箱根に行ってきました。
温泉に入ってのんびりしたり、うまいものたべたり、水墨画のような山並みを鑑賞したり、実にいい遠足でした。もちろん彼女といっしょにドライブの旅であります。
箱根といえば、広重の『東海道五十三次』がすぐ思い浮かぶ。桂林並みに聳え立つ山々が人の行く手を阻む様が描かれている。江戸時代には関東と関西を結ぶ要地として関所が設置された。江戸から逃亡した犯罪人は箱根の山を越すことができず、関所でことごとく捕まったという。
箱根の関所は標高725M。標高そのものは大した高さではない。しかし、箱根は山とはいっても海のすぐ近くにある。おとなりの小田原市は港町だ。海抜ゼロから一気に725Mも上がるのだから、これはしんどい。広重の誇張された山の造形は、てくてく歩いてこの山を越さなければならなかった旅人の気持ちを反映したものだろう。
今は車で国道を楽に上がれるからいい。毎年正月には大学生が駅伝で駆け上がる。しかし昔は道なき道を、重い荷物をもちながら一歩一歩徒歩で登った。そう思うと箱根はやはり難所だったと思う。
『箱根八里』という歌がある。
僕が小学校の頃には音楽で習った。
箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず
万丈の山 千仞の谷 前に聳え後に支う
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼猶闇き杉の並木 羊腸の小径は苔滑か
一夫関に当るや万夫も開くなし
天下に旅する剛毅の武士 大刀腰に足駄がけ
八里の岩ね踏み鳴らす 斯くこそありしか往時の武士
時代錯誤も甚だしい曲だが、往年の旅人にとって箱根がいかに難所であったかがよく伝わってくる。
小学生の頃には歌詞のわけも分からず歌っていたが、いまこうして見ているとなかなか重厚でいい歌詞だ。こういう文語体の文章を、とりあえず耳と口で覚えてしまう、というのは必要な体験だと思う。
今の文科省は文語の歌詞をことごとく平易にすることに躍起になっている。「春の小川はさらさら流る」が「さらさらいくよ」に書き換えられるなど、「子供に分かりやすいように」を目指しすぎる。科学教育の姿勢を、何の一考もなく無節操に情緒や情操教育にまであてはめる過ちを犯してる気がしてならない。たとえば『箱根八里』だって、口語体の歌詞にしたら箱根の厳しさが伝わらない。
はこねのやまは きびしいな
どことくらべても けわしいぞ
たかーいやま ひくーいたに
まえにそびえ うしろにおちる
余裕で越えられそうだ。
さて僕ももう小学生ではなく、歌詞の意味を人に説明できなければならないくらいの年齢になっている。しかし、歌詞の中にはよく分からない語彙がある。
たとえば「前に聳え後に支う」の「しりえにさそう」ってのは何だ。
調べてみたら、「さそう」は、表記でも読みでもない。正しくは「ささふ」と書いて「さそお」と発音するらしい。文語で書かれたオリジナルの歌詞を見てみたら「しりへにささふ」となっていた。ところが現在では岩波文庫の『日本唱歌集』でさえ「しりえにさそう」とルビをふっている。
こういう例は『箱根八里』だけでなく、歴史的仮名遣いを勝手に現代口語で書き換えた歌では随所に見られる弊害だ。たとえば岩波同書の『螢の光』二番には「さきくとばかり うたうなり」などと出ている。これは「うとおなり」と発するのが正しい。
今でこそ日本語のひらがな、カタカナは発音表記と思っている人が多いだろうが、もともと歴史的仮名遣いは発音記号ではなく、表語のためのかなづかいだ。ところが「子供に歌えるように平易なことばで」などと勝手に口語に書き換えた結果、もとの意味さえもわからなくなっている。
この「後に支ふ」の「ささふ」とは一体何ぞや。少なくとも現代に広く使われているボキャブラリーではない。この言葉を調べてみようとして一生懸命「さそう、さそう・・・」と調べたら、100年経っても出てこない。
この語彙について金田一春彦が『学研国語大辞典』の巻頭で触れている。
しかし、一つ一つの文学作品の用例を検討していりうと、一つの作品にだけしか用例が見つからないものがたくさんあった。・・・また、国文学者鳥居忱の著名な唱歌『箱根八里』の「万丈の山千仞の谷 前に聳え後に支う」とある、その「さそう」は前後の文脈から「きり立つ」と解されるが、残念ながら他に用例を知らないので「ささえる」の語に「きり立つ」という意味は注記しなかった
国語学者が語彙を知らなくてどうする。「さそう」とばかり発音して、もとの仮名遣いでの表記をないがしろにするから、こんな頓珍漢なことを言い出すことになる。「支ふ」を口語音の「さそう」としか覚えていないと、辞書で意味を調べることすらできない。
「支ふ(ささふ)」は下二段活用の動詞で、「防いで持ちこたえる、通行の邪魔をする」という意味がある。別に僕が特殊な古語辞典を持っているわけではなく、高校生のときから使ってる市販の辞書(三省堂『例解古語辞典』)に用例までちゃんと載ってる。『平家物語』の木曽の最期のくだりでは「土肥次郎実平、二千余騎で敵を支へたり」とある。別に敵を支持したわけではない。「敵の突進をひとりで食い止めた」の意だ。『箱根八里』では「前には高い山が行くてを阻み、後ろには深い谷が妨げる」、それだけの意味だ。
なお、その金田一春彦本人が監修した『日本の唱歌』(講談社文庫)は、このようなひどい表記にあふれている。『螢の光』二番を、なんと「うとうなり」などと記してある。これは表記の『歌ふ(うたふ)』、発音の「うとお」、現代語翻案の「うたう」、どれとも違う謎の表記だ。「うとう」などという日本語の動詞はない。
昔から旅の難所だった箱根の風情を今に伝えるには、当時の言葉を知ってなくてはならない。旅の風情だけでなく、歌が唄う昔の情緒は、昔の言葉による歌詞が似つかわしい。それを勝手に現代語に書き換えた挙句、もとの意味がわからなくなり、調べようがなくなるなど言語道断だ。なんでも子供の目線にまで下げ、現代仮名遣いに直そうとするのは、連綿と受け継がれた文化を破壊することに他ならないのであるまいか。