唐代の詩人・張継に「楓橋夜泊」という詩がある。

月落烏啼霜滿天
江楓漁火對愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘聲到客船


(書き下し文)
月落ち烏啼きて霜天に満つ
江楓の漁火愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声客船に到る


(現代語訳)
夜が更けて月は西に傾き、烏が鳴き、霜の気が天に満ちている
漁火の光が運河沿いの楓の向こうに見え、旅愁を抱いて眠れないでいる私の目にチラチラして見える
姑蘇城外にある寒山寺から夜半を告げる鐘の音が響いている。
その鐘の音はこの船にまで聴こえてくる。


あまり日本では有名な漢詩ではないが、典型的な七言絶句で、対句や脚韻も教科書通り。学校で漢文をひととおり習った人であれば苦もなく読める平易な詩だろう。
大運河を旅する途中、蘇州郊外での旅愁を詠ったもので、張継の代表作として知られている。詩に詠まれている寒村寺(中国江蘇省蘇州市姑蘇区)には、この詩碑が立っている。

この詩が有名なのは、のちに解釈をめぐって論争が起きたからだ。
「老学庵筆記」巻の十では、欧陽脩がこの詩について異議を唱えたことが記載されている。

張継の楓橋夜泊の詩に云ふ、姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到客船と。欧陽公之を嘲りて云ふ、句は則ち佳なるも、夜半は是れ打鐘の時にあらざるを如何せんと。後人また謂ふ、惟ただ蘇州にのみ半夜の鐘ありしなりと。皆な非なり。按ずるに于邺、褒中即事詩に云ふ、遠鐘来半夜、明月入千家と。皇甫冉、秋夜会稽の厳維の宅に宿すの詩に云ふ、秋深臨水月、夜半隔山鐘と。此れ豈に亦た蘇州の詩ならんや。恐らく唐時の僧寺には自ら夜半の鐘ありしなり。京都街鼓今尚ほ廃す。後生唐の詩文を読んで街鼓に及ぶ者、往々にして茫然知る能はず。況はんや僧寺夜半の鐘をや。


文意はなんとか根性で読んでいただきたいが、下線部だけを現代語訳すると

かの欧陽脩でさえこの詩をおかしいと笑っている。「詩句としては素晴らしいが、詩の中の『夜半』というのは、通常、鐘をならすべき時刻ではない」とのことだ。


張継の生没年は不詳だが、唐時代の作家だからおおむね8世紀ごろの人物といわれている。欧陽脩は11世紀の人物だから、両者が生きた時代にはおよそ300年の開きがある。
「老学庵筆記」の作者は、この300年の間に「詩の読み間違いが起きた」と論じている。

「老学庵筆記」の続きには、欧陽脩による批評に対して「いや唐代には、蘇州だけ夜半に鐘を鳴らす習慣があったのだろう」という巷の反論を載せている。
それに対して筆者は、欧陽脩も巷の反論も「両方とも間違い」と断じている。

その根拠として筆者は、于邺の「褒中即事」と、皇甫冉による詩の、2編の詩を挙げている。
「褒中即事」には、長安の地で詠んだ「遠くから響く鐘の音が真夜中に聞こえてきて、明々とした月の光がどの家にも差し込んでいる」という詩が収録されている。
また皇甫冉は、会稽の友人宅に宿泊した際に「秋も深まり月は川面を照らし、夜も更けて鐘は山々を越えて響いている」という詩を読んでいる。
長安も会稽も、蘇州からかなり遠く離れた土地だ。だから「蘇州だけ真夜中に鐘を鳴らす習慣があった」という巷の言説は誤りだ、ということになる。

それを受けて筆者は、「そもそも唐代には、国中で、時報として寺社の鐘を鳴らす習慣があった」と仮説をたてている。時間を知らせるための鐘なので、当然、真夜中にも鐘を鳴らしていただろう。電気も通っていない昔のこと、そういう真夜中というのは普通の人が起きている時間ではないのだろうが、だからこそそんな真夜中に聞こえてくる鐘の音が、詩歌の題材になり得たのだろう。

しかし時代が下って、時報として寺が鐘を鳴らす習慣がなくなってしまった。そうなると、当然ながらお寺が真夜中に鐘を鳴らしていたという習慣など誰も知る人はいなくなってしまう。そういう、唐代の習慣を知らない人が当時の詩を読むと、つい時代背景の違いから誤解が生じて、詩を誤読してしまうのではないか・・・という説だ。


閑話休題。
昨今、日本の大学では、文部科学省が文系学科の再編を促す通達を頻繁によこしてくる。文系学科とはいっても、要するに文学部が対象だ。文学や歴史学などという、「世の中に出てから何の役にも立たない学問」を減らして、目に見えて成果が分かりやすい自然科学系の科目を増やすように、とお達しを突きつけてくる。

