たくろふのつぶやき

あ、袋いいです。

2007年12月

3たす1は

「さんすう」

ぼくが
ひいたかずは 
どこへいったの? 

ぼくが 
たしたかずは 
どこからきたの? 

四次元空間からかな? 
それとも 
じめんの中からかな?

(『子どもの詩』収録、小学校2年生の作品)



最近の学校現場では子供の理系離れが顕著なんだとか。


中学や高校になって数学の授業についていけなくなると、お決まりのように「数学なんて人生の何の役に立つんだ」と嘯く生徒がいる。
それなら「部活が人生の何の役に立つんだ」「WiiやNintendo DSが人生の何の役に立つんだ」「テレビ番組が人生の何の役に立つんだ」「マンガが人生の何の役に立つんだ」という問いに答えられるか。小賢しい答えをいくら並べたところで、それはしょせん自分を欺いている自己正当化に過ぎない。答えを並べれば並べるだけ、どんどん自分から逃げている。

教える方にも問題はあろう。別に一流大学卒の秀才であれば優秀な教師になれるというわけではない。
たとえば、小学校2年生の子供に上の詩のようなことを問われたら、何と答えるだろうか。


国語や社会などの「文系科目」と、理科や数学などの「理系科目」を比べると、圧倒的に簡単なのは、理系科目のほうだと思う。

「文系離れ」という言葉がないのは、文系諸科目が簡単だからでは決して無い。国語や社会などのいわゆる文系科目は、我々の日常感覚に非常に近しい概念を扱っている。この国で日本語を使わずに暮らせる人はいない。歴史上の人物には立志伝的なロマン、人間的な魅力を感じることができる。生徒にとって文系科目がとっかかりやすいのは、決して客観的な難易の違いではなく「人は身近なものに親しみを感じて客観評価と混同する」という「利用可能性ヒューリスティクス」のせいに過ぎないと思う。

理系科目、いわゆるサイエンスは、雑多な諸現象をまるまる統括できる一般法則を抽出する営みだ。「これひとつで全てが説明できるんですよ」という、統一的な法則を探る。
リンゴが地面に落ちることと、月が地球を廻ることに、別々の法則を考える必要はない。ひとつの力学的説明で事足りる。
二次方程式の解の法則を「覚えなければいけない」のではない。「それさえあれば世の中に存在可能な二次方程式がすべて一撃で解ける」という、魔法の鍵だ。

サイエンスであればどんなに複雑な分野であろうとも、出発点と帰着点は、我々にとってごく身近な現象に過ぎない。数学がどんな複雑な概念を語ろうと、物理学がどんな難解な式を作ろうと、それらの目的は、すべて経験と実験が可能な「事実」を説明することにある。

サイエンスとは、そういう「ワレワレにとって身近に感じられる様々な現象」から「その背後に共通している概念」を抜き出し、それをもとに「まだ観測されてはいないが、当然予想できる現象」を予測する。そういう一連の流れが、いわゆる「理系分野」のすべてに共通した思考の流れになっている。すべての現象の共通点を見抜く。概念をよりシンプルにまとめる。現象から原理を探り出し、逆に原理から現象を予測する。

その過程で、様々な概念が、ワレワレの日常感覚とは遊離した一般概念に置き換えられる。3個のミカン、お正月の3日間、天井までの3メートル、カップラーメンの3分、すべて「3」という数字で表せる。人間が「数を使う」ということは、こういう情報の抽象化を瞬時に行っていることに他ならない。

数学の凄いところは、そうした様々な日常感覚に基づく数概念それぞれに、別々の規則体系を設定する必要がない、ということだ。

「もうひとつミカンを置くといくつになりますか」
「もう1日経つと何日になりますか」
「床下の1メートルを足すと高さはいくつになりますか」
「もう1分たつと何分経ったことになりますか」

個数、日数、距離、時間というそれぞれ異なった概念に、別の計算体系は必要ない。
すべて「3+1=4」という計算で事足りる。
しかも、この計算は、どこの国でも、いつの時代でも、どんな政権下でも、自分がどんな気分のときでも、絶対に変わることはない。

