たくろふのつぶやき

春は揚げ物。

2004年07月

たったひとこと

映画『戦場にかける橋』(1957年・イギリス)を見た。

第二次世界大戦下のビルマ国境に近いタイのジャングルの中の日本軍捕虜収容所。所長の斉藤大佐はタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道完成のため、国境のクワイ河に橋を建設する命令を受ける。 捕虜の英軍仕官ニコルソン大佐は、斉藤大佐の橋建設の肉体労働を拒否した。将校の肉体労働はジュネーブ協定違反である。

日本人だけで橋の建設を進めはするものの一向にはかどらない。斉藤はクリスマスのプレゼントの名目でニコルソンに酒を振舞い、紳士的にニコルソンに協力を懇願した。

ニコルソンは考えた。たとえ捕虜の身でも、ここは日本軍に協力することになるが、英国軍の技術と団結で橋を完成させ、英国軍人の誇りを勝ち取りたい。ニコルソンの指揮は適切だった。日本人と捕虜が一体となり、橋の建設は進行していった。利敵行為の筈の捕虜たちの顔も労働に喜びさえ感じてきた。
ところが連合軍はこの橋の建設の情報をつかみ、橋の爆破を画策する。

橋が完成した。初めての列車通過の瞬間がやって来た。橋の下には連合軍による爆薬が仕掛けられていた。橋の上から不審を感じたニコルソンが河原へ降りた。斉藤も続く。橋に列車がさしかかった、その時、戦闘が始まり、斉藤がナイフで刺されて倒れた。爆撃を受けたニコルソンが意識を失って倒れたところにダイナマイトのスイッチがあった。橋は列車もろとも吹っ飛ぶ。

英国人の手で作られた橋が、同じ英国人の手によって爆破される。クワイ河のマーチ(ボギー大佐のマーチ)にのって進む物語は、戦争の無意味さを訴えて止まない。この作品は高く評価され、アカデミー作品賞、主演男優賞、監督賞、脚色賞、編集賞、撮影賞、作曲賞に輝いた。

この映画には捕虜収容所所長・斉藤大佐役で日本人が出演している。

早川雪洲。サイレンス時代からハリウッドで一線を張っていたスターだ。早川のハリウッドでの人気はものすごく、アメリカ人女性のなかには早川の追っかけをする親衛隊までいたそうだ。ある雨の夜、早川が高級車から降りると、道路に水たまりがあった。それを見るや女性ファンのひとりは着ていた毛皮のコートを脱ぎ、水たまりの上に敷き「さぁ、この上をどうぞ」と言った、という逸話がある。日本人なので欧米人に比べてどうしても背が低い。そのため早川がラブシーンなどで女性と向き合うシーンでは、背を高く見せるために踏み台を使った。現在でも、日本、アメリカ両国の映画業界では、この踏み台のことを「セッシュウ」と呼ぶそうだ。

そういう超人気スターの常として、女関係はかなり派手だったらしい。まぁ気持ちは分かるが。早川は女優の青木鶴子と結婚したが、よそでも子供をもうけるなどやりたい放題。毎晩、札ビラ切って豪遊の毎日。さぞ鶴子は精神的につらい日々を送っていた事だろう。


ごぉーん。


祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響き有り。人気はいつまでも続かない。配給会社との軋轢、サイレンスからトーキーへの推移など情勢は悪化し、早川雪洲の仕事はみるみる減っていった。日本に帰国し、細々と映画に出演する冴えない日々が続くようになる。

そんな折、映画『戦場にかける橋』の出演依頼が舞い込んだ。早川は送られてきた脚本をぱらぱらと読み、「くだらん」と断ろうとしたらしい。それに待ったをかけたのは妻の鶴子だった。彼女は脚本を読んだあと、早川に決断をせまる。


「この映画には、絶対に出なければなりません」


早川は鶴子に気圧され、出演することに決め撮影現場のスリランカに発った。時に早川雪洲、71歳。結局この作品で早川の演技は国際的にも高く評価され、受賞こそ逃したもののアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。

早川雪洲はハリウッド時代から幾多の映画に出演しているが、今日の映画史的な観点でみると、普遍の価値をもつのはこの「戦場にかける橋」のみと言っても過言ではない。人気を博し数多の女をはべらせた栄光時代の作品は泡と消え、俳優生活の晩年に出演した一本の作品が最高の評価を得た。