それに対する教員、学生の反応がまた面白い。彼らは心のどこかで「文学の教育が減らされるのは仕方がないな」と思っている節がある。自分が志して選んだ学問分野に対して、その存在意義を広く知らしめようという気概がまったく感じられない。

ためしに文学専攻の学生をつかまえて「文学っていうのは、一体何を学ぶ学問なの?」と聞いてみると、これまたおかしいことに、誰一人としてまともに答えることができない。「文化的遺産としての文学を知ることで、この国の文化の価値を云々」「文学で描かれる人生や人間の真理を深く追求することで云々」などと、何を学んでいるのやら甚だ怪しい言説がふわふわと出てくる。

そういう学生の卒業論文を読んでみると、まぁ、読書感想文に毛が生えたようなもの。「人文科学」を標榜する文学研究の風上にも置けない。そういう学生に、ためしに「文学研究ってのは、読書感想文とどう違うの?」と聞いてみると、ごにょごにょとお茶を濁してはっきりした答えが返ってこない。どうやら文学専攻の学生の間では、その違いをずばりと問うことは、タブーになっているらしい。
文学を学んでいる側が、「文学とは何か」をしっかり理解していないのであれば、そりゃ文部化学省に「削れ」と言われても、ぐぬぬと窮してしまうのは仕方なかろう。

大学で行われている知的活動は、そのほとんどが科学的方法論を土台としている。文学や歴史学という、一見科学と関係ない分野でも、その思考法と方法論は科学を基本としている。
まず、そこのところを誤解している学生が多いのではなかろうか。

数学や論理学のような公理系をもつ形式科学は別として、ほとんどの科学は「経験科学」という方法論に基づく。
経験科学の出発点は、「疑問をもつこと」である。科学というのは「答えを導くもの」と思っている人が多いが、実は反対で「問いを立てること」が目的と言っても過言ではない。世の中の誰も気づいていない問題を発見することが、科学の第一目標なのだ。

問いを発見したら、客観的な根拠に基づいて、仮説を立てる。
仮説を立てたら、「その仮説が正しいとしたら、こういうことになっているはずだ」という予測を立てる。
予測を立てたら、それが正しいかどうか、実験したり文献調査をしたりして確認する。

そして、予測が正しかったら、また別の予測を導いて実験する。
もし予測が間違っていたら、仮説を立て直して、それに基づき予測を立て直す。
つまり、「科学」という営みには、明確な「あがり」は存在しない。仮説の立て直し、予測と検証、の延々と続く繰り返しなのだ。だから、山の頂上に達しないと満足できない人は、経験科学には向かない。

世の中の「経験科学」に属する分野、つまり物理、化学、天文学、地質学などは、すべてこの方法論に基づいている。扱う対象を人間の行為に拡張した心理学、社会学、法学、歴史学などの「社会科学」、人間の内面を扱う文学などの「人文科学」なども、基本的な思考方法は同じだ。

卒業論文が「感想文」になってしまっている文学専攻の学生の特徴は、出発点として「問いを立てていない」ことだ。そもそも、解くべき謎がはっきりしていない。小学校のときに夏休みの宿題に課された「読書感想文」をべらぼうに長くしたものが「文学の論文」だと思っている。そういう学生の書くものは、「読みました」「こう思いました」「これからこうしていきたいと思います」の3つの内容しかない。卒業論文の枚数制限をクリアするために、本文のあらすじを延々と説明しており、ひどいのになると「原著よりも長いあらすじ」なるものも出没する。

それに比べると、中国中世の著作のほうが、よほどしっかりと「文学」を行っている。
「老学庵筆記」巻の十で考察されている謎は、明快だ。要するに「唐代では、本当に真夜中に鐘を鳴らしていたのか」という疑問点。欧陽脩はそれに異を唱え、巷では地域限定でそれを是とする意見があった。

普通に考えれば、偉大な詩家である欧陽脩が「夜中に鐘が鳴るなんて、そんなバカなことあるか」と言ってしまえば、その意見が「事実」として世の中に認められてしまうことだってあるだろう。しかし「老学庵筆記」の筆者は、大欧陽脩が何と言おうと、「それは違うんじゃないか」という冷静な判断を下している。

それを議論する過程で、「老学庵筆記」は科学的方法論をきちんと踏まえている。すなわち、自分の主観や感想で議論を進めるのではなく、「同時代の著作」という客観的な証拠によって持論を組み立てている。「この時代の著作にはこういう記述があるから、この箇所はこのように解釈するべきではないか」という仮説の立て方になっている。

つまり、「老学庵筆記」は、それ自体が文学的著作というよりも、科学的方法論に基づく「文学研究」なのだ。
文学作品と、文学研究は、まったく違う。文学作品というのは、作者が自身の世界観に基づいて、主観まる出しで内面世界を描いても良い。しかし「文学研究」というのは、客観性が保証された科学的方法論に基づいて行わなければならないものだ。

