たくろふのつぶやき

あ、袋いいです。

2004年01月

わーいわーい

ふっふっふ。
買ってしまった。

Powerbook G4 15inch superdrive.

とうとうMacユーザーになってしまった。
まぁ、これも一生懸命勉強している自分にご褒美ということにしよう。(ホントか?)

Macをとりあえず使って思ったこと。

1. 静か。Windows XPを使ってたときのあの「ヴイーン」という大音響がない。
2. フリーズしない。Windowsは複数のアプリケーションを使ったりするとすーぐゴネるけど、Macはけっこう淡々と仕事をこなしてくれる。WindowsのマシンでDVDなんぞ見ようもんならものすごく熱をもって、しばらく電源を切らないといけなかったりしたんだけど、Macはそんなことないみたい。
3. 操作簡単。基本的にずるずるマウスで引っ張ってパッてはなすだけでだいたいの操作ができる。ありがたかったのはPDFにドキュメントを変換するのにナーンの設定もいらないことかな。
4. 数式に強い。コレがMac転向の決断の決定的な理由だったんだけど、もともとWindowsはムカつくほど数式処理に弱い。Wordにはいってる「数式エディタ」ってのはなんじゃありゃ。ズレるし縮むし、PDFにしたら文字化けするし、ハラたつ。その点、Macの数式処理のなんと鮮やかなこと。困っても、Windowsとは比較にならんくらいいっぱい数式処理ソフトが出てる。
5. インターナショナル。Macは全世界の言語に対応しているから、他言語のデータを使う論文でも文字化けしないという利点あり。OSの表示も、日本語と英語で瞬時に切り替え可能だからやりやすい。

それに、なんといってもMac最大の魅力。

美しい。

究極にシンプル。フォルムのデザインからしてPCの追随を許さない。インターフェイスのシンプルさも非常に特記に値する。アプリケーションをあけても、ごてごてと目にうるさいツールバーがなく、必要最低限の表層に押さえる徹底ぶり。当然、マウスは純製のワイヤレス。
友達のことよ嬢がパソコンへのこだわりを熱く語ってるのを読んで「『かわいさ』でパソコンを選ぶだぁ!?」と、ことよ姉さんもとうとうヤキが廻ったかと思ってたんですが、

やっぱりかわいさって重要っすよね。

仙台からなにかアメリカに向けて何か呪いが飛んできそうで怖い。

歴史を学ぶ

2004年1月29日 産経新聞・産経抄

あなたがテロリストで、武装集団を率いてヨーロッパ全域に戦争を仕掛け、欧州の覇権を手に入れ皇帝の座を名乗ろうと試みるとしよう。全ヨーロッパを制圧すべく軍事行動を起こす際、戦略的に必ず守るべき2つの注意点がある。それは何か。

歴史上、全ヨーロッパの覇権を手にしかけた者が二人いた。ところがその二人とも、その「ふたつの重要な注意点」を守らなかったために没落し、敗退したという。

その「ふたつの注意点」とは、

1. イギリスを速攻で潰すこと
2. ロシアを攻めないこと

だそうだ。

ナポレオンはフランスを拠点にヨーロッパを制圧、イギリスの命綱であるインド貿易路を経つため中継地点のエジプトを攻め、ほぼ地中海世界を手中に収めた。しかし、制海権を握られたイギリスを徹底的に叩く機会が得られないまま反撃を許し、ネルソン率いるイギリス艦隊にトラファルガーの海戦で壊滅的打撃を受けた。拡張を東に転換せんと試みた1812年のロシア遠征では、ロシア軍以前に「冬にロシアを攻める」という愚がたたり、ロシア軍の反撃を受け、アウステルリッツの恨みを晴らされるハメになった。以降は連戦連敗。

ヒトラーは電撃戦を展開し、パリを筆頭にワルシャワ、プラハ、ブタペスト、ウィーンなどヨーロッパの主要都市を電光石火で陥落させた。短時間での広域制圧を見るにつけ、この時点でのナチスドイツ軍は史上最強だったと思う。ところがUボートで海上封鎖に成功するものの、イギリス本国を制圧する機会を先延ばしにしたことで、イギリスの反撃準備を見過ごした。東部戦線では1943年2月のスターリングラード攻防戦でロシア軍に完敗。「冬のロシアを甘く見る」というナポレオンの轍を踏み東部戦線が崩壊。挙句の果ては1944年6月にアイゼンハワー率いる連合軍にノルマンディー上陸を許し、翌45年にはソ連軍にベルリンを包囲されることになる。

