夏休みなので、普段読めないような本を読んでいる。


去年の夏、嫁と鎌倉に遊びにいったときに、地元の古本屋さんで中島敦の全集を買った。
それ以来、折につけ読み続け、この夭逝した作家が世の中の何を見い出し、どのように著したのか、その足跡を辿っている。

今日は『名人伝』を読み返してみた。
弓の奥義を究めようとした若者の話だ。

邯鄲の紀昌は若くして弓の腕前が物凄く、たちまち師匠の腕前を凌ぐまでになった。人が紀昌を狙って矢を射ると、紀昌はすぐさまその矢を射落とす。紀昌の放った矢は相手の矢じりにぴったり当たり、軽塵をも揚げることなくぽとりと落ちる。師匠は紀昌に「もう教えることは何もない。これ以上の修行を極めたいと思うなら、霍山の頂に住む甘蠅老師に師事しろ。老師の技に比べれば我らの腕前は児戯に等しい」と告げる。驚いた紀昌は霍山に赴き、甘蠅老師に師事する。

9年の後、紀昌は下山した。彼の姿を見た邯鄲の人々は、彼の変貌ぶりに驚いた。気が強く向こう見ずだった若者が、いまでは木偶の坊のような無表情になっている。人々は紀昌の射の腕前を見たがるが、紀昌は一向に弓を手にしようとしない。霍山に持っていった弓さえどこかに棄ててきたらしい。紀昌が腕前を披露しなければしないほど、人々は「相当な達人に違いない」と噂した。邪心を持つ者は彼の住居の十町四方を避けて歩き、渡り鳥は彼の家の上空を通らなくなった。

霍山から戻って40年後、紀昌はひっそりと世を去った。この間、決して紀昌は弓矢を手にすることがなかった。
彼について変な話が残されている。紀昌がある家に招かれたとき、そこで紀昌はどこかで見た覚えのある道具を目にした。確かに見え覚えがあるが、思い出せない。そこで紀昌は家の主人に尋ねた。主人は紀昌が冗談を言っているのだろうと思って笑った。そこで紀昌は再び尋ねた。すると主人は真意を計りかねたように困った顔をした。紀昌は重ねて尋ねた。紀昌が本気で尋ねていると知り、主人は狼狽して叫んだ。
「なんということだ。古今無双の弓の名手が、弓が何であるかを忘れたとは!」
その後、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は琴の弦を断ち、工匠は道具を手にすることを恥じたという。


高校生くらいの頃に読んだときには、意味が分からなかった。この物語が何を言わんとしているのか分からなかった。
普通に考えて、技術の習得というのは実利のために行うものだろう。人が何かを必死になって習得しようとするのは、それを実際に役に立てたいからだろう。そう考えると、この物語で「名人」というものがどのように描かれているのか、その像がうまく描けなかった。

「奥義」という概念がある。修練を重ねた挙げ句に身につける究極の技法のことだ。
世阿弥は『風姿花伝』で、「秘すれば花なり、秘さずば花なるべからずとなり」と言っている。奥義とは、隠すこと自体に価値があるのであり、人に知られてはならない。「奥義とは、世の中に見せるべきではないもの」という云いだ。
かくいう世阿弥はそれを公表しているのであり、これはいわば一種のジョークなのだが、その言わんとするところはなんとなく分かる。人に知られない技は、潜在的に世界最高のものであり得るのだろう。

僕はどの分野でも奥義なるものを極めていないが、もし習得していたら得々として人に見せびらかしたくなるに違いない。
「努力というのは自分の自己確立のために行う」と定義しても、あながち非難には中らないだろう。

アメリカの心理学者アブラハム・マズローは「人の欲求にはレベルの違いがある」という欲求階層論を唱えた。人の欲求は「生理的欲求」→「安全への欲求」→「社会的欲求」→「自我欲求」→「自己実現欲求」という階層を成している。最も低いレベルの「生理的欲求」は、食欲、睡眠欲、排泄欲、性欲などで、幼児でも持っている。人が上のレベルの欲求を感じるには、その下のレベルの欲求が満たされる必要がある。

