たくろふのつぶやき

毎日がエブリデイ。

2004年02月

ほのぼの

ミッフィーのオフィシャルサイトを見つけた。

おもちゃ屋さんみたいな雰囲気で楽しめる。
あの顔についてるバッテンは鼻か口か、決着がつくようなつかないような。Q&Aのコーナーに載ってます。

救急車

同居している先輩が足を捻挫した。

この先輩は運がないというか、いつも「なんでオレが」みたいなトラブルにいつも巻き込まれる。この先輩のやっていることを見てると「ほほうトラブルはこういうふうに対処するのか」と勉強になる。

Field houseにバスケをしに行く。だいたいいつもシュート練習で遊んでると、まわりでにたようなことをやってる者共が声をかけてきて、3 on 3や、人数によってはフルコートのゲームをすることもある。

今日もそういう流れで3 on 3をしていた。相手はだいたい体力の余ってる学部生。スタミナ十分。しかもアメリカの大学生でバスケなんぞしようという輩の例に漏れず、無駄にデカい。僕が打つシュートなんて余裕でブロックされる。あれ結構ムカつくんだよね。

先輩がマークを振り切りジャンプシュート。そのときにブロックに跳んだディフェンス二人と空中で交錯。「バキュッ!」という妙ーな音をたてて足首から落下。何もなかった音ではない

巡回しているスタッフがすぐに駆けつけてきて、氷を持ってくる。本人が要請したので救急車が呼ばれた。救急車が届く間、僕が証人ってことで、何が起きたのかを説明する用紙に記入。アメリカの救急車、初めて。日本と違って赤、青、黄のフラッシュみたいなランプがハデに光ってる。

いろいろと勉強になりました。
1. 救急隊の第一声は「クレジットカードはあるか、保険に入っているか」
2. 身分証明書は生年月日記載で写真付きのものが2つ必要。学生証は写真付きでも生年月日が書いてないので、たいてい役に立たない。パスポート、免許証がほとんどだけど、日本で作った国際学生証がものすごく便利。
3. 保険証書のカードは絶対に肌身離してはいけない。病院で治療費は、保険カードを見せただけでタダだった。保険は学科で強制加入。経済援助で掛け金も負担してくれている。
4. 松葉杖は「クラッチ」という。「足をケガしてるから車に乗れない」は、Crutch prevents clutch (クラッチのせいでクラッチを踏めない)と言う。
5. アメリカの学部生小僧とバスケで張り合うべからず。

突っ込み型をあきらめ長距離砲を目指すことに。

処世術

昨日のblogで、仕事を勤務時間外に持ち込むことで疲弊する危険性について書いた。どうやら、僕が「サラリーマンは仕事が終わればとっととラクになれる気楽な身分」と思ってる、と思われたみたい。
「日本のサラリーマンの生活は甘くない。本当に大変。」

常識でしょう(泣)。

大学時代の同期に、日本で業績ナンバーワンの自動車会社に就職したのがいる。営業ではなく、デザインや企画の周辺を担当しているらしい。彼は、毎日、仕事終わるのが夜の11時。家に帰ると1時らしい。しかも毎日きっちり朝9時出勤。彼からのメールは、いつも一行。最小限度の分量で必要かつ十分な情報を送ってよこす。昼ごはんは、それだけのために時間を使ったことがないという。こういう同期から就職してからの仕事の話を聞くと、


「オレ学生でほんとによかった」と心の底から思う。
(社会不適応とか言うな)


まぁ質が違うといっても、学生の苦労を100とするならサラリーマンの苦労は100000くらいだろう。だって学生って辞めようと思えばいつでもやめられるし、責任なんてないし。背負ってるものが違いすぎる。話にならない。

企業に勤める人は、あたりまえだが、会社で働くのが普通だろう。中には忙しくて家に仕事を持ち帰るという生活を送る人がいるだろうが、基本は会社という場で働くのが普通だろう。そういう生活は、基本的には出社とともに仕事をはじめ、退社とともにその日の仕事は終わり、という「切り」がはっきりした生活になるのではないか。
大学をはじめとする研究職は、そうではない。一日24時間、すべてが仕事の時間なのだ。研究室に出勤している時間だけではなく、むしろ家に帰ってからが本気で勉強する時間という人も多い。

