努力ができない理由は何なのか。


僕の研究室では英語と日本語で理論言語学を勉強しているので、英語の勉強に熱心な学生さんが多い。正確に言うと、「英語の勉強に熱心になりたい学生さんが多い」と言うべきか。
将来の進度を聞くと、「英語を使った職業につきたい」とのたまう学生さんがほとんどだ。

しかし、そういう学生さんが、その将来像に着実な努力をしているか、というと、そうでもない。英語のシャドウィングを繰り返すだけで英語力が身につくと思っている。
いや、それでもまだやっているだけいい方で、中には「英語ができるようになりたいですー」などと口では言っておいて、それが毎日の生活に全然反映されていない学生がほとんどだ。

僕がゼミを持ってから1年が経った。この1年で、飛躍的に英語力を伸ばした学生と、そうでない学生がいる。その違いは何なのか。
簡単に言えば努力量なのだが、問題はその努力をどうやって生み出すか、その方法論をしっかり身につけているか否かの違いだと思う。

学生は、能力を伸ばすためには努力が必要なことぐらい分かっている。しかし、その「努力」というものの捉え方が、ちょっと理想論に走り過ぎているような気がする。
どうも学生さんは「努力」というものを、歯を食いしばって困難に耐える、とても苦しいものと捉えてはいないか。努力を厭う学生は多いが、そういう学生は根性がないのでも気合が足りないのでもない。努力の仕方を知らないだけだ。

学生に「英語ができるようになりたいんだったら、どうして勉強しないの」と聞くと、例外なく自分本人の人間性に帰着させる。曰く、「私は根気がないから」「気合が足りないんだと思います」「自覚が足りないから」など、徹底して自己否定する。そしてそこで勝手に納得してしまい、思考停止する。

冗談じゃない。僕だって学生時代からずっと英語を勉強しているが、別に僕は特に秀でた根性があるわけではない。自覚なんて持ったこともない。
英語に限らず、人がある能力を身につけようとするときに必要なのは、自分を毎日の努力に駆り立てるための、綿密な計画に基づいた「工夫」だと思う。

「どうやって英語を勉強すればいいんですか」という質問をよく受ける。そんな質問に決まった答えなどない。もし勉強の仕方に正解があれば、誰だってそれをやっているだろう。
人はひとりひとり資質が違うし、好みも違う。どういうやり方が自分に合っているのか、どういう教科書が自分の好みなのか、ひとりひとり違うのは当たり前だ。だから、僕が使っている教材が気に入らない学生さんだっていて当たり前だ。僕は散歩しながらシャドウィングする習慣があるが、家の中で寝っ転がりながらのほうがシャドウィングしやすい学生だっているだろう。図書館で勉強するのが好きな人もいれば、街中のミスドで勉強するほうが進む人もいる。

問題は、どういう環境で、どういう教材を使って、どうやって勉強するのが自分には一番合っているのか、その方法論を自分でつくりあげることだろう。もちろん、それを確立するには試行錯誤が必要だ。学生が僕に勉強の仕方を聞きにくる時に、僕に答えられるのは「僕はこういうやり方が合っている、と自分で気付いた」という、勉強法のほんの一例にすぎない。それを盲信して、かつそれが合っていない場合にはすべてをぶん投げる、という怠惰な学生は、努力ができなくて当たり前だ。

努力に必要なのは、全身に炎を漲らせるような過度な気合ではない。そんな炎は、どうせ長持ちしない。
継続した努力生活に必要なのは、淡々と日常の業務をこなすような、静まり返った水面のような平常心だ。

だから、「先生、俺がんばりますよ。今日から生まれ変わりますよ」などと口に出して言う学生は、ほぼ一年中を通して同じことを言っている。そして、実際には何もやっていない。「努力」というものに不必要な高さのハードルを想定しているため、それを越える無駄な気合が空回りしている。
実際に努力をしている学生は、努力を困難として捉えていない。自分のやるべきことをしっかり自分の生活に組み込んで、淡々と毎日を送っている。僕個人の経験からしても、取り組む気合が高ければ高いほど、一旦憑き物が落ちると何もしなくなる。

努力とは気合ではない。習慣だ。一旦習慣として学習活動が日常に染み込んでしまえば、それを繰り返していく継続性のほうが重要になる。努力は始めるのが大変なのではなく、継続していくのが大変なのだ。毎日毎日、無駄な気合を燃え立たせていては、いずれ疲れる。人は疲れることを長く続けられるようにはできていない。


新年が明けて、また学生さんたちが大学に戻ってくる。今年一年をどういう年にするか、思いめぐらせている学生さんも多いだろう。
「今年は何を頑張りたい?」と訊いて、「今年こそは飛躍の年にしたいです。マジ本気で勉強します」などとほざく学生と、「いや、今まで通り、普通に」と素っ気なく言う学生とで、それまでに積み重ねたものの違いがはっきりと分かる。



気合が必要なのは習慣をつくりだす最初の3日だけ。