『「アナ雪」人気 生きにくさを超えて』
(2014年8月19日 朝日新聞社説)


朝日新聞がまた珍妙な社説を掲載した。大ヒットしたディズニーのアニメーション映画『アナと雪の女王』について書き始め、その人気の理由についてひとくさり講じたあと、いきなり男女差別についての結語を導いている。


ディズニー長編アニメ初の女性監督が手掛けたこの作品で、主人公姉妹は「白馬の王子様」を待たず、自分で困難を乗り越える。エルサが主題歌を歌いあげるのは、それまで抑えていた力を存分にふるう場面だ。ヒロインが「ありのままの自分になる」と歌う映画に、日本社会は強く反応した。それは、女性たちが生きるうえで、大小様々な障害にぶつかっている現実と無縁ではないはずだ。

この映画の公開中も、女性の生きにくさを映す事件が頻発した。政権が成長戦略として女性「活用」を唱える一方、働く母親が仕方なく預けた幼い命が奪われたり、国や地方議会で女性差別ヤジが問題になったり。三重県の女性の活躍推進会議では「女は下」発言もあった。こうした環境を変えるため、一つ一つの問題を見逃さず、声を上げ、取り除く努力を重ねたい。社会の仕組みを見直し、偏った意識を問い続けよう。女性が、そして男性も、伸びやかに生きられる世の中を目指して。



僕も実際に「アナ雪」を観たが、



アナ雪ってそういう話だったか?



まず、アナ雪がこれほど流行った理由だが、朝日の見方は本当に正しいのか。
朝日新聞によると、アナ雪の驚異的な動員の元は、成人女性が何度もこの映画を観るリピーターになっている、ということだそうだ。その理由として、朝日新聞は「ありのまま」というキーワードを取り上げ、「現在の女性が、ありのままに生きづらい世の中になっているからではないか」としている。


配給元によると、家族連れに加え、大人の女性客が多いのが特徴だという。ディズニー長編アニメ初の女性監督が手掛けたこの作品で、主人公姉妹は「白馬の王子様」を待たず、自分で困難を乗り越える。エルサが主題歌を歌いあげるのは、それまで抑えていた力を存分にふるう場面だ。ヒロインが「ありのままの自分になる」と歌う映画に、日本社会は強く反応した。それは、女性たちが生きるうえで、大小様々な障害にぶつかっている現実と無縁ではないはずだ



はたして、本当にそうなのだろうか。
アナ雪の主題歌が爆発的なヒットを記録し、世界中の言語に翻訳され、映画のヒットの原因になったのは確かにその通りだろう。しかし、「歌詞に共感して」という朝日の見方は正しいのだろうか。
アナ雪の曲の売り上げをインターネットからのダウンロード数で観てみると、日本語歌詞バージョンだけでなく、英語、ドイツ語、フランス語など様々な言語のバージョンで売り上げが伸びている。ということは、視聴者はこの「曲」に反応しているのであり、別に「歌詞」の内容に反応しているのではないと思う。人が気に入る曲の傾向として、歌詞がどうのこうのではなく、楽曲の良し悪しのほうが重要な要素ではあるまいか。

また、今回の映画が爆発的に売れた理由だが、そもそもの前提として「年齢層に関係なく、ディズニーが好きな女性は一定数存在する」という事実があると思う。近年のディズニー提供の映画は、おもちゃだのクルマだの飛行機だの、人間以外の主人公を擬人化した物語が多かった。いくらディズニーが好きな女性といってもなかなかお気に召す作風ではあるまい。
それが今回久々に、人間を主人公とする映画が公開された。エルサとアナというふたりの女性を軸にしており、主人公の年齢層としては、映画を見せるターゲットの年齢層にかぶっている。今回の「アナと雪の女王」は、売れるべくして売れた映画だったのだと思う。今回のアナ雪が、小中高生や大学生など社会に出ていない層の女の子にも受けている理由、幼児をターゲットにしたアナ雪のキャラクターグッズが続々発売されている理由を、朝日新聞はどのように説明するつもりだろうか。


