たくろふのつぶやき

春は揚げ物。

2008年08月

伝染病の力

12億人、野外で用たし WHO「トイレ事情深刻」


世界で25億人が衛生的なトイレを使えず、うち12億人は野外で用を足しているとする世界の衛生設備の現状に関する報告書を、世界保健機関(WHO)と国連児童基金(ユニセフ)がまとめたことが30日、分かった。  

報告書は「発展途上国では、不十分な衛生設備を原因とする感染症により、多くの子供の命が奪われている」と指摘。「このままでは『2015年までに、安全な衛生施設を継続的に利用できない人々の割合を半減する』との国連のミレニアム開発目標(MDGs)の達成は望めない」と警告し、途上国支援の拡大など対策の強化を求めている。  

報告書によると、2006年に衛生的なトイレを継続的に利用できている人は世界全体の62%。利用できない人の数は減少傾向にあるものの、全人口の18%に当たる12億人は野外で用を足すことを迫られているという。  

インドやパキスタンなど南アジアでは特に状況が深刻で、全人口の半数近い48%が野外で用を足しているとされた。ほかにもサハラ砂漠以南のアフリカなどの途上国を中心に普及が進んでおらず、現状でこの分野のMDGsを達成するには、7億人分のトイレが不足とみられる。



こんなパズルがある。


国や地域における公衆衛生のレベルは、伝染病や感染症の発生率に拠る。では、そうした病気の「発生数」ではなく、そうした病気がどのくらい死に至るのか、病気の「質」に注目した場合、清潔な国と、そうでない国で、病原菌のパワーに違いはあるのだろうか。
公衆衛生が進んだ国では、そうでない国に比べて、伝染病患者ひとりあたりの病気の重さ、致死率に違いはあるのか。

この問題は、病理学や医学の知識なく、論理だけで解ける。
公衆衛生の遅れている国をA, 進んだ国をBとする。Aの国々においては、病原菌やウィルスは宿主(患者)を容赦なく搾取してよい。衛生状態がよくないので、病原菌にとっては宿主の死後も他の宿主に自己の遺伝子を残せる可能性が高い。

ところが公衆衛生の進んだ国Bでは、病原菌は簡単に宿主を殺してしまうわけにはいかない。病原菌が伝播する条件が整っていないため、病原菌にとっては宿主に死なれては、自分も死ぬことになる。そのため、Bの国々では伝染病の病原菌は致死力の弱いものにならざるを得ない。

公衆衛生の重要性は、伝染病の伝播力を弱めるためだけではない。さらに一歩踏み込んで、伝播力が弱い環境が故に、病原菌の力そのものを弱めることにもつながる。実際に同じ病原菌がA, B両方の環境で伝播したときに病原菌を採取して調べたところ、Bの国々のほうが病原菌の力が弱まっていたそうだ。

環境が生命体の力を左右するというのは、科学的な根拠はさておき、なんとなく実感として納得できる。僕はきちんと片付いた机でないと理路整然とした仕事がしにくい。生活環境が乱れた地域で生活していると、規則正しい生活を送ることが難しくなる。なんとなく、生命体にはそういう環境に呼応するようなプログラムがされているような気がする。



で、家の掃除は僕の仕事なわけですが

アフガン日本人拉致・殺害事件に至るまでの流れ

91 名前:名無しさん@九周年 投稿日:2008/08/28(木)
日本国政府「そこでの活動は危険です。一刻も早く退去してください。」

ペシャワール会「はぁ?俺らは憲法9条の非武装中立を守ってるから安全だ。心配すんな。」

日本国政府「え?いえ現地は外国人の誘拐や殺害が最近多発してます。
一刻の猶予もなく本当に危険ですから即刻退去してください。」

ペシャワール会「毎月毎月うっせえな。俺らは9条の教えに守られてるって言ってんだろ。
俺らは非武装中立だから安全なんだ。心配すんな。」

日本国政府「くり返します。これは退避勧告です。一刻も早く退去してください。」

ペシャワール会「しつけーなあ。じゃあもう少ししたら一応引き上げも考えてやっよ。 つか日本政府マジうぜー。」

日本国政府「そちらの伊藤さんが誘拐され殺害されました。これから身元確認を行います。」

ペシャワール会「我々が一番起こって欲しくないことが起きた。」


報道されるのは最後の一行だけ



安全に関する概念が暢気すぎやしないか

デシリットル

嫁とテレビを見ます。


嫁のお気に入りは「Qさま!プレッシャースタディークイズ」。
どうやら学校の勉強をちょっとひねったようなクイズ番組が好きらしいです。
いつもHDレコーダーに録画して見てます。
僕は個人的に眼鏡をかけた優香が目当てなんですが

