でも何でもない。中国側は、パリ講和会議の記録をよく調べてもらいたい」

この外交官の演説を境に、会議の流れが変わった。英国のサー・ジョン・ジョルダンは外交官の手をとり、その好判断と適切な演説の内容を讃えた。
その結果、新しい国際秩序、いわゆる「ワシントン体制」が成立することになる。 続きを読む
ペンギン命
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