また朝日新聞は、「アナ雪が売れたのは、社会的に容認されにくい女性が、主人公の立場に共感したからだ」と主張している。つまり朝日新聞の前提としては、「この映画を見に行く人は、事前にちゃんとストーリーをしっかり理解して、その世界観に共感した上で見に行っている」という前提がある。
本当にそうだろうか。一般的に我々が映画を見に行くときには、キャスティング、だいたいの重要シーン、おおよそのコンセプトだけを散りばめた予告編を観て、「なんとなく面白そうだ」的な感覚で見に行くのではあるまいか。また、僕がこの映画を観た限り、この映画の魅力は各場面や情景描写の雰囲気であり、ストーリーとしては「女性がひとり城を出て行って、いろいろあって、帰ってきました」というだけのものでしかない。少なくとも、「女性」の生き方を軸にしたヒューマンドラマが映画の中心ではない。

そもそも、この映画の主人公のエルサが孤独を感じ「ありのまま」の生き方を求めたのは、エルサが女性だったからではない。魔力をもっていたからだ。結果としてこの映画は男性の力を借りることなく問題を解決するが、それはもうひとりの主人公であるアナに重要な役割を担わせるための構成上の都合だろう。少なくとも、このストーリーをもとに、朝日新聞のように「この映画が売れたのは、抑圧された女性の立場に共感した客が多かったからだ」と論じるのは無理がある。原因、結果、因果関係、すべて違う。

今回の朝日社説の書き方としては、最初から「女性の社会的立場が恵まれていない」という結語ありきなのだと思う。そこに結びつけるために何か時事的なネタを導入にして、気の効いた社説にしたかったのではないか。
朝日新聞はよくこういう牽強付会、我田引水の社説を書き散らすが、これはあとあと問題になると思う。いまこの朝日の社説を読んだら、僕以外にも「そうかなぁ?」と思う読者はいると思うが、これが10年後、20年後になって記録としての社説として紐解かれるようになると、「2014年の朝日新聞社説にはこのように記してある」と、まるであたかもそれが事実であったかのような扱いをされる。そして多くの場合、そのように過去の朝日社説を、検証なく事実として扱うのは、ほかならぬ朝日新聞自身なのだ。自分たちで勝手な記事を書き散らしておいて、後日、「過去の本紙記事にはこのような記述がある」と、あたかも権威のある事実のように自社記事を祭り上げる。このような朝日新聞の体質が様々な国際関係の軋轢になってきたのは、もはや周知の事実だろう。


朝日新聞はこのような記事を書いた背景を明記していないが、この記事のきっかけはおそらく、厚生労働省が発表した2013年度雇用均等基本調査だろう。この調査で、課長以上に相当する管理職の女性比率は6.6%という結果が出た。左派の新聞であれば女性雇用問題は政策論題の軸になるネタだろうし、政権批判の焦点になる話題だろう。
この件については、毎日新聞も社説を発表している。


『女性管理職6.6% 異次元の対策が必要だ』
(2014年08月22日 毎日新聞社説)


毎日新聞の社説は一般的にきれいごとが多く、つまらない記事が多い。しかし今回の記事は、安易の行政の責任に押し付けるのではなく、「重用されない女性側の能力にも問題がある」という意見を掲載しているところが面白い。話のもっていき方としては「女性の能力をちゃんと発掘しているのか」と女性以外の要素のせいにしているが、一方的な視点に拘泥せずきちんと別視点を置いていると言える。
また、海外の事例を安易に賞賛するのではなく「日本のもつ職場の事情を鑑みる必要がある」と指摘している点も面白い。もちろん、当事者の企業の怠慢な姿勢もきちんと指摘している。「自分の企業のこともろくに分かっていない経営者に自主性など期待できるか」とは、なかなかの啖呵だ。


さらに、取り組まない理由にあぜんとさせられる。「男女にかかわりなく人材を育成しているから」「すでに女性は十分活躍しているから」「女性が少ない、あるいは全くいないから」−−。現状を特段、問題視していない姿が透けて見える。一方、女性を起用するにやぶさかではないが、能力や経験を伴った人材がいない、というのも女性管理職が少ない理由としてよく耳にする。厚労省の調査でもこれがトップだった。しかし、企業は本気になって、人材を発掘しようとしているだろうか。男性の管理職は能力や経験が伴った人ばかりなのだろうか。

政府は新法を作って、企業に積極的な行動を促そうとしているが、「経営の自主性に任せてほしい」というのが経済界の基本姿勢である。だが、現状をさほど問題と認識していない、あるいは自社の実態を把握すらしていない経営者の自主性に期待するのは楽観的過ぎというものだ。役員の4割以上を女性にしない企業は最終的に解散処分となるノルウェーのような急進的制度は日本の文化になじまない。そんな声が多い。義務化に反対するのなら、企業は、前例のない大胆な行動で本気度を証明すべきだ。ちなみに、経団連の会長と副会長18人は全員が男性である。女性の就任は一度もない。象徴的な例として、正副会長や委員長ポストに女性を起用する計画を示してはどうか。



