たくろふのつぶやき

春は揚げ物。

2006年11月

今年の総括

2006年 裏 紅白歌合戦



表のほうは正直どうでもいいです

それも違うぞ

Web拍手のコメントをいただきました。ありがとうございます 笑い
先日の「山頭火」の2ちゃんねるネタなんですが


>「分け入っても分け入っても深い山」だっ!!!


分け入ても分け入ても青い

←青です
・・&・・
「つ」は大きく・・です??



あ、ほんとだ。
僕も気づかなかった。
これ、2段オチにできそうですね。



ごっつぁんです!笑い

秘密警察

特別高等警察(特高)

大日本帝国憲法下の日本で、治安維持法を遵守するために存在した秘密警察。目的は天皇制維持(国体護持)にあり、その遂行のためなら手段を選ばず、凄惨な拷問すら平気で行った。1933年には小説家の小林多喜二を拷問によって虐殺している。張り巡らされた情報網は緻密極まりなく、戦時中は「銭湯の冗談も筒抜けになる」とまで言われた


GPU(ゲーペーウー、ソビエト人民委員会付属国家政治局)

20世紀前半のソ連で、スターリン体制の護持のために設置された国家警察。ソ連全土に密告網を張り巡らし、社会主義体制に反する思想を徹底的に取り締まった。共産主義者であってもスターリンに刃向うものはことごとく粛正の対象となった。1940年には、レーニン主義を忠実に踏襲してスターリンと対立したレフ・トロツキーを、亡命先のメキシコで暗殺している。スターリンがGPUによって行った大粛正の犠牲者は、2000万人を越えると言われている。


ゲシュタポ(Geheime Staatspolizei、秘密警察局)

第二次世界大戦中のナチスドイツで設置された秘密警察。ドイツ本国ならびにヨーロッパ占領地域におけるレジスタンスの弾圧、スパイ摘発、ユダヤ人の狩り立て、反ヒトラー陰謀の捜査を行った。その情報網は正確無比で、ヒトラードイツの暴力装置の代名詞としてヨーロッパ中を震え上がらせた。


レッドスケア(Red Scare、赤狩り)

かつて国家権力が国内の共産党員およびその同調者をその職などから追放する動きがあった。特に1948年から1950年代前半にかけてアメリカで行われた、共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員による共産党員排除を指すことが多い。政府関係者、軍、ハリウッド芸能関係者、作家などを中心に逮捕者が続出した。チャーリー・チャップリンやダシール・ハメットなどが容疑者のブラックリストに入っていた。また後に大統領になるリチャード・ニクソンやロナルド・レーガンは、率先して密告を行った者として後に批判されている。



どれも、物騒なことこの上ない。
こういう機構が闊歩する世の中はさぞや息が詰まるだろう。しかし、こういう秘密警察がいまだに幅を利かせている国だっていまだにある。

共産主義のように体制維持のため国家による強制力が必要となる政治形態や、戦時中などの特殊状況では、国が思想統制を諮らなければならない羽目になる。そういう状況で秘密警察が発生するのは、まぁ分からんでもない。

ことの善し悪しを言っているのではない。事実として、人はそういうものを作る傾向にある。「人の営み」の累々たる積み重ねである歴史を紐解くと、どの時代でも、似たような状況で、人は似たような国家権力を作り上げてきた。民族、国、政治形態が変わろうとも、しょせん人の考えることは同じようなものなのだろう。

どの時代のどの国の秘密警察も、かなり綿密な情報網を張り巡らせている。その国に自分が生きていたと想像してみよう。少なくとも僕は、そういう秘密警察の情報網をかいくぐって地下活動などできる気がしない。速攻で逮捕されそうだ。近現代に登場した秘密警察はほぼ例外なく、もの凄い優秀さを誇っていると思う。


世界史を学んだときにとても不思議だったのだが、ある程度の腐敗や不徹底はあたりまえである政治において、なぜどの国でも秘密警察だけは卓越した優秀さを誇っていたのだろう。


大日本帝国憲法時の日本を考えてみよう。おそらく近代的な政治理念を理解している一般人など、現在よりも段違いに少なかっただろう。選挙に立候補する人や政治家は「偉い人」だった時代だ。そこで生まれる政治の方針が、日本全国の隅々まで行き届くほど十分な教育が万全に行われていたとも思えない。おそらく、国の中枢と一般市民の間には、いまとは比べようも無いくらい、果てしない距離があったのではないか。

しかし、そんな近代政治の黎明期にあっても、治安維持法を護持するための特高は、恐るべき緻密さで機能していた。いくら政府が鐘や太鼓を叩いてもその方針が地方に十分に行き渡らない現代と比べても、その徹底した実行力は驚異的と言っていい。

ご近所の国家として昨今騒がしい北朝鮮。中央政府の政治方針がちゃんと地方に浸透しているのかどうか、失礼ながら疑わしいものだ。政府と地方の温度差、現実に対する認識の違いなどが乖離しているのは、独裁体制の宿命だ。はたして北朝鮮の政治機構がまともに機能しているのかどうか、多いに疑問だ。

しかし、そんな国であっても、秘密警察による国体護持、思想統制は完璧なのではないか。報道を見る限り、北朝鮮の国体護持が揺らいでいるようには見えない。相変わらず各家庭には書記長親子の写真が飾られている。北朝鮮のニュースアナウンサーだって、体制の意図が染み込んでいるように聞こえる。


