言語学の授業で「混成語(かばん語)」というのを教えるんですけどね。


混成語というのは、たとえばbreakfast と lunch を合わせて、brunch という新しい語を作るような造語法。smoke と fog を合わせた smog というのもある。
最近、この混成語の例として、Brexit という造語を入れて説明することが多くなった。イギリスの新聞で多く使われている新語だ。

その意味は、Britain と exit を合わせたもの。つまり「イギリスの欧州連合からの脱退問題」のことだ。2016年6月23日に国民投票が行なわれ、結果は多くの国民にとって「まさか」の「離脱」。離脱票が51.9%、残留票は48.1%という僅差でありながら、過半数の国民がEU離脱を指向していることが判明した。

多くのマスコミは大慌てでこの件を報道していたが、それはマスコミの側が残留側を希望していたからにすぎない。アメリカ大統領選のトランプ勝利のときと同じように、マスコミは事実を報道するのではなく、「マスコミにとってのあるべき姿」を報道する。事実から目を背け、事実が理想からはずれていれば迷わず煽動する。そのブレーキを効かせて尚、この結果だから、本当のところは離脱を指向する国民はもっと多かっただろう。蓋し、アメリカ大統領選挙とイギリスEU離脱のふたつの件は、マスコミの報道のあり方が事実から乖離しており、世相を客観的に報道していないことを示す顕著な例として、同じようなものだろう。

僕はこのイギリスEU離脱は、昨今おおはやりの「グローバル化」なる大合唱に対するアンチテーゼだと思う。
学生は、この「グローバル化」という言葉が大好きだ。学生に国際関係についてレポートを書かせると、この言葉が出てくる回数が10回や20回では収まらない。とにかく「グローバル化」とさえ書いておけば、時流を正しく捉えたような気になれる。視野が広い人間を装える。そんな安直な「言葉のイメージ」だけで、安易に「グローバル化」という念仏を唱える輩が増えている。

もしグローバル化を極限まで押し進めていけば、それは「国家」としての垣根が一切働かない事態になる。全世界を均一化し、富める国が貧しい国に財力を配分することになる。
日本は、世界の中でも経済的に恵まれている国だ。もし「グローバル化した社会」なるものが究極に達成されたとしたら、それはつまり「日本が、貧しい国に富を譲り渡し、今の経済レベルからかなり失落した状態を甘んじなければならない」ということだ。日本は、世界を均一化したら、「得られる側」ではなく、「与える側」なのだ。「明日から外国人を100人雇用しなければならなくなったから、日本人を何人かクビにしなきゃならん。というわけでお前、明日からクビな」と言われても、「グローバル化だから、しょうがないか」と納得しなければならない。

無邪気な大学生は、「グローバル化」という言葉を使うとき、上しか見ていない。アメリカやヨーロッパ各国の、日本よりも洗練されて上品でカッコいい(と思い込んでいる)文化や価値観を手にすることしか考えていない。発展途上国や経済破綻国との関係でも、「そういう国独自の文化を」という「得したい欲求」は依然として根強い。また「そういう国に日本が技術援助を」と、安易に「正義の味方」に成り切って使命感に燃え盛る脳足りんも多い。

島国である日本の学生は、潜在的に外国に対する憧れが大きい。「意識高い学生」ほどそうだ。日本のことを何も分かってないくせに、やたらと海外に出ることを「自己実現」と捉える安直さがある。
ところがそんな学生でも、就職活動の時期になって、外国人雇用を増やさなければならないから自分の就職先がなくなっても平気か、と問われれば、そんなことはない。彼らの「グローバル化」というのは、あくまでも「(自分の権利が充分に保障された上での)グローバル化」に過ぎない。グローバル化なる傾向によって、日本にとっては得るものよりも失うもののほうが多いことに、気づいていないし、気づこうともしない。

今回のイギリスのEU離脱は、そういう「見ない振りしていた真実」が、表面化した出来事に過ぎない。イギリスでEU離脱派が多くなった背景は、移民流入が増え過ぎたことだ。アフリカやヨーロッパ内の難民は、イギリスを目指す。社会保障が最も充実しているからだ。その金は、国民の税金から出ている。つまりイギリス国民にとっては、「自分が払っている税金で、よその外国人を養っている」という状況になっている。そりゃたまらんだろう。

