最近、ちょっと面白い本が復刻出版された。


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岩淵悦太郎 編集、角川ソフィア文庫 


文章作法の本は数多く出版されているが、その中でもまぁまぁ面白い本。
僕は復刻前の第三版を読んだことがあるが、このたび文庫として復刻した。こういう「名著」が文庫で復刻されて読みやすくなるのは、非常によろしい。

数ある文章作法の本の中で、良書と屑を見分ける方法は簡単だ。そこで引用されている具体例を見比べればよい。良書というのは、具体例を見るだけでも充分に勉強になる。

端的に言えば、よい文を書けるようになるためには、よい文をたくさん読み込まなければならない。ところがほとんどの文法指南書には、よい例としてのお手本がほとんど載っていない。その理由は、本が「この文がお手本ですよ」として「よい文章」「正解」を載せてしまうと、その文がその本の程度を決めてしまうからだ。どんな美文・良文だって、必ず改良の余地がある。それにビビって、お手本を示さない指南書が非常に多い。

ところがこの「悪文」は、怯みもせずに「よい文章のお手本」を堂々と載ってけている。これだけでも相当な自負の上に書かれた本であることが分かる。チャレンジとして充分に評価できる。
この本は、今となっては「名著」として崇め奉られる本となってしまっているが、その内容の価値は、むしろそういう試みを怯まずに行なっている、挑戦的な意欲にあると思う。守りに入らず、攻めの姿勢で書かれた本といってよい。

悪文を書く人の特徴は、「自分が悪文を書いている」という自覚がないことだ。どういう文が悪文で、そのどこが悪いのかが分かっていない。だからこの本は、まず悪文というのはなぜ悪文なのか、それを示すことから始めている。さらに、その文をきちんとした文章に書き直した「添削例」まで示してある。

悪文の例として本書が掲載している文章は、決して学生の作文のようなものだけではなく、新聞記事や雑誌記事など公に出版されているものもある。そういう、いわば「プロ」の書いた文章の欠点をあげつらうことは、一般的にタブーとされている。書いた文章に欠点があることは、お互い様だからだ。しかし本書では、そのタブーをものともせず、悪文は悪文とはっきり言い切り、酷評している。

エゴの位置するシテュエイションを破壊する為には、自殺まで辞さなかった潔癖さと、通俗性の中に埋没するのを辞さない時代への忠実さと表裏をなして、それぞれの方向に解体していったところに大正の近代文学の運命があった。

この本の冒頭で示されている例だ。確かに悪文だろう。なにせ、一回読んだだけでは意味が分からない。専門知識がある・ない以前の問題だ。こういう文を書く人の中には、わざと分かりにくい言葉や構文を使って衒学的な文を弄する人もいる。そのほうが学術的に品位が高い、という勘違いをしている人もいるだろう。本書は、そういうお高く止まった知性主義を「馬鹿ではあるまいか」とばっさり切って捨てている。


統制をはずして行こうとするこのような動きに対しては、生産者と農協が協力して、予約数量の売り渡しを早めに完了することはもちろん、進んでそれ以上に、余る見込のお米を積極的に政府に売渡して、その実績をあげることが、当面の特別集荷制度の実施をはばみ、従来の強権による供出割当制度の欠陥を是正し、生産者の増産ならびに自主的な売渡しの意欲を高めようとするこんどの予約売渡制を、今年も存続させる事にもなる上に、増配という形で、消費者の期待にもこたえることが出来るのであります。

これで一文、という長い悪文の例。しかもこの文、ラジオのニュースで読まれた文だというのだから恐れ入ってしまう。これを一度聞いただけで理解できる人などいるのだろうか。

かようにこの本は、引用されている「悪文」の例がなかなか面白い。日常的に、かなり時間をかけて言語資料を集めている人が書いている。書き方の原理原則を論じている部分と、具体例としての言語資料の分量的なバランスが非常によい。読んでて面白いし、文章を書く時の心得をつくるためにはよい本だろう。


僕も大学で文章の書き方なんぞを教えることがあるが、実は文章の書き方というのは、中学3年生までの国語で習うことがほぼすべてといってよい。だから、どんな文章作法の教科書を読んだところで、「今まで知らなかった新しいテクニック」などというものは出てこない。野球のルールを知っていても野球がうまくプレイできるわけではないように、文章作法を知っていてもそれを実践できない人が多い。

「文章を書く」というのは一般的に頭脳的作業だと思われがちだが、実のところ料理や日曜大工と同じような単純な肉体的作業に近いと思う。要するに、経験が熟練度を決める。毎日文章を読み、書いていれば、そこそこの文章は書けるようになる。良い文章と悪い文章の見分けもつくようになる。

文章を書くのが下手な人というのは、毎日文章を書いていないのではあるまいか。 自分の書いた文章を他人に添削されたことも、批判されたことも、あまり経験していないと思う。欲を言えばそういう経験を経るのが王道なのだが、学校にでも通っていなければ、なかなかそういう環境は得られない。そのための代替経験として、こういう本で、圧縮してある文章経験を仮想体験してみるのもよいかもしれない。



笑っちゃうような面白い例も出てましたぞ。