民・維合流へ 穏健な改革勢力目指せ
(2016年02月24日 毎日新聞社説)
公政権との対立軸がみえる野党結集を
(2016年02月24日 日本経済新聞社説)
民主と維新 政策なき合流に新味なし
(2016年02月24日 産経新聞社説)
野党勢力結集 「安倍政治」の対抗軸を
(2016年02月24日 東京新聞社説)
民・維合流へ 「反安倍」超える価値を
(2016年02月25日 朝日新聞社説)



このまま夏の参議院選になだれ込むのかなーと思っていたら、その前に大きな動きがあった。
第一野党の民主党と、維新の党が合流することで基本的に合意。ともに「今のままでは参議院選を戦えない」という、苦肉の策だろう。

両党の合併話は去年の12月あたりから噂されていたが、具体的な方法や施策などについてはまったく提示されておらず、単なる「おはなし」の域を出なかった。それがこの時期に話が具体化したということは、この合併話は政党の指針に端を発する根源的なものではなく、単に参議院選から逆算した時期的な事情だろう。「やばいやばい選挙に勝てない」という事情から、弱いもの同士がとりあえず集まった感がある。


新党名「民主」残るか…「誇りある」「一新を」
(読売新聞 2月24日(水))
民主、維新両党の合流では、新党名に「民主」の名称が残るかどうかが最大の焦点となりそうだ。 民主党の野田前首相らは、党名に「誇りがある」として大幅な変更には否定的だ。名称の存続にこだわる議員の間では「立憲民主党」や「新民主党」などが新党名として取りざたされている。


そんなに誇りがあるなら合併なんかするなよ、と思うのだが、こういう後ろ向きの発言が出てくることからも、民主党としても「したくてするわけじゃない」ということなのだろう。
参議院選を夏に控えて、マスコミとしてはこの合併をどのように捉えているのだろうか。

今の自民党政権は、マスコミにしてみれば、いわば「記事が書きやすい」政権だろう。経済と外交で方向性が突出して顕著であり、異論と反論がわきあがる微妙な問題にビシバシ切り込んでいる。それを矢継ぎ早に実行しているということは、それだけ政権運用能力が高いということの証左でもあるわけだが、その施策が正しいかどうかの議論が放っとかれたまま暴走している面もある。左派のマスコミからしてみれば、それを批判して、政権に対するネガティブキャンペーンを張るのは簡単だ。いまの安倍政権であれば、どんな無能な記者でも批判記事が書ける。

その姿勢が高じると、「政策の妥当性は置いといて、とにかく安倍政権は倒さなければならないのだ」という、反政権ありきの記事が乱発する。そういう記事には例外なく、代案となる施策の提言がない。僕は現在の民主党政権には政権担当能力がないと見ているが、その大きな理由は自民党政権への批判ばかりで、それに続くべき妥当な代案が全くないからだ。勢いだけで政権を奪取し、その施策内容が空虚だった失態をすでに一度犯している。その頃から、施策能力という点で進歩しているようには見えない。安倍政権はいずれ倒さなければならない政権なのかもしれないが、その担い手はこいつらじゃない、という気がしてならない。

今回の合併を評価する際にも、そのポイントが最も重要な焦点だろう。有権者としては、この合併をどう評価するかで、参議院選で投票する相手が決まってくる。だから厳正な目でこの動きを評価する必要がある。 その際、焦点となるのは「この合併政権には、はたして政権運用能力があるのか否か」の一点だろう。
選挙というのは、それに勝つこと自体が目的なのではなく、その先にある政権を担当する資質を有権者に示すのが本来の目的だ。だから今回の合併話を評価する際には、焦点を「選挙」に絞りすぎず、「政権担当能力」の有無を冷静に判断する必要がある。

だから今回の社説の中でも、「選挙」「選挙」と連呼し、とりあえず打倒安倍政権だけを叫んでいる社説は、下の下と評してよい。「合併したところで、ちゃんと施策能力はあるのか?」と、選挙の先を見据えて問題提起をしている社説が「合格」だろう。


その基準で採点すると、合格は日経、産経、朝日。
不合格は毎日、東京。


毎日新聞は、分からないように工夫して書いているが、要するに選挙のことしか言っていない。現在の安倍内閣は歴代の自民党政権のなかでも突出して右傾化が進んでおり、もともと党内に共存できた左派系の議員の居場所がなくなっている。良く言えば政党としての基本指針が堅固になっているということだが、悪く言えば懐が浅く、多様性を認めず狭い人材で固まっている。
毎日新聞が言っているのは「今回の合併は、そういう自民党内で浮いた人材を吸収するために絶好」ということだ。なんのために絶好かといえば、「夏の参議院選を勝つために」である。その先にある政権運用能力など、毎日新聞は知ったこっちゃない。党の再編によって人材があーだこーだ言っているが、記事の目線が近く、日本のあるべき方向をきちんと見ている社説とは言い難い。ヨーロッパのサッカーリーグじゃあるまいし、有権者はどの議員がどの政党に移っただの、どのチームとどのチームが合併しただのという話には興味がない。