人間は、ひとりだけで自分の地位を築けるものではない。時代の栄誉を受け輝く人には、必ず影で支え、輝かせた者がいる。本人の実力がなくては評価を受けられないのは当然だが、実力を発揮し才能を開花させるには、その影に多くの人の支援が必ずある。

おそらく妻の鶴子の判断がなければ、俳優・早川雪洲は「こういう奴もいた」という程度で終わっていただろう。映画史から全く忘れらてしまったかもしれない。鶴子も女優だったが、出演本数や知名度から考え、早川のほうが稼げる仕事をしていただろう。しかし、早川が無視しかけた優れた作品の真の価値を、鶴子は見抜いた。今に残る「早川雪洲」の名は、この映画史的には無名の、人知れぬ妻の力に拠るところが大きい。

自分に適切なアドバイスを与えてくれる目上の立場の人だけではない。日常的に接する隣の人に、気持ちをちょっと切り替えるきっかけとなるわずかな機会を与えてもらうことは、以外に多いのではなかろうか。そのちょっとした切り替えが、ひょっとしたら人生の大転換になることがあるかもしれない。大げさな成功に結びつくものだけでなく、日常のなかで、自分が見落としがちな「周囲の力」というものは、思いのほか大きいものなのだろう。

日本語には「内助の功」という言葉がある。英語には訳せない。日本ではこういった、日常的にふれあう人の恩を、概念として切り取る言葉がある。内助の功は、恩を受けた本人がそれと悟らない限り、意味を成さない。

言葉として相手に伝えない気持ちや概念は、存在しないに等しい。ありふれた日常生活での人間関係にこそ、本当に感謝すべき恩がある。「内助の功」によって支えられている自分に気づかないのは論外だが、それに気づいたら、その気持ちもしっかりと言葉に包んで相手に渡すべきではないか。

早川雪洲の自伝を読むと、『戦場にかける橋』の出演決定は本人の判断ということになっている。この作品で得た名声を、本当に自分の実力だけによるものと思い込んだまま彼は死んでいったのかもしれない。女遊びにうつつを抜かし豪遊し放題だった彼の名が、顧みられることが少なかったであろう妻の力によって、今に残る。

鶴子の人生に不憫を感じるのであれば、何がありさえすれば彼女の人生は幸福だったと思えるだろうか。

受験者に詫び入れろ

公立高教員採用試験で妨害警報音、採点に配慮・宮城
(読売新聞)


ばかたれが。


イタズラとはそもそも他人の人生を左右するものであってはならんのだ。最近、清く正しいイタズラの仕方を知らん手合が増えて困る 怒り

xイコール

2a分のマイナスbプラスマイナスルートb2乗マイナス4ac



字で書くとなんか変だな。>「お前がな」とか言うな

夜景など眺めつつ

暑苦しい日が続いてますね。


えー、今日は珍しい経験をしました。
このBlogの読者の方とお会いして一緒に食事をして参りました。












妙齢のお嬢さま






















嘘。























じゃないです 笑顔

涙がとまらん

この物語は、ある学園の荒廃に闘いを挑んだ熱血教師たちの記録である。高校ラグビー界において全く無名の弱体チームが、荒廃の中から健全な精神を培い、わずか数年で全国優勝を成し遂げた奇跡を通じ、その原動力となった信頼と愛を、余すところなくドラマ化したものである。



「なんでだ!同じ高校生じゃないか!同じ年齢、同じ背丈、頭の中身だって大して変わらないだろう!それがなんで109点も差がつくんだ!お前らゼロか!ゼロなのか!」



「いいか、お前らの後ろにはイソップがついている。苦しいときにはイソップの顔を思い出せ。つらい練習に耐えているイソップの顔だ!」



「イソップ、あなたのジャージよ。一緒に持って行って」



「これは山崎が残してくれた練習日誌だ。ここのページからは、お前達がラグビー部の歴史を書き込んでいくんだ。いつかこの日誌に、『花園出場』の四文字を書き込むんだ!」






スクール・ウォーズ」DVD全9巻入手。






滝沢先生・・・ラグビーが、したいです・・・。

>混ざってる混ざってる
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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