たくろふのつぶやき

お鍋には熱燗をつけてくれたまへ。

2005年09月

中学生のときに、2次方程式の解の公式を習った。


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中学校の数学では、2次方程式の問題は8割が因数分解を使う。必死で因数分解のやり方を覚えたあと、突如として万能薬のごとく、すべての2次方程式を一瞬で解ける解の公式を教わり、「それはないぜ」と思ったものだ。

冷静に考えてみると、世の中に存在可能なすべての2次方程式のうち、因数分解できるものなどほんの一握りにすぎない。中学校で因数分解を中心にした解法で扱っているのは、世の中の全事象のなかで考えると、例外的な事例と言って良い。数学を世の中の真理を理解する方法と捉えると、真実に肉薄できる本質的な解法は、実は因数分解ではなく解の公式のほうだ。

のちに、2次方程式の解の公式は実は暗記する必要などなく、平方完成をすることで間接的に求められることを知った。中学レベルの数学など、本当の数学の全世界からすると箱庭のなかのおもちゃ箱のようなほんの些細なものだろうが、僕は2次方程式の解の公式を習ったときに数学の深遠さをちらっと垣間みたような気がしたものだ。

ところで、3次方程式にも4次方程式にも解の公式はある。
3次方程式についてはカルダノの公式があり、4次方程式についてはオイラーやフェラリが解法を与えている。いずれも、多次方程式の一般解を求める代数方程式の目標に沿った研究成果だ。すべての3次方程式、4次方程式をあまねく解ける万能の公式なぞ発見したら、さぞや気分がよろしかろう。


ところが、5次以上の代数方程式には、解の公式が存在しない。


5次以上の方程式の解法については、代数学の分野で積年の課題になっていた。
ところが世界中の最高峰の数学者達がどうしても解けなかったこの問題が、ノルウェーの片田舎に住む、当時わずか21歳だった青年によってあっさり解決された。


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ニールス・ヘンリック・アーベル (Niels Henrik Abel, 1802-1829)。
「薄幸の天才」というのは、彼のような者のことを言うのだと思う。

ルーテル派の牧師の家に生まれ、生活は極度に貧しかった。クリスティアニア大学(現オスロ大学)で数学を学び、1823年末に「5次以上の一般代数方程式が、係数から出発して四則演算とべき根をとる演算だけで解を求めることができない」という証明に成功した。このアーベルの功績により、代数方程式の解の公式を模索する諸研究はすべて終止符が打たれることになる。

この証明から27歳で死ぬまでの5年間に、アーベルは通常の数学者が人生を5, 6回やり直せても追いつかないほどの業績を積み重ねる。5次以上の方程式に解の公式が存在しないのは、全ての累乗 n で解公式を得ようとすると何らかの超越的関数が必要になるからだ。アーベルはこれを示すのに楕円関数に目をつけた。ガウスのほんの数語をヒントに楕円積分の逆関数として楕円関数を導入し、楕円関数論を自力で開拓したと言われている。

また、後にアーベル方程式が代数的に解けることの画期的な証明にも成功したが、これはアーベルにとっては楕円関数論の副産物にすぎなかったらしい。その他、アーベルは可換群についての研究、無限級数の収束、多様体、幾何学など、多様にわたる研究を残した。まさしく天才と言っていい。

これだけの才能がありながら、数学界でのアーベルは悲運の連続だった。
彼は一般的な5次方程式を解くことが不可能であることを証明した「世紀の論文」をガウスに送った。しかしガウスは「n次方程式は解を持つ」 という定理を発表していたため、アーベルの論文の題名を見ただけで一顧の注意も払わなかったという。また一説には、極度に貧しかったアーベルは自費出版の印刷代を節約するため論文を短縮したので、説明が十分でなく、ガウスには内容が理解できなかったとも言われている。

さらにアーベルは解析学の金字塔とも言える重要論文を、フランスのパリ科学学士院に提出した。これを受け取った論文の審査員コーシーは、なんと論文を紛失するという大失態を犯す。