毎日社説の欠点は、結論がないことだ。「では、どうすればいいのか」という提案がない。全体の趣旨としては、「みんな悪い」ということだろう。企業、男性管理職、女性、どの立場にも正義はない。だから「前例のない大胆な行動で本気度を証明すべき」と来た。要するに、「何をすればいいかと問われたら答えはないけど、なんか新しいことをしろ」という主張だ。無責任といえば無責任だろう。

しかし、少なくとも一方的な男性悪者論や外国礼賛ではないし、企業の怠慢なまでに保守的な姿勢を批判する役割は果たしている。そもそも、「女性は社会に進出している」という思い込みをしている読者に対し、現状を啓蒙し警鐘を鳴らすことはできる。満点答案ではないが、平均点程度はクリアしている社説だと思う。毎日新聞にしては上出来の部類に属するだろう。

少なくとも、朝日社説よりは数億倍もマシだ。朝日社説を読んだ後では、「なんかアナ雪について勝手なことを言っているな」程度の読後感しかない。朝日の社説を読んだ後で、女性の社会進出について問題意識を啓発された読者は、ほとんどいないと思う。 ちょっと時事ネタに絡めて気の利いたことを言おうとしたのだろうが、論旨の中心からずれたネタを強引につなげる書き方には違和感を覚えるし、問題提起の印象も薄い。この件をちゃんと本気で考えているのだろうか、という感じがする。


きっと、この日の社説が批判を浴びたのだろう。朝日新聞は一週間後に、女性の雇用促進と労働環境改善を訴える社説を、改めて掲載している。


女性の活躍―働き方全体の見直しを
(2014年8月26日 朝日新聞社説)


書き方としては経団連が発表した約50社の女性登用計画を受けた「別件記事」、という体裁をとっているが、実質上は前回の社説の書き直しだろう。話はすぐに前回と同じ「管理職に占める女性の割合」に戻っている。前回、「アナと雪の女王」を使ってうまいこと書いたつもりだったのが批判を浴び、それを受けての重複した社説だろう。そうしなくては、前回のアナ雪社説が、朝日新聞のこの件に関する「公式見解」として後世に残ってしまう。
今回の社説は、アナ雪にからめて読者の印象操作を目論むような姑息なものではなく、女性の労働実態を正面から政策論題として捉えている。どうせこう書くのだったら、アナ雪など使って遊んだりせず、最初からまじめに書けばよかったのではないか。

しかし、今回の書き直しで内容を了とするかというと、そうはいかない。相変わらず、主張が不鮮明で論旨の破綻が見られる。
今回の朝日新聞社説の趣旨は、役員の女性比率や女性の登用プランの情報公開を新法として構想している安倍政権の批判だ。論点は、政権がそれらの女性進出の法案を「成長戦略」と位置づけていることだ。日本の経済問題を解決するための施策と、女性の社会進出問題は切り分けろ、という趣旨だろう。

その目標はもっともではあるが、発想が狭すぎないか。人間が性別を問わず仕事に打ちこめる環境をつくることは本来、成長戦略と位置づけるものではない。男女を問わず、働き方全体を見直す契機にすべきだ。成長に直結するかどうかは別にして、誰もがより良く働き、暮らせる社会をめざしたい。


しかし前回の「アナ雪」社説では、同じ路線を肯定的な文脈で使っている。

この映画の公開中も、女性の生きにくさを映す事件が頻発した。政権が成長戦略として女性「活用」を唱える一方、働く母親が仕方なく預けた幼い命が奪われたり、国や地方議会で女性差別ヤジが問題になったり。三重県の女性の活躍推進会議では「女は下」発言もあった。


要するに朝日新聞にとっては、現政権がどういう形で女性進出問題を扱っていようと、社説の論旨とは関係ないのだ。それ自体を真剣に論じようとするよりも、その時その場の事情で自社の社説に、都合よく使うことしか考えていない。アナ雪社説では肯定的に書いておいて、今回の社説で批判するのでは、筋が通らない。まじめに社説を書いていない証拠だろう。  

