アムステルダムに早朝に到着したたくろふ。
予定ではトラムにのっていろんなところを見て回る予定だったんですが、トラムで移動すると早過ぎてまだどこも開いてなさそうだったので、のんびり歩いて移動することにしました。アムステルダムでは、主な観光名所は余裕で歩いて移動できます。
えー、最初にむかうのは、アムステルダム中央駅から西に20分くらい歩いた運河沿い。Anne Frank Huis(アンネ・フランクの家)です。
ユダヤ人であるアンネがナチス・ドイツのユダヤ人狩りを逃れて、二年間ものあいだ隠れ住んでいた家です。現在はアンネ・フランク財団の管理化にあり、戦争の残酷さを訴えて止みません。人類の負の遺産ですね。『アンネの日記』に詳細に記された、息をひそめた隠れ家での生活は、思春期の時代を戦争に潰されたたまらなさが感じられます。最後は密告によってナチスに検挙されたとか。
なんというか、当たり前ですが、狭いです。よくこんな狭いスペースにみんな隠れてたなぁ。その家にはもともと住んでいる家族がいまして、その一家の協力でフランク一家は隠れ家での生活をしていました。家にカモフラージュの本棚があって、その本棚をくぐると隠れ家のスペースに通じています。その隠し扉は、そのまま保存されていました。
アンネの部屋というのは、運河に面した窓際にあったんですね。朝8:30以降は、階下にある工場の従業員に気づかれてはいけないため忍び足、ひそひそ声の生活だったそうな。同じ窓から運河沿いの小道を眺めてみました。アンネもこうやって外を眺めて「自由に街を歩きたい」と思っていたんだろうな。
アンネの家を後にして、次に向かうはRijksmuseum(国立博物館)です。
運河をゴンドラで移動しようと思っていたんですが、まだ早くて運行してなかったんので、またしてもてくてく歩いて移動しました。途中にいる面白そうなお店にはちょくちょく乱入。
さすがヨーロッパを代表する美術館
堂々たる佇まい。
ここには中世、近世の絵画がゴロゴロころがっています。とくにレンブラントは入れ食い状態。僕は輪郭がはっきりして、陰影をつかって形状を浮き上がれさるようなレンブラントの絵はとっても好みです。さすが「光と影の画家」。
ここの美術館には、僕が小さい頃からの念願だった絵が所蔵されています。
レンブラントの”Nichtwacht(「夜警」)”
オランダが世界に誇る、国宝的作品です。
レンブラントの当時、いろいろな職業組合が、集合写真のような意味で、全員が描かれる絵画を画家に依頼していました。人が均等感覚にズラーっとならんでいる絵です。「夜警」もそのような集合写真作品のひとつ。アムステルダムの保安警備組合が夜廻りの警戒にあたるところを描いたものだそうです。
レンブラントはこの絵を描くにあたって、光と影をつかった陰影で人物を浮き上がらせるような手法を使いました。その結果、前列2人だけがやたらと目立ち、後列のその他大勢は引き立て役みたいになっちゃいました。その結果、「同じ依頼料を割り勘してるのに、なんたる不公平」と組合の怒りを買い、レンブラントの評判は一気に失墜。注文がさっぱり来なくなり、裕福な暮らしはうなぎ下り。おまけに奥さんまで亡くなり、悲惨な晩年になったそうな。描いた当時ではレンブラントの命取りになった作品が、現在ではもっとも評判が高く、レンブラントの最高傑作と謳われているところに人生の複雑さを感じらずにいられません。
この美術館には、世界の美術館に貸し出したらその一点だけで特別展がひらけそうな名画がいくつも、なんとも無造作に飾られています。柵もガラスケースも一切なし。何回も図鑑やブックレットで見た作品が、いま実物としてたくろふの目の前に。うそーんホンモノー。
という興奮を十分に味わった後、最後のコーナーにありました!
