学会で大阪に滞在しております。


学会ってのはいいもんですね。
日頃の研究を発表させてもらえる機会というだけではなく、普段自分ひとりで勉強してるときには全く見えなかった興味の対象が、いろいろ見えてきます。他の研究者のみなさんも、それぞれが「面白い」と思ったトピックについて、全力で研究しています。そういう他の人の発表を聞くと、世の中にはもっともっと面白い謎が溢れている、ということが実感できて、なんだか嬉しくなります。

僕は大学院生の頃、学会は「間違ったら殺される場所」だと思っていました。なにせ、普段自分が使っている教科書の筆者の先生が発表を聞いているんです。自分の発表の中で批判している論文の筆者の先生が目の前にいるわけです。発表後の質疑応答など、「ちゃんと答えられないと無能の烙印を押される」という、まぁものすごい恐怖心がありました。学会発表の前夜など「頼むから誰も質問しないでくれ」と、思いつく限りの神様にお祈りしたもんです。
当然、学会あとの懇親会なんて出やしません。他の発表を聞く余裕もなく、自分の発表が終わったら逃げるように帰ってました。

その意識が変わったのは、やっぱりアメリカに行ってからでした。みんな、すごく無邪気に楽しく発表していました。学会を楽しみにしてるんです。発表のあとに質問を求める挙手が乱立すると、喜ぶんですよね。発表の後の休み時間でも、質問してくれた人と延々とディスカッションしたり、コメントもらったりして、なんだかとても有意義な時間を過ごしているように見えました。
そういう、学会に対する研究者のイメージが、当時の僕にとってはかなりの衝撃でした。

一言でいうと、「他の人の知見を得るのが上手」なんだと思います。観衆の人々が自分の発表に質問するということは、要するにそれだけ多くの人が自分の発表に興味をもってくれているんです。内容の不備を指摘してくれるということは、内容をちゃんと理解してくれているということです。
誰だって、完璧な発表なんてできません。がっちり理論武装して、付け入る隙のない、非の打ち所のない論文なんて存在しません。研究というものは、どれも不完全なものなんです。質疑応答を恐れるということは、その不完全さを認める勇気のなさの表れです。「自分の研究なんてまだまだだ。不備を埋められる視点を持っている人が、自分の話を聞いてくれているかもしれない」と悟ると、質疑応答はむしろありがたいものに感じられます。

今回の僕の発表のあとにも、多くの人が質問をしてくれました。自分では良くできたつもりの発表でも、他の人から見れば穴だらけです。自分では気づかなかった欠点をたくさん指摘してもらい、まだまだ自分の研究には伸び幅があることを認識させてもらいました。
僕ごときの研究にこれだけたくさんの人が興味をもってくれている、と感じると、言いようのない充実感と、次への研究への意欲が湧き上がってきます。


もうひとつ学会の楽しいところは、旧知の人たちに再会することですね。
同年代の友達や、御世話になった先生方の世代など、多くの研究者の方に会える、数少ない機会です。お互いに近況を知らせあったり、一緒に飲んだりするのは楽しいもんですね。

今回、ものすごく驚いた再会がありました。
僕が学部時代、言語学に興味を持ち始めた頃からの盟友で、学部、大学院と同じ分野をずっと勉強してきた奴です。僕がアメリカに行ってからは連絡が途絶えましたが、このあいだ台風の影響で大学から帰宅できなくなったときに、10数年ぶりにふらっとメールを寄こしてきた例の奴であります。
今回の学会で僕が発表することを知り、聞きに来てくれたそうです。

なんですかね、人生の一時期、自分が最も人生を賭けている分野で共にしのぎを削った仲間というのは、10年経とうと何年経とうと、再会した瞬間にすべての時間を飛び越えるもんですね。声をかけられたとき、一目で分かりました。嬉しかったなぁ。
もちろん発表が終わってから飲みに行きました。開いた10年間のことを語り合い、お互いの研究や仕事の環境について話をしました。今では彼も結婚し、子供までいるそうです。目の前にいる本人は10年前とまったく変わらないように見えながら、いろんなものを背負ってきているようです。

僕は一気呵成に気合を爆発させるタイプの体育会系ですが、彼は対照的に物静かに闘志を燃やすタイプです。学部生の頃から、タイプの違うお互いが、それぞれの資質を吸収し合っていました。
大学院に進んでからも、一歩先を行く彼の研究の足跡を追いかけるように、必死に勉強したもんです。大学院生というのは一般的に孤独で淋しい人種ですが、僕はそういった孤独感というものをあまり感じたことはありません。身近に一緒に闘っている仲間がいるというのは、とても得難い、大きなものだと思います。

まだ20歳そこそこの大学生だったとき、言語学の研究者になろう、と決めました。同じ目標をもった彼と、わけも分からずがむしゃらに勉強をして、「いつかそれぞれ、どこかの大学に就職して、学会で会って一緒に飲めるようになりたいね」なんてことを話してました。
ささやかな夢ではありましたが、楽しい夢でした。



いま、その時の夢が叶って、何物にも替えがたい幸せを感じています。



生きててよかった