たくろふのつぶやき

お鍋には熱燗をつけてくれたまへ。

2007年04月

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週末にちょっと天気がよくなったので、お花見に行ってきました。
アメリカでも桜は咲くんですよ。


州都のハートフォードという街に公園がありまして、そこにいい感じの桜が咲きます。そろそろ見頃かなぁと思っていったら、ちょうど満開でした。やっぱり春は桜ですね。


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ほらこんなにきれい



いいお天気の週末だったので、家族連れがいっぱいいらっしゃいました。アイスクリームやホットドックの屋台もいっぱい出てまして、のんびりとしております。

公園にあるメリーゴーランドにはお子様が殺到しておりまして、みなさん楽しんでいらっしゃいます。一回1ドルだって。


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当然、たくろふも乗るのであります



えー、お花見のあとはハートフォード市内にある、マーク・トウェインの生家と博物館に遊びにいきました。


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僕の三大愛読書は「ホームズ」「アリス」「トム・ソーヤー」です。中学生のときから僕の英語の読解力は、これらの原書を読むことで培われております。

その中でもトム・ソーヤーとハックルベリー・フィンは、夏休みになるたびに何度も読み返す魂の書と言っても過言ではありません。裏山に秘密基地をつくり、好きな女の子をかばうため教師に殴られることも辞さず、洞窟探検に突っ込むのが、真の漢の生き様であります。野郎共は冒険心を忘れたら終わりなのであります。


日本では一般的に『トム・ソーヤー』のほうが知名度が高いが、アメリカ文学史では『ハックルベリー・フィン』のほうが評価が高い。トムには帰る家があり、彼自身が望んで冒険を求める物語であるのに対し、ハックはホームレスであり、のんびり暮したいと思っているにもかかわらず意に反してとんでもない冒険に巻き込まれてしまう。また、逃亡奴隷のジムとミシシッピ川を下る過程では、当時の人種差別観に基づく社会の歪みが容赦なく描かれている。いまでは禁止用語とされている黒人への蔑称「ニグロ」もそのまま使われ、本文中に215回も登場する。また全編に渡って登場人物の台詞は現地の方言で書かれている。

こうした側面を受けて、『ハックルベリー・フィンの冒険』は人権保護団体や各州立図書館によって何度も禁書指定を受けてきた。現在では、アメリカの人種差別の実態を指弾する教養書として評価を受けており、「アメリカ人が目を背けてはならない過去の事実」という捉え方をされている。

著者のマーク・トウェインは1874年から17年間、コネチカット州ハートフォードに居住している。『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』をはじめ、彼の有名な著作の大部分はこの期間に書かれた。おなじハートフォードの近所には『アンクル・トムの小屋』の著者であるハリエット・ビーチャー・ストウも居住していた。

その生家は大邸宅で、1927年にハートフォード市が買い取った。その後、博物館が併設され、現在では展示のみならず、トウェイン研究の拠点としての役割も担っている。博物館内には講堂もあり、授業やワークショップが開設可能な施設が整っている。

マーク・トウェイン・ハウスは日本とつながりが深いらしいですね。博物館では毎年夏に、全米の英語教員向けに、授業でマーク・トウェインの著作を扱うためのワークショップを開催してます。日本からも毎年、積極的に参加してるそうな。2006年には津田塾大学の教員志望の学生6人が参加しています。こうした縁か、マーク・トウェイン・ハウスの公式ホームページには日本語のページも作られています。


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すげー大邸宅だなおい。



ハウス内は撮影禁止だったので撮れませんでしたが、いかにもアメリカの大邸宅という凄い家でした。食堂スゲー。書斎スゲー。ビリヤードルームスゲー。いったい何部屋あるんだ。

「世界でもっともすばらしい生活とは
イギリス人の給料をもらい
中国人の料理人を雇い
アメリカの家に住み
日本人の妻をもつことだ」
というジョークがありますが、なんか納得。アメリカの家ってのは一般的にデカいですね。特に東海岸は地震がないから耐震性にあまりお金をかけなくてもいいのかな。


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ミュージアムショップ。トムとベッキーのブックマークを買いました。



そろそろ夏ですからね。また『トム・ソーヤー』を読み返そうかな。
夏になるとミシシッピー州やミズーリ州でトム・ソーヤーにまつわるお祭りがあるんですよね。一回行ってみたいなぁ。