去年くらいまでは「IQサプリ」を見てたんですが、今年に入ったあたりから問題と番組の質が著しく低下し、単なる若手お笑い芸人のアピールタイムに成り下がっているようです。クイズじゃなくてゲームみたいなのばっかり。もうあまり見てません。
問題制作費を削減したんでしょうね。若手芸人のほうが安いんでしょう。

さて、「Qさま!」では算数の問題として、ふたつの数値のどっちが大きいのか、あるいは等しいのかを、等号や不等号で答える問題があります。
その問題のなかで、こんなものがありました。


「1リットル」と「100デシリットル」


回答者はやくみつるさん。「=(イコール)」と答えて不正解でした。


「あ、まちがえちゃったー」

へぇ、以外に知られてないもんだね

「「10デシリットル」が「1リットル」だっけ?」

そだよ。

「でも小学校以来、デシリットルって単位、日常であまり使わないよねぇ。」

でも、英語で分かるじゃん。

「ほぇ?」

デシリットル(deciliter)の"dec-"は、「10」っていう意味でしょ。
まぁ、"deci-"だと「10分の1」だけど。

「あー、それ知ってる。decade (10年)もそうでしょ」

そうそう

「December (12月)も、もともと10月のことでしょ」

うん。そだね。

「陸上競技の10種競技はデカスロン(decathlon)だし」

そうそう。よく知ってるね。

「でっかいメロンがデカメロンでしょ」

・・・。



(註):
ボッカチォの『デカメロン』は、ギリシア語のdeka hemerai、英語にするとten daysが語源の『十日物語』です。
決してメロンとは何の関係もありませんので念のため。



ちょっとほめるとすぐこれだ

カルダノの公式

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三次方程式 ax3+bx2+cx+d の、解の公式。


2次方程式の解の公式は中学生で習う。当時はなんとも面倒な公式だなと思ってたが、考えてみれば、代数方程式の解の公式というのは、係数に何が入ろうが、未知数の値を導いてしまう。こんな万能の解法がまかり通るのは数学の世界しかあるまい。


そんなワクワクものの代数方程式の研究史で、なんか悲惨なことばかり起きているのはどうしてか。



上掲の3次方程式の解の公式は「カルダノの公式」と呼ばれている。この公式をはじめて世に公表したジェロラモ・カルダノの名に因んでいる。
しかし、実はこの公式はカルダノが考えだしたものではない。

実際にこの解の公式を発見したのはニコロ・タルタリアというおじいちゃんだった。
タルタリアは密かにこの解の公式を発見し、悦に行っていた。その噂をききつけたカルダノが必死に頼み込み、「絶対に他言しない」という誓約のもとに、この秘術を教えてもらった。
するとカルダノは速攻でa: Ars magna de Rebus Algebraicis (『偉大なる術』)という本を書き上げ、いかにも自分が考えだしたことのように世に公表してしまった。

さぁタルタリアの怒るまいことか。さっそく公の場で論争が始まった。ところがカルダノは自ら論争の席には立たず、若い弟子のフェラーリを送り込んだ。才気煥発な若手と人生に草臥れてきたおじいちゃんとでは論争で勝負にならず、なんと本当の発見者であるタルタリアが言い負かされてしまった。タルタリアは3次方程式解法の発見者という栄誉を奪われ、失意のうちに死んだ。

カルダノの悪行はそれにとどまらない。カルダノが書いた本には、3次方程式のほかに4次方程式の解法まで記してあった。しかし、それもまたカルダノの発見ではない。弟子のフェラーリが解いたものを、またもや剽窃したものだった。カルダノの手先となって本家発見者を理不尽に打ち負かしたフェラーリは、師匠にまんまと自分の手柄まで横取りされてしまったことになる。いい面の皮だ。人を見る目がないと、こういうことになる。

このカルダノという男、数学者として以前に人間として腐ってるのだろう。本人曰く、本業はギャンブラーだというのだから推して知るべしと言える。金遣いが荒く、人の業績や手柄を横取りすることで知名度を挙げていた。かなりの人の恨みを買っていたらしい。

