ここんところ世界のいい眺めかなんかをUPしてお茶を濁している「たくろふのつぶやき」です。 みなさま、よい夏休みをお過ごしでしょうか。


あ、大学はまだ夏休みなんです。
授業は再来週から始まります。


お怒りの声はさておき、後期の講義の準備をしておる最近のたくろふです。
最近はあれですな、ゆとり教育の影響とやらで、本当に基本的な知識がすっぽり抜けている学生さんが多いですな。

僕が持っている珍しい授業のひとつに、海外で日本語や日本文化を教えてくるインターンの指導がある。
英語圏の国の学校に派遣されて英語で授業をするので、学生は派遣可能なレベルに達するまでに相当に勉強する必要がある。

このインターンを希望する学生は多いが、ほとんどの学生が「必要な知識・能力」を勘違いしている。
まぁ、英語力に不安があるのは仕方がない。それは鍛えるしかない。しかし、多くの学生は「英語さえできれば何とかなる」と思っている節がある。

実際のところ、インターン候補の学生の一番の問題点は、日本について教えてくるくせに日本のことを全く知らないというところにある。
たとえば、「日本で二番目に高い山は何か」という質問に答えられる学生はほとんどいない。歌舞伎を実際に見たことがある学生も、日本語の助詞の機能について説明できる学生も、ほとんどいない。47都道府県ですらちゃんと言えない。
日本について何も知らない学生が、世界の国で日本について熱く語れるわけがない。本当の「国際人」とは、国籍不明の根無し草ではなく、自分の国を愛し、自国にしっかり根を張っている、芯の通った文化をもつ人のことを言う。

たとえば、日本の街を歩く外国人がよく不思議に思うことの例として、「なぜ寺と神社が、同じ街に共存できるのか」という質問がある。
寺は仏教の施設で、神社は神道の施設だ。このふたつは違う宗教で、世界観もご神体・ご本尊もまったく異なる。しかし日本ではこのふたつの施設が何の軋轢もなく共存しており、宗教紛争など決して起きない。宗教が原因で血で血を洗う歴史を経験してきた欧米人には、まったく理解できない宗教形態だ。

この理由を大学生に説明させると、まずできない。まず、寺と神社の共存が世界的に珍しい現象であることを知らない。
ましてや、それを英語で説明するなど到底敵わない。





聖徳太子



聖徳太子(574-662)


大学生に聖徳太子の業績を問うと、まず「冠位十二階」と「十七条憲法」のふたつしか出てこない。中には「一万円札」などという頓珍漢な答えをする学生もいる。
聖徳太子は確かに推古天皇の摂政を務めてはいたが、区分としては政治家というよりも宗教者だと思う。冠位十二階は、当時天皇を押しのける勢いだった蘇我氏の政治介入を牽制するために、「家柄がよくても実力がなければ採用しないよ」という姿勢を打ち出したものに過ぎない。十七条憲法にしても、「日本最初の憲法」などと奉られているが、政治を行うための「心得」を記しただけのものに過ぎない。その方針に従って個別の法令が制定されたわけではなく、近現代における法学概念の視点から言えば、「憲法」と呼べるほどのものではない。 蓋し、「冠位十二階」と「十七条憲法」は、聖徳太子の業績から言えば、瑣末なものに過ぎない。

学生がそのふたつを馬鹿の一つ覚えのように暗記しているのは、名詞のことばで切り取れる、暗記に便利な情報形態だからだろう。決してそのふたつの重要性を判断して覚えているわけではないと思う。
暗記が歴史の勉強だと思っている学生は、歴史から学ぶべきものが一体何なのか、勘違いしている。


聖徳太子の凄かったところは、当時先進国だった隋から文化・学問・政治・経済を取り入れる具体策を講じ、のちの日本が「外国から優れたものを取り入れる」という技術に長ける国となるための、基本的な方針を確立したことだ。


当時の隋の文化は、すべて仏教文化に根ざしていた。隋のものを取り入れる時には、仏教を避けて通るわけにはいかない。聖徳太子自身が仏教に帰依しており、優れた仏典を残している。
ところが政治的には聖徳太子は推古天皇の摂政であり、神道に近しい立場にいる。仏教に過度に偏ると、神武天皇以来の直系たる天皇家の威光に背くことになる。聖徳太子は、自身のそのような矛盾した立場と、それを拡大した構図である国全体の宗教政策に直面することになった。