このコーシーという数学者は当時のフランス数学界の最高峰だった。極端に多産な数学者で、科学アカデミーの会合に毎週出席し、そのたびに新論文を発表する有様だ。数学者として有能であった反面、偏屈な性格で、科学アカデミーでは人脈的に孤立していた。また相当な無責任で、若者の独創性を認めない偏狭なところがあったらしい。彼の被害にあったのはアーベルだけではなく、ガロアの最重要論文「循環連分数に関する一定理の証明」もコーシーは紛失している。現在ではコーシーは彼自身の業績よりも「アーベルとガロアを潰した数学者」として名を残している。両者とも彼の無責任さが夭逝の原因となっただけにコーシーの責任は重大だ。二人の天才を若くして死なせただけでなく、彼のせいで数学の研究が半世紀遅れた面がある。



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こいつがコーシーです。




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こいつがコーシーです。






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こいつがコーシーです。






現在の学会であれば、投稿論文をジャッジする側が紛失するということは、まぁないだろう。かりそめにもそういう世界に身を置く立場として、寒気がする。僕ごとき大学院生が学会に投稿することなど年に2, 3回で、その内容たるや世紀の論文どころか、つまらないものばかりだ。そんな論文でも現在では学会はちゃんと扱ってくれ、コメントをつけてしっかり返してくれる。僕が生まれたのが安心して研究成果を発表できる世の中であってくれて、本当にほっとする。

生まれた時代の不運というものがある。アーベルの生まれた時代はまだ科学研究のための諸体制が十分に整っておらず、体系的で包括的な研究が萌芽した段階に過ぎなかったのだろう。数学は他の自然科学に比べて歴史が桁外れに古いが、人と人とがネットワークを形成して科学研究を行う環境としては、まだ黎明期だった。そういう世の中では、ほんの一握りの天才が一気に研究を進めることが往々にしてあったのだろう。もしかしたらアーベルのような、才能をもったまま、時代の水面に浮かぶ前に沈んで消えていった市井の天才というのが、他にも大勢いたのではないか。

唯一、アーベルが幸運だったのは、ライバルに恵まれたことだ。楕円関数論についてアーベルと激論を交わしたヤコビは、アーベルの一連の論文を読み、「私には批判することさえ及ばない大論文」と激賞し、アーベルの研究成果を広く知らしめた。現在に残るアーベルの業績は、ヤコビに負うところが大きいと思う。それをきっかけにガウスは最初却下したアーベルの論文を読み直し、深い慚愧の念に駆られたという。アーベルが死ぬわずか1年前のことだった。

研究活動というのは、才能だけでは成り立たない。才能を磨く環境、優れた指導者、同じ分野を志す同僚、実力を認め合うライバル、そういった所々の要素が混ざり合い、研究者の能力が開花する。22歳から27歳までの5年間というのは、現在ではちょうど大学院博士課程の在学期間に相当する。そんな若い時期に、ほぼ自力で数学の未知の分野を切り開いた能力は半端ではない。研究環境と研究能力の相関関係を思うたびに、悲運のまま死んで行ったアーベルのことが頭をよぎる。

2001年、ノルウェー政府は、顕著な業績をあげた数学者に対して贈る「アーベル賞」を創設した。4年に一度で受賞年齢対象が40歳以下のフィールズ賞と違い、毎年実施され、年齢制限はない。受賞金額は約100万円のフィールズ賞のなんと100倍、1億円が贈られる。ノーベル賞に匹敵する、数学界最高の賞になる。不遇のまま人生を閉じたアーベルの名を冠する賞として、多くの数学者にチャンスを与える賞であってほしい。


おまけ。
数学の研究史を紐解くと、全く関係のない独立した分野で楕円曲線や楕円関数がキーとなっている例が多く出てくる気がする。最近では、アンドリュー・ワイルズ教授による「フェルマーの最終定理」の証明方法で楕円曲線論が鍵となっていた例がある。僕は数学に疎いが、どうも楕円関数というのは、所々の独立した分野を紡ぐ横糸のような役割を果たす分野なのではあるまいか。言語学で意味論におけるNPIのライセンス条件の研究になんか似てる気がする。



