たくろふのつぶやき

秋はやきいも ほくほくしてうまし。

2006年06月

雨傘

雨傘の非効率さは異常



相合い傘にすればいいんじゃね?

いいよもう

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横浜の中華街で売ってました

思考の価値はどこにあるのか

ワールドカップつながりということでいま僕のなかでドイツものが流行っています。
この記事もソーセージをつまんでビール飲みながら書いてます 料理 ジョッキ 笑い


親が幼稚園くらいの子供の運動会を見に行ったとする。親であれば、何十人もいる園児のなかから、自分の子供を見分けることができるだろう。なぜ見分けることができるのだろうか。

ワレワレが猫をみて「あ、ネコだ」と分かるのは、いままでの経験で「ネコ」なるものの形態を記憶しているからだ。それと同じで、親が自分の子供を見分けられるのは、脳に記憶されている経験によって、対象を他のものと区別できるからだ。

つまりワレワレは、経験を通してものを見ている。なにかを見て、それが何であるかが分かるのは、経験に拠る。だから、いままで見たことがないものを目にすると、それが何であるかが分からない。

ところで、ワレワレはよく「見間違い」をする。公園で遊んでいるのが自分の子供だと思って「○○○ちゃーん」と声をかけると、実は赤の他人だった、ということがある。

見間違いをする前の段階では、親は「経験」のフィルターを通して対象を見ている。ところが、見間違いかもしれないと思い「あら、違ったかしら」とまじまじと見るときには、一体どういう認識の仕方をしているのだろう。

人間はたしかに経験を通して対象を認識するが、それだけではない。経験というものは個別的なもので、ヒトによって異なる。お互いに経験を共有してないヒト同士でも、同じものを同じ対象として認識できる。ヒトの知覚から「経験」を取り払ったものが、ヒトの「純粋な認識能力」の正体だ。

では、その「経験」を取り払った「ヒトの純粋な認識能力」というモンは、どういうなものなのか。経験に依存しない、ヒトの五感を通して感知できる対象は、どのように識別されているのか。

ここで、モノの純粋な知覚は「時間」と「空間」の特徴を合わせたもの、と考えよう。モノが存在する場所として「空間」があり、モノが動き移り変わる軸として「時間」がある。

子供を見間違えたお母さんが「あら、ウチの子じゃないわ」と分かるのは、子供の造形や大きさ、身の振る舞いの特徴などを、「純粋な認識能力」によって知覚するからだ。顔かたちや大きさは「空間的特徴」で、身の振る舞いは時間経過によって認識される「時間的特徴」にあたる。

バッハのフーガは美しい音楽だが、我々は音楽を構成している一音一音を独立して「美しい」と思っているのではない。時間の流れのなかで音のつながりが認識され、前の音を記憶することで、音楽を「流れ」として時間的に頭のなかで構成している。空間や時間はそれ自体を直接認識できるものではなく、対象を通してそれを感じることができる間接的なものだ。

古い彫刻や歴史的建造物を見たときに言いようのない迫力を感じるのは、対象を「その空間を占めているモノ」とだけ見ているのではなく、「今につながる時間を占めてきたモノ」としても捉えているからだ。我々は、空間と時間を座標軸として、その両者の組み合わせで対象を認識する。だから、おなじ大きさのモノを比べて認識のあり方が違うのは、両者の時間的な特質が違うからだ。

つまり、人間の「経験」を排してモノを見ると、対象は「時間」と「空間」という形式のみで認識される。これが、人間の純粋な認識の正体になる。この認識のしかたを「感性」という。

感性によって得られた認識は、ただの「時間軸と空間軸で構成される情報」に過ぎないが、これが人間の認識のすべてではない。人間にはさらに、これらの情報を理解し、判断し、整理する能力がある。この、脳で行われる、論理に沿った体系的な情報処理のシステムを「悟性」という。

大雑把に言うと、「感性」とは外界知覚のシステムで、「悟性」は脳内整理のシステム、ということになる。悟性にはさまざまな演算システムがあり、それぞれのカテゴリーで情報の区分を一瞬のうちに計算する。このようにして人間は脳のなかで外界の情報を整理している。


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イマヌエル・カント (1724-1804)の『純粋理性批判』(1781)の内容を端的に言うと、こんなところだと思う。人間の認識を「経験によるもの」と「もっと純粋なもの」に分け、純粋なものの正体として時間と空間に注目した。さらにその情報を整理するプロセスとして「悟性」という判断力を仮定している。

「空間とは何か」「時間とは何か」という形而上の問いは、哲学史上、延々と論じられてきたテーマだ。そのテーマの思想史を辿ると、人間の存在とは関係ない、時間や空間それ自体の正体を探ろうとする自然科学的(あるいは神学的)な姿勢が垣間見える。