我々は「3+1=4」という計算を「当たり前じゃないか」と思うが、実は全然あたりまえではない。この式は、そういう森羅万象の事実すべてを包括し得る、強力な説明力をもつ式なのだ。しかも、この式はミカンの個数やカレンダーの日数だけではなく、どんな数体系にも転用できる。体重を測る時だって、角度を測るときだって、野球のスコアをつけるときだって、つねに「3+1=4」という計算は、真実であり続ける。


サイエンスというのは、こういう驚きからまず入るべきだと思う。


ぼくがひいたかずはどこへいったの。
こういう疑問が出る原因は、「観測可能な事実」から「抽象化した原理」を抽出する、という営みを理解していないことにある。
何の説明もされないまま「3たす1は4ですよ」と叩き込まれることにより、その背後にある広大な数体系の深淵に気づかないまま、「3+1=4」という計算それ自体が、生徒の一次的体験となってしまっている。

「足し算」というのは本来、数々の現象を包括する高次の抽象概念だ。それがいきなり何の説明もなく計算ドリルみたいにバンバン出てきたら、そりゃ「だから何なの?」「こんなことやって何の役に立つの?」という疑問も出るだろう。「『3つのミカン』と『3日間』が、同じ『3』で表せる」ということの凄さを体感していない。小学校用の教科書であればどの算数の教科書も、リンゴやみかんの絵を使って足し算や引き算を教えているだろう。しかし、それだけで「はいおしまい、以上で計算の仕方は分かったね」では、本来教えるべき最も大切なことが伝わらない。

頭のいい子供というのは、計算問題100問を1個のミスもなく完璧に解く子供ではないと思う。誰に教えられなくても、どの本に載ってなくても、数概念の統一性に気づき、「足し算って凄いなぁ」と感動できる子供のほうが、本当に賢い。世界的な数学者のなかにも、2ケタ同士の足し算を暗算で間違える学者は多い。


冒頭の詩には、書評で教育関係者が寄せた「すごい詩です」という評が載っている。何を言っているのだろうか。暢気に感心している場合ではない。この子供の詩は、いまの日本の初等科学教育が、本来教えるべき大切なことをないがしろにしていることを抉り出している。子供は素直で、疑問に思ったことを率直に表現できる。こういう疑問が子供から出てくること自体、現在の算数教育が大失敗に終わっていることの表れと捉え、その行く先を危惧するべきではないのか。

きっとこの子供を教えている教師は、この問いに答えることはできないだろう。答えることができるくらいなら、最初からこんな過ちは犯さない。なにもわからない子供を丸め込むような、その場しのぎの答弁に終止するのが関の山だと思う。



そして中高で数学の必要性を詰る生徒がまたひとりできあがる

宇都宮パルコのツリー飾りを盗む泥棒女子高生たち

恋愛に、盗難に「悩」 パルコのツリー


「あの飾りを持っていると恋の願いがかなう」――。そんなうわさが女子高校生の間を駆けめぐっているためか、宇都宮パルコ(宇都宮市馬場通り3丁目)のクリスマスツリーの飾りが次々と消えているという。「お客さんみんなに楽しんでもらうものだから取らないで」。飾りがなくなるピークとなるクリスマスを前に、パルコ側は呼びかけている。

 宇都宮市中心部の馬場通り沿い。赤や緑、金色にきらめくクリスマスツリーが目に飛び込んでくる。高さ6メートルの本物のモミの木。球状や細長いものなど400個の飾りが枝に取り付けられ、電球4千個のイルミネーションが輝く。宇都宮パルコが97年の開店時から毎年この時期に出している。

 飾りがなくなるのが目立ち始めたのは数年前から。同店によると、昨年はクリスマスが近づくにつれて数が減り、12月25日時点では、ツリーの下の方に付いた飾りがほとんどなくなってしまったという。