忙しすぎて体を壊す、という状況を避けるために、どちらの労働環境の方が良いか。これは一長一短で簡単に決められない。企業で働く会社員は、拘束される絶対時間が重圧となりかねない。仕事が終われば家に帰れるが、逆に言えば仕事が片付かないと家にも帰れないという状況に陥る。ノルマをこなせなければ他に迷惑をかける危険もあろう。それが原因で退社後も仕事が頭から離れないかもしれない。一方、大学などの研究者は、比較的自分で時間を自由に組み立てられる。極端な話、雨が降ってたら研究室に行かなくても自宅で勉強できる。しかし、勤め先だけでもなく自分の家でも仕事を続けるのが普通のため、疲弊したときの真の逃げ場がない。作業ではなく発想と思考が必要なため、一旦スランプになると、相当なきっかけがないと容易なことでは柔軟な思考が回復できない。

私が昨日のBlogで指摘したのは、サラリーマンと研究者はどちらがラクか、ということではない。単に「両者は異なる」ということだ。会社勤めの人は、勤務後退社によって物理的に開放される一瞬が一日に一回はある。その開放感をストレスの解消に使わない手はないと思う。ところが研究者は研究室を出るときは単に勉強の場を研究室から家に変えるだけに過ぎず、仕事が終わった後の開放感を感じられない。だからストレスの開放のためには他の方法が必要なのだ。

異なる以上、勤続疲労からくるスランプに対処する仕方も異なってくる。私は大学の中の世界しか知らないので、研究職を目指すものに関してのみ「こういう姿勢も必要じゃないかな」と感じるのが関の山だ。サラリーマンの世界については何も知らない。会社員がどうやってストレスをためないようにすればいいのか、どうやれば蓄積疲労を取れるのかは、私には分からないのだ。私は今の段階では、大学で研究を続ける方の道を選ぶと思う。そうである以上、そっち側に合った「過労死を避ける方法」を身につけなければならない。ただ、それだけの話だ。

仕事から感じるストレスや疲労の類は、研究職よりも、企業に勤めるサラリーマンのほうが重いと思う。研究者は基本的に自分のやりたい研究をして、自分の意思で解くべき問題を好きに見つけられる。基本的に一人で研究が出来るため、対人関係のストレスが少ない。一方、会社勤めの人は自分で仕事を選べることが少なく、嫌いな仕事でもしなければならず、上下関係、対人関係によるストレスが多いのではなかろうか。

プロとアマの違いがよく気になる。単に技術の習熟度合いとか、仕事にかける気迫や姿勢とか、そういったものはむしろ結果論だと思う。プロとアマを明確に分けているものは、「退路を断っている姿勢」だろう。後ろを崖っぷちで臨み、前進しなければ落下するのみという環境に自らをあえて置く姿勢が、気迫をもって仕事を極める厳しさを生むのではないか。
一旦、研究者を志し大学に就職すると、一日24時間をすべて勉強に賭ける覚悟をしなければならない。勉強のプロになるわけだから、「家に帰ったらはいおわり」「考えが詰まったら別ネタに逃げよう」というわけにはいかない。アイデアが枯渇しても、気力を振り絞って論文にまとめめ上げる執念が必要になる。逃げが許されず、常識とはすこし違う生活になり得るからこそ、その中で疲労をためない生き方を学んでおくのは大切だと思うのだ。くりかえすが、どちらが楽かということではない。両者は明らかに違うので、別の方法を考える必要がある、というだけのことに過ぎない。

適正や慣れもあるだろう。分刻みのスケジュールで仕事に会議、得意先周りといったことをひとつの漏れなくこなす生活のほうが性に合う人と、3時間のゼミで問題を考え抜いたあとでも結論が気にかかり、同じ問題を延々と考え続けるあまり徹夜してしまう、という生活のほうが性に合う人と、それぞれだろう。他にも、公務員、スポーツ選手、個人事業、自営業、家庭の主婦など、それぞれの生き方にはそれぞれの異なった生活環境が強いられる。大事なのは、自分の生活環境を冷静に把握し、自分のストレスと疲労度に常に気を配り、許された余暇の中でそれを効率的に解消する方法を見つけることだろう。

甘い生き方なんてないと思う。どの生き方も、それなりに険しいものだろう。
だからこそ、それぞれ選んだ道に合った生き方が必要だと思う。

まじめ病

最近、meniere (メニエール病)という疾患を学内新聞でよく見かける。

日本では聞いたことのなかった病気だが、髄膜炎と並んで典型的な「学生病」らしい。症状としてはめまい、一時的難聴、ひどいときには耳鳴りがする。また精神的に鬱になり、集中力が欠け、細かい作業などができなくなる。倦怠感や無気力感に苛まれて、やる気が起きない、というような病気らしい。