ところが、カントはそれらのアプローチをすべて破棄し、時間と空間を「人間が対象を認識するときの、軸となるもの」という見方をした。時間と空間はそれ自体の正体を持たない。人間の認識のしかたを説明するときに「そういう説明装置を仮定するとうまくいく」というものでしかない。

哲学は、答えに価値があるのではない。そもそもどういう問いを立てているのか、その問いに答えるために、どのような方法を採っているのか、に価値がある。

カントの著作に一貫しているのは「人間とは何か」という大きな問いだ。その第一段階として、『純粋理性批判』では「ヒトはどのように世界を認識しているのか」「ヒトは何を知ることができるのか」を考えている。

あたりまえのことだが、問いの内容が分かってなければ、いくら解答を見てもチンプンカンプンだ。カントの著作を読むのに苦労するとしたら、そもそもカントがどういう問題を提起しているのかが分かってないからだと思う。

カントが時間と空間に関する一考察をものしたことくらい、教養課程を経た程度の大学生でも知っている。しかし、カントの問いはそもそも「時間とは何か、空間とは何か」にあったのではない。あくまでも人間の性質を突き詰めた挙句、その説明装置として時間と空間に注目しただけだ。問いが何であるかで、結論のあり方は大きく違ってくる。その基本的な出発点を勘違いしたら、いくら読んでも分かるはずがない。


ある大きな問いに答えるときには、どこからその問題を攻めるのか、うまい切り口を見つけることが大切だ。センスのある人ほど、本質に肉薄できる切り口を見つけるのが上手い。

カントに至るまでの哲学で、時間と空間について論じた書物は数限りない。僕もそのいくつかを読んだが、正鵠を射ているものとは思えなかった。20世紀になってアインシュタインの相対性理論によって両者の関係が形式的に示されるまで、時間論と空間論は、いってみれば水掛け論の様相を呈していた。

その中で、現在に至ってもその価値を失ってないのは、カントの『純粋理性批判』くらいのものだろうと思う。答えが合っているか間違っているかが問題なのではない。その問題に取り組む方法論に価値がある。

相対性理論に基づいてカントの時間・空間論を答え合わせすると、ぜんぜん合っていない。むしろ「答えまで達していない」と言った方がいい。

しかし、そのことは、時間と空間の正体に関するカントの仕事を貶めるものではない。カントは、思弁によって世の中を把握しようとする哲学の試みのなかで、正面から「時間と空間」という訳のわからないものに取り組んだのではない。時間と空間を「人間とは何か」を考える際の手段として位置づけた。

つまりカントにとって時間・空間論は、目的ではなく、手段だった。人間というものを考える際の切り口だったに過ぎない。そして、そのアプローチによって他の哲学者が辿り着かなかった知見にまで辿り着いている。

こういう発想の転換は、ワレワレが日常でものごとを考えるときに非常に大切な姿勢だと思う。思考というものは「既存のアルゴリズムに乗っければ自動的に問題が解ける」というものではない。どのように問題に取り組み、どのように考えるか、その方法論の確立はそれ自体に価値がある。結果として出てくる答えが合っているか間違っているかは、また別の問題だ。

高校生くらいのときには、問題に対する唯一の価値は、答えの適否だと思っていた。答えが合っているか間違っているか、が絶対の尺度だった。

しかし、世の中に満ちあふれている問題の中には、そもそも答えなどないものがある。むしろそういう問いのほうが多い。「人間とは何か」という問いだって、絶対無謬の正解があるわけではない。そういう問題の取り組むときに、先人はどういう方法をとってきたのか。それさえ理解できれば、自分が思考するときに自分なりの方法論を編み出すことができる。

答えを出すことだけが大切なのではない。答えを出す方法を自分で思いつくほうが、もっと大事だ。カントをはじめとするドイツ観念論哲学を読みあさると、そういう方法論に満ちあふれている。思考の宝箱と言って良い。

大雑把に言うと、カントは『純粋理性批判』で「人は何を知ることができるのか」、『実践理性批判』で「人は何をするべきなのか」、『判断力批判』で「人は何を望むことができるのか」を、それぞれ論じている。それらすべては「人間とは何か」という大きな問いの各部分を構成している。ひと夏ですべて読破できる量と質ではないが、この夏の自由研究として、ドイツ観念論哲学に親しんでみようと思ってる。


折しもワールドカップでドイツ文化の紹介が華々しいが、こういうドイツが誇る「知の遺産」が語られることは、まずない。ソーセージもビールもロマンチック街道も結構だが、ドイツ文化の本当の価値は、誰も見向きもしない知的興奮にあると思うのだが。