まるで壁画。超ド迫力。
時を越えて全く色褪せないもの凄さ。引き込まれて見ちゃいます。
いやー、すげーもん見せてもらった。
さて、「夜廻り」のあとは「ひまわり」です。
Rijksmuseumのおとなり、Van Gogh Museum(ゴッホ美術館)に行きます。
ここは名前の通り、ゴッホの生涯を丹念に追った美術館です。デッサンも含めて、ゴッホ本人の作品が集中的に納められています。常設展示もまぁまぁそれなり。やはり「ひまわり」と「ベッドルーム」が両雄、という気がします。
この美術館で気に入ったのは、教育機関としての役割を十分に意識して作られているところ。僕がいったときにも、修学旅行か校外学習らしき女子高生のような団体さんがゾロゾロと閲覧していました。僕としてはゴッホの絵よりもそっちのほうが気になる。
インターネットをつかった美術史の検索が自由にできて、課題学習をする小中高生がいっぱいいました。
美術館のあちこちには広いスペースがあって、小学生らしきグループが先生を中心に、さかんに作品についてディスカッションをしていました。
こういう環境が整っているところに、歴史に裏打ちされた文化的な姿勢というのが垣間見えますね。
予定ではトラムにのっていろんなところを見て回る予定だったんですが、トラムで移動すると早過ぎてまだどこも開いてなさそうだったので、のんびり歩いて移動することにしました。アムステルダムでは、主な観光名所は余裕で歩いて移動できます。
えー、最初にむかうのは、アムステルダム中央駅から西に20分くらい歩いた運河沿い。Anne Frank Huis(アンネ・フランクの家)です。
ユダヤ人であるアンネがナチス・ドイツのユダヤ人狩りを逃れて、二年間ものあいだ隠れ住んでいた家です。現在はアンネ・フランク財団の管理化にあり、戦争の残酷さを訴えて止みません。人類の負の遺産ですね。『アンネの日記』に詳細に記された、息をひそめた隠れ家での生活は、思春期の時代を戦争に潰されたたまらなさが感じられます。最後は密告によってナチスに検挙されたとか。
なんというか、当たり前ですが、狭いです。よくこんな狭いスペースにみんな隠れてたなぁ。その家にはもともと住んでいる家族がいまして、その一家の協力でフランク一家は隠れ家での生活をしていました。家にカモフラージュの本棚があって、その本棚をくぐると隠れ家のスペースに通じています。その隠し扉は、そのまま保存されていました。
アンネの部屋というのは、運河に面した窓際にあったんですね。朝8:30以降は、階下にある工場の従業員に気づかれてはいけないため忍び足、ひそひそ声の生活だったそうな。同じ窓から運河沿いの小道を眺めてみました。アンネもこうやって外を眺めて「自由に街を歩きたい」と思っていたんだろうな。
アンネの家を後にして、次に向かうはRijksmuseum(国立博物館)です。
運河をゴンドラで移動しようと思っていたんですが、まだ早くて運行してなかったんので、またしてもてくてく歩いて移動しました。途中にいる面白そうなお店にはちょくちょく乱入。
さすがヨーロッパを代表する美術館
堂々たる佇まい。
ここには中世、近世の絵画がゴロゴロころがっています。とくにレンブラントは入れ食い状態。僕は輪郭がはっきりして、陰影をつかって形状を浮き上がれさるようなレンブラントの絵はとっても好みです。さすが「光と影の画家」。
ここの美術館には、僕が小さい頃からの念願だった絵が所蔵されています。
レンブラントの”Nichtwacht(「夜警」)”
オランダが世界に誇る、国宝的作品です。
レンブラントの当時、いろいろな職業組合が、集合写真のような意味で、全員が描かれる絵画を画家に依頼していました。人が均等感覚にズラーっとならんでいる絵です。「夜警」もそのような集合写真作品のひとつ。アムステルダムの保安警備組合が夜廻りの警戒にあたるところを描いたものだそうです。
レンブラントはこの絵を描くにあたって、光と影をつかった陰影で人物を浮き上がらせるような手法を使いました。その結果、前列2人だけがやたらと目立ち、後列のその他大勢は引き立て役みたいになっちゃいました。その結果、「同じ依頼料を割り勘してるのに、なんたる不公平」と組合の怒りを買い、レンブラントの評判は一気に失墜。注文がさっぱり来なくなり、裕福な暮らしはうなぎ下り。おまけに奥さんまで亡くなり、悲惨な晩年になったそうな。描いた当時ではレンブラントの命取りになった作品が、現在ではもっとも評判が高く、レンブラントの最高傑作と謳われているところに人生の複雑さを感じらずにいられません。
この美術館には、世界の美術館に貸し出したらその一点だけで特別展がひらけそうな名画がいくつも、なんとも無造作に飾られています。柵もガラスケースも一切なし。何回も図鑑やブックレットで見た作品が、いま実物としてたくろふの目の前に。うそーんホンモノー。
という興奮を十分に味わった後、最後のコーナーにありました!
「夜警」キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ッ!!
うおー!
ホンモノだー!
でけー!
うおー!
ホンモノだー!
でけー!
まるで壁画。超ド迫力。
時を越えて全く色褪せないもの凄さ。引き込まれて見ちゃいます。
いやー、すげーもん見せてもらった。
さて、「夜廻り」のあとは「ひまわり」です。
Rijksmuseumのおとなり、Van Gogh Museum(ゴッホ美術館)に行きます。
ここは名前の通り、ゴッホの生涯を丹念に追った美術館です。デッサンも含めて、ゴッホ本人の作品が集中的に納められています。常設展示もまぁまぁそれなり。やはり「ひまわり」と「ベッドルーム」が両雄、という気がします。
この美術館で気に入ったのは、教育機関としての役割を十分に意識して作られているところ。僕がいったときにも、修学旅行か校外学習らしき女子高生のような団体さんがゾロゾロと閲覧していました。僕としてはゴッホの絵よりもそっちのほうが気になる。
インターネットをつかった美術史の検索が自由にできて、課題学習をする小中高生がいっぱいいました。
美術館のあちこちには広いスペースがあって、小学生らしきグループが先生を中心に、さかんに作品についてディスカッションをしていました。
こういう環境が整っているところに、歴史に裏打ちされた文化的な姿勢というのが垣間見えますね。