たくろふのつぶやき

春は揚げ物。

2004年03月

俺の中の何かが奪われた。

僕の同期に、ブラジルから来た女の子がいる。

性格がとってもさっぱりしてて、細かい事にこだわらない子。クルマの中は散らかってるし、教室ではクツを脱いで椅子の上であぐらかいてるし、なかなかおおらかな性格。みんなでパーティーしてるときは音楽がかかると真っ先に踊りだす。人生を楽しむ方法をいろいろと心得てる。ラテン系っていうのはこういう感じなのね、とよくわかる感じ。結構かわいく、とてもモテるので、しょっちゅう野郎がくっついて歩いてる。

そういう性格なので、研究室の彼女の机の上はいつも乱雑に散らかってる。僕の隣の部屋なのであまり気にはならないが、けっこう重要な書類まで無造作に机の上に放ってあることがある。大丈夫なのかなぁ。

今朝、ちょっと用事で隣の研究室に行ったら、彼女の机は相変わらず散らかっている。ところがふと見ると、机の隅に小さい紫色の花の鉢植えが置いてあった。



何なんだこの得体の知れない敗北感は。

ほほう地面の下ではこうやって

『月刊下水道』という雑誌があるそうだ。

なんかのジョークでついてる名前なのかと思ったら、真面目も真面目、下水道関係の仕事をしている方々の総合情報誌で、その筋にとっては有力な情報が多く掲載されるらしい。

企画も豊富で、海外の下水道事情との比較や、下水道工事の際の安全対策に関する提言など、気迫あふれる真剣そのものの雑誌なのだそうだ。

ちょっと普段なじみのないプロの世界を覗いた気分。

かっちょえー。

iPodのイカすTVCMを発見。

やっぱりいいなーiPod。
当時、思い切って買ったけど、いまだに買ったときのウキウキと満足感を感じられるからなぁ。単なる流行モノというだけじゃなく、これは永く使われるモノのような気がする。

と思ったら、もっとイカすiPodのCMを発見。

こんなのもありっすか。
なんか時代を感じますね。

みんなつかれてますねぇ

春セメスターも残り一ヶ月。第四コーナーを廻って最後の直線。

はやいものだ。先セメスターはもっと時間の経つのが遅かった。今セメは気づいたらあと一ヶ月。こうやってだんだん時の経つのが早くなって行くんだろうな。

みんなの疲労もピーク。そろそろTerm Paperと授業を平行しなきゃいけないのでみんな睡眠時間を削って勉強している。
アメリカの大学院の授業はひとコマ3時間。間に20分ほどのブレイクが入る。いつもこの休憩時間にみんなでくっちゃべってたりノートを読み返したりしてるんだが、今日の授業の休憩時間にはみんな机に突っ伏して寝てた。みんな疲れてるんだな。
僕?僕は教室の椅子をならべてその上に寝てました。

指導教官の教授と、来年度の勉強計画と、夏休みの間の研究について打ち合わせ。
今年の総括をすでにいただきました。ちょっと早いような気がするが。

曰く、「よく攻めた」

確かに今年一年は思いっきり攻めた年だった。今まで避けてきた分野にも正面攻撃かけたし、体力を温存することなくフルパワーで勉強した年だったと思う。新しい分野を勉強することによって知らかった世界を垣間見た。人生の間のたかが5年、思いっきり燃え尽きる5年であっていいと思ってる。今までの人生と同じ重さであるほどの密度のある5年であるべきだろう。学生に充電期間なんぞいらん。充電する間も惜しい。


というわけで今日はもう寝る。

行政法人化

国立大法人化 努力が評価される態勢を
(2004年3月30日 産経新聞)

とうとう独立行政法人化か。
私は学部も大学院も日本では国立大学だったが、こんど夏休みに日本に戻ったら「国立大学」ではなくなっているわけだ。

私は比較的大きめの、環境に恵まれた国立大学に在籍していたので、税金を享受する畏れを十分に感じてた。日本を出る以前から、外部評価が導入されていた気がする。

学問は利潤追求ではないので、経済的な成果だけを観点においた評価に走る危険性だけはしっかりとシステムとして整備しておかねばなるまい。大学なんて、隣の研究室がどんな研究をしているか全く分からない世界だ。ましてや外部の人間が評価するなんて至難の技だろう。

もうひとつ私が危惧するのは、短期的に具体的な成果を求められることにより、長期的な視野を必要とする腰を据えた研究がしにくくなることだ。はっきりいって大学外部の人間に論文の良し悪しが判断できるとは思えない。知らない人から見れば、年に10本のクズ論文を書き散らす研究者のほうが、年に一本のしっかりした研究を発表する研究者よりも「優秀」に見えるのではなかろうか。これは完全な評価社会のアメリカの大学でよく聞かれる弊害だ。一般にPublish or Perish「書くか、滅ぶか」と言われ、論文を書かない者にはクビあるのみだ。そういう追われるような環境で長期的な基礎研究が育くめるとは思えない。アンドリュー・ワイルズは、フェルマーの最終定理の解決に全精力を注ぎ込み、8年もの間論文を発表しなかった。その苦闘の結果、定理の完全証明に成功したのは記憶に新しい。今までの日本だったらこういうことも可能だったかもしれないが、これからの日本の大学ではこういう研究の仕方は難しくなってくるだろう。

しかし、こういう一部の天才を除いて、大学内の大部分の凡人研究者はほとんどがぬるま湯に浸ってる状況だろう。大局的に見れば、今回の国立大学の外部評価は大学の活性化に役立つ面のほうが大きい気がする。先に述べたような長期的研究の重要性は確かにあるのだが、それを言い訳にしつつ一向に研究を結実させる努力をしない研究者が多いのも事実なのだ。

特に日本の大学院生は早くからこういう外部評価にさらされる危機感を肌で感じた方がいいと思う。アメリカに留学してから思うが、日本の大学院は甘すぎる。本気で勉強する気迫を生み出す環境という面において、欧米に大差をつけられていると思う。アメリカでは大学院は寝てる時と食事のとき以外はすべて勉強時間と思ってまちがいない。学科から割り当てられる仕事は、優秀な人からいい仕事を割り当てられる。当然、給料にも差が出る。

日本の大学院ではよく遊んでたなぁ。
人間、プレッシャーがないといい仕事なんてできないし、自分の殻も破れないものだろう。
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
リンク用
かんたんアクセス
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