今日は大学の卒業証書授与式でした。


いわゆる「卒業式」ではありません。そちらのほうは中止になりました。
今日やったのは、正確には「学位伝達式」といいまして、文字通り、大学卒業の証書を渡す式です。卒業する学生ひとりひとりに学位記を手渡すので大変です。
というわけで僕も駆り出されました。


あれ、ってことは、卒業式って何だ?


伝達式のあとは謝恩会のようなパーティーがありました。
そちらのほうは、学生さんが主体で運営します。
先ほどの大震災に配慮し、浮かれモードを押さえた、慎ましやかなパーティーでした。冒頭の乾杯すらありません。

僕はすでに震災の影響が感じられない普段の生活に戻りつつありますが、そうでない人たちが多いことは当然ながら配慮しなければなりません。
だから、卒業する学生さんと話すときには、それなりに気を遣いました。

たとえば、今回の卒業生のなかで、災害の影響で出席できなかった学生が80名ほどいました。
大学の授業終了後、春休みに実家に帰省した最中に震災に巻き込まれ、交通機関の復旧の 遅れによって再上京が叶わなかった学生さんたちです。
きっと、実家のほうでも物、人、ともにダメージが甚大なのでしょう。

だから、学生さんと話すときに、無条件に「おめでとう」とは言いにくい雰囲気です。まず、実家はどこなのか確認します。震災を通してどの程度被害があったのか聞いてからでないと、話の距離感が取りにくい感じです。
「おめでとう」が場違いである可能性があるので、当たり障りなく「よくがんばったね」と声をかけました。


謝恩会を企画した学生さんたちも、かなり気を遣っているようでした。
自分たちの卒業という晴れの日を祝いたい気分と、震災に配慮し被災者を思い遣るバランスをとろうと、かなり苦心していたようです。

パーティーなのに料理は少なく、お酒もなし。水とオレンジジュースだけ。
突飛な格好も、着ぐるみも全くいません。
イベントや演し物もなく、節電のため時間を短縮し、簡単な挨拶と歓談で終わり。
事前に徴収した金額との差額分を全員に返金し、「続きは二次会で各自お願いします」という感じでした。

世相を鑑み、それがぎりぎりの線だったのだろうと思います。
彼らだって人生を謳歌するいちばんいい時期ですから、卒業式くらい羽目を外して馬鹿騒ぎしたかったでしょう。
ただ、「今はそういう場合ではない」ということをちゃんと認識しつつ、それでも「先生や友達と最後に会う機会はほしい」という願いを、ちゃんと調整した、ということでしょう。

実行委員会の学生さんたちは、ちゃんと分かっているようでした。
「ホントはもっと派手にやりたかったんです。残念です。地震のせいなんです。あーあ」と一方的に残念がるのではなく、ちゃんとこれから社会に出る一員として、世の中における身の処し方と身の振り方を、ちゃんと彼らなりに理解し消化している態度でした。
大学4年生にはかなり酷な判断だったと思います。

教員としては一生に一度の晴れの日を、一点の曇りもなく送り出して上げたい気持ちはあります。
しかしそれ以上に、学生さんたちが自分たちのあるべき態度を自分たちで考え、自分たちなりに気持ちを整理して卒業の日を迎えてくれたことを頼もしく感じました。

なんでもかんでも「自粛」「自粛」でがんじがらめにして、活発な活動すべてを「不謹慎」で封じ込める必要はないと思います。
しかし、今の自分たちが置かれた状況をよく考えてあらゆる立場に配慮ができる心配りは、世の中に出てから必須の資質でしょう。
今の学生さんたちにはそれがちゃんとできる、と分かっただけで、なんか安心しました。



それが人として、一番大事なことだと思うんです。