たくろふのつぶやき

お出かけの時には保冷剤を持つのだ

2004年04月

信用できない感覚

こんな企画はいかがだろう。

1, 2, 3と、三つの扉がある。そのなかのひとつにはパジェロがあり、他の二つにはたわしが入っているとしよう。あなたが選べる扉は三つにひとつ。あなたは選んだ扉の中のものをもらえる。
うーん、と考えた結果、あなたが3の扉を選んだとしよう。そこで司会者が、「ほほう3を選びましたか。じゃあ、ハズレの扉をひとつ見せてあげましょう」と言って、1の扉を開けてみせる。そこには実際にたわしが置かれている。
そこで司会者、「えーでは、ここで変更の権利をあげましょう。あなたが最初に選んだ3の扉に固執してもいですし、2の扉に変更してもかまいません。どうしますか?ファイナルアンサー?」

あなたならどうするだろうか。

感覚では「変えても変えなくても、どっちでも確率は同じじゃないの」というもんだと思う。
これと全く同じ設定のテレビショーが実際にアメリカであった。司会のモンティ・ホールが全く同じ「変更の権利」つきの扉の選択をする企画だ。ほとんどの解答者は、ドアの選択を変えなかったという。選択を変えずにはずれても諦められるが、みすみす当たりを選んでおきながら余計な変更をして商品を逃したら悔しい、という理由のようだ。
気持ちは分かる。しかし実際のところ、気持ちとは別に確率論的に計算すると、ドアの変えるのと変えないのと、どっちが確率が高いのだろう。これは確率論の問題でよく出る有名な問題で、司会者の名前をとって「モンティ・ホール・ジレンマ」と呼ばれている。

実は、


ドアを変えた方が、変えないよりも2倍当たる確率が高い。


高校程度の確率統計の知識で簡単に解ける。
最初に3の扉を選んだ時点で、パジェロが当たる確率は3分の1だ。もしそのまま扉を変更しなければ、この3分の1という確率は、1の扉が開けられた後であっても変わらない。相変わらず3分の1のままだ。
しかし2の扉は話が違う。最初にみっつの中からひとつを選ぶ段階では、2の扉も潜在的な確率は3分の1だった。これは、選べるモトになる全体(「全事象」という)が3つだからだ。ところが、最初にあなたが3の扉を選び、1の扉が開けられた後で改めて選択をすることになると、全事象は2のドアと3のドアとのふたつだけになる。そして、3のドアが当たる確率は3分の1のまま変わらない。つまり、ここで2の扉に変更すると、それが当たる確率は全事象である1から3分の1を引いた確率、つまり3分の2ということになるのだ。

あるコラムニストがこのこと指摘したら、全米から「そんなはずあるか」という抗議が殺到したという。中には大学の数学教授も混じっており、「そんなウソをついてはいかん。確率は同じに決まっておろうが」と叱責が相次いだということだ。
確率論の正さは実験で証明できる。実験の施行数が多ければ多いほど、信頼ある結果が得られる。実際にコンピューターシュミレーションで実験してみた結果、選択を変えた方が確かに的中率が2倍になったそうだ。

このモンティ・ホール・ジレンマは「真実が人間の直感に反する事例」として大学での一般教養科学の授業などでよく紹介される。人間の感覚は、真実を写すものでは決してない。人間が知覚し感じることは、あくまで人間内部のシステムによる判断であって、外界世界の真実をきれいに写す鏡ではないのだ。手品や奇術を見ると人間の視覚がいかにだまされやすいかが分かる。暗闇で火のついた線香を廻すと輪が見える残像現象も、視覚が騙されている例だ。

「オレが見たんだから確かだ」という言い方をする人がいる。しかし、一部の邪道な宗教は、そうした感覚の錯誤を利用してターゲットの信頼を得るのを常套手段にしている。人間は一度信念をつくると、それを変えにくい。信念の変更にはエネルギーが必要だ。だから、一度インパクトのある魔法を見せられて盲目的に信用してしまうと、後はその信念に都合のいいものしか見えなくなる。一種の「あばたもえくぼ」状態だ。

それがエスカレートすると「オレがそう信じているんだからこれが正しいはずだ」となる。自分の感覚こそが絶対。そうなると事実が見えなくなる。疑うことを知らないというのは、かように危険なことなのだ。私の個人的な人間経験では、頑固な人ほど騙されやすい。しかも一旦騙して信用を得てしまえば、頑固なだけにその信用を失うことがない。頑固というのは、「自分の信念を絶対と信じ込み、疑うことを知らない」ということだ。「もしかしたら、これこれなのかもしれないな」という姿勢の欠落は、事実錯誤へ一直線の危険な姿勢だ。

