文化庁の「国語に関する世論調査」平成25年度の調査結果が公表された。


毎年、この調査はわりと楽しみにしている。僕自身が言語屋ということもあるが、いまの日本語がどのように変容しているのか、重要なソースとして機能している。
今回の調査対象は、全国16歳以上の男女、3473人。回収率は58.4%。標本抽出の方法が明記されていないのはいただけないが、まぁまぁ信頼に足る調査のうちに入るだろう。

この調査を見るたびにいつも感じる不満がある。調査結果を、時系列の推移による変化で分析してくれないものだろうか。
たとえば、この調査が毎年行なっている調査項目に「人とのコミュニケーションについて」というものがある。質問事項として「初めて会った人とでも早く打ち解ける方か、時間がかかる方か」というものがある。今回の調査では、下のグラフのような結果が出ている。


H25


グラフの集計の仕方を見れば分かるように、横軸がアンケート回答者の世代別になっている。結果を見ると、若年層や高年齢層はわりと他人と早く打ち解けるようだが、30代〜50代の、いわば社会の中核を担う世代は「打ち解けるのに時間がかかる」という解答をしていることが分かる。

しかし、例えば僕のように20歳前後の大学生を主に相手にしている職業にとっては、高年齢層のコミュニケーション能力など、わりとどうでもいい。知りたいのは、10代、20代の若年世代が「年ごとにどういう変化を示しているのか」のほうだ。2013年、2012年、2011年、・・・、と、各年の調査結果と比較して、「過去と比べてどのような変化を示しているか」のほうを知りたい。

もし自分が年次変化の推移を知りたいのであれば、過去の調査結果をすべて集計し直し、自分でグラフを作り直さなければならない。
文化庁が行なっているこの調査は、一応、年次変化の分析を可能にするため、毎回の調査で決まった質問事項を盛り込んでいる。しかし、年によっては行なわれない質問もあり、毎年新しい質問が入ってくる。年によって同じ質問事項があったりなかったりしたら、推移がつかめなくなる。

文化庁のほうの事情は分かる。今回の調査結果は、あくまでも「今年の調査結果」の公表なのであって、過去との比較は「今年の調査結果の公表」で行なうべきことではない。その点、調査の軸をしっかり据えているという点では確かなのだが、この調査を大学の講義で使う立場にとっては面倒くさいことこの上ない。わがままな愚痴に過ぎないのだが、なんとかならないものか。

僕がこの調査をわりと好意的に見ている理由は、変化の推移だけを淡々と報告して、「〜すべきである」的な言語政策論を一切打ち出していないことだ。ことばは生き物であって、時代とともに変化するのが当然だ。意味や用法が変化したことを以て「最近の言葉は乱れている」のような言い方をするのは、単なる自己絶対化に過ぎない。変化は変化として透明に記録し、それをどう理解しどう解釈するかは、資料を読む側に一任している。語学教師というのは「あなたの言葉の使い方は間違っています。私が正しい使い方を教えてあげます」という原理で食っている人種だから、どうにかして「今の世の中の言葉使いは乱れている」ことにしたい。蓋し、この文化庁の調査を「だからけしからん」という文脈に埋め込みたがる人は、「それを基に自分の商売を成り立たせたい人」と断じてよいと思う。


この調査が毎年新たに行なう質問事項に、言葉の意味が揺れている用法に関する質問がある。マスコミでよく採り上げられるのはこの部分だ。
今回の調査では、「〜る」「〜する」の用法の定着度合いについて調査を行なっている。項目は10個で、「愚痴る」「事故る」「告る」「きょどる」「サボる」「パニクる」「タクる」「ディスる」「チンする」「お茶する」が入っている。
それぞれの項目ごとに、「聞いたことがある」「聞いたことはあるが使うことはない」「使うことがある」「分からない」の4択で回答をする調査になっている。

僕は上記10項目のうち、「タクる」だけが分からなかった。「タクシーに乗る」という意味なのだそうだ。「聞いたことがない」が71.9%、「分からない」が0.5%、という調査結果が出ている。まぁ、僕の言語実感に近い人が世間には多い、ということだろう。