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バカどもにはいい目くらましだ




まともに読むと一生かけても読み切れないんだろうなぁ

返り討ち

恐喝未遂:高校生を恐喝、逆に囲まれ110番 富士署が23歳派遣社員を逮捕 /静岡


富士署は23日、高校生から金を脅し取ろうとして逆に高校生ら数人に囲まれ、自ら通報して助けを求めた富士市松岡の派遣社員、佐野寛高容疑者(23)を恐喝未遂の容疑で逮捕した。

 調べでは佐野容疑者は今月10日午後7時半ごろ、同市内のショッピングセンターで、同市内の男子高校生(16)から友人と間違って声をかけられ、「金を払うか、殴られたいのか。2万円持って来い」と生徒を脅した疑い。佐野容疑者は生徒を22日午後11時半にJR富士根駅に呼び出したが、生徒と一緒に来た友人4人に取り囲まれ、自ら110番通報して助けを求めた。「囲まれて恐くなった」などと話しているという。




バカ。

口が軽すぎる

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川淵、アノ失言は演技だった!? 責任問題回避



史上最大の失言は、大演技? ポスト・ジーコを巡り、日本サッカー協会・川淵三郎キャプテン(69)の失言で明らかになったJ1・千葉のイビチャ・オシム監督(65)への契約交渉があす、26日からスタートする。この川淵発言は欧州のサッカー界でも、騒動に発展。オシム監督を口説き落とせるか、再び欧州入りする交渉人・田嶋幸三技術委員長の腕の見せ所でもある。

田嶋技術委員長が日本時間26日、渡欧した。オーストリアの自宅でオフを過ごす、オシム監督との代表監督の就任交渉が目的だ。田嶋委員長は、日本サッカー協会の全権特使に。

一方、ジーコ監督の後任問題で最も気をつかっているのは、当たり前だが、川淵キャプテンだ。ドイツW杯開幕の2カ月前、ジーコ監督へ「再契約をするつもりはない」と申し入れた後、「これまでに起きた日本代表監督の契約問題のように、ゴタゴタはご免。だから情報漏洩(ろうえい)阻止を徹底する」と、何度も明言した。

今回、オシム監督との交渉についても千葉のフロント、田嶋委員長、川淵キャプテンと、ごく少数しか知らない日本協会のトップシークレット。 加えて、川淵キャプテンは帰国直前の担当記者との懇親会で、「次期代表監督の取材は無駄なこと。その問題は、顔と社名が一致しない人たちの前では、決して発表しない」と断言し、ドイツを後にしながら帰国会見で、「オシム…。あっ、言っちゃった」である。

それが1次リーグ惨敗の批判を回避するものかは、定かではないが、幼少のころから、演技力を培われていたことだけは確かだ。というのも、川淵キャプテンが小学4年のとき、児童文化研究家・吉岡たすく氏が赴任してきた。これがきっかけで、川淵少年は「演劇部」に入っている。

「演技の腕は小学生のころに磨いたから…」という本人の弁もある。

一見、常に本音を話しているように感じるが、それが存分に発揮されたのは、今回の監督人事。

「代表監督は、はじめから1人に絞っていた」という発言からスタートする。これは明らかに違う。オシム監督へは、04年4月に発生したジーコの解任騒動時にも日本協会が接触していた。

この時の川淵キャプテン、「オシム? あと10歳若かったら、今すぐにでもオファーを出す」と話している。この時は、所属する千葉との契約問題で「チームと代表を兼任させてほしい」というオシム監督のリクエストを日本協会が「ノー」の返答をしたことで、交渉は打ち切られた。

今回のポスト・ジーコ問題は、ドイツもしくはフランス路線で検討。ドイツでは元浦和のオジェック氏を監督、そしてフランスでは、98年W杯優勝監督のエメ・ジャケ氏をGM職招聘(しょうへい)に全力を注いだが結局、今になっても返事はもらえなかった。そこで、時間切れを焦った日本協会側が『最後の保険』だったオシム監督との再接触を図っていたというのが、真相なのだ。

ジーコジャパンの惨敗で川淵体制への批判はくすぶっていた。協会内部でも「早々に代表監督を発表した方がいい」という意見も。7月25日に行われる予定の日本協会評議委員会で「賛同が得られれば続投する」と川淵キャプテンは明言しているが、思わず出た「オシム」というひとことで、ジーコジャパンへの責任問題は完全に霧散してしまった。



もし批判回避のための芝居だったなら小賢しいにも程がある。
もし本当にうっかり漏らしたのであればサッカー協会トップの資格なし。


自分の一言がどれほどジェフに迷惑をかけたのか分かってるのだろうか。日本代表のためならJリーグなど踏みにじっても構わないと思ってるとしか見えない。

どっちにしても、こんなのがトップだから日本代表はあのザマだったと思う。



ジェフが怒るのは当たり前だ
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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