今回のイギリスのEU離脱は、突然生じた動きではなく、いままで何回もその傾向が見られている。たとえば、EU内でイギリスだけは通貨としてユーロを使用しておらず、いまだにポンドが流通している。その判断が正しかったことを示したのが、2015年のギリシア経済破綻だ。

ギリシアは国民の4人に1人が公務員で、ろくに働かなくても国が食わしてくれる、という特権階級意識が強い。国内にはろくな産業がなく、過去の遺産による観光収入が命綱だ。唯一世界レベルの海運業は、国が税金を取れない。そりゃ経済も破綻する。
そこでEUはギリシアの経済危機がEU圏内に広がることを心配し、IMF(国際通貨基金)を通して経済援助を行なった。金遣いの荒い奴に金を貸すには、条件をつける必要がある。IMFがギリシアに突きつけた条件は「財政緊縮」。公務員の数を減らし、年金や社会保障を削減する歳出削減を要求した。そうしなければ借金を返せる見込みもないからだ。

ところがギリシアは、国民投票でその財政緊縮策を否決してしまう。「生活を我慢して苦しくするよりも、今まで通りのほうがいいじゃん。国が破綻?俺には関係ないもん」という、なんともいいかげんな理由だ。その結果、当たり前だが、ギリシアはIMFへの借金が返せず、債務不履行(デフォルト)状態に陥る。

慌てたのはEU各国だ。EUという枠内にある以上、破綻国家が生じてはEU全体の経済政策に歪みが生じる。ここに至ってギリシアは初めて反省し、緊縮財政を立法することを条件に、EUから借金をする。EU各国はギリシア支援のために、貴重な国家財政を削減する羽目に陥った。

国家の財政が厳しくなったら、とりあえず国債を発行し国民に借金をして、後で通貨発行によって補填するのが常道だ。好ましい方法ではないが、その場しのぎにはなる。
ところがEU各国にはその手が使えない。EU圏内で流通しているユーロの発行権は、各国が独自に有しているのではなく、欧州中央銀行(ECB)だけが有している。各国が勝手に紙幣を刷っていいわけではない。そのためギリシア支援のための支出を賄う緊急措置がとれず、EU各国は経済的に苦境に陥った。

その例外がイギリスだ。イギリスはポンドを使っているため、自国で紙幣発行権を有している。つまり、国債が簡単に発行できる。国債は要するに借金なので、根本的な解決にはなっていないが、紙幣流通量の激減がもたらすデフレを防ぐ程度の役には立つ。イギリスはユーロを使わないことでギリシア経済破綻の影響を受けず、安定した為替相場を保つことができた。

おそらくこの頃に、イギリスは「あまりEUに深入りすると、ロクなことはないぞ」という実感を得たのではないか。イギリスの経済力は、EU圏内で文句なしのトップランクだ。もしEU圏内で「助け合いましょう」の事態が多くなれば、イギリスは間違いなく「助ける側」に廻らなければならない。自国は損をする一方で、それで得られるものなど何もない。そういう「グローバル化」に対する胡散臭さが、イギリスでは蔓延していたのではないか。
そういう流れで見てみると、イギリスのEU離脱は、むしろ必然だったのではないか、という気がしてならない。


僕はかねてからヨーロッパのEU化を懐疑的に見ていたが、それに反する動きがイギリスから出てきたのが、いわば歴史を反映した事態に見える。
EU圏内で「助ける側」の国は、イギリスだけではない。EU経済は実質上、ドイツが動かしているし、オランダやフランスも外貨獲得が上手い。そういう国だって、ギリシアの一件以外にも、「なんで俺たちが損をしなければならんのだ」と感じることは多かっただろう。なのに、そういう国からはEU離脱の声が上がらず、イギリスからは上がった。それはなぜなのか。

それを考える際には、最近の、表に見える事態だけではなく、ひとの考え方の内面に関わる要因を考える必要がある。イギリスというのはどういう国なのか。イギリス人というのはどういう考え方をする国民なのか。



Bentham


ジェレミ・ベンサム(1748-1832)
イギリスの哲学者・経済学者・法学者。
「功利主義」の提唱者として知られている。

僕にとって、学生時代に受けた印象と、現在の印象がかなり変化している人が数人いる。ベンサムはそのひとりだ。学生時代は「無茶苦茶なこと言う嫌な奴だな」という感じだった。ところが実際にベンサムの著作を読み、当時の時代背景やイギリスの歴史の流れを考えてみると、その本意が徐々に分かってきたような気がする。