ここで疑問なのだが、「聞いたことがない」という人と、「分からない」という人は、分布として一致していないのだろうか。このふたつの回答を分けているということは、「聞いたことがない」という回答をした人は、正確には「聞いたことはないが、意味は分かる」という人、ということになる。
しかし、聞いたことのない言葉の意味が分かる、ということがあり得るのだろうか。僕はこの言葉を聞いたことがないし、最初は「自宅でまったりすること」くらいの意味だと思った。学生はお金の節約のため居酒屋ではなく自宅で飲み会をすることを「宅飲み」と言うが、それに引っ張られたのだと思う。

また、コミュニケーションに関する調査のところでは世代別の推移ごとに集計をとっていたにも関わらず、この「新語」に関する調査に関しては世代間の格差を一切捨象している。
70歳以上の人を対象に「告る」もないだろう。高年齢層にとっては、あまり縁のない言葉だと思う。「きょどる」ような必要性に駆られるような逼迫した状況もあまりないだろうし、「パニクる」ような機会も無いだろう。これらの言葉がどれだけ広まっているかどうかは、そういう語彙を使う年齢層ごとの必要性が、かなり反映されていると思う。これを単純に「ことばの問題」とだけ割り切ってしまうことに、なんか違和感を感じる。「ディする」については、以前たくつぶに書いたことがあったが、若年世代の間でもあまり嗜みのある言葉ではあるまい。

マスコミが大きく報道した項目は「チンする」だった。「電子レンジで加熱する」という意味だが、「使うことがある」が90.4%。かなり広く使われるようになった言葉といえるだろう。他にも「サボる」が86.4%、「お茶する」が66.4%で、かなり多くの人に使われるようになった言葉という感じがする。

また、辞書的な意味と実際の用法がずれてきた用例として、「他山の石」「世間ずれ」「煮詰まる」「天地無用」「やぶさかでない」「まんじりとせず」の6項目が調査対象になっている。
最も乖離が見られたのは「世間ずれ」だ。本来は「世間を渡ってずる賢くなっている」という意味だが、これを選んだ人は35.6%。本来とは違う「世の中の考えから外れている」を選んだ人は55.2%で、こちらの方が圧倒的に多い。
「世間ずれ」の調査は、9年前の平成16年にも調査項目に入っていたが、その時には本来の意味を選んだ人のほうが多かった。9年の間に、意味が逆転している。

他には、「まんじりとせず」は、正解の「眠らないで」は28.7%だったのに対し、誤答の「じっと動かないで」は51.5%だった。
「やぶさかでない」も誤用が多く、正解の「喜んでする」は33.8%、誤答の「仕方なくする」は43.7%だった。
これらの言葉は、僕が日常接している若年層は、そもそも日常的に使わない。話し言葉はもちろん、書き言葉でも使わないだろう。今回の調査では世代に関係なく読書習慣が激減しているという結果が出ているが、こういう言葉を本で読む機会もなくなっているのだろう。外国語能力にコンプレックスを感じる学生は多いが、母国語の能力にそれを感じる学生は少ない。語彙の少なさとことばの能力の低下は、なかなか自覚しにくいものなのだろう。



「ふーん、確かに『チンする』は普通に使うよねぇ」

うん、ウチでも使うよね。

「新しい広辞苑には『チンする』って載るんじゃない?」

広辞苑にはサ変動詞は載らないよ。

「・・・じゃあ『チンす』でいいんじゃない?」

なんじゃそりゃ。

「古文でありそうじゃない?『チンす』。」

ありません。

「敬語とか受身とかで活用するの。『チンし給う』とか『チンせらる』とか。」

しません。

「でもさぁ、いま電子レンジって『チン』って鳴らないよね。『ピピピッ』だよね」

あー、確かにそうだね。

「いつの時代の電子レンジなんだろ。これじゃまるでオーブントースターだよね」

トースターは今でも「チン」って鳴るね。

「そうか!『チンする』が電子レンジ、ってのは誤用で、正しくはオーブントースターのことなのか!」



違います。