メニエール病の原因はよく分かっていないらしい。最も有力な説は、体内にもともとある菌が抵抗力の低下によって活性化し、症状をもたらす、というもののようだ。当然、患者のほとんどは過労気味で、睡眠不足、ひどい精神的ストレスを恒常的の被っているとのこと。

どうやらこれは、僕が勝手にカテゴリー化している「マジメ病」のひとつのようだ。

日本では、マジメ、勤勉、努力一直線が手放しの美徳とされている。いまいち真剣さを感じられないちゃらんぽらんな態度に眉をひそめ、「真面目にやれ」と叱り飛ばす。一般社会で働いていらっしゃる方は、他に迷惑をかけないために、確かに規律ある仕事ぶりは必要だろう。

しかし、大学の研究者のように、精神活動が日常生活に浸食するような生活をしていると、手を抜けることが非常に大切になる。日中は仕事で忙しくても、終業時間になればとりあえず解放、自分の時間になる、というサラリ?マンと違い、研究というのは一日24時間、すべてを注ぎ込まなければなかなか真実が見えてこない。ご飯を食べながら、研究室の往復をしながら、片時も考えることを止めない。真摯な研究者は、それこそ放っておけば10日でも20日でも同じ問題ばかりを考え続ける。体がおかしくならないほうが不思議だろう。

長い研究生活を健やかに乗り切る為には、楽観的であることも重要な才能だ。一部の天才を除いて、研究者と言えどひとりの人間なのだから、気分解放もバケーションも必要なのだ。私の周りを見てみると、優秀な研究者ほど余暇の使い方がうまい。本気で遊べる場を持っている。

思うに、人間はゴムと同じで、伸ばしっぱなしにしていると弾力を失ってしまうものではあるまいか。人生は長いんだから、一時の短期的な視野で自分を追い込み、精神的に自滅するのはあまりにもったいない。真剣で真面目でありすぎる人は、短期的な仕事では理想の働きを示すだろうが、長期にわたってコンスタントに柔軟性を維持できるかというと、ちょっと危険だと思う。自転車操業的な、その瞬間に固執しすぎる態度は長くは持たないだろう。「決して手を抜かない」人は、そういう姿勢が保てる程度の量のことしかできないのではあるまいか。

日本の修士課程のとき、帯状疱疹にかかった。授業のペースがものすごくきつく、体調を崩した。何時間勉強をしても頭に入らない。勉強時間に比べて身に付いているものが感じられない。勉強に焦りを感じた。
指導教授の勧めで1週間くらい完全に休みをとり、仙台郊外の作並温泉で保養した。かなり効いた。このときに、「休み方を知っているっていうのは大事なんだな」とあたりまえのことを学んだ。僕は子供の頃から体育会系で育ったので、休むことに罪悪感がある。

今では、授業、仕事、自分の勉強が重なりすぎる生活が続くと、「あ、そろそろ休んだほうがいいな」と分かるようになってきた。そういうときには、思い切って休む。開き直って寝てやる。授業にちょっとくらい遅れをとったところで、体調を崩すリスクには換えられない。正直な話、この「授業の予習復習をちょっとくらいサボッてもそれなりに授業についていくような手の抜き方」は、大学院生であれば必須の能力だと思う。すべての授業で完璧完全にすべての理解を目指していたら、一日30時間、自分が3人いても足りない。要は、自分の専門の勉強に100%の気力を残してあればいいのだ。

そう思ってるの、オレだけ?

どこのバカたれだ

先セメからの累積コピー料金を請求された。50ドルちょっと。

日本の大学院にいたときは無料だったんだけどなぁ。
しかし、今の僕の研究室はそれでも他と比べると安いらしい。日本人の他の院生に聞いてみると、「日本ではもっとコピー代は高かった。アメリカのコピーは安い」らしい。

勉強の必要経費ですからね。きちんと払わないと。
即、チェックを切って学科の秘書さんに持っていく。
「あら早ーい。たくろふみたいに早く払ってくれると助かるわ。なんせ2年も滞納してる人もいるくらいだから。」


性悪説、採用決定。
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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