学術の世界には、たまにこういうモラルの欠けた人間がいる。自分の業績が他人に剽窃されることなく安心して世に発表できる世の中というのは、現在の我々はあたりまえと思っているが、そうでない時代のほうが長かったのではあるまいか。

カルダノだって一応数学者なのだから、すべてがすべて他人の業績の横取りだけで生きていたわけではない。たとえば3次方程式を解くときにカルダノが導入した「虚数」という概念は、たしかにカルダノ自身で世界ではじめて到達した知見だった。そういう能力がありながら、それを磨くことなく他人の剽窃に走ると、後世の評価は汚れたものとなる。


代数方程式の解法に心血を注いだのち不遇のまま死んだ数学者は、タルタリアだけではない。
ノルウェーの薄幸の数学者アーベルも、代数における輝かしい業績が日の目を見ることなく不遇のうちに死んでいる。

複数次の代数方程式のうち、4次方程式までは一般的な解法が存在するが、5次以上の代数方程式に関しては解の公式が存在しない。
アーベルはわずか21歳のときにその証明に成功した。

ところがアーベルの論文は、当時の数学の最高峰の権威、ガウスによって握りつぶされてしまう。当時のガウスはアーベルとは違う立場で代数方程式の解法を追求しており、論文の題名だけをみて放っておいたという。また一説には、極度に貧しかったアーベルは、自費出版の論文のページ数をなるべく節約するために論文を簡潔に書きすぎたため、理解しにくい論文になってしまった、という説もある。

いずれにせよ、代数方程式の歴史には、「本当に偉い人がなかなか評価されない」という暗いジンクスがあるような気がする。従来の代数学の諸問題を「群論」という画期的な方法でことごとく片付けたガロアだって、21歳のときに決闘で死んでいる。数学にはさまざまな下位分野があるが、ここまでドロドロした陰惨な様相は、代数方程式でのみ見られる特異な点のような気がしてならない。

これは僕の勝手な想像だが、当時の数学者にとって代数方程式は、どんな宝箱でも開けてしまう魔法の鍵だったのではあるまいか。ドラクエの「さいごのかぎ」のように、それさえあればどんな扉でも開く万能の鍵は、ものすごくワクワク感を誘う。中学生だって、2次方程式の解の公式さえ知っていれば、世界中に存在可能なすべての2次方程式を解き尽くせる。変数をものともせず、世の中の森羅万象、すべての数をすべて余すところ無く解き尽くす代数学には、そのような魅力があったのではあるまいか。

宝箱を探し求める旅には、海賊がつきものだ。代数学の歴史に跋扈する数多くのカルダノたちは、そういう側の人間だったのだろう。数学というと、退屈でつまらない教科という印象しか残っていない人が多いかもしれない。しかし、いま我々が知り得る数学の知見の裏には、そういう壮絶な戦いと累々とした屍が積み重なっている。



嫁が出張中なのを幸いに朝から晩まで勉強しておりまして

関係ないとは思いますが

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「優秀すぎる」少年野球選手、投球禁止を命じられる



[米コネチカット州ニューヘイヴン 25日 AP]
9歳のジェリコ・スコット君は優秀な野球選手だ。
実際、彼は優秀すぎた。

彼は右投げで、およそ時速65キロの球を投げる。彼の投球があまりにも強力なので、ニューヘイヴンの青少年野球リーグはジェリコ君のチーム監督に、彼はこれ以上投げてはいけないと通達した。先週、ジェリコ君がマウンドに上がると、敵チームは試合を放棄し、荷物をまとめて帰ってしまったそうだ。

このリーグは結成3年目で、8つのチームとおよそ100人の選手が所属している。リーグの職員たちは、ジェリコ君のチームを解散させ、彼以外の選手を他のチームに再編成して希望者には50ドルの契約金を還付すると述べた。彼らはジェリコ君のチームの監督ウィルフレッド・ヴィドロは辞職したと述べている。

しかし、ヴィドロ監督は、自分は辞職していないしチームは解散を拒否すると発言している。選手とその親たちは土曜日、ジェリコ君に投げさせるよう主張し、リーグの野球場で抗議活動を行った。




ほほう、コネチカットのジェリコ君とな。
ペンギン命

takutsubu

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