いちばんひどいのは東京新聞だ。これは社説と呼べるものではなく、読者を煽動するためのシュプレヒコールに過ぎない。安倍政権打倒のみを焦点とし、それに合致する動きである今回の合併を大絶賛だ。東京新聞の社説を要約すると、「安倍政権の支持率なんてものは、『他に誰もいない』程度の支持層が多いんだから、だいじょうぶ倒せる倒せる。野党は参議院選がんばれ」だ。妥当性を検証してから意見を述べるのではなく、先に意見ありきで現実をそれにあてはまるように押し込める、煽動記事の最たるものと言える。

左派系の新聞のなかで、東京新聞と真逆の書き方をしているのが朝日新聞。
朝日は、東京新聞のようなお気楽なお花畑とは違い、今回の合併を「そうでもしなければ参院選を勝てない」ゆえの苦渋の選択、と見ている。その上で、「その程度の目くらましでは、安倍政権は簡単には倒せないからな」と冷静に釘を刺している

ただし、衆院で100人近い勢力となる民・維の「新党」は、「反安倍」の一点にとどまっているわけにはいかない。民主党には異論があるだろうが、安倍首相は政権に返り咲いてから、経済再生の取り組みに一定の評価を得てきた。また、安保関連法成立後は、「同一労働同一賃金」など民主党のお株を奪うような政策を打ち出している。少子高齢化や財政難といった厳しい条件を考えると、取りうる政策の幅はそう広くない。そのなかで、安倍政権への政策的な対立軸を打ち出すのは容易ではない。それでも、これからの日本がめざすべき社会の姿や共有すべき価値観は何なのか。はっきりと国民に示せなければ、政権交代の選択肢にはなり得ない
(朝日社説)


今回の合併話で言うべきことは、これが全てではないか。
野党が合併したところで、票の上では与党に迫ることはできるかもしれないが、そういう寄せ集め集団に政権を担わせたらどういうことになるか、もう日本国民はいやというほど経験している。今回の合併でいう「党派同士の擦り合わせ」というのは、別に新党名に民主の名前を残すかどうかなどということではなく、安倍政権以上に説得力のある施策の基本方針を早期に打ち出すことだろう。それがなくては、参議院選で夢と希望を語るだけの、根拠のない大ほら吹きになるだけだ。

毎回の社説できっちり平均点を越える日経は、今回もポイントをはずしていない。ただでさえ党内の意見調整が難しい民主党に維新が合流すれば、いままで以上に党としての基本政策が問われることになる。有権者の目線で今回の合併をきっちり見ているといえる。

重要なのはそうした手続きではなく、政策の一致である。「政権交代」しか訴えるものがなかった民主党政権が内紛続きで自滅したことは記憶に新しい。日本経済をどう再生させるのかをはじめ、憲法や外交・安全保障など基本政策でずれを抱えたままで二大政党の一翼を担うことはできない。 民主党はもともと党内にさまざまな考えの議員がいる。そこに維新が加わるのだから、よほどしっかり方向性を定めないと、「一皮むけば野合」(自民党の谷垣禎一幹事長)との批判をはね返せまい。今後の合流協議は政策重視で進めてほしい。
(日経社説)

過去の野党共闘は政策の食い違いを与党に突かれ、最後は足の引っ張り合いで終わることが多かった。与党内に衆参同日選の待望論があるのは、野党の選挙協力は参院選ではできても、選挙区の数が多い衆院選ではできないとたかをくくっているからだ。 将来の政界再編の芽か、単なる選挙互助会か。有権者がみているのはそこである。
(同)


保守系の産経新聞の書き方は手厳しい。維新には、民主党を離党した議員も含まれている。それがまた合併したということは、政策理念に矛盾はないのか、とチクリと刺している。

昨年からくすぶってきた合流構想が一気に進んだのは、今夏の参院選が近づき、野党がばらばらの状態を解消したいからだろう。安全保障関連法の廃止法案を共同提出した直後でもある。 だが、いくら手続き論を先行させても、自分たちならこの国のかじ取りをどうしたいという肝心の点が分からない。青写真を示そうともしない点は首をかしげる。