…という話を、高校のときに世界史の授業で聞いた。おもしろい先生で、「結局、人間っていうのはいつの時代も似たようなことばっかりやってるんだね」ということを、具体的な歴史的事件を例にとり面白く話してくれた。教科書は一切使わない。歴史の時間軸など無視。「今日は人間の嫉妬について話しましょう」「今日は食べ物がなくなると人はどういう行動にでるかという話です」などという切り出し方をする先生だった。「今日はヨーロッパ征服の方法を教えます」で授業が始まった時には本当に仰天した。この先生の授業のおかげで、私は提示された歴史的事実を、自分の実感として整理し消化する方法を学んだ。私は世界史の試験では、センター試験のような知識を問う客観問題は最後まで苦手だったが、国立大学の2次試験の論述問題はけっこう得意だった。今でも僕は、フランス革命からナポレオン戦争終結までの流れと、ヴェルサイユ体制から第二次世界大戦終結までの流れはほぼ完璧に頭の中で押さえてる。授業でおもしろい話を聞いて、詳しい事を知りたくなり、自分で本を読んだのだ。

歴史を学ぶ意義は、「人間の基本的な性質」と「世界の未来に対する指針」を過去の具体的事例から読み取ることだと思う。温故知新という言葉の例えもある。たとえば、人間は平等を正しいと謳いながらもそれを実践はできない。中国の文化大革命や、マルクスの『共産党宣言』執筆からソ連崩壊に至る流れなどを土台に、共産主義の思想と実践のギャップを一般的に昇華させて考えればそれがよく分かる。

戦争も、歴史の中では無数の事例がある。そのすべての事例について、戦争の原因から決着について現象を一般化し、「人はどういうときに争うのか」と考えるのは面白い思考遊戯だと思う。僕の学んだところ、戦争の原因、経過、意義を鑑みるに、そのどれもが当事者にとって「正しい戦争」だったのではないか。間違っていると分かっている、大義のない戦争を仕掛けたという例は歴史上皆無といっていいと思う。戦争が起これば、少なくともその当事者にとってはその戦争は大義にもとるものであり、如何ようにも正当性の屁理屈をつけられるものだ。戦争と関係ない立場から「あの戦争には意味がない」という論調は、その現象ひとつしか見えず、戦争というものはそもそもどういう行為なのかという複眼的視野に欠ける物言いではないか。歴史を紐解けば、すべての当事者にとって戦争は「大義」のあるものだ。そしてそのすべてを客観できる現在の我々にとっては、逆に、あまねく戦争というものに大義など無い。判断者のレベルが違うので、大義とは何かという位置づけが違うのだ。

産経新聞は、野党側の「イラク戦争に大義はあったのか」という問いを「愚論」と一刀両断にしている。野党の問いが愚かである原因は、上述のような視点の欠落にあると思う。イラク戦争に直接関わる当事者としての局地的な視点では、大義などいくらでも並べられよう。逆に、すべての歴史を超越した客観的な視点では、大義のある戦争どない。野党は、どういう視野から問いを発しているのか。仮に、イラク戦争に直接関与する当事者としての局地的な視点だとしたら、大義があって当たり前だし、逆にすべてを超越した客観的な視点だとしたら、戦争に大義などなくて当たり前なのだ。野党側の質問は、「戦争に直接関わる局地的な立場」から問いを発し、「客観的な視点に基づく大義」を求める矛盾した行為だと思う。愚問極まりない。今の日本に必要な行動は、戦争の意義などという幻想をつつきまわし机上の空論に終始することではなく、混迷している世界の現状を地に足をつけて考え、その収束のために成し得ることを具体的に考え行動することだと思う。

国会で国を代表する者の歴史的素養がこの程度である。「高校生の学力が落ち、歴史についての認識能力が落ちたのは危機だ」などと騒いでる場合じゃない。歴史を学ぶことによって得られる思考能力が皆無に等しく、視点を混在させる愚問を発する者が代表者になり得る国の行く末こそが、まったくもって危機だと思う。

うまかった?