「老学庵筆記」には、「文学がするべき仕事」が、明確に記してある。
文学作品というものは、長く後世に残れば残るほど、それが書かれた時代と読まれる時代に隔たりが生じる。読む時代によっては、当時の常識や時代背景が失われ、その意図が誤読されてしまう危険がある。
文学研究の仕事は、そうした時代の齟齬が生じないために、作品が書かれた時代ごとの価値観や時代背景を、後世に保存することだろう。現代的な価値観で読んでしまっては、当時にその物語がどのように読まれていたのか、理解することができなくなる。欧陽脩のように、自分の生きている時代の常識に基づいて作品を誤読する危険が生じてしまう。

シャイクスピアの作品に『ヴェニスの商人』という作品がある。全編を通して、ユダヤ人に対する差別意識が全開の作品だ。これを現代的な価値観で「ユダヤ人に対する差別許すまじ」と断じて、この本を発禁処分にして焚書にすることは、妥当な姿勢なのだろうか。

マーク・トウェインの作品に『ハックルベリー・フィンの冒険』という作品がある。主人公の少年が、逃亡奴隷のジムとミシシッピ河を延々と下るロード・ムービーのような作品だ。黒人の逃亡奴隷ジムはとても迷信深く、しょっちゅう状況判断や行動指針に滑稽な過ちを犯す。これを現代的な正義に基づいて「黒人に対する偏見許すまじ」と批判して、作品を闇に葬ることが正しいことなのだろうか。

「これからの世の中がこうあるべきだ」ということと、「いままでの世の中はこうだった」ということを、混同してはならない。現代の価値に合わない過去の価値観を弾劾することには、何ら生産的な価値はない。単に「いまの自分にとって不愉快なものを抹殺する」という、自分勝手な姿勢だ。人間は過去に数多の過ちを犯してきたが、大事なことはその過ちを正しく理解できる形で保存することであって、過ちを嫌って見ない振りをすることではない。『ヴェニスの商人』や『ハックルベリー・フィンの冒険』を禁書にするという行為は、例えて言えば、民族の大量虐殺を行ったアウシュビッツ強制収容所を「このような施設はけしからん」と取り壊す行為に相当する。

書かれた時代と読まれる時代の差が大きければ大きいほど、文学研究が果たすべき役割は大きくなる。失われた価値観を蘇らせ、それを後世に保存することで、新たに見えてくる当時の姿がある。古典文学を「何言ってるんだこれ」と笑い否定するのではなく、その作品を通して時代に穴を開け、はるか昔の世の中のあり方を覗く営みが必要になる。

つまり、「文学研究」というものを行えること自体、その国が豊かな文学的遺産を多く有していることに他ならないのだ。文部科学省がなにか「新しいこと」を提言するときは、そのほとんどが、アメリカの教育のやり方に悪影響を受けていることが多い。文学分野の削減も、おそらくその手の影響を受けているだろう。

しかし、240年たらずの歴史しかもたないアメリカの「文学研究」など、たかが知れている。240年前の常識であれば、現在でも理解できる範疇のことが多い。よそ者の寄せ集まりで、論理と正義をひけらかして発展してきたアメリカごときの社会的通念など、真っ当な「文学研究」が必要なほど、大した変遷を経ているわけではない。アメリカでは「文学研究など役に立たない」のではなく、「そもそも文学が成り立つほど国が歴史を有していない」だけなのだ。

アメリカよりも比較的ましな歴史をもつイギリスでは、ケンブリッジ、オックスフォードなどの「国を導くエリート」を養成する大学で、文学的素養をみっちりと身につけさせる。それが直接的に世の中に何の役に立つかなど一切問題にせず、国の辿った歴史を学び、過去の人々が何を感じ、何を考えていたのか、文学を通してみっちりと体感させる。「役に立たない教養」をたっぷりと身につけてこそ、迷いなく国を導くリーダーを育成できる、という信念がある。

日本では、その点をしっかりと教えていないのではないか。日本は世界の国の中でも、長大な歴史と豊富な文学作品を蔵し、一国の中だけで「文学研究」が成り立つ、数少ない国なのだ。中学や高校で古典を教えるとき、その意義をしっかり伝えて授業をやっているのだろうか。その目的がはっきり伝わっていれば、「いまの時代では使わない知識だから古典は無駄」などと夜迷い言を抜かす生徒はいないはずなのだ。

日本以上に長大な歴史を有する中国では、数々の焚書坑儒や、近年では個人崇拝以外の価値観を全滅させる文化大革命によって、自国の文化的資産を自ら棄てる政策を行った。こういう政策をどのように評価するのか。学校で「古典」という科目から学ぶべきことをしっかり学び、「文学」という研究分野の目的と価値をきちんと理解していれば、自ずと答えは明らかだろう。



タイムマシンなんて要らないんだよ。