 どうやら、その原因は女子高校生の間に広がる「伝説」のためらしい。

 同店を訪れた作新学院高校2年の女子生徒は今月初め、1学年上の先輩から「パルコのツリーの飾りを取れば恋がかなうって」と教えられた。また、宇都宮短大付属高校3年の女子生徒は数日前、通学時の電車内で他の高校の女子生徒が「飾りを持ってれば好きな人と結ばれる」と話しているのを聞いたという。

 男性店員は11月下旬、同店内で携帯電話とバッグにツリーの飾りを付けた少女たちの姿を見かけた。「あの形や大きさはうちのだって、一目でわかった」と言う。同店によれば、飾りは1個約300?500円。盗まれる数が多くなると被害額もそれなりにかさむ。

 このため、同店は今年から自衛策を採り始めた。飾りはひもをひっかけるのではなく何重にもひねって付けた。また、昨年は2?3時間に1回だった警備員の巡回を大幅に増やし、ツリー周辺に重点を置いている。

 それでも、ツリーが登場した11月5日に比べると、飾りが減っているのがわかるという。  同店としては今のところ被害届を出すつもりはないが、宇都宮中央署の永井悟副署長は「誰かのものを勝手に取れば、それは泥棒だ」と戒める。

 「『ツリーの前で片思いの人と写真を撮れば幸せになれる』といううわさなら、こちらもうれしいんですけどね」と同店営業課宣伝担当の田辺史佳さん(26)は苦笑いしている。



36 名前: 国連職員(大阪府)[] 投稿日:2007/12/21(金)
窃盗じゃねえか


40 名前: DCアドバイザー(神奈川県)[] 投稿日:2007/12/21(金)
盗んだ奴全員
全裸でツリーに吊っとけ


55 名前: 女(栃木県)[] 投稿日:2007/12/21(金)
これだから田舎は


69 名前: 貸金業経営(コネチカット州)[] 投稿日:2007/12/21(金)
土人女子高生


77 名前: 知事候補(樺太)[] 投稿日:2007/12/21(金)
ツリーを手が届かない位置に置けばいんじゃね?


86 名前: 絵本作家(山形県)[] 投稿日:2007/12/21(金)
自分の恋愛を叶えるため、窃盗に走る栃木女子高生w
ゆとりもここまで来たか


98 名前: fushianasan(アラバマ州)[] 投稿日:2007/12/21(金)
そのうち「パルコのレジに入っていた万札を持っていると恋の願いがかなう」とか言って・・・


100 名前: 人民解放軍(樺太)[] 投稿日:2007/12/21(金)
こんな女を求める男いるのか?


102 名前: 空気コテ(福岡県)[] 投稿日:2007/12/21(金)
逆に、手の届く位置は数円レベルの紙飾りにでもして
「一人一個でお願いします」って張り紙して、自由に取れるようにしとけばいんだよ。
恋愛成就のメッカにしちゃえば、新聞折込より低予算で客増える



117 名前: コレクター(栃木県)[sage] 投稿日:2007/12/21(金)
>>102
お前頭いいな



うまく転がせばビッグビジネスのチャンス

超混みシーズン

彼女がアメリカまで遊びにきてくれてるんですが


僕の住んでる州は、その、観光地のような大きな都市ではないので、日本からの直行便がありません。だから一回、飛行機の乗り継ぎをしなければなりません。
しかし英語が得意でない人にとっては、外国の空港での乗り継ぎというのは緊張するものなんですね。
僕も最初に渡米したときには乗り過ごさないように緊張したもんです。

彼女はもう何回か遊びに来ているので、乗り継ぎの様子はだいたい分かっています。
しかし、怖いのが、空港の混雑によって入国審査やセキュリティーチェックが遅れ、飛行機を乗り過ごしてしますことです。

そういうときには、空港会社のカウンターに事情を説明し、次の便に入れてもらうように手配しなければなりません。
特に夏休みやクリスマス周辺の繁忙期には、入国審査が長蛇の列になることがあります。
僕も2時間近く足止めをくらった挙句、乗り継ぎに失敗したことがあります。