維新には民主党出身の議員もいる。松野氏は鳩山由紀夫政権下で官房副長官を務めたが、野田佳彦政権下で社会保障・税一体改革関連法に反対した。 党を除名され、旧維新の結成に動いたが、その後、政策的判断がどう変わったのか。受け入れる民主党も、一体改革について今後、どのような姿勢をとるのか。

両党は昨年12月、統一会派の結成に向け「基本的政策」で合意した。だが、憲法や行財政改革など違いの大きい課題は玉虫色の表現で済ませた。 重要な政策のすり合わせを棚上げして、巨大与党との論戦を展開していくことなどできない。 目指す政治理念の実現に向けて離合集散を重ねることは、否定されるものではない。だが国費をもらいながら政党を作っては壊し、結局はもとのさやに収まる。 ほとぼりが冷めたから、では国民への説明にならない。自民党から「政党として未成熟」と酷評されるのも無理はないだろう。
(産経社説)


相手の矛盾を指摘するのは、議論の際の基本的な技術だ。今回のトピックではあまりそういう議論のしかたに意味はないが、合併話が本質的な必要性から生じたものではなく、選挙のための小手先の方策だということを批判する役には立つだろう。

民主党は国政選挙の前になると、やれタレント議員を擁立するだの、やれ合併改名だの、こざかしい印象操作で選挙戦を勝ち抜こうという姑息な手段が目立つ。今回の合併がその延長上にあるものなのかどうか、有権者としては冷静に見極める必要がある。



選挙権をもらう18、19歳はちゃんとこういう記事読んで批判してんのか。



民・維合流へ 穏健な改革勢力目指せ
(2016年02月24日 毎日新聞社説)
民主党と維新の党の合流問題が進展した。維新の党が解党し、民主党が実質的に吸収する形の新党結成で両党が大筋合意したためだ。民主党の党名も変更される見通しだ。自民党に対抗するため野党が結集を図ることは理解できる。ただ、「なぜ新党なのか」という肝心な部分の議論を後回しにしてはならない。安倍政治の対立軸に足る理念の構築を求めたい。

自民党、とりわけ安倍晋三首相の1強状態が続く一方で、これに対抗する勢力がない現状に不満な有権者は少なくないはずだ。今の政界全体を見渡してみよう。自民党はもともと、タカ派もハト派もいる中で議論を積み上げて政策を形づくる政党だった。だが、小選挙区制度の下で党の右傾化は進んだ。とりわけ、安倍内閣の下でこの傾向は顕著だ。安全保障関連法は十分議論を尽くさぬ急進的な手法で制定されたが、党内からほとんど異論は聞かれなかった。自民党全体が「右」に寄った分、かつてのハト派の理念や政策を主張する勢力は空白になったといえる。だからこそ、空白を埋める受け皿の構築が野党の中に求められる。民主、維新両党が合流し衆院で93人の勢力が結集する意味は小さくない。

両党の合流問題はこれまで維新の吸収・合併を図る民主党と、両党が解党しての新党結成を求める維新の主張が平行線をたどっていた。結局、民主党が維新の党を吸収して実を取るかわりに、党名は変更することで歩み寄ったということだろう。野党では共産党が参院選で1人区の候補擁立を原則として見送る方針を固めるなど、選挙協力も動き出した。力の分散を避けるのは現実的な選択と言える。ただ、両党の合流が政治を大きく変えていくような一歩になるか、現状はこころもとない。「政党の空白」に対応しようとする議論が、これまであまりに不足しているためだ。 最大のネックになったのは、民主党が解党しない場合は新党に参加できなくなる旧みんなの党比例代表選出の維新の参院議員5人の処遇だった。いったんは無所属となることで収拾したというが、解決に腐心した両党間で複雑な分党論など奇策も取りざたされた。内向きな議論である。

民主党は安保政策などの基本政策を十分に集約してこなかった。新党を数合わせや看板の掛け替えに終わらせないため、これまでの民主党から変わるべきだ。理念や政策の構築こそ優先すべきだ。 両党は新党を来月に結成する運びだ。民主的で穏健な手法を基調とした改革勢力として、再出発を急がねばならない。


公政権との対立軸がみえる野党結集を
(2016年02月24日 日本経済新聞社説)
競争なきところに進歩は生まれない。政治をよくするには、しっかりした野党が必要である。民主党と維新の党の合流がその一歩となることを期待したい。単に一緒になるだけでは有権者の信頼を得ることはできない。自公連立政権と何が違うのか。政策の対立軸をきちんと示すことが大事である。

