揺れながら、違い乗り越え/比に強制退去の子供たち
(2009年8月25日(火)、東奥日報)


日本生まれのフィリピン人カルデロン・のり子さん(14)と不法滞在の両親の強制退去問題が大きな注目を浴びたが、フィリピンには同様のケースで、のり子さんのように在留特別許可を受けることができず、強制退去となった子供も多い。彼らは、生まれ育った日本への思いに揺れながら、環境の違いを乗り越えようと努力している。  

フィリピン南部ミンダナオ島の北サンボアンガ州。不法滞在が発覚し、2007年3月に一家で強制退去となったフロレンシオ・パストルさん(44)の3人の子供は、ヤシの木が生い茂る農村地帯で暮らす。1991年に来日、横浜市で建設作業員として働いたパストルさんと、数年前に別れたフィリピン人女性との間に生まれた子供らだ。  

中学進学を目前に突然送還された長男ジュマール君(15)は「日本語しか話せないから、つらかった」と語る。現地の学校に編入したが、教師や級友の話は理解できない。「横浜に戻って友達に会いたい」。通学が苦痛になり、毎日早退しては日本から持ってきたテレビゲームに没頭した。  

同州などミンダナオ島西部は農業以外は目立った産業がなく、生活は厳しい。パストルさんは家を出てルソン島で住み込みの警備員になった。  

残されたジュマール君は、言葉が通じない祖母と簡素な家で暮らすうちに「自分は日本を追い出されたフィリピン人。くよくよしていても、しょうがないと思った」。  

辞書を片手に、級友に現地の言葉ビサヤ語を教わった。帰宅後は、ビサヤ語と授業の復習に励んだ。学校の女性教師は「会話に苦労しなくなり、成績も学年トップ。本当に頑張った」とほめる。ジュマール君の目標は、奨学金をもらい、日本の大学で勉強することだ。  

長女フロレンスさん(13)は、気持ちを切り替えられずにいる。「コンビニはないし、大好きなラーメンも食べられない」。小学5年に進級するところで送還されたが、言葉の問題で小学1年に編入。「年下の子たちに、日本人みたいだって何度もからかわれた」。  

家計の問題で、親類の家に一時預けられた。「日本なら、みんな一緒に暮らせた。親友と離れなくてもよかった」と、うつむいた。パストルさんは「今は生活に精いっぱい。子供のためにも日本に行きたいが」と話す。  

法務省によると昨年は4385人がフィリピンに強制退去となった。在日外国人支援団体「信愛塾」(横浜市)の竹川真理子さんは「子供も相当数含まれる。わたしが支援した例だけでも数十人に上る」と説明。「子供は心に大きな傷を負い、生活水準も下がる。彼らができる限りとどまれるよう、日本の行政は配慮すべきだ」と語った。



「犯罪者を逮捕するとその子供がいじめられるから、警察は犯罪者を逮捕してはいけない」的なロジックか。
するってぇと、「日本に密入国して子供ができた外国人には、あまねく日本での永住権を与えるべき」という主張だな。
うん、法治国家じゃなくなるな。



やったもん勝ちの国になるな。