最近の小学生の4割は、「太陽は地球のまわりを廻っている」と信じているそうだ。地動説を知っている生徒にしても、その証明法まで理解している生徒は稀だろう。「現在の学習指導要領が、目で見える事象の観察や実験を強調し、なぜそういう現象が起きるのかを考えさせる仕組みになっていないため」ということだが、「人間の感覚はアテにならない」ということを教えることが、科学への第一歩だと思う。

頭は飾りではない。使わないことにはもったいなかろう。
感覚から信念までが一直線で、その間に「思考」という過程が挟まっていないのは、危険だと思うのだ。

ま、まけるもんか...。

おなかがたるんできたなぁ (たぷんたぷん)。
ここんところ運動不足か。
いかん夏に向けて体を引き締めなければ。

今日はヒジョーによい天気。雲一つない超晴天。神ちゃまよくやったホメてやる。
こういういい天気にはスポーツでしょ。
ということで午後から大学のジムにGo。

久しぶりのプールで20往復ほどのーんびり泳ぐ。
体重を落とし脂肪を燃やすには水泳が一番。なんたって全身運動だし。故障もケガもしないし。
やれやれ体力落ちてるなぁ。ちょいとしんどい。まぁ、ここのところ論文書きまくって睡眠不足だったってのもあるけど。

ジムを出て、うーんと伸び。寒くなく暑くない春のポカポカ陽気がヒジョーに気持ちよい。水泳の心地よい疲労も気分の良さに拍車をかける。ああ生きててよかったぁ。オレ健康だぁ。

やっぱりあったかいいい天気だとみんな体を動かしたくなるみたい。あっちこっちでジョギングしてる。女の子のジョギングスタイルも布が節約されてきて、非常に非常にいい感じ。

あったかいからCoopでスポーツドリンクでも買うかな。
運動すると暑くなるからなぁ。どれどれ。

で、衝動的買い食い。


ゲータレード 20オンス
クランキーチョコレートアイスクリームバー
キットカット ジャンボサイズチョコレートバー
ストロベリークリームドーナッツ




だめじゃん俺。

珍しいなぁ。

2004年4月30日 日本経済新聞 春秋

日経がお怒りです。

最初、産経の間違いかと思った。

今って

爆発被害者は「御真影」守り「名誉の死」? 北朝鮮報道
(2004年4月29日 CNN)

21世紀だよねぇ。

世間ズレ

大学の中にサンドイッチ屋さんがある。
僕もよくそこでサンドイッチを作ってもらう。6インチ(ハーフサイズ)と12インチ(フルサイズ)とある。僕はいつもハーフサイズでおなかいっぱい。

今日、いつものサンドイッチ屋さんにエメカ・オカフォーがいた。
ほほう全米大学バスケットボール選手権MVPがこんなところでサンドイッチを。
でかいなぁ。2メートル15だっけか。僕も日本人としては身長はデカいほうだけど、僕の背は彼の胸までしかないぞ。

大学の外では人目に触れると大騒ぎを巻き起こす全米MVPも、大学の中ではただの学生。廻りも「おお、オカフォーだ」などと騒ぐことなく、フツーな感じ。いいことだね。
しっかしさすがにいいバッシュはいてるな。Nikeか。おおおお横に背番号と名前が刺繍してあるやんけ。特注かい。さすがだなぁ。

おお、やっぱりサンドイッチはフルサイズか。そんなにガタイがデカきゃあなぁ。一杯食べていっぱいトレーニングしたまへ。NBAのドラフトはダントツのトップ指名なんだから。

と、オカフォーがサンドイッチを店員さんから受け取ると、さっさと店から出て行った。


...おい、お金は?


お金を受けとらなくても、店員さんが騒がない。何事もなくフツー。
どーゆーこと?



あ、思い出した。

奴らバスケ部は、



大学の中はカネ要らず。全部大学持ち。



彼らは学費から居住費、寮費、食費、生活費、奨学金に至まで、すべて大学が無償負担している。サンドイッチ屋さんも大学の中にあるため、大学側からあらかじめその分の予算が計上されている。どんな食堂だろうが、Coopだろうが、タダで買い物ができる。授業で使う教科書もノートもペンも、すべて学用品は無料支給。そりゃ全米優勝するくらいだもんな。そのくらいの予算組んであるだろうなぁ。特に今年なんて男女両方全米制覇してるから、それくらいの投資は楽勝で回収してるだろう。

でもなぁ。彼らはぶっちぎりの待遇でNBAでプレーすることになり、フツーの人が一生かかっても稼げないくらいのカネを3年たらずで稼ぐんだよね。そうなると金銭感覚なんて全く無くなるんだろうな。どうせ中学も高校もバスケ特待生で授業料免除などめちゃくちゃ優遇されてただろうし、大学でもカネ要らずのフリーパスだし。こういう生活に慣れると、世間的な金銭感覚なんてゼロに等しくなるんだろうね。

で、今オレはサイフにいくら入ってるっけ。
ひーふーみー...
ペンギン命
ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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