功利主義というのは、要するに「多くの人が幸せになれるのだったら、それが正義ってことじゃね?」という考え方のことだ。ちゃんと言うと「最大多数の最大幸福」という言葉で表される。
ちょっと考えれば分かるが、この考え方は、多数決の暴力に直結する。「多くの人が良ければそれでいい」という考え方は、言い方を変えれば「小数派を容赦なく切り捨てる」ということだ。また産業革命によって増大した資本家の「幸福」を実現するため、植民地獲得を指向する帝国主義の理論的背景となった。ひとむかし前に多くの書店が気が狂ったように売り出していた『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル著)でも、功利主義は批判対象の叩き台として使われている。

現在、功利主義の功罪が議論されるときには、おおむね「その後の世界に与えた影響」だけで判断されていることが多い。確かにこの考え方は、現在否定されている帝国主義を招いた一面があり、それは負の面として認識しなければならないだろう。
しかし、本当にベンサムを批判し、その思想を否定するのであれば、後世の影響だけを云々するだけでは「第二のベンサム」を阻止するための抑制力にはならない。なぜ、ベンサムはそんなことを言い出したのか。ベンサムが現れた前段階の歴史からつなげて考えなくては、功利主義の正しい位置づけはできない。

ベンサムが登場した時代背景には、「外面」と「内面」がある。
外面というのは社会経済史、内面というのは哲学思想史の範疇に入る。

外面的な背景としては、イギリスが世界で初めて市民革命を達成し、力づくで平等を作り出した歴史がある。この市民革命は、他のヨーロッパ各国に衝撃を与えた。生まれた時から身分階級が決められ、王や教会に隷属することが当たり前だと思っていたヨーロッパ各国は、「世の中って、もしかして実力行使で変えられるのか?」と啓蒙された。

ベンサムが生きた時代は、絶対王政が倒れ、市民が主権を持ち、経済活動が活発して産業革命が起きる過渡期だった。ところがベンサムの目には、移行する政治経済の形態は同じようなものに映ったようだ。「王・貴族」という小数派が絶対権利を持っていた時代に替わって、「資本家」という小数派が絶対権利を持つ社会に移行するに過ぎない。ともに、わずかな小数の特権階級が富を独占する形態に違いはない。

一般に誤解されているが、ベンサムは資本家寄りの経済重視主義者ではない。ベンサムは「幸福」とは何ぞや、を定義する際に、それを「本能的快楽」と定義づけた。これは弟子のミルからでさえ「下品」と蔑まれる事態を招いたが、これはミルの見方が狭かったというべきだろう。ミルは後述する、当時の「内面」的な背景に染まっていたと言ってよい。

ベンサムが「幸福」を「快楽追求」と定義したのは、便宜的なものだろう。別に個人が持ってる資産金額でも、愛人の数でも、女の子に告白された回数でも、何でもよかったのだと思う。ポイントはそこではない。
ベンサムが重視したのは、「個人の幸福度は、足せる」という計量的な考え方にある。「正しい社会のあり方は」と考えた時、その要因は社会の構成要因たる個々の人間に帰着する。されば、個人の幸福度を順々に足していった総和が、社会全体の幸福度ということになる。これを倫理・世界史の用語では「量的功利主義」という。

ここで重要なのは、「個々人の幸福度を足す」ということは、その対象者に区別をしない、ということだ。貴族も資本家も労働者も、誰もが等しく「快楽追求」の原則の前では、同じ対象者に過ぎない。つまりベンサムは、「誰もが平等」という理念を持っていた。
実際に、このベンサムの量的功利主義は、のちにイギリスが世界に先駆けて「ひとり一票」の普通選挙を実現する背景となる。

ベンサムは、経済学者であるだけでなく法学者でもある。当時、社会を律する規則は宗教的道徳観だった。「神が見ているからそんなことをしてはいけません」という道徳だ。しかし、ベンサムはそれに「何を言っているんだ」と堂々と反論する。個人の幸福が「快楽追求」を基にしているのであれば、神がどうのこうの言ったところで効果はない。僕自身の経験からしても、自分の中で「快楽の追求」と「道徳観」が戦えば、勝率8割で前者が勝つ。