どうして、どんな国、どんな時代でも、秘密警察は優秀に機能し得たのだろう。
なぜ、腐敗した政治体制であっても、秘密警察だけはその意義を忠実に果たし得るのだろう。


おそらく、原理として働いている力が、純然たる政治に用いられる力学とは違うのだと思う。政治に使われる原則が、理性に基づく思考、判断、調整などだとしたら、秘密警察の徹底の背後にある原則は、洗脳による熱狂的な情動に近いものなのではないか。

人は理性で判断するべき概念より、情動に基づく煽動に左右されやすい。政治においても例外ではなく、全体主義的な制度のもとでの高揚感が、理性的な判断を狂わせる。歴史上には、その方法論を体系的に用いて権力を掌握した者もいた。

秘密警察の目的と手段があれほど徹底していたのは、その趣旨が多分に感情操作に効く思想的なものだったからではないか。お上の通達がなかなか下位組織まで徹底しないのは、その本来の趣旨と目的が伝わりにくいからだろう。しかし「国体護持」「体制保全」ほどわかりやすい目的はない。

戦後の今、「愛国心」がやたらと警戒されるのは、それが理性的なものでなく情動に拠る概念だからだ。政治上の指針に情的なものを持ち出すのは、健全な政治のあり方を歪める. そして、その指摘は多分に当を得ている。

しかし僕が思うに、一般的に「愛国心」という言葉はもっと狭い意味で使われてはいないか。秘密警察が押し付けたような、国のあり方に対する無条件の忠誠心を指して「愛国心」と呼んだり、それを批判したりしているような文脈が多いような気がする。

いうまでもなく、無条件の忠誠心や、それを強要することなどは、国を愛する心でも何でもない。本当に国を愛するのであれば、国が間違った方向へ傾きかけているときには物怖じせずに諫言できなくてはならない。愛国心が戦争を引き起こすのではない。愛国心の名の下に思想と自由を奪う暴挙が戦争を引き起こす。そして、本当に国を愛している人はそんなことできない。

どの秘密警察も、その共通した目的は「政治体制の護持」にある。資本主義国家における秘密警察は共産主義を取り締まるし、共産主義国家におけるそれは自由主義や資本主義思想を取り締まる。

本当に成熟した政治形態であれば、国の主権を担う者が自身の理性で考え、妥当な国のあり方を自立的に決定できる。しかし、戦争などの時代の制約によって国のあり方を固定する必要がある場合には、有無を言わさず現行の政治体制を徹底させなければならない。他のあり方は厳しく取り締まる必要がある。

要するに、秘密警察が跋扈する背景には「うるさい黙れ、これが正しいんだ、他は認めん」という姿勢がある。疑問を差し挟む余地を許さず、徹底の為には暴力さえ用いる。

よく、こういう手法は「もはや政治ではなく、宗教のようなものだ」と表現されるが、正しくない。正しい宗教のあり方は、こんな偏狭なものではなかろう。一部の宗教を名乗る外道な団体が、こういう方策を悪用しているに過ぎない。

共産主義においては、秘密警察のような機構が発生するのは、むしろ必然だと思う。私有財産の否定、生産手段の共有という基本方針は、強制力をもつ国家権力がなければ達成できない。ひとりでも「オレそんなの嫌だ」と蓄財に走る者がいたら、それは国の方針に背くわけだから、処罰を加えなければならない。もともと共産主義は人工的に作られた政治形態なのだから、その実践にはある程度の歪みが生じて当たり前だ。当然、それを是正する何らかの強制力が必要になる。

しかし自由主義、資本主義において秘密警察が発生するのはどういうことか。政治思想を 強制する時点で、それはもう自由主義ではない。自由主義の名の下に、仮想敵国を排除するための政治思想を蔓延させようとしている。

完璧な共産主義が達成不可能であることは、ある程度、歴史がこれまで十分に示してきたと思う。そもそも目指す理念が美しすぎる。人の本質を完全に無視している。

しかし、完璧な自由主義というのもまた、達成不可能なものなのだろう。本当に無制限の自由であれば、既存の政治形態を、立法府の定めた法律も含めて、覆す自由がある。クーデターの自由だって有りだ。

しかし、現存の「自由主義」というのは、既存の政治形態の外側までをも含めた「自由」というわけではない。反政府運動に加担すれば公安にマークされる。「自由」とは銘打っていても、ひとつの体制であることに変わりはない。国がその方針を採用している以上、それを覆そうとする動きは封じる必要があるのだろう。


世界史を勉強して、各国に発生した秘密警察の所行を知るだけでは、何も学んでいないに等しい。「特別高等警察」「GPU」「ゲシュタポ」などという用語を暗記することが「歴史の勉強」なのではない。

大事なのは、なぜそういう強制権力が国や地域を越えて普遍的に発生したのか、その背後にある原理は何なのか、を考えることだ。それを考えたこともない、考えようともしない世代ばかりになると、人間は必ずや同じ過ちをくり返すことになる。


それでも、世界史を学ぶことは不要だと言い切るか。



国を滅ぼしたいのだとしか思えない。

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よっこいしょっと

23年

1983年

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2006年

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当時は秋葉原駅前にバスケのコートがありましたな
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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