で、彼女曰く「ムリムリムリ。英語でそんな交渉できない」だそうです。
なもんで、飛行機のチケットを手配するときには、乗り換えの時間が最大限に長くなるような組み合わせを選んでいます。
空港で3時間待ちになっても、乗り継ぎに失敗してパニックになるよりもマシ、だそうです。


で、今回の渡米に関しまして。
乗り継ぎが4時間、という、なんとも間延びした乗り継ぎ予定になってしまいました。

まぁ、いくらクリスマスシーズンで空港が混むといっても、4時間あれば大丈夫でしょう。
僕も乗り継ぎの飛行機の様子をインターネットでチェックしておきます。


そうしたらですね
乗り継ぎの飛行機が、刻一刻と遅れるんですよ。


夕方4時発の予定が、5時になり6時になり、さては7時過ぎになってもまだその飛行機が空港に着かない、という事態になっているようです。
なんでも乗り継ぎの空港周辺が大雨になっており、飛行機が軒並み遅れているんだそうです。



プルルルルルル♪

あい、もしもしー

ヒマなんだけど

うんー、そうねぇ。なんか大変なことになってるねぇ。

「一体、何時になったら飛行機とぶのよー」

うん、俺もネットでチェックしてるけど、なんかもうちょっとかかりそうだねぇ。

「ぶー」

お散歩しなさい。

「ぶー」

空港のイスをうまく使ってお昼寝してなさい

「ぶー」



まぁ、そんな感じでいたわけです。
空港では、乗り継ぎを待つ人達でごった返していたそうです。


結局、飛行機が飛んだのは夜8時過ぎ
4時間以上の遅れだそうです。
なんだかんだで、乗り継ぎの空港に9時間近くいたそうです。


空港に迎えに行ったら、クタクタになってゲートから出てきました。
さっそく部屋に搬送しまして、速攻で寝かせた次第であります。



移動だけで24時間以上かかったみたい

推理小説事情

推理小説を読みます。


僕は推理小説が好きで、日本にいたときからよく海外の小説の翻訳を読んでいました。
クラシックなやつが好きですね。
まぁ、基本はシャーロック・ホームズですが、あの時代周辺の推理小説は現代的な観点からも評価できる秀作が多いと思います。

推理小説のなかには時代が経つと屑になってしまう小説がありますが、そういう小説は、トリックに技術的な小細工を使っています。「アリバイ工作のため蓄音機に人の話し声を吹き込んでおいてそれを他人に聞かせる」など、現在ではまったく通用しません。たとえばディクスン.カーの一連の密室殺人ものの中には、そういう小技だけで無理矢理一本の作品を書き上げてしまったような駄作がたまに紛れ込んでいます。

推理小説とひとくちに言っても様々なテイストがありますが、僕はあまりに推理小説をバズル化したような作品があまり好きではないようです。なんというか、推理ものとはいっても小説である以上、ある程度の文学性を保ってほしいと思うのです。謎解きを中心とはしていながらも、そこに何かしら世の中の真理、人生の一側面を鋭く描いてほしい気がします。単に謎のために人を殺しているような小説は、なんか俗っぽく見えます。こういう条件をクリアしている秀作は、G.K.チェスタートンのブラウン神父譚など、そう多くはありません。

僕があまりエラリー・クィーンが好きではないのは、そのへんに理由があるのかもしれません。エラリー・クィーンの中で謎解きが最も手応えがあるのは『オランダ靴の謎』あたりだと思います。秀作であることは確かなんでしょうし、確かに面白いんですが、なんか謎々が過ぎて人や場面がうまく描けていないような気がします。『Yの悲劇』くらいのレベルの作品をコンスタントに書ければ凄いと思うのですが、あの作品は例外と言うべきですかね。「推理作家である以上、あのくらいの作品を生涯に一本でも書ければ本望」くらいの本なのかもしれません。