両党は(1)維新が解党して所属議員が民主党に入党する(2)民主党は党名を変更する――ことで大筋合意した。吸収合併を主張した民主党と対等合併を求めた維新の双方の顔を立てた形だ。3月に新たな党名で結党大会を開く。 重要なのはそうした手続きではなく、政策の一致である。「政権交代」しか訴えるものがなかった民主党政権が内紛続きで自滅したことは記憶に新しい。日本経済をどう再生させるのかをはじめ、憲法や外交・安全保障など基本政策でずれを抱えたままで二大政党の一翼を担うことはできない。 民主党はもともと党内にさまざまな考えの議員がいる。そこに維新が加わるのだから、よほどしっかり方向性を定めないと、「一皮むけば野合」(自民党の谷垣禎一幹事長)との批判をはね返せまい。今後の合流協議は政策重視で進めてほしい。

かつての自民党は改憲派と護憲派が共存するなど政策の幅が広かった。近年は保守への傾斜を強めており、リベラル寄りの有権者と距離ができている。民・維新党の方向性としては、こうした層の受け皿を目指すのも一案である。 自公政権と違いを出すといっても、対決姿勢にばかりこだわり、非現実的な政策を掲げるのは好ましくない。有権者が本当に知りたいのはきょうあしたの話でなく、長い目でみて日本をどの方向に導こうとしているのかだ。

民・維新党は夏の参院選では共産、社民、生活の各党と選挙協力を進める方針だ。ばらばらで戦っては巨大与党に対抗できないのはその通りだが、ここでも政策のすり合わせは必要である。 過去の野党共闘は政策の食い違いを与党に突かれ、最後は足の引っ張り合いで終わることが多かった。与党内に衆参同日選の待望論があるのは、野党の選挙協力は参院選ではできても、選挙区の数が多い衆院選ではできないとたかをくくっているからだ。 将来の政界再編の芽か、単なる選挙互助会か。有権者がみているのはそこである。


民主と維新 政策なき合流に新味なし
(2016年02月24日 産経新聞社説)
「1強多弱」状態が国会の停滞を招くのは好ましくない。それを打破する動きだと謳うが、国民はどう期待を抱けばよいというのか。 民主党の岡田克也代表と維新の党の松野頼久代表が、両党の合流に向けた手続きに着手した。 解散する維新を民主が合併する形で、「立憲民主党」などといった党名の変更も検討するという。 野党第一党の民主党が抱える課題は、再び政権の受け皿たり得るかについて、国民の信頼を得られないことだ。この合流が一歩でも事態を前進させるのだろうか。 野党連携を進めるという建前、関係者の生き残りなどの個利個略が先に立つなら、有権者の期待など集められようもない。

昨年からくすぶってきた合流構想が一気に進んだのは、今夏の参院選が近づき、野党がばらばらの状態を解消したいからだろう。安全保障関連法の廃止法案を共同提出した直後でもある。 だが、いくら手続き論を先行させても、自分たちならこの国のかじ取りをどうしたいという肝心の点が分からない。青写真を示そうともしない点は首をかしげる。 維新には民主党出身の議員もいる。松野氏は鳩山由紀夫政権下で官房副長官を務めたが、野田佳彦政権下で社会保障・税一体改革関連法に反対した。 党を除名され、旧維新の結成に動いたが、その後、政策的判断がどう変わったのか。受け入れる民主党も、一体改革について今後、どのような姿勢をとるのか。

両党は昨年12月、統一会派の結成に向け「基本的政策」で合意した。だが、憲法や行財政改革など違いの大きい課題は玉虫色の表現で済ませた。 重要な政策のすり合わせを棚上げして、巨大与党との論戦を展開していくことなどできない。 目指す政治理念の実現に向けて離合集散を重ねることは、否定されるものではない。だが国費をもらいながら政党を作っては壊し、結局はもとのさやに収まる。 ほとぼりが冷めたから、では国民への説明にならない。自民党から「政党として未成熟」と酷評されるのも無理はないだろう。 政府与党側には、閣僚の疑惑や若手議員の不祥事が相次ぎ、ゆるみが目立つ。そういう時に、野党も一緒になって緊張感を欠いていてどうするのか。