そこでベンサムは、社会を律する原則として「法律」を提唱した。個人は幸福の実現手段として快楽を追求しても良い。しかし、社会を脅かすような個人の快楽追求は、法によって規制する。
ベンサムの仕事をよく見てみると、法体系の整備にかなりの力を割いている。選挙権を拡大すべく選挙法を改訂しているし、囚人を一望に監視できる円形監獄を発案したものベンサムだ。法によって社会を律するシステムは今日でこそ常識だが、宗教による支配が強かった中世から、人間中心の世界に移行する過渡期にあって、法によって社会の規範をつくる発想はかなり掟破りなものだっただろう。


ベンサムの時代背景のうち「内面」のものは、当時世界の思想界を席巻しつつあったドイツ観念論哲学だ。雑に言うと、カントによって提唱され、ヘーゲルによって大成した。
ドイツでは、イギリスやフランスのような市民革命が起きていない。起きようがなかったのだ。ドイツでは各諸侯が分裂状態にあり、ひとつの国家として絶対主義を敷く「絶対君主」がいなかった。革命が成り立つには、革命が倒すターゲットがひとりである必要がある。国がいくつにも分かれ、国王が10人も20人もいる状態では、革命になりようがない。

そんなドイツでは、イギリスやフランスのように、わかりやすく革命によって社会のしくみを実際に変えるよりも「自分たちの内面世界を変えたほうが早くね?」という話になる。心の中に理想的な社会を夢想し、観念としての「あるべき世界の姿」を現実世界に投影するほうが、望ましい社会を実現できる。「まず動く」のイギリス・フランスに対し、「まず考える」のドイツ、という構図は、この頃に確立した。こういう流れで生まれたのが「ドイツ観念論哲学」だ。

ドイツ観念論哲学は、その発生背景から分かる通り、実践が伴わない。「理想的な世の中」を、頭の中で考えているだけだ。理性を動員し、道徳律をつくりあげ、それに従って生きる規範的な世の中を夢想している。カントは個人レベル、ヘーゲルは国家レベル、という違いこそあれ、上から目線で「世の中はこうあるべし」という規律をつくろうとしたことに変わりはない。

ドイツ観念論哲学は、当時すでにヨーロッパ中に拡散していた啓蒙主義と合致し、市民理念として革命運動の理論的背景となった。啓蒙主義というのは「神とか国王とか、ぜんぜん当たり前じゃなくね?自分の眼で見てみ?自分の頭で考えてみ?」という流れだ。身分階級差による差別が当たり前「ではない」ということを言い切った考え方だ。
啓蒙主義によって「自分たちの国をつくれる!」と盛り上がっても、いざ革命を起こしても国の作り方が分からない。国としてもつべき理念が分からない。そこにドイツ観念論哲学が「国っていうのはこういう気持ちで作るんだ」という「答え」を与えた。

イギリスも市民革命を経験した国として、市民感情としてドイツ観念論の影響を受けていた。要するに、「道徳に従って、人として正しい生き方で、ちゃんとした国を作らなきゃな」という理念だ。
当然ながら、そんな理念は実現できない。いままで人間が作った政権で、そんな綺麗すぎる理想を実現した例などひとつもない。みんな実権や特権を握ったらそれに固執し、「自分だけ良ければそれでいい」という我がままを言うようになる。

そういう流れで、ベンサムは功利主義を提唱した。為政者の「自分さえ良ければそれでいい」という、小数による幸福独占に対して、「おいおい」と突っ込みを入れたわけだ。しかも、道徳だの理想だの建前論を並べる観念論哲学に対して、「なーにきれいごとばっかり並べてるんだ、できもしないくせに」と啖呵を切った。いわばベンサムは、きれいごとばかり並べて現実が伴わない世の中を喝破し、人が見ない振りをしていた人間の暗部を白日の下にさらけ出した。
後世、ベンサムの功利主義を「下品だ」「勝手過ぎる」と批判した哲学者は、まー道徳律に満ちた、それはそれは美しい思想を生み出した、ご立派な人たちばかりだ。そして、そういう批判者が、実際に行動して理想の社会を作り出した例は、ひとつもない。

ドイツ観念論哲学の基本理念として、「人間の理性を信じる」という性善説がある。これをベンサムは全否定した。ベンサムは最初から、「人間は理性的な存在」とは微塵も思っていなかった。人間は放っとけば本能的な存在であり、快楽のままに生きようとする。それを否定するのは自己欺瞞だろう。本能的な存在だからこそ、法を整備し、システムによって個々人の暴走を制御する必要がある。