赤ちゃん、おしゃぶり代わりにヘビをかむ

 アラバマ州Schillinger Roadで24日、生後11カ月の乳児がジャガイモの袋の中にいたヘビを過ってかんだと、27日付の地元紙が報じた。

 母親がスーパーでテキサス産のジャガイモを購入。袋の中から現れたヘビを乳児がつかみ、口に入れたという。発見した母親が赤ちゃんの手からヘビを取り上げた。赤ちゃんにけがはなかった。

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お母さん普通だったら悲鳴をあげてヘビを触るどころの騒ぎじゃないと思う。母は赤ちゃんのためならヘビ何するものぞ。強いね。

なにげに普通に書いてあるけど、ヘビの入ったジャガイモ売ってるスーパーってどうよ。
ちゃんと買い物のたびに中身を確認しよっと。

一面真っ白

授業しやがった
大雪なのに。ちっ。

休講を見越して徹夜した身にはちょっとキツかった。学生は、夜はちゃんと寝ましょうねという教訓。学部生どもは結構、思ったよりも来てたな。4分の3くらい。しかし他のTAで来てなかったヤツがいるってどういうことよ。

世界のいろんな国から集まってるだけあって、同僚にはいろんな人がいる。日本人の目から見て、仕事がすごくルーズな人が多い。。会議にも授業にも平気な顔してズル休みする。悪いことだと思ってないみたい。休んでおいて、自分は正等だってことをやたらと主張する。遅刻もものすごく多い。朝一番の授業では間に合う方が少ないって人もいる。30分以上、堂々と遅刻してくる。土日でも研究室に出てくるのは日本人と韓国人だけ。なんかやっぱり出身国の特徴ってのはあるみたい。

Acquisitionの授業が眠かった…。今日は早く寝ようっと…。

一応、祖国なんだからさぁ…。

中3虐待――悲劇を防ぐ仕組みを
古賀議員――これは通らない

(2004年1月28日 朝日新聞社説)

【主張】子供虐待 連係プレーで早期対応を
(2004年1月27日 産経新聞社説)
【主張】古賀氏離党 恥を恥とせぬ風潮を憂う
(2004年1月28日 産経新聞社説)

[中3虐待]「子供を守る法改正が必要だ」
(2004年1月27日 読売新聞社説)
[古賀議員離党]「『政権公約』の内実が問われる」
(2004年1月29日 読売新聞社説)

日本は一体どうなっちゃったんでしょうか。

しっかりしろと言いたい。
日本の根幹を成す立場の人間や、子供の手本となるべき立場の人間がこのザマでは、次の世代に何を期待できようか。人として当たり前のモラルが身につかないような国に、いつから日本は墜ち果てたのだろう。

幼い子供は残酷だ。平気で虫や小動物を殺す。昆虫の首を捻って捻り切るなど、普通の大人の目から見るとぞっとするような行為を平気でする。生命体に対する情と、他者の痛みを感じる能力が身についていないからだ。そういう能力は人間が本能で持っている感情ではなく、後天的に獲得し社会生活の中で培う感情なので、子供の残虐行為を目にした大人は体罰も辞さない真剣な対応が必要になる。人と交わり、さまざまな試練を経て自分自身でつらいことや苦しいことを乗り越える経験を積むと、他者の痛みがわかるようになる。他人の痛みが分かるためには、まず自分が痛んだ経験があることが前提になるのだ。
今、人の親となっている世代は、本当にそういう経験をくぐり抜けているのだろうか。人の痛みはおろか、自分の子供を傷つけるなどという行為をし得るのは、人が通るべき何かから逃げてきているからではないか。

僕は大学に長いこと在籍しているが、自分が在籍していた大学名を間違えることなどありえない。ましてや、卒業しているかどうかが定かではないなどとんでもない。仮にそういうことがあり得るとすれば、それはすなわち、「私はロクに大学に行ってませんでした」と白状しているに他ならない。そんな手合いが卒業できるほどアメリカの大学は甘くない。
国民の代表として政治を司る立場のくせしやがって、世の中をなめるなと言いたい。

日本を支える壮年世代の方々。
日々の生活でお疲れだとは思いますが。

せめて人として恥ずかしくない生き様を示してくれませんか。
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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