百歩譲って、アナ雪社説は単なるおふざけとして無視するとしても、今回の社説の論旨だけをとっても、充分におかしい。現政権が「女性の活躍促進」を成長戦略としているのは、「人材の積極的な登用こそ企業成長の柱」と位置づけているからだ。その背景には、現行の企業の人事が旧態依然としており人材の登用が澱んでいる、という分析がある。つまり現政権にとって、経済促進戦略と、人材登用の刷新(女性登用を含む)は、同じ問題なのだ。事前の毎日新聞社説は、それを正しく捉えた上での社説になっている。

しかし今回の朝日社説は、「女性の活躍促進」と「経済戦略」を、まったく別物として切り離していることになる。経済戦略と女性雇用問題を切り離すのであれば、企業の女性雇用施策は「女性であること」だけの理由で処遇をする姿勢を強いられることになる。「有能な人材が埋もれているのならば積極的に登用すべきだ」というのが政府方針や毎日社説の趣旨だとしたら、朝日社説の趣旨は「有能だろうが無能だろうが関係なく、企業は女性管理職を一定数雇用しなければならない」という主張に通じる。「発想が狭すぎ」なのは、むしろ朝日新聞の側だろう。

今回の女性雇用問題は、アナ雪の社説で醜態を晒した朝日新聞が、失点を挽回しようとして却って泥沼に嵌ったように見える。
はじめから真摯に社説を書いていれば、こんな失態を晒さずに済んだのではないか。




『「アナ雪」人気 生きにくさを超えて』
(2014年8月19日 朝日新聞社説)

きょうもどこかから、「ありのままの♪」の歌声が聞こえてくる。すっかり耳になじんだディズニー映画「アナと雪の女王」(アナ雪)の主題歌だ。物を凍らせる力を持つ孤独な姉エルサと、特別な力はないが活な妹アナ。2人の王女を主人公にしたこの映画の人気が止まらない。

3月の日本封切り以来の観客は2千万人に迫り、興行収入は253億円。「千と千尋の神隠し」(304億円)、「タイタニック」(262億円)に次ぐ歴代3位になった。先月発売されたDVD・ブルーレイの売り上げは200万枚を超え、サウンドトラックCDも90万枚に達したという。破格のヒットである。

「アナ雪」は、ディズニーらしい、お姫様もののおとぎ話。雪と氷の世界が美しく描かれ、幅広い世代が楽しめる。特に主題歌が愛され、動画サイト「ユーチューブ」には、膨大な数の歌う映像が投稿されている。ツイッターでは、この作品を話題にしたツイートが他のヒット映画と比べて格段に多く、長期間にわたってつぶやかれているという調査もある。歌いたい。触発された思いを伝えたい。そんな、映画に参加する気持ちがネットを介して広がり、共有されている。

世界でヒットしている「アナ雪」だが、地元北米をのぞけば興収は日本がトップで、他の国々より一桁多い。配給元によると、家族連れに加え、大人の女性客が多いのが特徴だという。ディズニー長編アニメ初の女性監督が手掛けたこの作品で、主人公姉妹は「白馬の王子様」を待たず、自分で困難を乗り越える。エルサが主題歌を歌いあげるのは、それまで抑えていた力を存分にふるう場面だ。ヒロインが「ありのままの自分になる」と歌う映画に、日本社会は強く反応した。それは、女性たちが生きるうえで、大小様々な障害にぶつかっている現実と無縁ではないはずだ。

この映画の公開中も、女性の生きにくさを映す事件が頻発した。政権が成長戦略として女性「活用」を唱える一方、働く母親が仕方なく預けた幼い命が奪われたり、国や地方議会で女性差別ヤジが問題になったり。三重県の女性の活躍推進会議では「女は下」発言もあった。こうした環境を変えるため、一つ一つの問題を見逃さず、声を上げ、取り除く努力を重ねたい。社会の仕組みを見直し、偏った意識を問い続けよう。女性が、そして男性も、伸びやかに生きられる世の中を目指して。

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『女性管理職6.6% 異次元の対策が必要だ』
(2014年08月22日 毎日新聞社説)

厚生労働省が発表した2013年度雇用均等基本調査によると、管理職(課長相当職以上)に占める女性の比率は6.6%にとどまった。30%とした政府目標の達成期限(20年)が間近だというのに、隔たりは大きいままだ。しかも、後退こそあれ、改善はほとんど見られない。このまま、企業の自助努力に任せていてよいだろうか。女性の活躍を最重要政策の一つに掲げる安倍政権である。従来の発想から抜け出た「異次元」の行動計画がここにこそ必要だろう。不名誉なことだが、日本における女性の社会進出の遅れは、世界的に有名だ。最近では米議会の調査報告書がアベノミクスと女性政策を取り上げ、経済、政治分野で女性の参加が進まない問題に焦点を当てた。