野党勢力結集 「安倍政治」の対抗軸を
(2016年02月24日 東京新聞社説)
夏の参院選は「安倍政治」の継続か否かを問う重要な選挙だが、野党がバラバラで臨めば、安倍政権を利するだけだ。野党は党利党略を捨て、政権批判票の受け皿づくりに力を注ぐべきである。 すべての選挙区での独自候補擁立を基本方針としてきた共産党にとっては大きな決断だったに違いない。 志位和夫委員長が参院選では三十二の改選一人区を対象に、既に擁立した公認候補のうち「かなりの人は立候補を取り下げることになる」と正式に表明した。 これを受けて、民主、共産、維新、社民、生活の野党五党はきのう幹事長・書記局長会談を開き、選挙協力をめぐる協議を始めた。 もともとは理念も政策も違う政党である。共産党との選挙協力に対する拒否感もあるという。

しかし、憲法違反と指摘される安全保障関連法の成立強行や企業寄りの経済政策など、安倍晋三首相率いる自民党政治は、看過できないところまできている。安倍政治に歯止めをかけるという大義の下、野党は勢力を結集すべきだ。 共産党は、安保関連法廃止と集団的自衛権の行使を認めた閣議決定撤回を選挙協力の条件とする。妥当な判断だ。これに限らず、企業・団体献金禁止や企業寄りの労働法制撤廃、原発に頼らないエネルギー政策など、可能な限り幅広く政策合意を進めてほしい。 共同通信社による直近の世論調査では、内閣支持率は40%台を維持しているが、支持理由は首相以外に「ほかに適当な人がいない」が最も多く、約四割に達する。 政権批判票が行き場を失ったままでは、野党の責任は免れまい。批判票の受け皿づくりはもはや、野党最大の責務と心得るべきだ。

一方、民主党の岡田克也、維新の党の松野頼久両代表がきのう会談し、三月中の両党合流に向けて最終調整に入った、という。新しいイメージの新党で、参院選を戦う狙いがあるのだろう。 理念や政策が一致すれば、合流もありうべしだが、議員の生き残りが主眼だと有権者に見透かされれば逆効果だ。実際、世論調査では両党が合流して一つの党になる必要はないと答えた人が六割を超える。民主、維新両党の合流への期待は高くないのが実態だ。 国民の「冷めた目」を乗り越えて、民主党が再び政権を託すに足る信頼を得るには、安倍政治とは違う理念・政策の選択肢を地道に練り上げるしかあるまい。問われるのは見た目でなく中身である。


民・維合流へ 「反安倍」超える価値を
(2016年02月25日 朝日新聞社説)
夏の参院選をにらみ、足踏みしていた野党側の態勢づくりに動きが出てきた。 民主、維新の両党が、3月中に合流することで大筋合意した。また、共産党は参院選での野党候補一本化に向け、改選数1の選挙区で独自候補を取り下げる方針を決めた。自民、公明の与党に対抗し、安倍政権への批判票の受け皿になるのが狙いだ。

民主と維新の合流は、対等合併か吸収合併かといった手続きをめぐる対立が解けず、一時は参院選後に先送りされる観測も出ていた。ただ、そうなっては野党共闘は核がないまま失速するのは明らかだった。 民主・岡田、維新・松野の両代表にしてみれば、党名変更や民主への事実上の吸収合併の受け入れは、自公を利するのを避けるためのぎりぎりの決断だったのだろう。

民主、維新の合流と共産党の新たな方針で、野党共闘には弾みがつくかもしれない。だが、その道のりがなお険しいのは間違いない。 民、維、共に生活、社民を加えた5党は、安保関連法の廃止と集団的自衛権の行使を認めた閣議決定の撤回、そして安倍政権の打倒を掲げて国会や国政選挙での協力を約束している。 憲法がうたう平和主義や表現の自由などをめぐる安倍政権の危うい姿勢。これに対する反発が、基本政策が異なる5党を結びつけたといっていい。「立憲主義を守れ」という有権者の期待に応える道である。

ただし、衆院で100人近い勢力となる民・維の「新党」は、「反安倍」の一点にとどまっているわけにはいかない。 民主党には異論があるだろうが、安倍首相は政権に返り咲いてから、経済再生の取り組みに一定の評価を得てきた。また、安保関連法成立後は、「同一労働同一賃金」など民主党のお株を奪うような政策を打ち出している。 少子高齢化や財政難といった厳しい条件を考えると、取りうる政策の幅はそう広くない。そのなかで、安倍政権への政策的な対立軸を打ち出すのは容易ではない。 それでも、これからの日本がめざすべき社会の姿や共有すべき価値観は何なのか。はっきりと国民に示せなければ、政権交代の選択肢にはなり得ない。

岡田代表が先の党大会で強調した「多様な価値観」や「共生」が、キーワードになるのだろう。具体的な理念や政策のなかで、これをどれだけ説得力を持って語れるかが問われる。