こういう考え方が、イギリス人のベンサムから出てきたというのが面白い。イギリスの道徳観は、とにかく固い。ビクトリア朝時代の厳格な道徳律、ノブリス・オブリージュと称される特権階級の義務感、英国紳士の儀礼作法。がっちがちの道徳律だ。
こういう国から、「快楽を追求すりゃ、それが幸福ってことだろ」と本当のことを言い切る人間が、いきなり出てくる。それがイギリスという国だ。ひとつの考え方が支配的になった時、必ず「それって違くね?」と逆を向く人が出てくる。

考えてみれば、ヨーロッパの歴史上、時代の常識を覆す新い理念は、常にイギリスから出てきた。絶対王政が当たり前だった中世に、市民革命を起こした。キリスト教の権威が絶対的だった時代に、国王がキリスト教を捨てた。キリスト教的な世界観に逆らうと死刑だった時代に、ニュートンの科学、ロックの政治思想で、「神の世界」に平然と叛いた。イタリアはガリレイを宗教裁判にかけ弾圧したが、イギリスではニュートンは国会議員を勤めている。

「道徳と理性によって良い世の中を」という理想論が席巻していた時代に、ベンサムは「いやいや、人間はそんなに高尚にはできていないだろ」と言い放った。全員が右を向いている時に、ひとりだけ左を向く。伝統的にイギリスは、そういう思想を許容する文化的背景をつくりあげてきた国なのだ。そしてベンサムというのは、当時の常識に逆らい、本当のことをズバッと言い切る「変な人」だった。

現在、「グローバル化万歳」の大合唱の世界において、イギリスがEU離脱という「流れに逆らう決断」をしたのは、こういう歴史的背景の延長上にあるような気がしてならない。しかも、その根本原理は「理想論ばっかり言ってても、EUによって実際には俺らの暮らし悪くなってね?」という、きわめて功利主義的な理由だ。今回のイギリスのEU離脱を見てみると、18世紀にベンサムによって引き起こされた功利主義のインパクトが、再生産されているように見える。

つまり、どんなに理想主義者がベンサムの功利主義を批判し否定しようとも、昨今の世界の流れは、彼の考え方が一面では正しかったことを示している。ベンサムの思想を「こうあるべき」論で捉えるのではなく、「事実はこうだろ」論で捉え直してみると、否定するのは難しい。

それは、ベンサム思想の最大の弊害といわれる帝国主義にもあてはまる。帝国主義は、国家レベルとしての「欲望のままの最大幸福」を極限まで突き詰めた形態だ。
もともとベンサムは、幸福追求に伴う抑止装置として、法の体系の必要性を説いた。幸福追求権と法体系は、車の両輪のように片方が欠けてはならないものだ。ベンサムの幸福追求論は、常に「法の範囲の中で」という但し書きがついている。国という範疇の中であれば、国民の幸福追求と、国が定める法体系で、適切な社会のあり方が求められる。

しかし、国と国とがぶつかる帝国主義の時代には、国同士を制御する国際法を定められる主体がなかった。法という規範がない状態で、国同士が勝手に幸福を追求すると、どういうことになるか。それが帝国主義時代の有様だった。
帝国主義時代にも、ベンサムのように「植民地を作りまくる帝国主義って、何かおかしくね?」と提唱するイギリス人が出てきても、おかしくなかったと思う。しかし実際には出てきていない。それはベンサムの「人は理性で生きてはいない」「人は、利益や幸福を追求するようにできている」という考え方が、正しかったことを示している。


伝統的な道徳律が固いイギリスでは長いこと、同性愛は投獄対象となる「犯罪」だった。しかし、ベンサムは200年以上も前に同性愛を合法化する提案をしている。「誰に対しても実害を与えず、むしろ当事者の間には快楽さえもたらす」という理由だ。ひとの理念が決めつける「道徳観」と、ベンサムの理念と、どちらが正しいのか、いずれ時代が判断を下すだろう。
産業革命、帝国主義の時代に限らず、EU離脱、同性愛の法的処置に至るまで、イギリスはまだベンサムの手の内で踊り続けているように見える。



美し過ぎる理念を唱えた共産主義の末路で答え合わせは充分だろ