そこで聖徳太子は、世界の宗教史上、他に全く例がない方策を採る。
ふつう、異なる宗教がひとつの土地に発生したときには、「片方が他方を殲滅する」「ふたつが合併し、新しいひとつの宗教として派生する」のいづれかの方法をとる。
前者はヨーロッパや中東でお馴染みの方策であり、11世紀から殺し合いを続けている。現在の中東紛争はその延長線上にある。また後者は主に中央アジアやインドで採られた方策であり、おかげでヒンドゥー教などは収拾のつかない分化派生の様相を呈している。

ところが、聖徳太子はそのいずれの方法でもなく、まったく独特の方策を編み出した。
まず、「個人が依拠する宗教は、ひとつでなくてもよい」ということを明確にした。これを習合思想といい、一人の人間が同時に複数の宗教を信じることを容認する。しかも、仏教と神道を一切混ぜることなく、完全に別々の宗教として切り離し、その上で複数選択をする自由を容認した。

その上で、聖徳太子は叔母の推古天皇を仏教に帰依させる、という離れ業を行う。神道のトップに立つ天皇に仏教を信じさせた。例えて言えば、ローマ法王が仏教徒になったり、ダライ・ラマがイスラム教に入信したり、ホメイニやカダフィがキリスト教に改宗するようなものだ。
その上で、朝廷が仏教を保護し、布教や仏教文化の伝播を支援した。それにより、神道と仏教が、相互に尊重し依存し合う体制が生まれた。これにより、日本は既存の神道と矛盾することなく仏教文化をスムースに輸入することが可能になった。

明治維新の際、260年の鎖国から醒めた日本は西洋の優れた文化や技術を導入する必要性に迫られた。時の政府を担った維新の徒は、寄って集って知恵を絞り、必死に西洋の文化を取り入れた。
それに匹敵する異文化の吸収を、聖徳太子はほぼ一人でやってのけた。仏教という輸入文化を違和感なく日本の風土に溶け込ませ、かつそれを既存の文化と共存させる。神道と仏教がケンカせずにずっと共存してきたのは、この時の聖徳太子の方策ですべてが決まっている。彼ひとりが打ち立てた基本方針は、1400年以上経った現在でも少しも揺るいではいない。

世界中のほとんどの紛争は、宗教観の違いがその根底にある。日本は宗教同士の殲滅戦という無為な歴史を経験していないが、それは日本が単一民族の島国だからではなく、日本人は昔から宗教同士が仲良くする方法を知っていたのだ。だから神道の祭事物である御神輿が、三社祭で浅草寺の境内を闊歩する、などということが普通に起こる。
違うものを違うものとして尊重し合い、無駄に白黒つける決着を急がない。「ふたつでも、いいじゃないか」という選択肢は、日本以外の国には存在しない。

世界中の宗教紛争や、国同士の領土紛争を平和に解決する方法を、日本人は知っている。しかし、日本以外の国の人に「日本人の真似をしろ」と言っても、無理だと思う。日本以外の国には、不幸にして聖徳太子がいなかった。
だからアメリカやヨーロッパからの留学生が「なぜ日本では寺と神社が共存できるんですか?」と疑問に思っても、彼らは決して自力で答えには到達できまい。宗教が原因で延々と殺し合いを続けている民族に、日本が連綿と紡いできた宗教観がそう簡単に理解できるはずがない。

大学生のなかには「歴史の知識なんて普段使うことないんだから、習うだけ無駄な教科だ」などと平気で嘯く輩がいる。少なくともこの国の将来を担える人材ではあるまい。そういう学生が将来、何か新しいものを生み出せるとも思えない。たとえ留学したとしても、外国にへつらい無駄に劣等感を重ね、自分を無くし、似非外国人と化して帰ってくるのが落ちだろう。そんな薄っぺらい人間は、日本人でもなければ、何人でもない。
知識を暗記することが歴史の勉強だ、と思い込んでいる学生は、世界の国に出ても決して尊敬される人材にはなれないと思う。




まぁ、そんなわけで神社とお寺は共存できているわけでつね

「・・・それって、あなたどこで習ったの?」

いや、学校の日本史で普通に習ったでしょ

「あたし習ってない」

えー、聖徳太子、習わなかった?教科書の太字でしょ。

「習ったけど、冠位十二階と十七条憲法しか知らんもん」

それ、わりと瑣末な知識じゃない?それで今の日本は何も決まってないよ

「とりあえずそのふたつは太字だったから覚えたのよ」

そういう知識ばっかり覚えることが歴史を学ぶことじゃないでつよ

「ふーん。太子、すげー。

・・・。

「お札の顔にしてやってもいいよー」

いや、もうなってたから。



2位は北岳、3位は奥穂高岳。そのふたつはたった3m差。