僕は研究環境には恵まれてるんですがいかんせん能力の方が

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子供用の檻を売るサイト



僕の予想では削除まで1ー2週間だと思いますがいかがでしょう。
勘違い野郎共をいたずらに刺激するだけではないかと。


ちなみにティーンエイジャー用の檻もあるそうです。


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いまはおかしい親も多いんだからさぁ

翻訳コンニャクうう


いつも巡回させていただいてるブロガー破戒僧の黒骨和尚
今回はWebの中国語→日本語の翻訳機能で般若心経を和訳しようしてるみたいです。


僕には和尚を止める権利もなければ意欲もないのだ。



先日 ヤフーのツールバーを入れたんですけど よくみると 翻訳機もついているじゃあないですか。
中→日
の翻訳も出来るみたいなんですよ。

いやー 嬉しかったですねえ。これさえあれば 原文をぶち込みさえすれば すぐに和訳を知ることができます。
黒骨は以前から 般若心経に興味があったんですが うちの宗派ではお勤めしないもので 何が書いてあるのか興味があったんです。
もう どらえもんの出現を待ちわびる必要はないようです。

出でよ日本語訳!! 

般若心経

観自在菩薩  
行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空  
度一切苦厄 舎利子 色不異空  
空不異色 色即是空 空即是色
受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空想
不生不滅 不垢不浄
不増不減 是故空中無色
無受想行識 無限耳鼻舌身意
無色声香味触法 無限界乃至無意識界
無無明 亦無無明尽 乃至無老死
亦無老死尽 無苦集滅道
無知亦無得 以無所得故
菩提薩垂 依般若波羅蜜多
故心無圭礙 無圭礙故無有恐怖
遠離一切転倒夢想
究境涅槃 三世諸仏
依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提
故知 般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪
是無等等呪 能除一切苦
真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰 羯帝羯帝波羅羯帝
波羅僧羯帝 菩提 僧莎訶
般若心経

この訳がこちら↓

般若の心は経る  
のんびりした菩薩を見る
行深般若波羅蜜の時
見の5に向かってみんなを含んで空いている
回一切の苦しい困難
舎利の子
色は異ならなく空ける
異ならない色を空ける  
色は即ち空けることです
空は即ち色です
行が知ることを考えることを受ける
亦復如はそうです
舎利の子
諸法が空想することです
不滅を起こさない
垢は裸でなくない
減らないことを増えない
故空中であり無色です
無は行が知ることを考えることを受ける
りのない耳鼻の舌の体の意
無色で薫った触の法を言う
無限界のないしは無意識の境
無の無の明
また無の無の明は果てる
ないしは無は老いて死ぬ
また無は老いてすべてで死ぬ
無痛苦集は通りを滅ぼす
知識のない亦の無はできあがる
無所得によってしたがって
菩提の薩垂
般若波羅蜜に従う
故心の無の圭は妨げる
無の圭は故無があり恐怖を妨げる
一切が回って寧ろ念願することを遠く離れる
究の境は槃を黒く染める
三世の諸仏陀
したがって従う般若波羅蜜
得る阿除草具の多い羅三の藐の3の菩提
したがって知る
般若波羅蜜
巫女が呪うことです
はっきりしていて呪うことです
無上であり呪うことです
無などが呪うことです
一切が痛苦を除くことができる
真実でない虚
したがって般若波羅蜜が呪うと話す
即ち言うことを呪うことを話す
羯の帝の羯の帝パイナップルの羯の帝
パイナップルの僧の羯の帝
菩提
僧の莎の訶
般若の心は経る

へえー こういう意味だったんだ・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・
・・

って ふざけんな!!!! むちゃくちゃじゃねえか!

このやろう!!バカな破戒僧相手だからって なめんなよ!
いくらなんでも これはねえだろう!おれだってわかるぞ!



いつか話の流れで「般若心経って知ってる?」っていう話題になったら「ああ知ってる巫女さんがどうとかパイナップルがどうとかって奴でしょ」と言ってみよう



相変わらずクオリティ高ぇ

「大きなお友達」とは何のことか


いわゆる 「おたく」 の事です。 子供向けイベント等で司会者がちびっ子のお客さんに対し、「お友達」 と呼んだりしますが、ちびっ子ではなく大人のお客に対してそう呼び始めたのが最初です

大人になって着ぐるみヒーローショーを見に行っている熱狂的なファン。
仮面ライダーやセーラームーン、ポケモンなどの着ぐるみショーに魅了される。
中には一眼レフのカメラを持つ気合いの入ったファンもいる。
そう言う彼らのことを「大きなお友達」という。




無性に使ってみてぇ



アメリカにいると使う機会が無ぇ

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