2日間の学会から帰ってまいりました。笑い


いいもんですね、学会。
自分の研究を発表するのみならず、久しぶりに会う方などと近況を伝え合ったり、むかしの友達に再会したりするには、非常にいい機会です。
特に、大学院時代に同じ研究室で勉強していた仲間がそれぞれ就職し、名刺を交換し合う仲になっているというのは、なんか妙な嬉しさを伴うもんです。

僕の発表も滞りなく済みました。
滞りがなかったことにします 文句あるか。


今回発表して気付いたことですが。


最近、問題の本質を突いてくる、ちゃんとした質問が増えましたね。
僕がやっている分野は、あまり研究人口が多くないこともあって、日本の学会で発表しても、トンチンカンな「流れ弾」の質問が飛んでくることがよくあります。
発表の内容と全然関係のない質問をしてきたり、「この人、話をちゃんと聞いていたのかな」という人は、まぁ、どんなときにもいらっしゃいます。

そもそも、プロの研究者といえども、他人の研究を一聴しただけで完璧に理解できる人など、そうそういるものではありません。
人の研究発表を聞くときには、自分がその分野を勉強したときの経験と照らし合わせて、発表の内容を理解しようとします。少なくとも僕はそうです。

そのとき「自分のバックグラウンドに無い部分」は、30分足らずの学会発表で簡単に埋められる程度のものではありません。
すると、人の発表を理解するには、そもそも発表前にある程度の経験と下地が必要になります。

今回、僕の発表のあとの質疑応答で、何人かの人が質問をしてくれました。
数年前と比べると、その質問の内容がかなり変化してきている気がします。

ひとつには、最近、僕があっちゃこっちゃで発表するようになったので、「たくろふ君の発表だったら、まぁ、ああいうアイデアだろう」という見当がつく人が増えてきたということがあると思います。手の内を知られている人には、次の手も読まれやすくなります。
しかし、そうではなく、はじめて発表を聞いてもらった人や、もともと僕の専門である意味論の畑ではない人からも、本質を突く発展性のある質問を多くいただくようになりました。

つまり、今の日本で、それだけ意味論という分野の裾野が広がってきている、ということだと思います。
僕は、「自分の興味ある分野を本気で研究するには、日本では無理だ」と思ってアメリカに渡りました。渡米前にも何度か学会で発表したことがありますが、本当に発展的なコメントや本質的な質問をいただいた記憶は、正直、あまりありません。

ところがここ数年、日本の学会で発表しても、そのあとちゃんとした議論になります。「話を分かってもらえている」という実感があります。
帰国組に限らず、日本の大学院で勉強している院生のみなさんからも、懇親会でたくさん質問とコメントをいただきました。僕が渡米する前には考えられなかったことです。
自分が研究している分野が発展している様を感じられるというのは、いいもんですね。

そもそも、僕は研究活動の本質は論文の執筆にあると思います。文字にして出版したものは、読む側がそれぞれのペースで理解できます。
学会発表なんていうものは、いってしまえば、映画の予告編のようなもんです。いちばん人目を惹くセールスポイントを、わかりやすく提示できれば、それでいいと思っています。
むしろ大事なのは、発表を聞いてもらった人に「これが論文になったものを読んでみたい」と思わせることと、そのための論文をしっかり書くことだと思います。そういう意識で学会発表をしない限り、その分野に興味をもってくれる人は増えないでしょう。


僕の発表は学会の一日目だったので、夜の懇親会では遠慮なく飲みました。
ひと仕事終わった後のお酒に勝るものなし。このために学会に行ってるようなもんです。



帰りの新幹線ときたら10秒で着く有様