逆の理由で、アガサ・クリスティーもあまり好きではありません。クリスティーの作品は、一言でいうと「インパクト先行型」だと思います。謎解きとしては話の細部が雑すぎます。最も典型的なのが『そして誰もいなくなった』でしょう。設定は面白いし、途中のスリリングな展開も満点です。しかし最後の謎解きで「なんじゃあそりゃあ」という、なんか拍子抜けした感じが残ります。クリスティーは、途中で盛り上げるだけ盛り上げておいて、最後に収拾がつかなくなって、うやむやのまま終了、というイメージがあります。ポワロのキャラクターを楽しむくらいがちょうどいい読み方なのでしょう。


最近は推理小説を選ぶ軸がちょっと変わってきました。
自分が知っている土地、場所を舞台にしている小説をよく読む傾向にあります。
ボストンを舞台にしている小説だと、ロバート・B・パーカーの小説でしょうね。探偵のスペンサーは、よくケンブリッジからハーバードあたりまでチャールズ・リバー沿いをジョギングしています。パーカーはまだ新作を発表しつづけているので、最近は出版されたらすぐ読めます。日本で翻訳を読んでた頃よりも読みやすい。英語もあまり難しくないので、勉強の合間に読む本としては手頃です。

僕の住んでいるコネチカット州を舞台にしている小説では、エドワード・D・ホックが書いているサム・ホーソーン医師を主人公とした一連の作品があります。コネチカットの片田舎の診療所の風景が、なんとなく見慣れた感じがします。サム医師は患者さんに手術が必要な場合は、ハートフォードの大きな病院に紹介状を書いたりしています。作品はのどかな田舎風景を描いているだけでなく、なかなか凝った不可能犯罪を扱っていて、僕の趣味に合います。


アメリカに来てつねづね不思議なんですが


上に紹介した推理小説は、日本ですべて翻訳が入手可能です。街の本屋さんでも創元推理文庫やハヤカワミステリ文庫が揃ってますし、これらはブックオフにも置いてます。最近の新しい作品だけでなく、かなり古い推理小説でも簡単に手に入ります。

しかし、アメリカでこういう古い推理小説を読もうとしても、なかなか手に入りません。本屋の店員さんにエラリー・クイーンなんて訊いても「誰ですかそれ?」という感じです。本屋さんにふつうに置いてあるクラシック推理小説はアガサ・クリスティ?くらいでしょう。

毎年出版される推理小説の絶対量が多く、怒濤のごとく書かれる最新作を並べるので精一杯なのでしょう。アメリカで手に入らない原書が、日本で翻訳が簡単に買える、などという本末転倒なことが起こります。僕ははじめてアメリカに渡ったときに、お気に入りの推理小説の原書を買い漁るつもりでいたんですが、本屋さんにそもそも置いてません。


日本を離れてしばらく経ち、最近の日本の推理小説の動向が分からなくなっています。浦島状態ですね。
僕の彼女も推理小説が大好きです。江戸川乱歩の本名を即答できる女の子というのは、あまりいないと思います。日本に帰ったら、彼女の本棚から何冊か失敬して、日本の推理小説を楽しんでみましょうかね。



ペーパーバックって安いよなぁ

携帯見ながら自転車→死亡

高校生の転落死 携帯電話操作中か 自転車運転中に「ワンセグ」利用?


甲府市中町の市道脇の用水路で県立高校の男子生徒(18)が死亡していた事故で、男子生徒が自転車を運転中に携帯電話を操作し、誤って用水路に転落した可能性があることが、十七日までの南甲府署の調べで分かった。

 事故は十四日夜に発生したとみられる。

 調べによると、携帯電話が男子生徒のそばに落ちていた。携帯電話はテレビが視聴できる「ワンセグ」機能を利用するときの状態だったという。

 自転車には車などと接触した跡がなく、同署は男子生徒が携帯電話の操作中に誤って用水路に転落した可能性があるとみて、調べている。

 また検視の結果、男子生徒の死因は水死であることも分かった。

 県内では今年、十六日までに交通事故で五十人が死亡した。このうち、自転車の運転者は六人が亡くなっていて、昨年同期より五人多い。




命と引き換えにしても見たい番組があったんでしょうね
ペンギン命

takutsubu

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