奥義の習得というのは、この欲求階層によると最も高次の「自己実現欲求」にあたるものだろう。相当に高度な精神生活を送っていないと、そもそもこの欲求を感じることすらできない。自分を少しでも上のレベルに引っ張り上げようとする努力、それが満たされることによる満足感というのは、生きていく上で必要な欲求だと思う。

そう考えると、『名人伝』に見られる紀昌の名人っぷりは、一体何なのだろうか。
紀昌が何らかの奥義を極めたのは確かだろう。しかしその奥義の正体を考えるのは、この物語の趣旨ではないと思う。週刊誌のマンガ程度では、その奥義を詳らかに描くことが読者を惹き付けるポイントになるのだろうが、中島敦の興味の中心がそこにあるとは思いにくい。
中島敦は生前から喘息に苦しみ、自分の命がそれほど長くはないことを自覚していた。その彼が興味をもつのは、「限られた命をどのように使うか」「生を充実させるためにはどのような生き方をするべきか」という点に絞られるのではあるまいか。

思うに中島敦は、奥義を身につけるための修練それ自体を「生きる姿勢をつくる方法」と捉えたのではないか。
人は目標に向かって登ろうとしているときに、最も生命力に溢れている。奥義というのは、それを身につけることが最終的な目標なのではない。それを習得すべく必死に己を磨く姿勢を身につけるために用意された要石のようなものではないか。

だから、それを極めてしまった者は紀昌のようになる。おそらく、彼は奥義を極めてしまった。それよりも先の目標がない所まで行き着いてしまった者は、その後の人生に対して目標を失う。意気軒昂と霍山に向かっていた紀昌と、下山してからの紀昌では、明らかに前者のほうが生命力と躍動感に溢れている。それは目指すべき目標があり、それに向かうことが齎している「生きる姿勢」なのだろう。

そう考えると、中島敦は「名人」というものを、決して肯定的には考えていなかったのではないか。名人とはそれを目指すものであって、なるものではない。限られた時間で長くない命を生きた中島敦にとっては、名人を目指す執筆活動そのものが、その日その日の自分の生き方を支えてくれる基本的な姿勢になっていたのではないか。

僕は大学で学生に英語を教えるとき、「試験のスコアや合否通知を喜びとするのではなく、毎日毎日の語学トレーニングを行うことそのものに楽しさと喜びを感じるように」という方針で授業をしている。授業はあくまでもその楽しさのために与える刺激であり、基本は学生ひとりひとりが積み重ねた勉強時間の蓄積以外ではあり得ない。語学は最終的な到達点がないため、人生のどの時期においても生きるための姿勢を維持しやすい。

大切なのは、自分の人生を楽しむために、目指すべき「奥義」を自分なりに見つけることだろう。それを目指す過程そのものが大事なのだから、このチャレンジにはそもそも「失敗」という概念がない。それを目指す生活のなかで、昨日の自分よりも今日の自分のほうがわずかに能力が上がった実感を感じられれば、それが生きる楽しみに繋がる。東大を目指して必死に受験勉強し、合格した途端に目標をなくして燃え尽きる、などという姿勢は、そもそも人生の楽しみ方を見失っているように見えるのだ。


中島敦の作品は完成度が高く、物語としてすでに十分に面白い。そのため、その表層の面白さだけに興味が留まってしまう読者が多いだろう。しかし、ぜひともそこからもう一歩踏み込んでみるべきものだと思う。その作品の意図や自分なりの解釈を練ってみるといろんなことが見えてくる、底が深いものだ。本当の中島敦の面白さは、物語のストーリーのさらに先にあるような気がしてならない。全集を買ったことだし、焦らずじっくり腰を据えて読んでみようと思っている。



極意書なんぞ人にそれを欲させるためのニンジンのようなものだろう