いま、趣味でイタリア語を勉強しているんですが。


大学時代から第2、第3外国語をとっていたんですが、なんというか、まぁ、動機が不純でしたな。
フランス語は「大学院を受験するから必要」てな感じだったし、ドイツ語は「意味論の論文にたまにドイツ語のやつがあるから」という理由だったし。
楽しくもなんともありゃしない。こんな勉強が身に付くわけありません。

加えて、当時の僕は理論言語学の面白さを知り始めた頃だったから、いきおい外国語の勉強も文法一辺倒でした。読解とかリスニングとかの勉強は皆無。とにかく文法のルールだけを規則的に頭の中に叩き込む、という感じの勉強でした。「単語と文法さえ覚えていればなんとか読めるだろう」くらいの感じでした。

僕は今も言語学に携わっているので、外国語の学習がまったく専門に関係ないというわけではありません。しかしそれでも学部時代に比べるとのんびりと外国語の勉強を楽しむことができます。テストも入試もないし。
外国語に限らず、なにか趣味として継続させるには、それを楽しむことがまず第一義だと思います。楽しめないものは長くは続きません。


今では僕の外国語の勉強の仕方はかなり変わってきまして。
重点は「わけの分からない音の連鎖を、発音することを楽しむ」です。


知らない外国語の音というのは、要するに呪文のようなものです。何を意味しているのかさっぱり分からない。外国語を勉強するときには、その呪文が何を意味しているのか、どういう状況で使うのか、それを一所懸命に覚えようとしていくのが普通です。
だから苦しくなる。

意味とか状況とかは後回しでいいんです。とりあえず、呪文の音そのものを楽しめばいいんです。
何度も口に出して発音しているうちに、頭ではなく口がそのフレーズを勝手に覚えます。
しかるのち、いろんな音声教材や映像教材を見て、そのフレーズを使う場面を覚えていくんです。

僕の語学学習のポリシーは「お金をかけない」「しゃべるだけ」「毎日やる」です。
だから教材はNHKラジオのテキストだけです。毎月380円。これくらいなら安いものです。
まずNHKラジオの放送で、キーフレーズだけをバカみたいに唱えて、その音を楽しみます。文法の説明とか分からん分からん。
そうやって意味もわからずに丸覚えしたフレーズを、こんどはNHKテレビのイタリア語講座でリスニングします。テレビ版のほうは、けっこう上級者向けの街角インタビューや文化紹介などをイタリア語でやってくれます。そういうナチュラルな発話のなかで、自分が覚えた断片的なフレーズの使い時を発見するわけです。 「へぇ、こういう時に使うのか」と、パズルのピースを絵の中にはめ込んで行くような感じです。


僕がこういう語学の方法に変えてきたのは、やっぱり留学の体験が大きいと思います。
アメリカの大学院に行ったとき、同期の友達で他の国から来た留学生は、みんなTOEFLが満点でした。ろくに英語が使えなかったのは僕だけ。「なんでみんなそんなに英語ができるんだろう」というのは、かなり疑問でした。
同期の友達にいろいろと英語を勉強する方法を訊いたんですが、共通していたのは、「どうやらコイツらは紙と鉛筆では勉強していないらしい」ということでした。聞いて喋る、聞いて喋る、の繰り返し。文法のテキストも単語帳も使いません。そして、ネイティブスピーカーの友達を作る。そいつと話す。覚えたフレーズを使いたがる。

帰国して大学で教えるようになって、留学生に日本語を教える機会が増えました。
中国や韓国から留学してくる学生さんは、入学した段階でかなり流暢に日本語を話せる学生も少なくありません。

ただし、そういう留学生は日本語が書けないんです。日本語の新聞も読めません。極端な学生さんになると、ふつうに喋っているぶんには日本人か外国人か分からないくらい完璧な日本語を話すのに、カタカナが読めない、という学生さんがいます。

そういう彼らが、どういう方法で日本語を勉強しているかは明らかです。テキストやノートをつかって「勉強する」のではなく、日本語の定型文や実践的な表現に「馴れていく」方法なのでしょう。
語学学校などで日本語をきちんと体系的に勉強してきている学生さんは別として、ほとんどの留学生は日本語の文法をきちんと勉強していません。だから彼らは、文法の理屈を抜きにして、個別の表現を逐一、覚え込んでいます。

外国人にとって日本語で一番難しいのは、助詞、用言の活用、敬語の3つです。
日本人にとって普通のことでも、彼らにとっては不可解なことがたくさんあります。

たとえば、「たくろふはチョコレートを食べる」という文。「たくろふは」が主語、「チョコレートを」が目的語・・・などと教えます。
すると、文法から入った外国人は、類推から「たくろふは電車を乗る」という文を作り出してしまいます。どうして目的語なのに「電車」になるのか、理解できない。

理解できないのは、そもそも「考えようとしている」からです。
理解もへったくれもない、「そういうものなんだ」と割り切って、表現を音でまるごと吸収すると、そういうストレスがかかりません。
僕は語学を、自分でやったり、生徒さんに教えたりしているうちに、結局は「音の響きに慣れる」しかないんだな、と思うようになりました。第一、そっちのほうがラクに語学に向かえます。


あ、ところで。
イタリア語を勉強すると、どうしてもイタリア料理の語彙が増えます。それに伴い、どうでもいい知識も増えます。
タマゴとチーズとベーコンのスパゲティ、「カルボナーラ」ってありますよね。あれって、「炭焼き職人風の」という意味なんだそうです。
仕上げにふりかけるブラックペッパーが、炭焼きを想像させるからなんだそうです。
材料のなかで一番偉いのはペッパーなのか。知らなかった。



「モッツァレラ」は「ひきちぎる」っていう動詞だし。