非正社員賃上げ—公正な分配へ具体化を
(2010年10月29日 朝日新聞社説)
障害者雇用 がんばっている大企業
(2010年10月30日 毎日新聞社説)


同じ問題を、正反対の方向から捉えたふたつの社説。
ここ数ヶ月の社説ではかなり珍しい書き方だ。

ここでとり上げた朝日と毎日の社説は、なにか特定の事件や具体的な事例について意見を問うているものではない。むしろ、今の日本にとって慢性的な問題を、正面切ってとり上げている。
こういう事象は、なかなか社説を書きにくい題材だろう。事実自体にインパクトがある記事は、そりゃ読者の目を引くのは当然だ。しかし、今回のような「静的な話題」は、問題提起に持って行くまでに相当の調査と論理的検証力が問われる。それに敢えて挑んだ朝日と毎日には、取り敢えずそのチャレンジを讃えたい。

両紙がとり上げているトピックは、違うように見えて、その実、見ているところは同じだと思う。つまり、「今の景気減退の中で、企業は一体どうすりゃいいんでしょうね」ということだろう。
それについて、朝日と毎日はそれぞれの視点から社説を問うているが、僕のジャッジだと、毎日新聞の勝ちだと思う。

朝日の論証のしかたが悪かったのかというと、そういうわけではない。事実、朝日新聞はかなり綿密に非正規社員の実情を調べている。


1995年からの15年に正社員は約400万人減った。非正社員は約700万人増え、3人に1人を超えた。労組の組織率は2割を切り、企業との交渉力は低下。2002年から07年まで「戦後最長の景気拡大」があっても、働き手の1人あたり現金給与総額は97年のピークから12%落ち込んだ。それが消費の停滞も招いた。
加えて、08年秋の経済危機で大量の非正社員が契約を打ち切られ、「非正社員を犠牲にして正社員が生き残る構図」を目の当たりにしたことも、正社員の組合員たちに衝撃を与えた、と執行部はいう。
(朝日社説)



就職活動に励む大学生にとっては暗鬱たる現状だ。そういう現状にNOを突きつけ、正社員以上の賃上げを求める春闘方針について肯定的な意見を述べている。
現状に関する問題意識の持ち方は妥当で、その改革案について広島電鉄の具体例を提示するなど、論証に必要な一連の条件を満たしている。「着眼点」というポイントで評価すると、これはこれでレベルの高い社説ではあるだろう。

しかし惜しむらくは、朝日社説は具体的な提言にまでつながっていない。要するに、厳しい現実を細かく指摘したあとで「こんなんじゃいけないと思うんですよ」と、ため息をつくだけの社説になってしまっているのだ。朝日の社説を読んだ後で、「ほほうなるほど、こうすればいいのか」というイメージを持てる読者はいないのではあるまいか。


この状況に歯止めをかけるため、非正社員重視を掲げ、中長期的な格差是正への決意を示した。だが、実現の道筋は見えていない。
円高ショックの中で企業業績の先行き不安は強く、グローバル化による企業の海外脱出への懸念もなお続く。今回の要求方針は、賃上げ分の中の非正社員への配分増で、正社員分を減らすわけではないが、正社員から不満が噴き出さないとも限らない。
そんな中で必要なことは、格差が社会や企業に及ぼす影響を洗い出し、各企業の労使が正面から向き合って、公正な分配へ向けた成功例や工夫を積み上げていくことではないか。



そんなこと言われても困る。特に上の抜粋中で最後の段落は、抽象的な言葉を並べた実体のない提言になってしまっている。
「格差が社会や企業に及ぼす影響を洗い出し」ではなく、それをどうやって洗い出すのか、が必要ではないか。
「各企業の労使が正面から向き合って」ではなく、その向き合い方が提言の中心となるべきではないか。
「公正な分配へ向けた成功例や工夫を積み上げていく」ではなく、一体どういう工夫なのかを拾い出すべきではないのか。

一方、毎日社説はそうではない。のっけから「障害者雇用が企業再生につながる」と、はじめから成功のイメージをつくる具体例に焦点を絞っている。朝日新聞の言うところの「成功例や工夫」のひとつを、ピンポイントで狙い撃ちしている。


障害者にとっては、福祉施設では月に1万~2万円の工賃しか得られなかったのが、最低賃金を超える収入を得て経済的自立が可能になる。企業の中で働くことで刺激を受け、生きがいや精神的成長が促される。補助金を得る立場から税金を納める立場になることで社会全体のコスト軽減にもつながる−などメリットは大きい。
一方、企業側からは「社内が活気づいた」「明るくなった」との声をよく聞く。激しい競争の中で合理化と効率化を過度に求められ社員のメンタルヘルスやモチベーションに深刻な影響をもたらしている職場は多い。そこに新規採用された「働くことに素朴な喜びを全身で表す障害者」(ある大企業の役員)が目に見えない効用をもたらしているというのだ。大企業を対象にしたアンケートでは、一人でも知的障害者を雇用した実績のある企業ほど「もっと大勢雇用したい」という意欲が強いとの結果もある。



昨今は企業も景気が悪く、社内の雰囲気が悪くなることもあるだろう。朝日社説が指摘しているように、クビ切りが容易な非正規社員の数を増やしていることも、職場を殺気立ったものにしているだろう。
そんな中で、社員の勤労意欲を上げるために企業がなし得る工夫には、どんなことがあるのか。毎日社説はそのひとつの明確なモデルケースを提示している。問題を提示した時点では互角だが、明確な解答を用意したという点で毎日新聞のほうが一歩先んじている。

毎日新聞の提言を読んで、「そんな簡単にいくもんか」と思う企業経営者も多いだろう。しかし、毎日新聞が切った「障害者雇用」というカードが、万能である必要はない。毎日新聞の社説の意図は「こうすれば企業は必ず再生できる」という、出来の悪いビジネス文庫並みの安っぽい提言ではない。
「この方法がうまくいく企業もあるし、うまくいかない企業もある。しかし、事実としてこのような例が実際にある。これと同様に、企業が再生するヒントはいたる所にあるのではないか」ということだろう。


世界各国の障害者雇用を見渡しても、都心のオフィスでたくさんの知的障害者が働いている光景が見られるのは最近の日本くらいではないか。多数の障害者を雇用してきた企業が不況下でも業績を伸ばしたという例がいくつもある。チャンスは思わぬところにある
(毎日社説)



毎日新聞の主張は、「発想を転換すれば、チャンスが見えてくる」ということだろう。
普通に考えて、障害者の雇用は企業にとって負担だと思う。企業としてみれば、労働力としては障害者よりも健常者のほうが戦力になるのは、当たり前だ。
しかし、当たり前のことを当たり前のこととしか見れないと、現状が打開できない。発想を転換して、「障害者を雇用することが具体的などんなメリットにつながるのか」を、実例をもとに紹介している。

毎日新聞の紹介した「障害者雇用」という実例は、ほんの一例でしかない。もしかしたら、他にも同様の、企業再生につながるような発想の転換の鍵があるかもしれない。
そういう可能性を訴える記事として、毎日新聞の社説は充分に機能している。

これは、突発的に生じた事件に関する社説に比べると、世の中を見る目の「持久力」が問われる。長期的な視野に基づく問題意識を、じっくりと熟成させていくような、腰を据えた取材が必要になる。社説に載せられるレベルの論証に練り上げるまでには、かなりの時間がかかるだろう。
こういう「持ち弾」をいくつ持っているか、が新聞社の能力を決定する要素のひとつだと思う。



障害者のいる家庭では心強い記事だろう