あ、ちなみに「世界でもっとも悲惨な生活」とは
「中国人の給料をもらい
イギリス人の料理人を雇い
日本の家に住み
アメリカ人の妻をもつ」
ことなんだそうです。



アメリカではいよいよ夏休みー♪

「おはよー」

おはよー

「ふわぁー眠い」

おや今日はお寝坊でつか

「んー、やっと連休になったから」

おお、日本はいまゴールデンウィークでつか

「うんー。今年は結構長いよ。」

そっか。のんびりするといいよ

「空港や駅ではみなさんラッシュでいらっしゃる」

おお、成田の出国ラッシュ。

「連休に海外ね。今日の成田は5万人の人出だって」

5万人ねぇ。連休になってからのこのこ海外に出ようなんて気合が足りませんな

「あん?」

オレなんてゴールデンウィーク前からすでにアメリカだもんね

「また始まった」

しかも一週間とかケチな滞在じゃなくてドーンと年単位で

「アメリカに住んでる人は黙ってなさい」

いやいや、そうじゃなくって。みなさん日本にいるありがたみを分かっていらっしゃらない。

「あん?」

なんで連休にン万円も払って海外に出ますか

「海外旅行したいからじゃない」

アメリカ在住のたくろふに言わせるとでつね、日本の良さやありがたみは筆舌に尽くし難いのでつよ

「ごはんはおいしいしねぇ」

だから、連休にはいままで自分が見いだしていなかった日本の良さを発掘するといいと思うのでつ。

「そんなこといっても海外旅行したいじゃない」

オレなんて今度の夏休みは海外旅行で日本に帰るんだぞ。

「そりゃそうでしょう」

カネ払ってまで日本に帰ろうとするワタクシめの立場は。

「あら、あたしだって日本の良さを味わいに」

ふむふむ

沖縄に行ってくるわよ」

・・・。

「あら、すねちゃった」

そーゆーこと言うと彼氏がグレんだぞ

「そーなの?」

ふんだ沖縄が何さ日本国内の旅行が何さオレなんかいまアメリカ東海岸にいるんだもんね

「そーゆーこと言ってると明日おすし食べてきちゃうわよ



私が悪うございました

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寝る前にふとんの中でオー・ヘンリーの短編集をよく読む。


日本にいる頃からよく読んでいたが、翻訳だった。オー・ヘンリーの物語には、とくに前半に、世情を反映したことば遊びがよく使われる。これは翻訳では意味が分からない。僕はアメリカに来てから原書で読んで、はじめて意味が分かった節がけっこうあった。

僕はオー・ヘンリーをはじめ、ヘンリー・スレッサー、ロアルド・ダール、エドワード・D・ホックなど、切れ味の鋭い落ちで唸らせる短編が好きだ。推理小説も趣味に合う。基本的に知的な仕掛けのあるどんでん返しが好みらしい。

オー・ヘンリーの短編は、こうした「落ち」(punch line)の意外さで読ませる作品だ。『警官と賛美歌』『最後の一葉』『賢者の贈り物』『二十年後』『赤い酋長の身代金』『甦った改心』など、日本でも馴染みの深い秀作が多い。


切れの鋭い落ちを好む僕としては我ながら意外だが、オー・ヘンリーの作品のなかで僕が一番好きな作品は、『都会の敗北』(The Defeat of the City)という作品だ。


田舎で生まれ育った少年ボッブ(ロバートの愛称形)は、都会に出て必死に働き、青年実業家としての地位を手に入れる。さらに、社交界の花形で高貴な美人、良家の令嬢であるアリシアを妻にする。

彼は自分の育ちを隠し、洗練された振る舞いで通していた。ある日、アリシアがロバートの母親からの手紙を見て、「いちど田舎というところに行ってみたい」と望んだため、ロバートははじめて妻アリシアをつれて実家へ帰省することにした。

ところが、故郷に帰り、まぶしい太陽、草木の香り、小川のせせらぎに久しぶりに触れた青年実業家ロバートは、一瞬のうちに「悪ガキのボッブ」に戻ってしまう。行儀の良いアリシアを放ったらかしにし、靴を脱ぎ捨て、弟と相撲をとり、下品な話で家族を笑わせ、すっかり羽目をはずしてしまう。

その場にとけこめないアリシアは無言で席を立ち、先に寝室に上がった。そのときロバートはようやく妻の存在に気づき、自分の本性を見られた思いがして愕然とする。良家で厳しく躾けられたアリシアにとっては、無作法な自分など伴侶として論外だろう。

審判か判決を受ける思いでロバートが寝室に上がると、アリシアは窓際に座り外を眺めていた。
「ロバート、わたしは紳士と結婚したと思っていました」


"but -- "

Why had she come and was standing so close by his side?

"But I find that I have married" -- was this Alicia talking? -- "something better -- a man -- Bob, dear, kiss me, won't you?"

The city was far away.


「でもー」

どうして彼女は席を立って俺のそばまで来たのだろう?

「でも今日わかったんです。私は、もっと素晴らしい、ひとりの男性と結婚したんだ、ということが。さぁ、ボッブ、わたしにキスしてちょうだい」

都会は、はるか彼方だった。



昔からなんとなく、僕はこの話が一番好きだ。

だいたい僕は頭脳系の固いロジックが好きなようでいて、結構こういう人の心に響く作品に弱い。僕はシャーロキアンを自認しているが、シャーロック・ホームズの作品でも僕が一番好きなのは、あまり有名ではない『黄色い顔』(The Yellow Face)という作品だ。この作品では推理の明晰さというよりも、登場人物の、高潔であたたかい人柄が魅力といえる。しかもこの作品ではホームズは推理を外している。


文学の仕事は、人の感性を後世に保存することだと思う。世の中が変われば、人の価値観や考え方は変わる。世界を制覇し蛮族を教化するのが「正義」という時代もあれば、国のために身命を捧げ敵国を滅ぼすことが「正義」という時代もある。その世の中で、人がどう生き、どう考えていたのかは、後の世代には分かりにくい。古典を読むときにはそれが障害となることがある。

しかし、人間の本当に根元にあるものというのは、どういう世の中であっても変わらないのではあるまいか。人間には見栄というものがある。自分を少しでも良いものに見せたい。そういう欲求は、今も昔も、洋の東西を問わず、たいして変わらないものだろう。

しかし、自分の本質から遊離したみせかけの自分というのは、なによりも自分を苦しめる。そういう虚像を剥ぎ取ったあとでも残るのが、その人の本当の魅力なのだろう。『都会の敗北』という作品は、そこのところをうまく切り取って描いている。

文学で得られる体験はあくまで仮想上のものであって、実体験に基づく真の人生経験ではない。しかし、こういう日常では得難い経験を上手に描く作品に触れて、自分の中で咀嚼する経験は悪くない。



彼女がよく「あなた本当に博士課程の大学院生よね?」と訊くのはどういうことだろう

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