では、当事者である日本の企業に意識の変化は見られるだろうか。厚労省調査では、格差の解消を目指した積極的な取り組み(ポジティブ・アクション)を行っていると回答した企業の割合が約20%しかない。30%を超えていた過去2年よりかえって悪化した。逆に「今のところ取り組む予定はない」の回答が12年度の54%から63%に増えている。

さらに、取り組まない理由にあぜんとさせられる。「男女にかかわりなく人材を育成しているから」「すでに女性は十分活躍しているから」「女性が少ない、あるいは全くいないから」−−。現状を特段、問題視していない姿が透けて見える。一方、女性を起用するにやぶさかではないが、能力や経験を伴った人材がいない、というのも女性管理職が少ない理由としてよく耳にする。厚労省の調査でもこれがトップだった。しかし、企業は本気になって、人材を発掘しようとしているだろうか。男性の管理職は能力や経験が伴った人ばかりなのだろうか。

政府は新法を作って、企業に積極的な行動を促そうとしているが、「経営の自主性に任せてほしい」というのが経済界の基本姿勢である。だが、現状をさほど問題と認識していない、あるいは自社の実態を把握すらしていない経営者の自主性に期待するのは楽観的過ぎというものだ。役員の4割以上を女性にしない企業は最終的に解散処分となるノルウェーのような急進的制度は日本の文化になじまない。そんな声が多い。義務化に反対するのなら、企業は、前例のない大胆な行動で本気度を証明すべきだ。ちなみに、経団連の会長と副会長18人は全員が男性である。女性の就任は一度もない。象徴的な例として、正副会長や委員長ポストに女性を起用する計画を示してはどうか。

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女性の活躍―働き方全体の見直しを
(2014年8月26日 朝日新聞社説)

女性が職場で十分に活躍できるようにしよう。そんな動きが広がっている。経団連が主な会員企業約50社の女性登用計画をまとめたところ、27社が数値目標を掲げた。経団連は他の会員企業にも、計画づくりを呼びかけている。

日本の就業者に占める女性の比率は4割強で、ほぼ主要国と並ぶ。しかし、管理職となると1割にも届かない。米国では4割、欧州各国で3割を超えており、日本の少なさが際だつ。日本では出産を機に職場を去る女性が少なくない。長く働き続けることが前提である限り、出産・育児で離職すれば昇進のチャンスは遠くなりがちだ。

政府は03年に、指導的地位に女性が占める割合を20年までに30%にするという目標を決めている。ようやくではあっても、経済界全体で具体化を始めたことは評価できる。先行する企業をみると、女性社員のキャリアを戦略的に考えるとともに、社員全体の働き方を見直す例がめだつ。社員を長時間縛りつけていては、家庭と仕事の両立は難しいからだ。長時間労働を避けるために午後8時に消灯する企業がある。始業・終業時間を自分で決められるフレックスタイムと在宅勤務を組み合わせ、柔軟な働き方を認めている企業もある。

男性社員に育児休業をとるよう促す企業も少なくない。女性が活躍するためには、男性が家庭で応分の責任を果たすことが不可欠だからだ。今後は親の介護をする人も増える。仕事と家庭を両立するための工夫は避けて通れない。管理職に占める女性の比率の数値目標を経営トップが掲げれば、こうした改革の推進力となる。日本企業の風土や文化にも変化をもたらすはずだ。

安倍政権は「女性の活躍促進」を成長戦略の柱として掲げている。役員の女性比率や女性の登用プランなどの情報を企業にオープンにしてもらうほか、女性の活躍のための新法を国会に出す方針だ。今年の成長戦略には、男性の育児参加を促すことや、男女ともに長時間労働を減らし、年次有給休暇の取得を進めること、などが並んでいる。

その目標はもっともではあるが、発想が狭すぎないか。人間が性別を問わず仕事に打ちこめる環境をつくることは本来、成長戦略と位置づけるものではない。男女を問わず、働き方全体を見直す契機にすべきだ。成長に直結するかどうかは別にして、誰もがより良く働き、暮らせる社会をめざしたい。



能力評価をしているのが男性中心だからなぁ